ドイツ薬草学の祖と言われる、中世の修道女ヒルデガルト。
彼女の著書「フィジカ」の各章に散りばめられた香りや煙についての記述と、彼女がすすめた奥深い「香りのセラピー」について。また、そのハーブを使った料理も紹介します。
Walter Britz ◎ 文 修道院薬膳料理研究家
神の知恵から生まれた『香りのセラピー』
ヒルデガルトの著書「フィジカ」には、「石」や「動物」、「木」については、それぞれ独立した章があるのですが、「香り」や「煙」について独立した章はありません。
しかし、植物や動物について書かれた各章のなかに、それぞれ散りばめられた形で記述が存在しています。
たとえば、「天国と地球の香りがする薔薇は、聖なるマリア」といった表現です。
20世紀のオーストリアの軍医でもあり「フィジカ」についての研究も行ったヘルツカ博士とそのチームは、ずいぶん早い時期から、ヒルデガルト治療学における「香り」や「煙」という題材に着目し、研究をすすめました。
そして、数々の万能薬とのつながりにも興味深い事実を発見していました。
さて、この治療学では、あえて、「アロマテラピー」とは呼ばず、「香りのセラピー」と呼びます。
これは、いったいなぜでしょうか?
それは、ヘルツカ博士を含め、その研究を引き継いだチームの研究者たちが、今世界中で称賛され、実践されているアロマテラピーと、ヒルデガルトが書いていた言葉、つまり神の知恵から生まれた言葉とに明確な線引きをしたかったからです。
もちろん、そういったアロマテラピーには、学術的な研究がなされていますが、ヒルデガルトが私たちに示したものと比べれば、まだ始まりに過ぎません。
彼女の指摘とは、まだまだ開きがあるのです。
ヒルデガルトが書き遺した医療的なレシピと治療法には、香りと煙について、癒しになるもの、そして反対に人体に害を与えるものが記述されていることがわかっています。
私たちの目には、色と形が映し出され、耳には、音や響きがあり、同様に、鼻は香りと匂いを感じ取ります。
漂う香りや匂い、そして煙は、決してとどめることができません。
保存することができず、風のように短時間で、かき消えてしまいます。そして、私たちは、その存在を鼻でだけ感知することができるのです。
香りのよい植物やハーブを薫いたり、時には動物性のものを薫いたりして、その匂いを嗅ぐという行為は、人間の長い歴史の中にさまざまな形で、伝統として伝わってきました。
精神と物質とをつなぎ思考するための第3の感覚
ヒルデガルト治療学において人間の鼻は、精神的にも肉体的にも大事な機能を持つ、と位置づけられています。
鼻は、我々人間の第3の感覚機能とされているのですが、五感には、次のようにそれぞれ魂と精霊の力が割り当てられているとされていました。
1.目―見る(知力・思考力)
2.耳―聞く(意思)
3.鼻―嗅ぐ(心、感覚、魂)
4.口―味わう(良い趣向、理性)
5.肌・皮膚―触る(感じる 感情)
五感というものは、人間にとって生まれついてのものですが、それぞれの感覚は、お互いに相互関係があり、密接に依存しているともいえるものです。
ヒルデガルトは、鼻から上にある「目」と「耳」の認識は、精神的あるいは無形なものとしています。
そして鼻から下にある「口」と「肌・皮膚」の認識は、物質的・有形なものです。
それらの間にある「鼻」は、精神的な部分と物質的な部分との架け橋のようなものです。
たとえば、おいしそうなもの(物質)を目の前にした時、物質的に知覚する「口」だけで判断するのではなく、その料理を見る「目」と、匂いを嗅いだ「鼻」で、「おいしそう」と判断(思考)して、「口」に運び味わいます。
私たちにとって、「目」や「耳」、そして「鼻」は、実は物事を考える、思考するために必要なのです。
「思考する」ということは、脳だけではなく、心と魂によって起こります。
その思考にしたがって、話すこと(口)や行動すること(皮膚)で、正しい喜びがもたらされるのです。
ですから、鼻は私たちの生活のため、幸せのために、非常に重要な役割をもった器官といえるでしょう。
ヒルデガルトが書き記したさまざまな『香り』
ヘルツカ博士の研究所では、ヒルデガルトが書き記した薔薇とセージによるミックススプレーを作り、その有効性を確認しました。
おそらくこの香りは、病気を予防する効果も期待できそうです。なぜなら、人の怒りを和らげ、心を強化し、循環を正常にし、うつ病や憂うつといった精神疾患の元になるような精神的な気分のムラを打ち消すと考えられるからです。
長期的な病気を患っている人にとっても、その心地よいさわやかな香りは、病室に調和のとれた雰囲気を作り出し、人々を辛抱強くするでしょう。
このローズ・セージのフレグランスは、まさに、理想的な香水にもなりえます。
混和剤の入っていないセージの香りは、悪臭、大気汚染、スモッグに対して効果的で、悪阻がひどく、匂いに敏感になっている妊娠中の女性によって、その効果が証明されました。
不思議なことに、薔薇の香り単体での治癒力の記述は、どこにもありません。
もしかして、あまりにも「喜び」の効果が大きすぎるせいでしょうか?
あるいは、薔薇の香りは、聖母マリアのための特別なものとされていたのかもしれません。
ペラゴニア(ゼラニウムの一種)ナツメグ、ベルトラムのブレンドからなる香りは、「インフルエンザパウダー」とも呼ばれ、風邪やインフルエンザのかかり始め、特に風邪に対して非常に効果があると言われています。
ヘルツカ博士の研究所では、この香りのスプレーを実験に使いました。
これは、特に赤ちゃんや乳幼児に、早い効き目がみられました。
このスプレーを、ベビーベッドの枕の右と左に少しだけ吹きかけるのです。こうすることによって、子どもたちは鼻呼吸がずいぶんと楽になり、静かな寝息で眠れるようになったのです。
ユリの香りは、心臓の治療薬です。
ただし、手折られているものではだめで、庭に生えているユリの中で深く呼吸し、その香りを吸い込むのです。
栗、セイヨウツゲ、そして(冷たい)乳香の香りは、私たちの「頭」の健康によいとされています。
ヒルデガルトは、ラベンダーの香りについて、次のように書き記しています。
「それは、清らかで、心を落ち着かせる効果があり、目をクリアにし、私たちから多くの悪いこと(病気)を遠ざけ、そして、悪い精霊も逃げ出すでしょう」
一方、オキナヨモギ(根元の部分)は、避けるべきです。黒胆汁を活発化させ、怒りをもたらし、頭を疲れさせます。
最後に、ヒルデガルト治療学「香りのセラピー」から、いくつかの例をご紹介します。
香りがするハーブである、フェンネルとディルを1:4の割合で、熱いストーブの上に乗せた鍋に入れ、つぶし、鼻と口を使って吸入します。
それから、乾いたパンにその熱いままのハーブを塗って食べます。これでひどい風邪も癒されます。
そして家中がいい香りに包まれます。
また、粘土でできたボウルに、イチイやもみの木の削り屑を入れていぶした香りを吸うのも、ひどい風邪に効果があります。
香りの万能治療薬は、乳香と少量の鹿の角の煙だと、ヒルデガルトは言っています。
「鹿の角を一部削り取り、それに乳香の粒を加え、火の中で一緒に燃やすと、煙(香り)が悪霊を追い払い、魔術を破壊し、邪悪な虫を追い払う」と書き遺しています。
「濃い空気(ドイツ語で、人が争い事を始めそうな雰囲気をこう言う)」の時にこの香りを使うことで、調和と安定をもたらし、さらに消毒効果によって、私たちから邪悪なものを遠ざけます。
私はこの治療法を頻繁に使用しますが、その効果には、いつも満足しています。
今回のヒルデガルトの「香りのセラピー」の話は、いかがでしたでしょうか?
私が知るヒルデガルトを研究する人たちが、皆同様に言うことがあります。
それは、最初からすべてのヒルデガルトの教えを完璧に実行する必要はないということ。
誰にでも、悲しみや心配が心にあると思います。そんな時、自宅にフレグランスのブレンドがなかったとしても、牧草地や森の中をさわやかに散歩し、花の咲く花やハーブガーデンに入るだけで、ストレスが軽減され、心は喜びでいっぱいになるでしょう。
セラピスト 2019年4月号より
隔月刊『セラピスト』は、アロマテラピー、ロミロミ、整体などのボディセラピーから、カウンセリングをはじめとする心理療法、スピリチュアルワークまで、さまざまなジャンルを扱っている専門誌です。
[雑誌公式サイト]
http://www.therapylife.jp/[雑誌販売サイト]
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