日本人の99%が知らない戦後洗脳史 嘘で塗固められたレジーム  苫米地 英人 (著)

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日本人の99%が知らない戦後洗脳史 嘘で塗固められたレジーム (Knock‐the‐Knowing)

日本人のほとんどが戦後体制と信じるものこそが大きな洗脳だとしたら?

財閥は解体された
日本は独立した
天皇は象徴になった
国連は世界平和のための機関だ

これらはすべてが妄想であるということです。

サンフランシスコ講和会議における異様な光景

1951年9月8日に世界48ヶ国と日本が結んだこの条約にはさまざまな疑問がある。

これまで私の著書でも何度も指摘してきているが、条約の正文は英語版とフランス語版とスペイン語版しかなく、条約の当事国である日本語版が準正文扱いになっているのはどういうことなのか?

日本国内では、この条約によって主権国家として独立したことになっているが、条約の正文英語版にはindependentの文字がどこにもないのはなぜだろうか?

さて、この条約を語る時に見落としてはならないのが、調印式の前に3日間に渡って会議が行なわれていたということだ。

9月4日に開幕式があり、翌5日から7日までで計7回の総会が開かれている。

ここで各国の代表は歯に衣着せずに討論を繰り広げた。

連合国の相手方となる日本全権団は、この会議をどのように受けとめていただろうか?

「大正デモクラシー」の命名者でもある政治学者しのぶの信夫清三郎氏の『戦後日本政治史』(頸草書房刊)に、日本全権団の会議の様子が載っているので紹介しよう。

「参列する日本の多くの全権委員や国会議員団は、きわめて不真面目であった。真剣とみえたのは吉田茂首相一人であった。

全権委員の自由党総務星島二郎は日本を発つ時も悲壮な決心などという気持ちはなかったし、戦争に負けた国の全権がそんな軽い気持で条約調印のために出てきたことなどは例がないだろうなどと平然と語っていた。

彼らは、講和会議という歴史的光景の見物人にすぎなかった。

諸国の全権が議論をたたかわすなかで居眠りをはじめるものさえあった。みかねた随員がヒザをつっついたり肩をおしたりしてまわっていたが、居眠りはやまなかった」

いまの日本の国会でも議員たちはしょっちゅう居眠りをしているが、当時の政治家たちは国際会議でもそんなことをしていたのだ。

それにしても、この弛緩しきったムードはどういうことであろうか。異様としか言いようがない。

大蔵省財政史室蝙の『昭和財政史』では、日本の代表団と会議について、に表現している。

「敗戦国の代表としてよりもむしろ調印権をもたない招待者」

「交渉のための会議ではなく、調印のための会議」と。

日本全権団がなぜこれほど腑抜けていたのかといえば、アメリカがすべてお膳立てしてくれた会議であったからだ。

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日本がやることはただ―つ、目の前に広げられた書類に黙ってサインをすること。

彼らはそのためだけに太平洋を渡ったのだ。

この日、日本は独立した?

もしも、この会議が終戦直後であれば、全権団もこれほど弛緩せず、国益を守ろうと必死になっただろう。

戦争の原因に関して日本側から激しい弁明もあったはずだ。

しかし6年間の占領期間を通じて、日本の政官財界の中枢は完全に牙を抜かれていた。だから、本来重要であるはずの講和会議もアメリカ任せにできたのだ。

日本はアメリカの言いなりになることに慣らされてしまっていたのである。

それが顕著となる出来事が講和会議の最後でも起きている。

会議の最後、吉田茂は、日本から持参した英文のスピーチ原稿を読む予定であった。

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ところが、アメリカ代表団のウィリアム.J・シーボルトによってその原稿はチェックされ、シーボルトらが書き直したものを吉田は読まされていたのだ

仮にも一国の代表であり、現役の首相が行なおうとしている演説を、なぜ他国の、それもたかがイチ外交官が手直しなどをしているのか、ということだ。

この原稿チェックにはもっと根本的な問題が潜んでいる。

チェックするほうも、されるほうも、そうすることが当たり前で、なんの疑問も持たないルーティン・ワークになっていることが恐ろしいのだ。

当時の日本人の中になにをするにもまずはアメリカのチェックが入ってからとりあえず、アメリカの言うことに従っておけばいいといった意識が骨の髄まで染み込んでいるから、なんの疑問も持たないのである

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そして、1 番の問題は、こういう記事を読んでも、何の違和感も持たずいた当時の日本国民にもあるということだ。

日本は上も下もすべて弛緩していたのである。

アメリカがなんとかしてくれるはず……

6年間の占領は日本人を徹底的にアメリカ依存の体質に貶めてしまっていたのだ。これが日本とアメリカの関係である。

連合諸国は、サンフランシスコ講和会議中、それをたっぷりと見せつけられていた。

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彼らは、日本議員団の居眠りによって、あるいは原稿の差し替えに抗議しない姿によって、当時の日本がどんな国であり、どんな接し方をすれば、国益に適うかをまた学んだのだ。

以上がサンフランシスコ講和会議の実情だ。

果たして日本語の正文は必要であろうか? この条約に、首相の原稿まで差し替えられて黙っている国に、正文など必要ないだろう。

手ぶらで帰るわけにはいかないだろうから、日本語訳したものをあげるよ、それを国内で発表しなさいで十分だ。

この日、日本は独立した?

「バカも休み休みに言え」と言うべきだろう。

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