医師たちが認めた 玄米のエビデンス (veggy Books)
医学者、臨床医、栄養士、研究員の総勢11名が玄米の機能性を医学的知見から示した最新のレポート集
がん/糖尿病/認知症/不妊/うつ/緑内障/精神異常/脳卒中/アトピーあらゆる難病奇病に「玄米」は有効です!
玄米の健康影響
日本人ははるか昔の弥生時代から米を食べてきました。
室町時代に入り精米技術が酒造りのために中国から伝わりましたが、普通のコメの食べ方は玄米でした。
このような食生活は日本人の消化機能や腸内細菌を特徴付けてきたと思われます。
江戸時代に入り侍は白米を食べるようになりましたが、庶民は雑穀米でした。
江戸勤めの侍が精白米を食べ脚気になるのを江戸患いと言っていました。
明治になり精白技術が進み、軍隊でも精白米が供されるようになり、それとともに脚気の頻発に悩むことになりました。
海軍は高木兼寛の英断でパンあるいは麦めしを採用し、日清、日露戦争でもほとんど脚気患者がでませんでしたが、陸軍は軍医総監森林太郎の明治6年制定の「一日六合の白米」という兵食にしばられ白米にこだわり、日露戦争では脚気による死者の方が戦死より多かったといわれます。
玄米を勧めた二木謙三は「玄米十二徳」を述べています。
玄米十二徳
- たんぱく質が白米より20%多い。
- 脂肪に富んでいる。
- 炭水化物は少しも劣らない。
- 無機質が多い。
- ビタミンに富んでいる。特にBが多い。
- ジアスターゼがある。糠層に多く、消化を助ける。
- 線維質皮質が多い。便通をよくする。
- 完全食である。白米で鶏を養えば死ぬ。
- 玄米は生きている。白米はまかれたときから死んでいる。
- 玄米は変質しない。果実でも皮を剥いておくと直ちに微菌が付くのと同じ。
- 味がよい。玄米は舌にのせたときは甘くはないが噛んでいるうちに甘味やたんぱく質の味や脂肪の味などなんともいえぬ味が生まれてくる。
- 咀嚼のよい習慣がつく。
- 食糧が自然に減じてくる。
- 玄米にすれば一日2食にすることが自然にできる。
- 玄米は炊事が楽である。硬かったら二度炊きでき、炊き損ねがない。
- 副食物は簡単なものだけ玄米に適する。複雑な味のものにすると玄米の味が消えてしまう。
- 嗜好が簡単になる。美食を忌むようになる。
- 玄米は小児でも病人でも婦人でも適用が自由で広い。
- 健康度が増す。抵抗力がつき寿命が延びる。
- 経済が楽になる。
炊飯とは
炊飯の歴史は江戸時代に入ってからと言われています。
それまでは庶民はもっぱら稗や栗などの雑穀を主食とし、米はなかなか手に入りませんでした。
江戸時代は80%が農民です。
農民は年貢でお米を納めてしまうので、農民以外の人々が米を食べていたことになります。
調理法は江戸に入るまで、「煮る」、「蒸す」が主流でした。
いろいろな調理方法を試しながら、最終的に「煮る」+「蒸す」で飯ができたのです。
試行錯誤から米の水分の量をお米が吸水する最大限の量に調整して炊き、蒸らして食べるようになったのが炊飯の始まりです。
玄米の炊飯の場合、玄米1に対して水は1.2~1.6倍と、玄米自体の含有水分、つまり育った土壌の環境や、保存状態、その玄米を炊く季節や、調理方法、または食べる人の嗜好によって幅があります。
玄米食は短命?
私たち日本人の食卓に白米が上がるようになったのは江戸時代末期から明治時代にかけてで、白米が当たり前になったのは戦後の高度経済成長期からだと言われています。
それまでは一部の人を除き、多くは玄米を食べていました。
その頃の平均寿命は40歳前後と推定されていますので、現在の半分ほどの短さです。
では、玄米を食べていた人たちは短命だったのでしょうか?
実際には、大人たちが長く生きられなかったのではなく、医療や衛生状態が発達していなかったため、生まれてすぐに亡くなる子どもが多かったことが平均寿命を引き下げていました。
また、冷害による飢饉が度重なったことも死亡率を上げた大きな要因だったでしょう。
一方、江戸時代の著名人について見ると、医師の杉田玄白享年84歳、花岡青洲は75歳、農民だった中甚兵衛は91歳、健康な生活について説いた「養生訓」を記した貝原益軒は84歳と長生きでした。
そして、測量家の伊能忠敬が、大日本沿海興地全国を作成するため、日本全国を渡り歩いたのは55歳からの17年間と言われますから、その活力には驚かされます。
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