【波動療法について】波動測定装置「ラジオニクス」

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小澤博樹 連載コラム

波動療法について説明していく前に、まずは、波動測定装置あるいは波動解析装置の開発の歴史を紹介していくことにする。

この歴史については「エヴァ」1997年6月号、サンマーク出版を参考にしている。

波動機器が世に出て現在に至るまでには、特に医学界(西洋医学、現代医学)から多くの誹謗や中傷に晒されてきた。

波動機器が作動するメカニズムを解明するには既存の科学的理論では説明がつかなかったからである。このことについては後述する。

波動機器と呼ばれるものには大きく分けて二つの種類がある。そのひとつは米国で誕生した「ラジオニクス」という機器からは発展したものと、「EAV」と呼ばれる機器である。

ラジオニクス

「ラジオニクス」の場合、この機器を最初に開発したのは1890年代、米国スタンフォード大学医学部教授の医師アルバート・エイラムズ(Albert Abrams1863~1924)博士だった。

彼は「打診法」によって病気を診断する名人として知られていた。エイブラムズが「波動」と出会ったのもこの診断中のことであった。

まず悪性腫瘍の患者が西を向いている時に限って、患部のあたりの打診音が鈍い音に変わることに気づいた。また、癌病巣の組織標本を健常者に近づけても鈍い音に変わることにも気づいた。

さらに、患者(あるいは病巣の組織標本)と離れたところにいる健常者を銅線でつなぎ、健常者の打診音を調べてみた。するとこの時も鈍い音に変化したのである。

これらのことからエイブラムズは打診音の変化には地球の磁場と関係がある何らかの微弱エネルギーが関与していること、そして、その微弱エネルギーは銅線によって伝わることを確信した。

そこで今度は、患者(または病巣の組織標本)と健常者をつなぐ銅線の間に可変電気抵抗器をつなぎ、電流を流さないで抵抗器の目盛りだけを変えて打診音の変化を調べた。

結核の患者を打診しながら、目盛りを「1」から変えていく。

すると「42」の目盛りのところで打診音が変化した。次に癌の場合は「50」、淋病は「52」、梅毒は「55」といった具合に、病気の種類によって打診音が変化する目盛りが違うことが分かった。

これらの結果をもとに、複数の可変電器抵抗器を直列につないだ病気診断装置「バイオメーター(生体測定器)」が誕生した。

ここまでなら、一般的にも理解できるであろうが、この装置は一滴の血液からでさえ病気診断ができるという理屈をはるかにこえる代物だということが分かってきた。

エイブラムズは微弱エネルギーを発しているのは病気(病巣)だけではないだろうと考えた。

薬も同様に固有のエネルギーを発しているとしたら、そのエネルギーを人体に放射するだけで薬と同様な効果が得られるはずだ。

この考え方をもとに彼は「オシロクラスト(振動破砕器)」という治療器も開発した。

この「バイオメーター」と「オシロクラスト」を合わせたものがいわゆる「ラジオニクス」の原型である。

このエイブラムズの機器はかなりの患者を治療したようだ。

しかしその後アメリカ医師協会から「エイブラムズはニセ医者」だという非難があがった。さらに1924年に彼が死去した後も、米国の科学雑誌は18回にわたり中傷記事を連載した。

「“エイブラムズ箱”は純真な医者や信じやすい公衆に売りつけて大もうけをするために考案されたものだ」と。

しかし、機器の驚異的な効力を信じた医師は少なくなかった。

ロサンゼルスの脊柱矯正医師(カイロプラクター)だったルース・ドラウンRuthDrawn(1891~1965)もそのひとりであった。

ドラウンは独自に患者の血液や毛髪さえあれば、何千キロも離れたところにいる患者の病気を治せる機器を開発し、その上に、その患者の器官や組織の写真まで撮れるという驚くべきカメラまでつくってしまった。

このカメラは英国で特許を得たが、米国では食品医薬品の執拗な追求を受けドラウンはついには「インチキ医師」として逮捕され獄中死した。

この時期、エイブラムズのもうひとりの信奉者だったシカゴの医師と出会った電気通信技師トーマス・ゲイレン・ヒエロニムスThomas Galen Hieronymus(1895~1988)もエイブラムズの機器を改良したものをつくっていた。

その装置を使って1968年にはNASA(米国航空宇宙局)とは全く別にアポロ11号の飛行士の生体機能モニターにも成功した。

飛行士の写真だけを使って、月に行って帰ってくるまでの飛行士の体温、血圧などをほぼ正確にモニターできたという。

しかしヒエロニムスは微弱エネルギーの怖さにも気がついた。

トウモロコシにつく虫に機器からエネルギーを放射すると、三日間で虫が死んで溶け、「濡れたシミ」だけになった。

この威力を見てヒエロニムスは、「いつか申し分のない品性のまじめな研究者が現れるまで、自分の装置の構造や作用は決して他言するまい」と決心した。

こうしてドラウンヒエロニムスの流れが表向きには途絶えた米国とは違って、英国ではオックスフォード大学出身の土木工学技師ジョージ・デ・ラ・ウェアーGeorge De La Warr(1904~1969)が「エイブラムズ箱」に関心をもった医師たちの要望にこたえてさらに改良を加えた機器をつくり上げた。

この機器は医療面でかなりの成果を上げ、1960年代にはロンドン高等裁判所で「効果あり」と認められたため現在、英国にはラジオニクスで病気の診断と治療を行っている施設が50ヵ所以上も存在している。

また、デ・ラ・ウェアーの機器は農業においても画期的な成果を上げた。

土壌の中にも微生物など種々な生物が生息している。

それらの生物にも植物にもパワーを与えるようなエネルギー放射をすればかなりの増収が見込めるのではないかとデ・ラ・ウェアーは考えた。

実際にはムギを使った実験では270%も多い収穫を上げたという。しかし、他の人が同様にやっても増収にはつながらなかった。

実験をくり返して、デ・ラ・ウェアーが下した結論は「ラジオニクスの効果は、それを使う人の心(精神)に左右される」というものであった。

人間の心が関わるのかどうか、研究者の間でも今もって結論は出ていない。

効果が心に左右されるとなれば、客観的な評価はむずかしく、科学的な再現性もないことになってしまう。

そのため米国では、ラジオニクス関連の機器を医療行為に使うことを禁止している。

こちらへ続く: 【波動療法について】ドイツ生まれの波動測定装置「EAV」

 【参考文献】

「エヴァ」1997年6月号№8  サンマーク出版

「波動医療と呼ばれて」  堀尾保次、中村元信・共著 一般社団法人PRA臨床応用研究会

「治す医者か、ごまかす医者か」 小澤 博樹・著  三五館

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小澤 博樹

1949年愛知県碧南市生まれ。1974年東邦大学医学部を卒業後、同付属病院にて消化器外科学、一般外科学を専攻。

1984年、碧南市にて小澤医院を開業し、「食養生」を基本とした代替医療を展開し、現在に至る。

現代医学そのものが金儲け主義であると批判。自らは最少の費用で最大の成果を提供しようと模索する。頑固と良心の共存した、清貧な医者である。

マクロビオテック(玄米菜食)による体質改善、免疫力・自然治癒力の向上を図り、病気を治療に導く有床診療所「小澤医院」のHPはこちら→小澤医院

主な著書に「治す医者か、ごまかす医者か―絶対あきらめない患者学」「医者ができること、してはいけないこと―食い改める最善医療」などがある。