明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか?  苫米地 英人 (著)

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明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか?

勝てば官軍。

この言葉は多くの示唆に富んでいる。勝てばなにをしてもいい。どんなことをしても許されるということだ。

まさに明治維新を象徴する言葉といっていいだろう。

では、一体どんなことが勝者によって行われたのであろうか?

ひとつには「江戸城無血開城」に代表される印象操作だ。確かに、維新の時、江戸城開城では誰も血を流していない。

しかし、その前の鳥羽・伏見の戦い(1868年)では多くの将兵が血を流している。彼らが流した血はノーカウントなのか?

あるいは、「もし維新の時に内戦が始まっていたら日本はどうなっていたか?外国に乗っ取られて植民地になっていただろう」などという言説がまことしやかにいわれていることもそうだ。

これを本気で受け入れてしまうと、維新の時に内戦など起きていないことになってしまうが、上野戦争(1868年7月)や戊辰戦争(1868年~1869年)はどう位置づけるつもりなのか?

あれは間違いなく日本史上最大級の内戦だったはずだ。

第二次長州征伐(1866年)にしてもそう。あれは長州軍対幕府軍の内戦であり、幕府軍は大敗を喫している。

明治維新の前後は内戦だらけであったのだ。

であるのに、なぜ、「もし維新の時に内戦が始まっていたら日本はどうなっていたか?外国に乗っ取られて植民地になっていただろう」などという言説がいまでも生きているのか?

もう一度よく考えてほしい。そもそも当時の日本と外国勢の武力差を考えれば、外国勢が日本を植民地にすることなど、たやすいことだっただろう。

しかも、武力を行使するための大義名分もあった。生麦事件(1862年)や下関海峡での外国船砲撃(1863年)事件など本格的な戦争に持ち込むためのきっかけなどいくらでも転がっていた。

であるのに、海外勢は薩摩と長州を叩いただけでよしとしてしまった。

その叩き方にしても実に中途半端で、薩英戦争(1863年)の時などは「薩摩を占領できたのになぜ街を砲撃しただけで引き揚げてきたのか」と英国海軍を非難したイギリスメディアもあったほどだ。

詳しくは本文にゆずるが、一言でいってしまうと外国勢は日本を占領すべく虎視眈々と狙ってなどいなかったのだ。

では、なにを狙っていたのか?

その答えを導き出すヒントになるのが、この時期に起こっていた多くの不可解な出来事だ。

例えば萩藩(長州)の立ち位置は実に興味深い。

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通常、萩藩といえば、日本で最も過激な尊皇攘夷の藩だと認識されており、事実、馬関海峡を通過した外国船舶に向けて無通告で無差別発砲したのもこの一藩のみ。

しかし、不思議なのは、萩藩は同時期にイギリスに向けて密航留学生を藩費で派遣していることだ。

具体的に言えば、萩藩が外国船に砲撃を開始したのは1863年(文久3年) 6月25日(5月10日)。伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)ら萩藩士5人がイギリスに密航したのは同じ年の6月27日(5月12日)。

外国船に向けて砲撃をしながら、その2日後には外国に留学生を送る。

一体、萩藩はなにを考えていたのか?

また、外国船への砲撃に関しても意外な事実がある。長州が攻撃したのはアメリカとフランスとオランダだけで、イギリス船には攻撃を加えていないということだ。

もちろん、偶然、その時期に限って、イギリス船だけが馬関(いまの関門海峡)を通らなかったという可能性も考えられなくはない。

とはいえ、外国船に攻撃を加えていながら、イギリスに留学生を送ることの謎解きとして、実はイギリス船には攻撃していない、という事実は否が応でも我々をひとつの方向に導いてしまうのではないだろうか?

そして最後に指摘したいのは、明治維新にはほかの歴史的な出来事とは違う、変わった特徴があること。それは「情報過多」だ。

通常、歴史の出来事は情報が少なく、その掘り起こしに時間がかかる。

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しかし、明治維新はその逆で情報が多過ぎてその整理に時間がかかるのだ。関係者の多くが日品を書き残し、歴史作家による一次資料を精細に調査したリポートも豊富だ。

それだけではない。どこまでが本当かわからない、陰謀論も手をかえ、品をかえ、出版されている。

龍馬を殺したのは誰それで、武器商人トーマス・グラバーはフリーメイソンだったなどなど。最近では明治天皇すり替え説も大きな話題になっている。

そのどれもが本当らしく、それなりに真実も詰まっている。

その一方で最初に指摘した「OOだったら、50年は維新は遅れていた」などに代表される「歴史のイフ論」の蔓延。

こういった情報過多の海の中で、我々日本人は重要なものが見えなくなっているのではないか?

はっきり言って我々は明治維新を見誤っている。

断っておくが、本書は歴史の謎解きを楽しむだけのものではない。それだけで終わるのであれば、私が本を書く意味などない。

本書は明治維新という情報過多の海の中で、なにが本当で、なにがニセモノであるのか、取捨選択し、その過程の中で、現代日本につながる歴史の真実を解き明かすものである。

そう。目線はあくまで現代なのである。

明治維新と現代はつながっている。その意味を考え、そして、どうすれば、本当の日本の夜明けを掴むことができるのか、を示唆する啓示書なのである。

明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか?
苫米地 英人 ビジネス社 2015-09-19
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