札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム
初めての暑さ
「こうも自分は、怠け者だったかな」と、中々体が起こせない、動かない。
七月にして連日30度越え、もう昨日の北海道ではない。聞くに125年ぶりの猛暑であったとか。そうか、2度生まれ変わっても、この暑さに出会うか出会わぬか。そんな暑さだったら、この歳ではへこたれるだろうナ。
聞いたことも無い、店の事務所の中で打ち水。よっぽどの暑さだ。
最近、隣の銀山で、ある農家のおじいさんが、ちょっと休むと言って作業中家に入り、そのまま帰らぬ人となったという。熱中症である。
陽光に、向かって
そんな苛酷な暑さでも、作物は容赦なく成長し続ける。
仕事の手を待ってはくれない。作物も命がけだ。この時とばかり、あらん限りの陽光を全身に浴び、光合成を逞しく糖化させて栄養に替え、グングン伸びようとする。まさに生命賛歌の絶頂期でもある。
この炎天下、作物に負けじと、灼熱の太陽がギラギラ照り付ける中、作業を続ける。
すると体中、燃えるような火の性が全身に移り、周りの植物と共にグングン生きようとするイノチの鼓動を感じるのだ。
この照り付ける火のエネルギーが地上のイノチに、「生きよ!伸びよ!」と焚き付けて成長させる。
毎朝見違える、目眩く風景の変化は息を呑むよう、目まぐるしいほど伸長する雑草の逞しさ。
刈られても刈られても、太陽を目指して伸びて行こうとするその元気、その健気さ。そこにイノチの燃焼を、この歳になって初めて感じられたのだ。
物を育てるその傍に居て、間近に見届ける感動。その有難みは、野菜の売り買いでは味わ
えなかった萌え出ずるイノチの現場、その一瞬でもあった。
数学は燃焼
数学者の岡潔先生が、文化勲章を昭和天皇より皇居にて賜った折、陛下より、
「数学は、どうやってするの?」
とのご下問に、
「ハイ、生命の燃焼です」と咄嗟に答えられたという。
後日談、前後のことは緊張のあまり、記憶にもなかったと言われて、それだけに本心から出た言葉なのだろう。
そして、先生は常日頃、「四季それぞれに良さがあるが、分けても真夏が大好きだ」と語っておられた。
世界で突破できぬ数学上の前人未到の荒野を、独り立ち向かう。その山越には、対象をことごとく焼き尽くす心の燃焼力が是が非でも要ったのだった。
それを先生は、「情熱です」と一言で結ばれた。
五風十雨
しかし、この焼き尽くす炎だけでは、何者も焼け死ぬばかりだろう。
焼かれた私の顔は、真黒黒助。だが、灼熱の太陽が照り付け、焦げてしまった肌の上を、一陣の清風が吹き抜けたとき、風に心があることを生まれて初めて知ったのだ。
「あぁ、これが風か!」と。
心にまん丸い穴がポッカリ開いて、そこを撫でるように通って行った。
「やさしいなー」
涼風が当たると、得も言われぬこの世にない心持になる。その風の表情は豊かで、愛おしく撫でられる、その言葉にならない言葉は、まるで宝石箱をひっくり返したように光輝いていた。
太古の昔から、泰平の世を表すに「五風十雨」の世と呼び習わされて来た。つまり、五日に一たびの風が吹き、十日に一たびの雨が降る。
平日は穏やかな日和が人々の心を和ませる。その和みの日を風神が吹く微風となって浄土の風を思わせ、雷神が降らせる法雨は一層風景を鮮やかなる極彩色に染めなす。
そう、この世は天国だったかもしれない。
生物は水瓶
水なくしては何者も生きられず。あらゆる生物は水あればこそ生き長らえている。
だが、水は火を消す。火は水を枯らす。もともと、両者は仲が悪いのだ。中国では、これを相克という。
お互い尅し合う、殺し合う。されど、悟りの世界では、「水火既済 」と名付けて、両方仲良くなる、居心地が好くなる時、場があるとする。
それは、畑の真ん中にいると手に取るように解るのだ。
陽がなければ伸びず、水がなければ伸びず。つまり、両方必要なのだ。植物も、人間とも同じだ、万物同じだ。
手頃な火加減で、水を湯にして飲む。知恵である。そして、調和である。
熱すぎず、冷たすぎず。ほどほどの所で収めるを、中道とも、中庸とも、中和とも言った。
それを、水は痛いほど教えてくれる。トマトは今、水を欲しているのか、要らないのか、ギリギリの所を問う。その鬩ぎ合い、上げ過ぎも、やらな過ぎも障害が出る。
しかし、抑えていても、思わぬ大雨は、人為を超えて泣かせられるもあり。
自然が相手というのは烏滸がましい。ほとんどが、いいなりなのだ。
ちっぽけな人間の浅智恵なんか通用しない。後追い後追いで、教えられ、諭されながら、一歩一歩自然から、何を望まれているのか、何を導かれているのか、を少しばかり身に覚えるのだ。
作物は、上は光に向かって火を求め、下は水を求めて根を伸ばす。
老子訓に「水は低きに処る」。つまり、水は下に、より下に流れる。それは、最も低い所を住み心地が良いとする謙虚の徳である。
奢らない、昂らない、いつも隠れている。そんな水を、生きとし生けるものは、みな大好きなのだ。人間の正体は、六・七割も水を湛えている水瓶でもあったのだ。
地は母なる褥
そして、その水をしっかり受け止めてくれているのが地、大地である。
満々と漲る海、そして川。地下を這いながら、
水流は網の目のように張り巡らされ、地の隅々まで行き渡らせて命を育てる。それは水と地が織りなす交響曲のような合作なのだ。
人にとって水流は血流。何と人体に網羅された血管は十万キロ、およそ地球2周半という途方もない長さなのだ。それぞれの一個の人間が、だ。
あなたも、私も地球を2個も3個も抱えている。凄い!そこに流れる血、そこを支える管。言ってみれば、世界の水と地は切っても切れない間柄なのだ。だから、人は大地に踏み留まらなければならない。
今流行 のearthing アーシング。当たり前のことなのだろう。
裸足で大地を踏み締める。突っ立つ。駆け走る。それは、つい最近まで人類がやって来たことなのだ。
大地と人体は、元々足を通して繋がっていた。絶対離れられない両者なのだ。大地の心を汲み取り、人間の心を受け止める。
二人はとてもとても仲がいいのだ。むしろ一心一体、離れてはダメなのだ。離れては悲しいことが起こる。
そうだ、現代の問題。病気も、文化も、経済も、政治も、何もかもおかしいのは、行き詰まっているのは、大地と離れ離れになったからだ。
それが一切の不幸の原因なのだ。
「人類よ、靴を脱ぎ棄て、大地に触れよ。帰れよ」
アスファルトは人間を不幸にさせた元凶であった。つまり、ハッキリ言おう。都会生活は、全体が、どうしてもしあわせになれないのだ。
植物は、生物は、万物は、大地から産まれ、大地に眠る、誰もが、どれもが。大地は、母のように受け止める、受け止めてくれる大母なのだ。
作物は、植物は、人間がどんなにしても成る。あるがままに成る。なるように成る。
何々農法ではないのだ。農法というは、人間の傲慢なのかもしれない。何をやっても成るのは、自然に、大地に、好生の徳があるからだ。
それを、人間がしてやったり、というのは出過ぎなのではあるまいか。つまり、大地もみんなが、同じく大好きなのだ。誰もが大好きなのだ。
それが、嬉しいのだ。それが、懐かしさなのだ。
そして、それは古から「情緒」と呼ばれた。
つまり、つまり、懐かしき未来は、大地にあり、大地に帰るということ。しあわせの青い鳥は、やはり大地にスックと伸びた大樹の枝に止まっていたのだ。
五大和合
そして、空を見上げる。すると、空は自分そのものであることに気付いたのだ。
空は、字のごとく「空」。
色即是空の空でもある。空っぽということ。
でも、何にも無い空っぽではない。ぎっちり、ぎっしり詰まっている空っぽ。
それは、何故かというと、火も風も水も地も自分の中で一緒に仲良くなって、初めて空に舞い上がっているからだ。
自然は、この地水火風で構成されている、と仏教で難しく説いているが、ここ畑の上では、本当にそう思う。
人間も地水火風で出来ていて、最後は空で締めくくられている。あの空のような広い広い心に解放されるのだ。地水火風を四大、それに空を加えて五大。その仮の和合で人間は成り立っていると。
地のありがたさ、水のありがたさ、火のありがたさ、風のありがたさ、そして空のありがたさ。この世は、ありがたさばかりではないか。
こんなにも恵まれていて、こんなにも授かっていて、何を他に求めよう。
田舎暮らしは、そんな答えを待っていてくれている所だ。今も、いつまでも待っている。
かの陶淵明先生、俗世の浮き事に病みつかれ、都を去るに最後に遺した言葉。
「歸去來兮 田園將蕪 胡不歸」
『さあ、帰りましょう。戻りましょう、田舎に。田園は、あなたの帰りを待っています』
こどもへの伝言
―7月26日 仁木町「まほろば自然農園」余市川にて―
みなさん、ようこそ仁木自然農園にいらっしゃいました。おかえりなさい!
主なき所を、よく守り、よく支えてくれて、ありがとう。
そして「まほろば少年少女隊」、おはよう!いらっしゃい!
よく来てくれましたね。
この橋を毎日通り、この川辺の光景を見るたびに、井上陽水の「少年時代」が聞こえてきます。
「夏が過ぎ、風あざみ 誰のあこがれにさまよう・・・」
ギラギラした照り付ける真夏の陽、そしてやがて去り行く秋の気配を感じる切なさ。
みんなと同じ子供時代、夏休みに野山を駆けて昆虫採集に、無我夢中になった思い出が甦ります。
人の一生の幸福は、子供時代にいかに自然と関わったかの記憶にあると言われています。
そういう人の世になればいいな、と今、ここで、願いながら農業をしています。
「みんな、お母さん、好きかい?」(ハ~~~イ)
「そうだね、大好きだよね」
「実は、このおじいさんでも、死んだ母さんのことが忘れられず、未だに好きなんだなー」
見てごらん。ここに流れる川や石コロ。木々と鳥たち。そしてあの青空。
みんなみんな、実はね。この大きな自然というお母さんから生まれて来て、育てられ、そしてそこに帰って行くんだよ。もちろん僕たち人間も。
その大自然の大きなお母さんのことを、昔の人々は、「ま・ほ・ろ・ば」と言っていたんだね。
この「まほろば」で、みんなを大自然のお母さんの懐に帰すという尊いお仕事を、君たちのお母さんやお父さんが、毎日毎日汗を流してお手伝いされているんですよ。
札幌の店と仁木の畑は、離れていても心は一つ、体も一つ。みんなみんな何時も一緒なんだ。
ここにいる斎藤燈希君、小学校2年生。
このおじいさんに、お正月に手紙をくれたんだ。「僕、将来、まほろばで働かせてください」って。
嬉しかったね。それで、「首を長くして待ってますよ。ありがとう」って返事しました。
皆さんも、いつかお手伝いしてくれますか。
ここで、気付いたこと、学んだことは、人は自然を離れては幸せになれないなーって。美しい自然の中に暮らすことで、元気がもらえ、友達もでき、心が豊かになれるんだ。
今、このおじいさんたちがしようとしていること。
それは、君たちや、これからの子供たちがこういう田舎に住んで暮らしが出来るような、お父さんとお母さんとで生活できるような、世の中にしたいな、と思って、日々農業に励んでいます。
みんなも協力してくださいね。
(ハ~~~~イ)
ありがとう!!ですね!!!
今日ね、こうしてみんなで川原で楽しく遊べるのも、日頃お父さん、お母さんが一生懸命働いてくださるから、実現できたんですよ。ありがとう、って感謝しようね。
「お父さん、お母さん、ありがとうございます!!!」(みんな一斉に)
その日、しゃべったことを、記憶を辿りながら、綴ってみました。
本当に、思い出深い、慰安会、リクリエーションでした。
これも、みんなの日頃の努力の賜物、その真心に感謝します。ありがとう。
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宮下周平
1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。
自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/
無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。
世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。
産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。
現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。