「水とは医学」―霊水に込められた哲学をひもとくー

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

まほろば主人「農村日記」#2

在ることの有りがたさ …… 一年を振り返って 

「お父さーん、早く来てー、大変!!!!」

家の外で、家内の叫ぶ声!

浄活水器エリクサーのセラミックを焼くため、焼成炉のある札幌に一週間ばかり家族で帰っていた。

その間、石狩後志地方は大雪で、仁木の家はどんなになっているか、気が気でなかった。

案の定戻ってみると、深い雪に、車も止められず、家にも入れず、しばし呆然。やっと玄関までの道を付け、車を遠くに置きに行った処だった。

飛んで、帰って見ると、家中水浸しの、我が目を疑う光景。

  「何という事だ!!!」

台所の水道管2か所が破裂し、そこから勢いよく四方に水が飛散している。

床も家財も水に浸ったまま。だが、水が止められない。築60~70年、水抜き栓が45 年も経って半分効かなくなっていたのだ。

果たして、何日間、水が噴き出していたのか!

キッチンとリビングのテーブルも、ソファも、絨毯も、水の中に在り。食べ物などもプカプカ水に 浮いている。

寝室の畳も2畳ほど濡れて、衣類も水浸し。ただ放心状態、何をすべきか手も足も出ない。 長靴のままそこに突つっ立ってしまった。

勿論、ストーブも水に浸かり、基盤が損傷して火が着くはずもない。

零下の中、震えながら作業するしかなかった。水道管の穴をテープで防ぎ、水流を弱め、家財を動かし、水を掃き出す。

床下もどんなになっていることやら。床板の継ぎ目がどす黒い。見渡せば、植木が皆枯れている。かわいそうなことをした。

何処に連絡すればよいのか、咄嗟に思い付かない。

ネットで町内の水道工事屋を探し出したが、午後過ぎてからでないと来てもらえない。また、ストーブ屋は夜7時という。

それまで、何とか寒さを凌しのぎながら、家中を片付けながら待った。

夜、幸いストーブが着火し、安堵の胸を撫で下ろしたが、ソファも椅子もびしょ濡れで座る所もない。

この時、文明の便利さを当たり前に享受している人間の無力さと知恵の無さに愕然とした。

そして、もっともっと過酷な水害や津波に立ち会った時の動揺の幾分なりとも体験出来たのか。

その痛みがほんの少し解せられた。今年の道東の台風禍、5年前の東北大震災の津波、自然の猛威と爪痕、それは想像しても仕切れない大変さを思った。

この時、幼い日々を思い返していた。

戦後すぐの片田舎の町には、水道などの基盤設備(インフラ)があろうはずがない。

みなの家が手押しポンプであった。 それでも極寒の朝は、ポンプの中は凍り付いて押すにも押せなかった。

湯を沸かし、熱湯を注いでは溶かして、水を上げていた。水甕(みずがめ)一杯に汲むのが子供の仕事だった。

水は柄杓(ひしゃく)で一杓一杓、鍋に薬缶(やかん)に遷(うつ)していた。 小学生になり、そこにモーターが入り、井戸から蛇口に一気に流れる水を見て、どれほど驚いたことか。

それが、何時しか水道水に代わったのは、私が内地から帰省した時だった。

蛇口を捻れば、水が出る。誰しも、これが当たり前だと思っている。

その変遷を知らないがゆえに、水の有難さも感じられない。水は、どうして、ここに在るのか。どうして、ここで飲めるのか。そんな素朴な疑問さえも抱く要がなくなってしまった。

もっと昔は、近くの川に桶(おけ)を背負って汲みに行っただろう。そして、庭に井戸を掘って、鶴瓶(つるべ)落としで汲み上げたものだろう。

何れも、飲むまでに手間暇のかかることだった。

無くて、初めて、有ることの有難さを思う。

水をこうして飲めること。火に当たって暖を取れること。食べる事、寝る事、それは、本当は当たり前でなく、とても難儀なこと、とても有難いことなのだ。

田舎に来て、不便なことが、実は大変な意味があることに、気付かされる。

週に一度、札幌の店に帰る。夜、家には食事の道具立ても無く、ただ寝に帰るだけだ。

外食せざるを得ないとき、やはり、家に帰り手作り料理の温かさや安心感を求めるのだ。それがどんなにか大切なことか。

そして、今まで当たり前のように、文字通り湯水の如くエリクサー水を飲んでいたことが、当たり前に飲めないことにも愕然とするのだ。

家でもエリクサー水が飲めない(仁木の方に持って行っているので)。この現実に出会って、改めて今までの環境に想いを巡らせた。


今年は、まほろば創業以来の大きな節目の年でした。

私たち夫婦が、仁木町に引っ越しして営農を始めたからです。

お客様には突然の出来事だったかもしれませんが、役員や農園の社員には少し前に知らせ、一年以上をかけて土地探しをしたものの、これが難航に難航を重ね、住む家もなかなか決まらず、途方に暮れていたところに、ある方の仲介で、ギリギリで突然に決まったのです。

これにより、多くの方々に、ご心配とご迷惑を掛けて参りました。

しかしながら、原点に戻り、ゆっくりと時間をかけて、しっかりと根を張って、まほろばを下支え出来る存在になりたいと思っています。

惜しまれながらも、まほろばの社長・専務らしいと言って下さる方々もあり、これが一番うれしく思えます。

それでは、私と家内の愛して止まないお客様や生産者の方々、取引先の方々、そして従業員の皆さん、よいお年をお迎え下さいますように。

―風雪の仁木より―

後日談:

事故の数日後、異常に多い水道検針値を見た役場の職員の方が家に、飛んで来て下さって、ビックリしたお顔で、

「何かありましたか? どうしました? 220tもの水、どうなりましたか?」と、真剣に問うて下さるのです。

ようやく収まった家の中を見て、一安心。

「これは、水漏れということで処理します。それにしても、大変でしたね」と言って懇ろにして下さり、事無きを得たのです。

有難かった。

村の人たち、優しいなー、嬉しいなー、と感激してしまいました。

人影の無い寂しい寒い寒い村はずれですが、人の心で、こんなに暖かくなるんですね。ありがたいです。



續 倭詩

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「水とは医学」 ―霊水に込められた哲学をひもとくー

鼎談 《森下敬一×船瀬俊介×宮下周平》 より抜粋

◆哲学から生まれた水

船瀬 この度は森下先生と(株)まほろばの宮下周平さんとの対談の司会を仰せつかりましたが、資料を拝見させて頂いて大変驚きました。

「浄水器」のお話だと思っていましたが、まさに中国古典から宇宙論まで説かれていたので仰天しました。

森下先生、どのようなきっかけで今回の運びとなったのですか。

森下 きっかけは、クリニックへいらしている札幌の患者さんが持ってこられた水を私のところで検査をさせて頂き、その水質に非凡さを感じ取った事です。

他の患者さんにも「日常的に使っている水を、ぜひお持ち下さい」と言って検査をしているのですが、今年になって「これは合格」という水はほとんどなかったんですね。

みんなダメでした。それで、「これは失格ですね」なんて結論を申し上げると、「2~3週間前に何十万も出して買ったばかりなんです」なんておっしゃるケースもあったりして(笑)。

かなり色々なレベルの浄水器が出回っているけれども、総じて「これはいかんなー」と思っていたんです。

船瀬 市販の浄水器も玉石混淆なのですね。

森下 しかし、たまたま札幌のその方の水を調べてみまして、今年になって初めて「これは普通ではない、すごい! どんな浄水器をお使いですか」と訊ねたところ、「家に帰ってから資料等を送りましょう」と言う話になりました。

そして送って頂いたのがブックレット『エリクサーへの道』なのですが、 これを読みすすめていくうちに「これは大変なものだなー」と思いました。

水の重要性については、私もかねがね色々な角度から注目をしているつもりでいたのですが、私の理解を遙かに超えた非常に高いレベルの機器を、自然哲学を背景にして見事に造りあげられている―という事に、びっくり仰天しました。

私はもっと簡単に考えていたのです。

とりあえずこういうすばらしい水を作れる浄水器ならすぐにでも使用したい―、 と実務的なことを考えていました。

ですが、『エリクサーへの道』を読ませて頂いて、それは、私が考えていた水準を遙かに超えた「浄水器以上の傑作」だ、と知らされたのです。 (小冊子No・18「エリクサーへの道」参照)

船瀬 これはもう一種の〝宇宙哲学書〟です。

森下 私は、この浄水器の一愛用者に止どまるのではなく、多くの優秀な人々に知って頂き、また心ある人達によってしっかりと支えられるような協力体制をとっていかなくてはならない―ということを、浄水器のレベルを超えて感じ取らせて頂き、大いに勉強させて頂きました。有難うございました。

宮下 この浄水器「エリクサー」は、造ってからもう10年になりますが、会長が瞬時にして、どうして本質を見抜かれたか、不思議です。

このように深いご理解を頂き本当に有難うございます。

森下 いえいえ、本当にすばらしい。驚きましたね。

船瀬 私も、今日は水の話ですから浄水器の事を勉強しなくてはと思って、『エリクサーへの道』を開いたのですが、大変な人だなと思いました。

宇宙論と存在論がここにあるわけです。東洋哲学の四書、老子、荘子のタオイズムとか、また驚いたことに岡潔先生も出ていらっしゃる。

要するに学術論、天才論、人文科学のあらゆるモノが詰まっているのでびっくりしたんです。

そして、芸術論もあるでしょう。古琴ですか? 孔子が作曲した曲もあるのでしょう?

森下 孔子の「幽蘭」は、宮下社長から贈って頂き、一週間前に聴かせて頂きました。すごい! い わゆる音楽の範疇を超えたあれは哲学の音響ですよ。

あれを聴くと、 もう普通の音楽は聴けなくなりますね。(中国民族音楽大師 古琴演奏家 管 平湖 HCD-0266)

船瀬 宮下社長は、浄水器の発明をされた方と思っていたんですが、哲学者ですね。

宮下 いや、そんな事はないです。

森下 いえいえ、本当にそうですよ。それも、借物ではなく本物です。

船瀬 宇宙の本質を超えているから、これはたまげたなと思いましたが、それに偏っているわけではなく芸術にも造詣が深くていらっしゃいます。

そして『四書五経』を読まれているのは非常に深いですね。

観念論で終わらなくて、学術的に全部リサーチされて立証されているでしょう。これは参ったなという感じですね。わくわくしながら読みましたよ。

森下 O―リングテストがすごいですね。

普通は主観が入ってしまうので、まぁ、ある程度までは利用できるけれど、と思っていたんですが、すべてこれだけで判断していると聞いて驚きました。でも、我々凡人がやった場合には、こういう風にはいかないでしょうね。

船瀬 固定観念で邪心があるとムキになってしまいます。でも、O―リングテストは統計的には偶然ではないと実証されています。

いわゆる「筋反射テスト」。人間の根源的な〝生存 本能〟が筋肉反射となって現れる。

森下 すごい浄水器の背景に、すごい人物が在り、出来上がった水もすごい。ただの水ではなく、霊水のレベルに来ていると思います。

船瀬 浄水器の名前である「エリクサー」という言葉は、要するに宇宙と存在をつなぐというか、コネクター、霊媒みたいなものでしょう。

宮下 ほとんど私はしゃべらなくてもいいくらいですね(笑)。

(中略)

船瀬 水はこれまでは、導電体ではあるけども磁性体ではない、と言われていたじゃないですか。

しかし最近、東大の物理学科が実験で証明したということを新聞で読んだんですが、それによると、水に強い磁力を与えると、ボコッと水面が凹む。

これを「モーゼ効果」と言うのだそうです。「海よ、割れろ!と言った“モーゼの十戒”ってあるじゃないですか。

水の表面にものすごい磁力を当てると、水の表面がSとNの反応みたいに谷型に引っ込む。

逆にS極を当てると今度は逆モーゼ効果。凸型に盛り上がる。それを新聞で読んで「えー、水は磁力に反応するんだ」とビックリした記憶があります。

今まで水は磁性体でないと言われていたのに……。このような事からも、既成の常識は嘘八百が多いと言えますね。

水が磁力を持つということは、一番のエネルギーを水は蓄えるということですよね。

ということは、宇宙からのエネルギーを尖塔で受け取って、その土地が宇宙のエネルギーを蓄えている。

水がそのエネルギーを受けつぎ、高いエネルギーの水を飲めば人間もやっぱりそこから高いエネルギーを頂くわけです。

宮下 超微弱なエネルギーを溜め込んでいるんでしょうね。

船瀬 大地は電場、磁場がすごいでしょう。雷が落ちると豊作になるって言うじゃないですか。

雷の字も雨に田んぼって書きますよね。雷のことを稲光って言うじゃないですか。

昔は街路灯がないから真っ暗けの闇夜なのに、雷がガシャーと光ったら稲がバーと光るから「稲光」と言ったらしいです。

そして、御幣(神道の祭祀で用いられる幣帛の一種で、2本の神垂)は、稲光をデザインしたらしいですね。

雷がたくさん落ちた年は稲がたくさん穫れる、だから豊作のお祝いに稲光をデザインしたらしいです。

だから電磁氣エネルギーというのは作物にも人間にもいいのでしょうね。

宮下 キノコもよく言われますね。

船瀬 そうですね。雷が落ちるとキノコが育つって。

宮下 それに電波塔や送電線の周りの作物はよく生長するんですよ。

船瀬 水にも、そういうエネルギーを持っている水と持っていない水があるんですね。そういう意味では酸化還元電位もエネルギーポテンシャルの一つの指標と言えますよね。

(後略)

【前回のコラム】

札幌の自然食品店「まほろば」主人の「つれづれ農村日記」

宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。