【道理と断食】断食は命のリズムを取り戻し、命への感謝心を湧き起こさせる

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磯貝昌寛の正食医学【第99回】道理と断食

洗濯、掃除と断食

赤ん坊のオムツを洗っていて気づいたことです。ウンチでいっぱいに汚れたオムツと、さほど汚れていないオムツがあります。この2つ、どちらから先に手洗いした方がよいでしょうか?

主婦の方々は考える間もなく、さほど汚れていないオムツから洗い始めることでしょう。

私もオムツ洗いを経験して、汚れの程度が低い方から洗った方が、水を節約できると学んだのです。そして、オムツ洗いをしながら考えました。

遺伝子や細胞は、体の中でも日々洗濯や掃除をして健康を保っています。オムツを洗うように、体の中でも合理的に洗濯や掃除が成されているといいます。

オートファジー(自食細胞)という細胞が洗濯や掃除の役割も担っているといわれます。

古くなった細胞を新しい細胞に入れ替えるというのですからすごい細胞です。

体の排毒反応は正食実践後、すぐに強い反応が出るわけではありません。

「はじめチョロチョロなかパッパ」とはご飯の炊き方ですが、体の中でも正しい食事に切り替えたからといってすぐに大きな排毒反応が出てくるわけではないのです。

体の中でも汚れの程度が低いトコロから洗濯や掃除が始まります。

掃除には大中小があり、順番があります。はたきがけ、掃き掃除、拭き掃除とありますが、この順序が逆になればきれいになるどころではありません。

日々の掃除をせずにいきなり大掃除をしようとすれば、体力が持たずにバテてしまうことでしょう。モノの道理とはこういうことを云うのです。

食養を実践しはじめると直ぐではなく、数年後に強い排毒反応が訪れるのは、道理であったのです。

乳がんから肺に転移し、ステージ4と云われた女性が食養をはじめました。その彼女は食養を実践し3年間はまったく排毒反応らしきものがなかったのですが、4年目になって突然胃腸からの排毒を経験するのです。

胃腸を通して肺や胸に溜まっていた毒素を排泄しようとしたのでしょう。下痢や嘔吐を繰り返し、1週間近く、食欲も出ずに排泄していたといいます。

排毒と排泄がひと段落すると排毒前よりもスッキリして、その後は以前よりも元気が出てくるのです。

そういった反応は病気療養で食養に入ってくる方に多く見受けられるのです。

食養指導を通してそのような人たちを数多く見てきましたから、子どものオムツを洗いながら「命の道理と掃除や洗濯の道理は同じものだ」と感心したのです。

そして、断食においてもまた、その排毒反応は同じ道理があります。

初めての断食でも、同じように強い排毒反応が現れることは少ないのです。断食に慣れた体になってくると、体は芯の方から毒素を排泄しようとするのです。

オートファジー(自食細胞)は細胞が飢えるとその機能が高まるようです。断食によりオートファジーの能力が高まると細胞の入れ替えが進んで新陳代謝が促されるのでしょう。

年に何度かの定期的な断食と日々の食養で細胞は短期間で本当にキレイになります。

日々の食養と生活は、毎日の小さな掃除と洗濯です。そして、断食は中くらいの掃除と洗濯です。

その積み重ねによって掃除と洗濯のコツをつかみ、体力と生命力が培われるのです。大きな排毒反応を乗り越えるコツは、日々の食と生活、時々の断食に凝縮されています。

生死の際と断食

不思議なのですが、断食をすると時間がたくさんできます。日常の生活でせわしなく動いている時間がなくなって十分な時間が得られるのです。

食事をする時間が必要ないということではなく、体と心にゆとりができて時間の感覚に余裕ができるのかもしれません。

ですから、断食をすると普段では見落としてしまうような小さなことでも感激したり感謝できたりするようになります。

断食をしているときに見る朝日や夕日はなんとも言えずきれいなものです。

もう何年も前になりますが、新潟で断食合宿をしていた時のことです。

西の地平線に夕日が沈み、太陽が半分ほど地平線の向こうからこちらを覗き込んでいます。あまりの美しさに時間も忘れ、アッという間に西の彼方へ沈んでしまいました。

朝日も夕日も、地平線にある時は太陽の動きを感じることができます。

しかし、太陽が頭の上にある時はその動きを感じることはできません。

さらに、頭の上の太陽は直視することはできませんが、地平線にある太陽はしっかりと直視することができるのです。

太陽はいのちの凝集体です。人は太陽の生命力から派生した太陽の子といってもいいでしょう。

人の生命もまた、太陽の動きと地球の位置関係によるエネルギーに大きく左右されています。

人を含めたすべての生命体の生き際、死に際も朝日と夕日と同じように命の動きを感じることができ、生命を直視することができるのではないでしょうか。

赤子の出産の瞬間と死に行く人の臨終の瞬間は、日の出と日の入りの瞬間にどこか通じるところがあるように感じるのです。

病と向き合うことは命の際を見つめて、命の際を歩いているようなものです。

断食は食を意識的に断つことで命を際に追い込んでいるのと同じように感じるのです。

断食によって命の深遠を感じることができるのは、朝日や夕日を直視できるのと同じことではないかと思うのです。

それなりに元気で、体に病が表面化していない時、自分の命を見つめることが難しいのは、太陽が高く、眩し過ぎて直視できないのと同じです。

人は本来、命を一日一生、生きては死んで、死んでは生きて、と細胞の中で繰り返しています。

生命のリズムを刻んで生きています。本来は、毎日、命の際を感じることができるはずなのです。

亡くなる直前になって命の際を感じるよりも日々の生活の中で命の際を意識することができるのです。

昔の人々が朝日や夕日に向かって手を合わせていたのは、命の際に畏敬の念を持っていたからではないでしょうか。

断食は命のリズムを取り戻し、命への感謝心を湧き起こさせる素晴らしいものであると思います。

月刊マクロビオティック 2020年3月号より

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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)

1976年群馬県生まれ。

15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。

食養相談と食養講義に活躍。

マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。