無人島、不食130日「食べない」の、その先へ 山田鷹夫(著)

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無人島、不食130日

 山田鷹夫

1951年、新潟県生まれ。大手電力会社でのサラリーマン生活を経て、人間の可能性探求の世界へ。「食」という常識の問い直しはその後、各方面に多大な影響を与え、多くの共感者を生み出す。

同書で提案した「公開不食実験」に応え、130日にわたって行われた無人島生活とそこから見えてきたものをメッセージするのが本作だ。

現代生活とはまったく対極なる生き方を提示している。

「食べるものがない」「お金がない」、さらにいえば「やることがない」「助けてくれる人がいない」という暮らしは本当につまらなく、不幸なことであるか?

無人島暮らしはいったいどんなものであるかということは、皆さんの現代生活を見直す視点と刺激を与えるだろう。

 結論「人は食べなくても生きられる」

「食べてもいい、食べなくてもいい」が基本スタイル

僕の基本スタンスは「食べてもいい、食べなくてもいい」というところにある。

「人は食べなくても生きられる」と言ったけれど、食べてはならない、絶対に食べないという考えではないから、青汁だけの森さんや水も飲まない秋山さんに比べると一番ダメな不食者であることだろう。

だが、僕にとっては不食の一つのルーツであって、それに執着するものではない。

「食べる、食べない」が僕の人生の主題ではないのだ。

もともと健康であったから、病気治癒のための不食ではなかった。ぼくにとっては自由を求めた結果の不食だ。楽しい愉快な人生を送るための不食なのだ。

 無人島という可能性

インドでは還暦を迎えるとそれまでの社会生活から足を洗い、仕事からも親戚家族や社会からも離れて、僧院にあるいは自然にこもる風習があるという。

なかなかうらやましい生活だと常々思っていた。だが日本でもそれができると気がついた。無人島に行けばいいのだ。日本は世界に冠たる島国だ。

お金がなくても行ける。必要なのは往復の交通費だけだ。テント一つがあればいい。無人島はお金がまったくかからないで暮らせる。

日本では自殺者が増えている。大半は経済苦から死に追いやられるらしいが、そういう人たちに言いたい。

「無人島に逃げ込みなさい」と。そこで新しい生活を始めたらいい。人間不信に陥っても、自然は、無人島は、その痛みを癒してくれる。

人生の出来事という点で、無人島生活ほど大きなイベントはそうはなかった。

無人島を4ヶ月間体験して、意識のいくつかは大きく変化した。

たとえば、性欲について。

以前のようなギラギラした性欲は無人島ではまったく消えていた。無人島生活において射精をしたことも一度もない。

これは不思議だったし、帰ったあとでどうなるかと思っていたが、帰還後1ヶ月が過ぎた今も基本的に無人島と変わらない。性欲は明らかに静かになった。

あってもなくてもいいという境地にある。悟りきって興味がなくなったのとも違う。興味はあるが、それにこだわらなくなった。ずいぶんと自由になった。

それ以外にも、不食の意識、無為の意識、お金の意識、働くこと働かないこと、孤独について、頭と身体の関係・・・。

何もしないという無為の生活は、僕に深い気づきを与えてくれた。ほんとうんことはあとから見えてくるものだから、これからも新しい気づきが生まれてくるだろうと思う。

これからも無人島とはいったい何であったのか、問い続けるはずである。

そういう意味でも、僕の中の無人島生活は終わってはいないともいえる。

人間である限り、だれでも不食を始められる。年齢、国籍、お金の有無も関係がない。

不食の扉はだれにでも等しく開かれている。

「だれにでもできること、簡単にとりかかれること、お金がかからないこと」が、僕の認める“良いもの”の条件だ。その時点で、不食ほど優れたものはほかにない。

「食べなければいい」―これは人間の大いなる希望だ。


4月2日、外離島到着
4月5日、内離島へ渡る。テント設営
4月7日、内離島を3時間かけて一周
4月8日、不食6日目、頭が空っぽで何も考えられない
4月11日、ハリセンボンを捕らえる
4月14日、全身にジンマシンが出る!
……130日間の無人島生活の全貌

無人島、不食130日
山田 鷹夫 三五館 2014-10-22
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