中世ドイツの修道女「ヒルデガルト・フォン・ビンゲン」。
ドイツ薬草学の祖と言われ、現在も世界中に根強いファンがいます。
今号から、ドイツ在住の修道院薬膳料理研究家のワルター・ブリッツさんが、さまざまな側面から「ヒルデガルト」を紐解いていく連載が始まります。
1回目は、〝現代ヒルデガルト治療学の父〟と言われているゴトフリート・ヘルツカ博士を紹介します。
Walter Britz ◎ 文 修道院薬膳料理研究家
現代ドイツの自然療法とヒルデガルト
ドイツでは国家資格としてハイルプラクティカーと呼ばれる「自然療法医」という職業が、1930年代から存在します。
ハイルプラクティカーは、医療従事者として、人を治療することを国に認められています。医院を開業し、診察することができるのです。
もちろん、特定の手術ができないとか、麻酔薬が使えないといったことが、法律で厳格に定められていますので、大学の医学部を卒業した医者と、まったく同じというわけではありません。
ハイルプラクティカーは、補完代替医療とよばれる(ハーブ療法やホメオパシーなど)、さまざまな自然医学を主に用います。
その自然医学の中に、ヒルデガルトの治療学が含まれるのです。
現代のドイツで、ハイルプラクティカーが行う治療において、ヒルデガルトの治療学が主流かというと、正直そうではありません。
それは、ヒルデガルトには、カトリック教会の影響があまりにも強いせいではないかと私は考えます。
宗教の色があまりにも強いと、医療という点においては、人々は若干懐疑的になってしまうのでしょう。
未だに「教会税」を払っているドイツ人にとって、宗教の影響は大きいのです。
しかしながら、ヒルデガルトの認知度は、大変高く、驚くほど多くの関連書籍が書店に並んでいることを考えると、ヒルデガルトの治療学に対する、ドイツ人の興味や関心の高さを否定することは、決してできないでしょう。
現代にヒルデガルト治療学を甦らせたヘルツカ博士の生涯
そんなヒルデガルトの治療学は、医師であるゴトフリート・ヘルツカ博士によって、現代に蘇ったのです。
彼は、1960年代にそれまで人々に忘れられていたヒルデガルトの著書を発掘し、その内容を基にさらに発展させ、ヒルデガルト治療学のコンセプト(概念)を確立しました。
そうして、ヘルツカ博士は、西洋医学の医者でありながら、初めてヒルデガルトの治療学を現実のものにしたのです。
彼の革命的な研究は、今に至るまで私たちに影響を与え続け、現代もなお、新しい知識を授けてくれます。
私たちが、今、こうしてヒルデガルトの治療学の知識を深め、世界的に広めるきっかけを作ったのもヘルツカ博士です。
ヒルデガルトの素晴らしい教えを、初めて現代の人々に意識させることができたのは、彼の偉大な功績です。
ヘルツカ博士は、1913年オーストリアで生まれました。
彼の父は医者として、貧しい患者を無料で診察するような人徳者でした。そのような環境の中で、彼自身も父を見習い、貧しい人、社会的弱者を助けるような暮らしを幼い頃から心がけていました。
彼の祖父も医者であり、親子三代に渡って医者の家系だったのですが、彼の父はすでにこの頃から、西洋医学の限界を感じ、時折その効果に疑念を抱いていたようです。
幼少の頃より大変な読書家であったヘルツカ博士も、その父の影響を強く受けたことは、想像に難くありません。
ヘルツカ博士とヒルデガルトの〝出会い〟は、彼がウィーンで医学を学んでいた時まで遡ります。
彼はその頃、がんの治療研究に力を注ぎ、大学の図書館から山ほど専門書を持ち帰り、読みふけっていたのですが、彼が欲している答えを見出すことはできませんでした。
そんな時、彼の叔父から手渡されたヒルデガルト初のドイツ語版書籍『Causae et Curae』(病因と治療)の最初の数ページを読むやいなや、彼はヒルデガルトの教えが、今までの西洋医学とは違う、新しく画期的な視点を持っているということに気づいたのです。
そして、その瞬間から、彼はヒルデガルトの思想から離れることができなくなりました。
その運命的な出会いによって、ヒルデガルトはヘルツカ博士の人生で〝最大の愛〟を向ける対象となったのでした。
彼のヒルデガルトに対する敬愛は、のちに彼の妻が、「ヘルツカは、自分とではなくヒルデガルトと結婚したようなものだ」と述べるほどでした。
1938年3月、ウィーン大学の博士課程を修了したヘルツカ博士は、北ドイツの種農家で数年間の見習いを経験したり、医療用品メーカーで働いたりしていました。
そして時代は、戦争へと突入。
薬品が不足している戦時中に、彼はヒルデガルトの書籍『フィジカ』にある『ノコギリソウ』を使った治療法を、ロシア軍兵士の砕かれた足に用いました。
これが、ヘルツカ博士がヒルデガルトの教えを基に治療した初めての経験となったのです。
そして、そのロシア軍の兵士は、奇跡的な回復を見せたのでした。
博士は、後によくこう言っていたそうです。
「我々は、ヒルデガルトの治療学で、これから、たくさんの奇跡を体験する」
第二次世界大戦が遂に終わり、博士はミュンヘンを経て、ボーデン湖そばのコンスタンツという町にたどり着きます。
そこで、彼はラテン語の知識を深め、ヒルデガルトの医学関連書籍をドイツ語に翻訳しながら、その後の10年間はがん研究に力を注ぎました。
また、その時期に書籍にあったヒルデガルトの治療用レシピを少しずつ実際に再現し、開発を加えて自分の病院で試用してみたのです。
そのようにして、1955〜83年まで、コンスタンツにある自分の病院で、自然療法を取り入れた治療を推進していきました。
ヘルツカ博士が著した二つの大発見とは?
彼が、ヒルデガルトの研究を始めて、まず一番に注目したのは、ディンケル、ガルガント、フェンネル、そしてパセリワインでした。
なかでも、ディンケルという穀物には、並々ならぬ情熱を注いだようです。
事実、ヒルデガルトの治療が成功するためには、食事の60~80%を、ディンケルで作られたものにする必要があると言われています。
そこで、彼は安定した供給を実現できるディンケル栽培を成功させるために、長年ボーデン湖と黒森(シュヴァルツヴァルト)の間を、何度となく歩きまわり、協力してくれる農家を探し続けました。
まずは、そこから始まったのです。ヘルツカ博士の努力のおかげで、ディンケルが再生され、現代まで残すことができたのです。
世間と一般の西洋医学従事者の双方から批判を受けながらも、ついに彼は、最初のヒルデガルトに関する著書を書き上げました。
それが、『神様の治療方法』(So heilt Gott)です。また、2冊目の著書『ヒルデガルト薬の奇跡』(Das Wunder der Hildegard-Medizin)で、彼が証明したことは二つあります。
一つは、ヒルデガルトの代表的な二冊の本『Causae et Curae』(病因と治療)と『Physica』(フィジカ)は、ヒルデガルトのビジョン(幻視)によって、書かれたということ。要するに、これらの治療学は彼女が研究開発した、というわけではないのです。
そして、もう一つ大事なことは、ヘルツカ博士が彼女のレシピの効能を、この本によって証明したことです。
ヘルツカ博士はその後、彼女の治療学を普及させるために、スイス、オーストリア、スウェーデン、ハンガリーなどでもセミナーや講演を積極的に行いました。
そして、1983年からは、ヒルデガルト治療学を専門に扱うプライベートクリニックをオープンし、さまざまな研究会や、教育施設を作るとともに、ヒルデガルトの予言的なビジョン、哲学と神学的な重要性も伝えました。
1997年3月6日、ヘルツカ博士は、これらの偉大な功績を残し、84歳でその生涯を閉じました。
Bio製品がブームのドイツで人気のディンケル製品
前述した「ディンケル(Dinkel)」は、日本ではスペルト(Spelt)小麦や、古代小麦ともよばれています。
平たく言うと、現在広く利用されているパン小麦(普通小麦)の原種にあたる古代穀物です。
南ドイツのシュヴァーヴェン・アレマン文化圏では、古くからそのディンケルを使って、おかゆやパンを食べる習慣があったようです。
現在、巷にあふれるパンやパスタ、そしてうどんなど、さまざまな商品に使われている小麦はすべて、古代穀物である小麦の原種にさまざまな交配と品種改良をほどこしたものです。
〝人々が飢えないために生産性を上げる〟という品種改良は、爆発的に増え続ける人口を支えるためにも、確かに必要だったのでしょう。
ですが、先日ドイツのTV番組のドキュメンタリーで放送されていたものは、それだけとは言えない理由でした。
例えば、以前は牛舎に敷き詰めるために大量の藁が必要でした。
しかし、時代の流れとともにコンクリートが普及し、それほどの藁が必要とされなくなったため、小麦の藁の背丈が短い方が収穫しやすいという理由で、あまり長く育たないように品種改良されていったというのです
(長いと大量の肥料が必要となる上、実っても倒れてしまうから、という理由もあります)。
グルテンアレルギーの人が、欧米ではとても増えています。
50年前は、こんなにも食物アレルギーの人はいませんでした。現在日本でも、全人口のおよそ3分の1の人が、何らかのアレルギーを持っていると厚生労働省が発表するほどです。
食の安全よりも生産性を上げることが優先された結果、今の状況があるのではないかと私は考えます(※ディンケルを小麦の代わりに食べることで、グルテンアレルギーが発症しなくなるわけではありません)。
ヘルツカ博士は、その著書『ヒルデガルト薬の奇跡』で、ディンケルの魅力についてこう記しています。
「ヒルデガルトは、ライ麦、大麦、オート麦についても述べているが、その中でもディンケルを一番すすめている。ディンケルの品質・特徴・Subtilitas【ラテン語】※を強調している」
現在のドイツでは、ビオ(Bio)・マーケットとよばれるオーガニック市場が大変なブームで、その中でもディンケル製品は、非常に人気が高いです。
そのため、ドイツでは、ディンケルで作られた全粒粉、ディンケルライス、パスタ、そしてさらにディンケルの粉で作られたパン、ケーキ、クッキー、クラッカーなどが、簡単に手に入ります。
これだけ市場が広がっていることは、それだけ人々が必要としていることの証明であり、また、ヘルツカ博士の努力の賜物でしょう。
ヘルツカ博士がディンケルの次に着目し、研究に力を注いだものが「ガルガント(Galgant)」です。
彼はのちに、このガルガントと出合えたこと一つとっても、ヒルデガルトの研究をする甲斐があったと述べています。
ガルガントというと、日本人にはなじみがないかもしれませんが、実はタイ料理のトムヤムクンに、生のガルガントがよく使われています。
ローマと古代ギリシャ時代には、まだヨーロッパに存在しなかったこのガルガントは、アラブ系の医者から8世紀ごろに伝わってきたとされていますが、ヒルデガルトは12世紀に著した『Physica』に、心臓への効能を記しています。
ヘルツカ博士は、物資が不足している時代の狭心症の治療に際し、どうしても注射が手に入らなければ、急患に対してガルガントを治療薬として使っていました。
ガルガントの学名は、Alpiniaofficinarum で、日本語では良薑(リョウキョウ)と呼ばれるものです。
日本では乾燥したものが比較的手に入り易いようです。
現在のドイツでは、ガルガントの飴が多く売られています。持ち歩きやすい上、舐めるだけで簡単に摂取できるので便利なのですが、かなり辛い味がします。
このスパイシーな辛味のある万能スパイス・ガルガントは、実はショウガの親戚です。
そのパウダーは、根から作られており、心臓および血液循環を改善するといった効能が書かれています。
また、研究によって、心臓発作、梗塞、突発性難聴から循環虚脱、旅行に伴う疾病(乗り物酔から風土病まで)、心臓発作の予防や発作後の回復時、胃痙攣とロームヘルド症(消化管あるいは腹部の病気により、狭心症のような症状を引き起こす症状)の予防と回復にも有効であるとされています。
皆さんも、ぜひディンケルとガルガントのレシピを試してみて下さい。
※ドイツ語では、Subtilitä(t ズッティリテート)。食物がもつ繊細さや波動を表すヒルデガルト独自の表現
取材協力◎ヒルデの庭 umamiberlin2015@gmail.com
セラピスト 2018年2月号より
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