ハリウッドセレブ、メジャーリーガーらが、こぞって「神の手」と絶賛! NY在住“伝説のマスターヒーラー”が明かす、「あの世」の秘密とは。 自身が過去に経験した、5度にわたる臨死体験。
死ぬ瞬間に見た「自分が生まれた日」のこと
人が死ぬときには、これまでの人生のすべてが走馬灯のようによみがえる、という現象が起こるといわれます。
しかし、このときの私には起こりませんでした。
ただ、幸福感に包まれた意識の中で、子どものころに父がほめてくれたことや、母が愛してくれたことなど、温かい思い出がよみがえったことは記憶しています。
このとき見た中で、いちばん印象深かったのは、私が生まれた日の光景でした。
私の父はとても厳格な人でした。
自分にも家族にも厳しい硬派な男性で、まるで映画のヒーローのような「男の中の男」を絵に描いたような人です。
子どもの前でも、めったに笑うことはなく、危機におちいっても慌てることなどまったくない、昔ながらの強い男性だったのです。
しかし、私がこのとき見た父の姿はまったく違っていました。
私が死にゆくときに見た光景の中で、父は……
そこは実家の奥の間だった。
部屋の中央に布団が敷かれており、そこにはまだうら若き母が寝ていた。その表情には苦悶が色濃く浮かんでいる。
私はその様子を上から眺めている。
「先生! すみませんけど、お湯をもってきてくださいっ!」産気づいているらしい母のそばで、産婆が声高に叫んだ。
すると、青年の面影を残している父が、湯をはった洗面器を危なっかしく抱え、走ってきた。
父は相当に慌てふためいており、敷居に蹴っつまづいては湯をこぼし、扉に肩をぶつけてはまたこぼし……というていたらくで、床はびしょ濡れである。
父の額には、噴き出した汗が玉をつくっていた。
「おとうさん、おかしいや!」
はじめて目にした滑稽な父の姿が、七歳の私には面白くてたまらず、コロコロと笑った。
「うちのおとうさんも、あわてちゃうことがあるんだ!」
……そう、思ったところで、この記憶は途切れました。
私が息を吹き返したあと、このとき見た光景について、私を産湯につけた産婆さんに話してみました、それはまさしく、私が生まれた日のできごとと寸分変わらぬものでした。
彼女は、当時を振り返りながら、
「あれだけの大先生が、産湯を持ってくるだけで、それは慌てましてね。ほかの人には話せないけど、やっぱり先生も人の子だなぁって思ったものですよ」
そう懐かしげに私に話してくれました。
つまり、七歳で経験した最初の「死」の最中、私は自分が生まれた日の光景を見ていたのです。
世間でいわれるような「走馬灯」は、私には起きませんでしたが、みずからの誕生の瞬間をたしかに目にしたのです。
「死」を体験して人生観が変わった
この章では、七歳のときにはじめて体験した「死」と、そのときに私がみた宇宙と天国について、お話ししてきました。
その後も「死」と生還とをくり返して、最終的には五度の臨死体験をすることになるのですが、そのたびに訪れる宇宙、そして天国の姿はいつも同じです。
二度目から五度目までの臨死体験は、次の章でくわしくお話ししますが、私はあの世を旅することで、多くの気づきを得てきました。
その気づきとは、ひとつは「死は決して怖いものではない」ということ。
そしてもうひとつは、「人間とは、不完全あるがゆえに、愛すべき生きものである」ということです。
つまり、「死」を体験することで、人間とその「生」に対して一定の距離を置き、客観的にみる目を持つことができたのです。
人間は、思ったことを正直にいえなかったり、その逆に、思ってもいないことを口走ってしまったりする生きものです。
それはたいてい、それぞれの人が背負ってきたしがらみだとか、子どものころに教えられた常識にとらわれてしまっている結果であって、それらを守るために事実を歪曲させてしまうのです。
たとえば、みなさんはこんな経験がありませんか?
仲のよいお友だちと食事にいって、レストランで供された料理を食べているときに、そのお友だちがこっそりと、
「ここの料理、あまりおいしくないね……」そういったとします。
しかし、実はそのレストランはあなたのお気に入りで、何を食べてもおいしく感じられる。
それなのに、思わず、「そうだね。あんまりおいしくないね……」なんて、ついつい意見を合わせてしまうのです。
味覚というものは、徹底的に主観的なものですから、あなたが好きな料理をお友だちが不味いと感じるようなことは、いたってふつうのこと。
ところが、大好きなお友だちとの空気を守りたいあなたは、思わず心にもない相づちを打ってしまうわけです。
一見、これは哀しいことに思えますが、いつのころからか、私は違った見方をできるようになりました。
この哀しさこそが、いわば「人間らしさ」だと感じられるようになったのです。
そんな人間らしさ、人間くささを、私は「死」を経験することによって、客観的に見ることができるようになり、
「人間は面白いな!」「人とは、愛すべき存在だなあ……」と感じるようになりました。
そう、私は死ぬことによって、私自身をふくめて、すべての人を愛おしく思う愛が生まれ、その愛が深まったのです。
人間とは、実にかわいらしい生きものです。
この世に生きていると、ついつい愛を忘れてしまいがちですが、死を迎えた人はみんなその愛に到達することによって、完全なる心の平穏を手にします。
ですから、天国でおだやかに過ごすことができるのです。
生きている間に、この愛に気づくことができれば、死を経験しなくとも、どのような境遇の人であろうと、心おだやかに生きることができます。
この本を通して、私がみなさんにお伝えしたいのは、その「愛」です。
5度の臨死体験でわかったあの世の秘密 | ||||
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