日本会議の研究 菅野 完 (著)

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日本会議の研究 (扶桑社新書)

私が「変な奴らが世の中で暴れ出してるぞ?」と思い始めたのは、2008年頃のこと。

当時、西村修平(主権回復を目指す会代表)、桜井誠(在日特権を許さない市民の会=在特会元会長)・瀬戸弘幸らはすでに、東村山市議会議員だった朝木明代が西武東村山駅付近のビルから転落死した事件に関し、

街宣活動に擬態したイヤガラセ行為を現場付近で行い、声高に創価学会と本件事件が関連しているなどとがなり立てたり、付近の商店に乱入したりするなどの様子を、ネット上で嬉々として公開するようになっていた。

こうした連中は、その後、外国人排斥に運動の重心を移していく。

不法入国のかどで強制退去を命じられたカルデロンさん一家に対する抗議デモを皮切りに、彼らの運動は激しさというよりも、醜悪さを増していった。

その前後あたりから、私は、彼らのデモや抗議活動の現場に潜入し、写真を撮ったり音声を録音したりするようになった。

彼らの主張も運動手法も、私にとって到底許せないものだったからだ。

当時はまだ、いわゆる「カウンター」と呼ばれる人々は極めて少数であり、私のような活動をしている人物は極めて少なかった。

それに当時の私は、一介のサラリーマンにすぎなかった。今から思えば手ぬるい限りだが、多勢に無勢でもあり、やれることは限られていた。

彼らの運動の実態を見ているうちに、運動参加者の顔と名前を覚えるようになる。

さらには、彼らが交わす会話を耳にするうちに、彼らが何を読み、何を情報ソースにし、何をどう認識しているかも、だいたいわかるようになってきた。

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「ネトウヨ」(ネットウヨク)という言葉通り、確かに彼らは、ネットを情報ソースにしている場合が多い。

「2ちゃんねる」をはじめとするネットの言説に感化され、ネットでの呼びかけに応じて、デモや集会に参加する。

だが、その大元のネットの書き込みをつぶさに見ていくと、個々人の勝手な妄想や思いつきから書かれた物もあるものの、大半は、「出典」が添えられている。

そして、そうした「出典」はほとんどの場合、「正論」「WILL」『歴史通』といった、「保守論壇誌」だ。

この点に気づいた私は、保守論壇誌を手当たり次第に読み込むようになった。

当時はサラリーマンだったため通勤時間はある。その時間を保守論壇誌の読み込みに費やし続けた。

そのうち、奇妙なことに気づく。

こうした保守論壇誌に登場する面々には「脈絡」がないのだ。

月刊誌や総合誌と呼ばれるジャンルに登場する人々は、何らかの学術的業績を挙げた人であったり、特定のジャンルでの研究・調査で実績のあるジャーナリストであったり、あるいは世間の耳目を集めた事件・事故の当事者であったりと、「なぜ、その人がその記事を書くか」の「脈絡」が存在する。

しかし、保守論壇誌にはそれがない。

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相撲解説者の舞の海秀平がなぜ憲法を語るのか、教育学者の高橋史朗がなぜGHQの占領政策の過誤について論じているのか、冷静に考えてみると、脈絡が一切ないのだ。

さらに、もう一っ奇妙なことがある。

私が保守論壇誌の読み込みを始めた2008年頃といえば、第一次安倍政権の崩壊直後に重なる。

体調問題からとはいえ、代表演説直後の辞任という前代未聞の大失態を演じた安倍晋三の政治生命は、完全に絶たれたように思われた。

事実、当時の世論調査でも7割に上る有権者が「安倍の突然の辞任は無責任だ」と答えている。(※1)

にもかかわらず、保守論壇誌には安倍晋三が登場し続ける。

有権者から無責任と烙印を押され、安倍晋三自身も嗚りを潜めて表立った動きを示していなかった時期にも、なぜか、保守論壇の「識者」たちは、安倍晋三の名前に言及し続けた。

さらには、極めて早い時期から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶようになる。(※2)

これは奇妙なことではないか?

路上で繰り広げられる醜悪なヘイトデモ参加者たちの一次的な情報源も保守論壇雑誌ならば、退陣し政治生命が終焉した安倍晋三を熱烈に応援し続けるのも保守論壇誌だ。

その傾向は、安倍晋三が再び総理として返り咲いた後、さらに顕著になっていく。

「たまたま、偶然、そうなっただけだ」「同じような性向を持った人なのだから、同じような雑誌に集まるのは自然なことだ」と切って捨てていいとは到底思えない。

確かにそうした判断も成立しうる。

ただ、ここまで同じメンバーが同じネタを用いて同じノリで盛り上がり続けられるのは、傍目には異常だ。

安倍退陣から再登板まで、5年もある。あの5年間、彼らは全く同じことをやり続けている。

その間、民主党政権の誕生と瓦解、東日本大震災など、さまざまな出来事があった。にもかかわらず、彼らは変わらない。同じことを繰り返している。何かある。

この持続性と反復性を生む、何らかの原因があるはずだ。

サラリーマンだった当時の私は、とある部局の責任者として勤務していた。

予算や人事的な責任だけでなく、その部署における顧客対応と品質管理の最終責任も私の職掌範囲であった。

製造ラインなりサービス部局なりのアウトプットが、ある「偏り」や「ばらつき」を示すとき、その「偏り」や「ばらつき」には必ず、原因が存在する。

品質管理の手法とは、顧客アンケートや従業員アンケートなどといった定性的な情報に頼ることなく、徹底してデータを集め、そのデータを冷静に分析し、「偏り」や「ばらつき」を生むルートコーズ=根本原因を突き止めていく過程に他ならない。

その根本原因は、しばしば、想定外のものであったりする。

こうした品質管理の手法を「保守論壇誌」そして「保守論壇誌の登場人物」の解析に用いれば、彼らの「偏り」を生む根本原因を究明できるはずだ。

そう狙いを定めて以降、手当たり次第に「サンプル」を集め出した。

サンプルは、路上のヘイトデモであったり、保守論壇誌の記事そのものであったり、地方議員へのインタビューであったりと、多岐にわたった。

時系列的にも、第一次安倍政権誕生時をはるかに遡り、村松剛や清水幾太郎など「元祖保守論壇人」が活躍し出す1950年代末までに及んだ。

そうして―つの答えに行き着いた。それが、「日本会議」の存在だ。

日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば「全国に草の根ネットワークを持つ国民運動団体」だ。

私が集めたサンプルは、保守論壇人の一部が、これまで「右翼」あるいは「保守」と呼ばれてきた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違うということを示していた。

サンプルから読み取れる彼らの主張内容は、「右翼であり保守だ」と自認する私(※3) の目から見ても奇異そのものであり、「保守」や「右翼」の基本的素養に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった。

そうした傾向は70年代から徐々に高まり、90年代中頃を境にピークに達し、その後現在に至るまで、そのピークを維持し続けていることを示した。

そしてそうした保守論壇人の共通項が、民間保守団体「日本会議」なのだ。

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