「心」が変われば地球は変わる 木村 秋則 (著)

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「心」が変われば地球は変わる (扶桑社文庫)

「バカ」がいなければ日本は変わらない

青森でリンゴ栽培が始まったのは、130年ほど前のこと。明治8年(1875年)に政府から青森県へ3本の苗木が配布され、県庁内に植えられたのが始まりだそうです。

今や青森はリンゴの生産量日本一。私が住む弘前は青森県でトップの生産量を誇り、実に日本のリンゴのほば半分を生産しています。

弘前の秋は、たわわに実ったリンゴの鮮やかな赤で彩られます。

1年間手塩にかけて育てたリンゴが、いっせいに丸々とした実をつけるこの季節。そして、雪が解け、若葉のなかでリンゴの白い花が咲き誇る春。

このふたつの季節は、リンゴ農家にとって何とも言えない心躍る季節です。

本来ならうれしいはずの春と秋を、私は何年もの間、くちびるをギュッと結び、下を向いてやり過ごさなければなりませんでした。

私の畑には、リンゴの実ひとつならないどころか、花一輪さえ咲かなかったからです。

病気と虫に痛めつけられ、枯れ木のようになったリンゴの木が並ぶ畑。春も秋も訪れない沈黙の畑。それが私の畑でした。

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はじめは800本あったリンゴの木のうち、最終的には半数の400本を枯らしてしまうことになりました。

すべて、「無農薬でリンゴを育てたい」という途方もない夢のせいです。

農薬も肥料も使わずにリンゴを育てるという夢を追いかけるうちに、私は、30代半ばにして数千万の借金を背負い、家族を貧乏のどん底に突き落としていました。

「かまどけし(かまどの火を消す者=破産者、愚か者)」と呼ばれて周囲から孤立し、苦しみ抜く毎日。家族に辛酸をなめるような苦労を味わわせ、それでも、「答えは必ずある」と自分を信じ続けました。

そんな私は、正真正銘の「バカ」と言えるでしょう。

その「バカ」がようやく実らせたリンゴは、今「奇跡のリンゴ」と呼ばれています。

放置しても腐らず、芳香を放ちながら枯れていく不思議なリンゴです。化学物質過敏症で普通の食べ物を受け付けなくなった患者さんが、唯一食べることができたリンゴです。

答えを見つけるのに要した時間は、11年です。長い長い年月でした。

仕方ありません。リンゴの無農薬栽培に成功した人は誰ひとりおらず、どの文献にも栽培法は書かれていませんでした。

私は数限りない失敗のなかから、自分で探し出すしかありませんでした。

結局、答えを教えてくれたのは自然でした。

私は、自然と闘うことをやめたのです。リンゴをならせようとするのをやめたのです。

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「リンゴのお手伝い業」に徹し、畑の土を大自然と同じ状態に戻したら、ずっと黙って耐えてくれていたリンゴがようやく息を吹き返してくれました。

栽培が軌道に乗ったのは、20年ほど前です。

それからしばらくして、無農薬、無肥料の自然栽培を広めようと、私は全国を手弁当で歩き始めました。

農薬や肥料を使わない自然栽培を一人でも多くの人に実践してもらい、健康な農作物をつくってほしかったからです。

また、地球の環境を汚さない自然栽培こそが、誇りを持って取り組めるこれからの農業だと考えたからです。

今でこそ各地で温かく歓迎していただき、どこを訪れてもたくさんの笑顔が待っています。しかし、各地を回り始めた当初は、厳しい批判や冷たい反応も多くありました。

今でも、自然栽培は決して主流ではありません。

津軽のほとんどのリンゴ農家から見れば、私は異端児。たくさんの仲間や理解者がいるとはいえ、まだまだ異質な存在です。

それでも、世の中を変えていくのは、こんな「バカ」なのではないかと思うのです。

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私は時折、イタリアの天文学者、ガリレオ・ガリレイのことを思い出します。

天体望遠鏡で星を観測したガリレオは、コペルニクスが唱えた地動説が正しいことを確信し、著書で表明しました。

そしてその結果、宗教裁判にかけられて有罪となり投獄されます。判決の際に「それでも地球は回っている」と言ったという話は有名です。

当時、教会をはじめイタリア中が彼を批判し、奇人・変人扱いしました。

不遇のうちに亡くなったガリレオは、100年もの間、墓を造ることさえ許されなかったそうです。

現代では地動説を疑う者は誰一人いないでしょう。

当時の「異端」は、現代の「当たり前」になり、ガリレオの功績は今では正しく評価されています。

その時代の常識を覆すような「バカ」がいないと、時代は大きく変わりません。

自然栽培は、今はまだ少数派です。しかし今から数十年後、あるいは100年後には常識になっているのではないか。私は、そう夢想するのです。

「あのバカが言っていたことは、理にかなっていることだった」

「あいつは、当たり前のことを言っていただけだった」

私が死んで30年、50年が過ぎたころにはリンゴ農家にとって自然栽培が「当たり前」になり、そう言われるのを夢見て、私は今年も1年の3分の2を旅に費やしました。

全国を奔走した幕末の志士に思いをはせて

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私は、自然栽培だけが、唯一すばらしい栽培法だと言うつもりはありません。また農薬を悪者扱いしたり、責めたりしているわけでもありません。

苦労した分だけ、農薬のありがたさは身にしみてわかっています。私のようなバカでなければ、無農薬でリンゴをつくるなど思いつかなかったでしょう。

しかしその栽培に成功した今、いつか農薬や肥料が自然に世の中からなくなる時代がくるのではないかと思っているのです。

青森県のリンゴの売上高は2ooo億円。全農の試算では、一方、農薬代だけで12 00億円がかかっているそうです。

この数字を見ると、農薬を使わず生産できるならそうしたいと誰もが思うのではないのでしょうか。

けれども、今すぐいっせいにすべての農家が自然栽培に移行すればいいかというと、それは現実的ではないでしょう。

社会は、急激な変化を望まないものです。

ドンと打ち上がった花火は、どんなに大きくても、どんなにきれいでも、一瞬で消えていきます。花火のように一度に大きく広がったものは、長続きしません。

私は、自然栽培を一時のブームで終わらせたくないのです。

農薬漬け、化学肥料漬けの農業が「常識」の農業を変えるのは、並大抵のことではありません。

何十年も続いてきた農家の価値観や栽培法だけでなく、経済や流通のしくみも変えていく必要があります。

しかし、それは決して不可能なことではありません。

希望を持って、自然栽培に真剣に取り組む生産者が一人でも増えてほしい。そんな思いで、私は一歩一歩あゆみを進めています。

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