病を治す哲学――伝説的医書『黄帝内経』の驚異 (講談社+α新書)
世界的気功家14人の一人が説く「生命の真髄」。癌・糖尿病の原因は2600年前に解明されていた!気功的観点から明かす「健康で寿命をまっとうするための」生き方と養生法。
二六00年前の医学書
『黄帝内経』は約二六00年前にまとめられた中国最古の医学書です。現代から見れば「最
古」ですが、当時の最先端の医療の知見をまとめた書物です。
私は『黄帝内経』の考えは、現在においてもまった<古びておらず、それどころかめぐり
めぐって、いままた、もっとも進歩的な考えとして、改めて注目される価値があると思って
います。
というのも、現代医学では、人間の身体の中の臓器や器官をひとつひとつ分けて考えるため、対症療法的な治療や、副作用・ダメージの強い治療を続けざるを得ないことが相変わらず問題になっています。
また、高齢者や障害を持った患者が病気から自立した生活になかなか戻れないため、大きくなり続ける介護の負担に家族や社会が対応できない問題も起こっています。
その点『黄帝内経』では、人間を大自然の中の一部としてとらえ、もともとの原因から病気を治し、また、みずからが日々の生活の中で養生し、健康を維持・増進するという考えに立っていますので、現代にまさにぴったりなのです。
さらに、この考え方を実践することで、このところ話題となっているQOL(生活の質)も高まり、人が人らしい人生をまっとうすることができるのです。
その上、糖尿病をはじめとした、現代の生活習慣病と呼ばれる疾病も古代から存在し、それらについても詳しく述べられていますから、『黄帝内経』は、きわめて現代的なテーマを含んでいます。
中国の遺跡で、一七0万年前のものと見られる石で作られたナイフや鍼などの道具が発見されたことにより、そのころから人類は鍼治療や現代医学でいう外科手術を行っていたことが推測されます。
『黄帝内経』は、長い歴史をかけて積み重ねてきた知恵の集大成なのです。
まずは、『黄帝内経』をまとめたとされる黄帝について説明したいと思います。医療に対する考えや中国人の生命観が垣間見え、『黄帝内経』の理解につながると思います。
黄帝とは、中国の伝説上の人物で、最初の帝といわれています。
言葉をはやくから話せるようになり、長じてからは人々に自分の考えを伝えるのが巧みで、生まれながらの天才といわれていました。
やがて黄帝は生まれた地の領主となりますが、そのころの中国には炎帝と呼ばれる人物もいました。
炎帝は「神農」とも呼ばれ、農作物の育て方を教え、また、薬草に関する知識を持っていました。
中国で初めて医療に関する経験と知識を民衆に広めたのが炎帝だとされています。
その後、黄帝が炎帝を討ったとか、一緒になって中国を統治したとか、いろいろ説はありますが、とにかく黄帝は炎帝の事業を引き継ぎ、農業や薬草に関する知識を体系化しました。
なお、黄帝の妻は、絹織物を始めた人物とされています。養蚕の技術がその時期に始まったことがわかります。
黄帝の時代に文字や車が発明されたといわれていますが、その中でもっとも人々の暮らしに貢献したのが、『黄帝内経』です。
「身体」「病」の集大成
『黄帝内経』は医学書ではありますが、現代的な医学書にあるような対症療法が書かれているわけではありません。
人の身体をいかに自然に健やかにするかについて書かれており、さらには身体を修めることは国を治めることにまでつながるとの考えに甚づき、哲学や思想、政治をも含んでいます。
なんだか難しい内容に思えるかもしれませんが、『黄帝内経』には、時季との関わりや食品の種類・内容など生活全般で「いかに自分の身を守り、寿命をまっとうするか」といったことが書かれています。
つまり『黄帝内経』のいう健康法とは、人が世の中を生き抜くための思想であり、自分の安全を確保するための思想でもあって、それらはすべてに通じる哲学だったのです。
そういった教えを『黄帝内経』は、雷公と岐伯、少愈を始めとする六人の先生と黄帝の問答形式にまとめています。
その中でも、特に現代人の健康を考える上で、非常に重要な問いを黄帝は発しています。
上古之人春秋皆度百力而劫作不衰今吋之人年半百而功作皆衰
「昔の人は寿命をまっとうして100歳まで生きたというのに、最近の人はなぜ50歳くらいまでしか生きられないのだろう」
二十一世紀に生きる人は、「昔は栄養事情も悪く医療設備も整っていなかったから、人々の寿命は短かったに違いない」と思っているでしょう。
だから、大昔の人が100歳まで生きていたなどと、とうてい信じられないかもしれません。
けれど『黄帝内経』が示唆する重要なことは、人間の本来の能力からすれば、100歳まで生きて当然ではないか?という問いかけです。
短命の原因はいったいなんでしょうか。『黄帝内経』では、「酒を飲みすぎ、異性を求め、快楽に耽るなど、欲望のままに行動し、心身を損なったからだ」といった理由を挙げています。
ようは「自然の摂理を踏みはずしている」ということです。素朴ではありますが、それだけに思い当たるところの多い指摘です。
翻っていえば、人の度をすぎた欲求に甚づく行動は、二六00年前からすでにきわめて現代的な問題であり続けたのです。
病を治す哲学――伝説的医書『黄帝内経』の驚異 (講談社+α新書) | ||||
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