心にのこる、書きかた、伝えかた 「4日で1冊本を書く」船瀬俊介の文章術・編集術
心に伝わる文章は、こうして書け! ミリオンセラーを含め約250冊の著作を誇る鬼才・船瀬俊介が、未来の書き手のためにはじめて明かす、愛を込めた「文章」「編集」の極意
これで、あなたも本が書ける
第4章 魂をふるわす文章とは? ーー巧い文に、拙い文がまさることがある より
1 偉人、野口英世をおもう老母の真情
出世に驚いた母シカの手紙
野口英世(一八七六~一九二八年)といえば、日本が生んだ偉人です。戦後、教科書のなかでも偉人伝の筆頭に、必ず登場してきたものです。
わたしは子どものころ、その伝記映画を学校で見せられた記憶があります。
貧しい福島の農家に生まれた英世は、幼いとき囲炉裏に落ちて、手に重い火傷を負っています。
映画でもそのシーンが再現されていました。鍋がひっくり返り、灰埃りが舞って、赤ん坊の英世が火のついたように泣き叫ぶ。その場面を、ありありと覚えています。
手に残った火傷の跡を、小学校の同級生たちが「やぁーい、てんぼう、てんぼう」とはやす。悔しそうに唇をかむ英世。
その負けじ魂からか、英世は発奮、勉学に励み、周囲もおどろくほどの立身出世をとげます。
わが子の出世におどろいた老母シカは、喜びと会えない切なさを、手紙にしたためて、送っています。
その拙い手紙には、わが子をおもう母の心情が、切々と綴られています。
わたしは、かつて福島の野口英世記念館をたずねたとき、「母シカの手紙」一読して胸がつまり、涙があふれてきました。
●真情こそが魂をふるわす
その文面は、まさに無学な老母の、拙い、拙い文字の連なりでしかありません。
なのに、一文字、一文字、追っているうちに、まぶたが熱くなってくるのです。それには、わたしもおどろきました。
ほとんど無学の老女が、誤字脱字だらけで綴った手紙の文が、どうして、これほど胸を打つのでしょう。
そして、わたしは理解したのです。
ほんとうに心を打つ文章は、正しい文字や、正しい文法とは関係ない。そこにこめられた真情こそが、たましいをふるわすのだ。
2 「はやくきてくたされ。はやくきてくたされ」
●西を向いて拝み、東を向いては拝み
〈母シカの手紙〉(抜粋)
おまイの。しせ(出世)にわ、みなたまけ( 驚き)ました。
わたくしもよろこんでおりまする。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)きりがない。
いぼし、ほわ(烏帽子・近所の地名、には)こまりおりますか。
おまいか、きたならば、もしわけ(申し訳)かてきましよ。(烏帽子という村から、のお金の催促に困っています。お前がもどってきたら、申し訳できましょう。)
はるになる卜。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。
わたしも こころぼそくありまする。
ドか(どうか)、はやく。きてくだされ。かねを。もろた。(送金してもらった)こ
ト、たれにこ、きかせません。
それをきかせる卜みなのれて(皆、酒で飲まれて)しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされ はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生) のたのみて。ありまする。にし(西)さむいてはおかみ(拝み)。
ひかし(東) さむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。
みなみ(南)たむいてわ おかんでおりまする。
ついたち(一日)に わしおたち(塩絶ち)をしております。さしん(写真)おみるト はやくきてくたされ。いつくる卜おせて(教えて)くたされ。
これのへんちち まちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれせん。
●一五年ぶりに帰国、母と再会
母シカは、ほとんど学問もありませんでした。それでも、一大出世をとげたわが子に、心のそこから喜び、さらに会いたい思いを、切々とつづっています。
ただただ、わが子に会いたい、ただただ会いたい……。
これほど、母の愛情が胸に伝わる文章はありません。息子に一目でも会いたい。
その思いを伝えるために、シカは囲炉裏の灰に指で字を書く練習をして、この便りをしたためた、と伝えられます。
故郷を出て、はるか外国に渡り、長い、長い年月、会えなかった息子へ……。
この手紙を受け取った英世は、大変に驚きます。
のちに、英泄は「母が字を書けるとは知らなかった」と述べています。それだけに、この手紙をなんども読み返し、一九一五年(大正四年)、ー五年ぶりに帰国。
横浜港では、多くの報道陣や恩師、友人たちが出迎えました。
英世は、その足で郷里、福島の母のもとに駆け付け、再会を果たすのです。シカの喜びさまが、目に浮かぶようです。
●おとぎの国にいるようだ
「……約二ヶ月の滞在中、各地で講演会や歓迎会が他され、大変、忙しい日々を過ごしました。東京や関西の購演会のときには、母や恩師といっしょに旅行をしました。母シカは、英世とともに過ごす時期を「まるで、おとぎの国にいるようだ」と、語っています。
一一月四日、英世は、横浜からニューヨークヘ戻りました。そして、その後、二度と日本の地を跨むことはできませんでした」(「シカの手紙」解説より)
野口英世は、黄熱病の病原歯発見のため、中南米、アフリカなどに赴き、ガーナの地で黄熱病に感染し、一九二八年、客死。享年五二歳。
3 野口英世の母の便りが、なぜ、涙を誘うのか?
●拙いからこそ伝わる感動
あなたは、野口英世「母シカの手学」の存在をはじめて知ったと思います。無学な老婆の拙い手紙はいまインターネットで検索しても、読むことができます。
画面の稚拙な文字の羅列を一文字、一文字……目で追ってください。
あなたは、いつしか、目頭があつくなるのを、感じるでしょう。
たとえば、この手紙が、誤字脱字のない、達筆で綴られていたら……。どうでしょう、これほどの感動が、こみあげてくるでしょうか?そうはおもえません。
文字が拙い。誤字、脱字……だからこそ、ぎゃくに、胸に突き刺さってくるのです。
文字を知らない老婆が、息子につたえたい一心で、囲炉裏の灰で練習して、書き綴った手紙……。
それは、まちがいなく、息子・英世の心を突き動かし、一五年ぶりとなる帰国の足を早めさせたのです。
二か月間、ともに過ごしたシカの「おとぎの国にいるようだった」という至福の言業に、だれもが心を癒されるでしょう。
●これこそ心に残る文章である
わたしは、ふと思います。
この手紙を、出版社の校正のプロが、誤字や脱字、言い回しをチェックし、“正しい”“きれいな”日本語にしたら、どうなるか?
おそらく、あの衝撃的な感動は、胸に伝わってこないでしょう。
この「シカの手紙」は、素晴らしい文章とはいったいなにか?という本質的問いをつきつけています。
それは、技巧でも、知識でもない……という真理を、おしえてくれるのです。
本書のタイトルは『心にのこる、書きかた、伝えかた』です。
シカの手紙は、まさに「心にのこる」文章です。
なぜ、心にのこるのか?
老栂には、うまく書こうとか、きれいに書こうとかいう思いは、いっさいありません。
ただ、わが子に会いたい。帰ってきてほしい。その必死の思いだけです。
(出版社からのコメント)
あらゆるジャンルで旺盛な批評活動を展開する船瀬俊介氏が、
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