赦すということ

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磯貝昌寛の正食医学【第123回】食養指導録 赦すということ

アパルトヘイト

「インビクタス/負けざる者たち」という映画があります。この映画は南アフリカ共和国、初の黒人大統領ネルソン・マンデラが人種隔離政策(アパルトヘイト)に立ち向かい、国をひとつにまとめていく物語です。

南アフリカのアパルトヘイトは世界で一番長く残っていた人種差別政策です。

アパルトヘイトが撤廃されてもなお白人の間では人種差別が残り、現実でも経済格差が強く残っていたといいます。

1994年、ネルソン・マンデラは黒人初の大統領に就任します。

翌年の1995年にはラグビーワールドカップが開催されるのですが、マンデラ大統領は、民衆の間に残るアパルトヘイトによる人種間の恐怖と憎悪をラグビーを通して払拭しようとします。

黒人と白人の共同チームを作り、人種間の高かった垣根を低いものにしようと試みるのです。

アパルトヘイトによって虐げられてきた黒人の間では、その撤廃と黒人大統領の誕生で、南アフリカを黒人の国にしようという機運が高まります。

100年以上に渡って白人からの迫害を強いられてきた黒人の感情はそのようになって致し方ないものだと思います。

しかし、マンデラ大統領は、あえて黒人たちに白人たちを「赦す」ことを説くのです。

殴られたら殴り返していては、長く続く負の連鎖を断ち切ることができません。

黒人と白人が協調して共和国を築いていくにはどのようにしたらよいか、彼はラグビーに希望の光を託すのです。

黒人と白人が一緒のチームで戦うことの難しさは想像以上であったことでしょう。

チームキャプテンの重責も計り知れません。白人の側も、黒人にすり寄ることを良しとしない人々が多かったというのです。

分断の歴史を統合するのは時間のかかることです。そんな状況下でマンデラ大統領は、白人に憎悪を向ける黒人に憎悪を捨てて赦しの行為を呼びかけるのです。

マンデラ大統領自身、就任前、28年間にわたって投獄されていました。

政治犯、思想犯として、アパルトヘイト政策の下では犯罪者として投獄されていたのです。

愛する家族と引き離され、耐え続けたネルソン・マンデラが白人を赦すということは理解を超えたことではあるかもしれません。

しかし、大統領は人種の壁を越えて平和な社会を築いていくには自らの「赦し」がなくては人種の壁を越えられないという想いに至ったといいます。

このことを理解するには、人間としてのネルソン・マンデラを知らなければわかりません。

ネルソン・マンデラ

ネルソン・マンデラは1918年月18日に南アフリカで生を受けます。

南アフリカは南半球ですから、7月は冬にあたります。

ネルソンは草が青々と生い茂り、なだらかにうねる丘が続き、川が流れる故郷の自然が大好きだったといいます。

その川は東に向かって流れ、やがてインド洋に注ぐのです。

夜になると星座がひときわ明るく輝くアフリカの空のもと、村では大きなたき火の周りに皆が集まって、長老たちの話しに耳を傾けるのが日常の風景だったといいます。

ネルソンは、あごひげを伸ばした老人たちが話してくれる物語を夢中で聴き入っていたといいます。

「白人がやってくる前の古き良き時代」の話。

先祖たちが自分たちの国を守るために、ヨーロッパからやってきた侵略者と勇ましく戦った時の話。

こうした物語を聴きながら、彼は自分も人々のために尽くしたいと思うようになっていったようです。

ネルソンが初めて通った学校はアフリカ人だけの学校でしたが、歴史の教科書に書いてあるのはヨーロッパ人の英雄のことばかりだったといいます。

時にアフリカ人のことが出てくると、「野蛮人」とか「ウシ泥棒」と書いてあるのを知り、ショックを受けました。

しかし彼は学校の勉強だけなく、学校では教わらなかった南アフリカの歴史もいろいろと学びました。

160年前に鉄砲を持ったオランダ人やイギリス人が海の向こうからやって来て、槍しか持っていない黒人たちに戦争をしかけ、彼らの土地をほとんど全て取り上げてしまったこと。

その後、ボーア戦争(ボーア:オランダ語で農民)でイギリス人がオランダ人を打ち負かし、それまでの敵だったオランダと権力を分かつようになったこと。

イギリス政府は南アフリカに対する完全な支配権を100万人の白人だけに与え、残りの450万人の非白人は政治に関われないようにしたのです。

非白人とは、アフリカ人やアジア人、さらに混血の人々を指します。

白人だけの国会が、「白人」と「非白人」を切り離すための人種分離の法律を次々に通したのです。

その狙いは、南アフリカの「非白人」を肉体労働者や使用人の地位に抑え込んでおくことにありました。

この非人間的な政策を実行するのに、政府は暴力に頼りました。

黒人はある一定の地域にしか住めないようにして、そこから出ようとする人たちを軍の飛行機で爆撃し、多くの黒人が命を落としたというのです。

このような話を彼は、まだ小さい子どもの頃から聴いて育ちました。

彼が9歳の時、父のヘンリー・マンデラが病気で亡くなります。

父は自分の死期が近いことを悟った時、彼を大族長に預けます。そして、父の死後は大族長の養子になるのです。

ネルソンは、小さい時に父を亡くすという辛苦と、白人から迫害を受ける黒人としての苦難を一身に受けます。

さらに、政治運動を志してから後に、政治犯・思想犯として28年にも及ぶ投獄生活は想像に余りある苦しみだったと思うのです。

そんな状況にありながら、黒人と白人が共存するための融和を彼自身を含めて、白人への赦しを中心にしたことには驚きを禁じ得ません。

アヒムサ

肉体を鍛えるには体へ負荷をかける運動が大切です。

一方で、心を鍛えるには、あつさ、ひもじさ、むずかしさ、さむさ( さみしさ)、が必要だと思うのです。マクロビオティックを提唱した桜沢如一は頭文字をとって「あひむさ( アヒムサ)」といったのです。

アヒムサはサンスクリット語の「アヒンムサ( 不殺生)」に由来します。

ネルソンへの教育は計らずもアヒムサ教育だったのです。

アヒムサで鍛えられたネルソンは平和な社会の基礎には「赦し」がなくては存在し得ないという想いに至るのです。

人種の陰陽と世界情勢を観てみても、有色人種が白色人種を陰性で包み込まなければ世界平和は訪れないと思うのです。

熱帯という陽性な環境下では陰性な植物が育ち、それらの陰性な食によって陰性な人間が育まれます。

一方、寒帯という陰性な環境下では陽性な肉食をせざるを得なく、それらの陽性な食によって陽性な人間が育つのです。

赦しという行為は陰性な要素がなければできることではありません。

陰性が陽性を包み込んでこそ、世界平和が実現するのだと、陰陽で観ると理解できるのです。

月刊マクロビオティック 2021年3月号より

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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)

1976年群馬県生まれ。

15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。

食養相談と食養講義に活躍。

マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。