【風力発電を問う】関西電力よ、古平・余市から出でよ!

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一、三省庁に、「要望書」提出

12月6日、上京。

霞が関の三省庁に向かった。

「農水省(林野庁)」「環境省」「経済産業省(資源エネルギー庁)」。

仁木・余市両町の「風車を考える会」と「全国再エネ問題連絡会」の共同代表と共に訪ねた。

かくも道と市町村を飛び越えてのこの場面は、本来有り得ない好機だった。

林野庁と環境省の後、国の最終許可を下す最後の砦。

その経産省・資源エネルギー庁の「再生可能エネルギー推進室」伊藤隆庸室長との面談。

仁木・余市町の17,916筆の「反対署名」と「要望書」を直接提出。

関電のこと、仁木のこと、地方での細かい話にも、室長は耳を傾け、熱心にメモを取られる。

逆にこちらが、その謙虚な対応に驚かされたほど。現場住民の声を直に聞かれる機会が少ないのかもしれない。

「全国再エネ問題連絡会」からは、事業の為「保安林解除規制を求める」約25,500筆の署名と要望書を林野庁の長崎屋森林整備部長に、環境省・植田脱炭素推進審議官、経産省・エネルギー室長にも、各要望書を提出された。

これら一連の会見の場を提供して下さった、共同代表の室谷悠子弁護士と鈴木猛康(たけやす)山梨大学名誉教授はじめ連絡会の方々には、深く感謝申し上げます。

当初、大阪関西電力本社に署名を渡したいと、会見を申し入れるも断られた。

この時点で、関電は住民と向き合う姿勢がなかった。

だが、その後の流れが、むしろ新たなる展開を形成した結果だった。

二、仁木町長、初めての「反対表明」

12月21日の定例町議会。山内議員の一般質問「残る仁木南部地域への風車建設計画に対する意見」。

佐藤町長が「好ましくない」「賛成しかねる」という、中立から一転、反対するという見解を初めて主張された。

遂に、この1年半の運動が、この一言によって、実を結ぶことになった。

一先(ひとま)ず、おめでたい記念すべき吉報。冬至の年替わりに相応しい。

これで春には、正式に北海道知事宛に、この意見書を提出して頂き、関電には「国有・保安林解除中止」の宣言を待つばかりとなった。

しかし、所期(しょご)の目的、仁木町南部(銀山・長沢・尾根内)風車計画、「全面撤退」に至るまで安心はできない。

引き続き、この活動は、「古平・余市ウィンドファーム事業」更に、北後志(しりべし)全域の白紙撤回に向けて、一層拍車をかけて行くばかりです。

三、「ヒドイぞ、関電!!!」

それに先立つこと関西電力が、16日仁木・古平町,17日余市町と、「方法書縦覧」に伴い、付帯必行の説明会を、漸く本町役場で開催した。

これまでの弛(たゆ)まぬ住民運動が功を奏してか、120名を越す参加者で、会場は異様な熱気に包まれた。

しかし、質疑応答では、一切マイクを持たせず、町民の声を、シャットアウトする強行策を取った関電。

またもや、悪の謀略を張り巡らして来た。質問事項を、用紙に書かせ、それを打ち直したのか、前以って打ったのか、定かでない文章をスクリーンに映して解説。

細大漏らさず取り上げたいという3時間の説明会は、重複内容で時間潰し。

一方的に関電側の主張で押し切られた。

初めての参加者の反応も、「ヒドイぞ! 俺の書いたもの出てないぞ? お前ら、まくし立てるばっかりで、俺たちが言いたいこと、言わせないのか!!!」と、怒号と咆哮(ほうこう)が飛び交った。

実際、私たち周囲の質問状は、全く抹殺された。それは、彼らにとって「不都合な真実」だからだ。

参加者の大方が、憤懣(ふんまん)やるかたなき不満を口にして、会場を後にした。

却(かえ)って策が裏目に出た。まさに、策士、策に溺れた。

この非民主的な説明会は、国内では初めてのケースではなかろうか。

経産省にも、上申すべき違反行為だった。

関電はまた、プライバシー侵害に抵触するという理由で、質疑応答の際には、メディア・報道関係者を一切締め出した。

しかし、実際のスクリーンには、個人名は一切出さなかった。かくも平然と虚言を言ってのける。

やはり、関電は、信頼のおけない疑惑の企業体質であることは、なおも変わらない。

私たちは改めて、関電の裏側を、まざまざと見た思いだ。

四、関西電力へ、メッセージ

ここに1冊の本があります。

『関西電力 反原発町長 暗殺指令』

証拠を残さない為、狂犬に体を食いちぎらせるという身の毛もよだつ内容。

話を半分に聞いても、火のない所に煙は立たない。

この時、高浜町の助役が3・2億円の賄賂を、関電の会長・社長以下10名の役員に配り、それが露呈して土下座した醜態を、国民の目に焼き付けたこの事件。

また、「古平・仁木・余市ウィンドファーム計画」の発表から、半年後の11月に、九州・中国・中部電力の三社へのカルテル騒ぎ。

関電は、誘い出しておきながら、ヤバイと知って自分は中抜け。

公取の独禁法で、三社は1000億円超の課徴金を支払う羽目に。当然、三社は関電を提訴。こういう非道を平気で行える。

さらに、この1月には、競合他社の顧客情報を不正に閲覧して利用した。

「法令遵守(コンプライアンス)を徹底する」と口先で再宣言するも、次々と毎月、新聞沙汰のない月はない。不祥事のオンパレード、「不正のデパート」と呼ばれている。

「まさか、まさか、まさか」の坂を上り詰めた一大企業は、倫理も道徳もかなぐり捨てて、自然の風土と共に、企業風土も荒れ果てた。

昨年9月22日、当会から住民説明会の要望書。内容証明と配達証明までつけて郵送。

10月20日に書面で返事。「農閑期に行う」との約束。

12月10日の銀山説明会で、それを糺(ただ)すと、関電は「誰も聞いてない」と惚(とぼ)けるのみ。

このように書面は、「再エネ事業本部」とだけ記して、責任者名も、判も、連絡先も記していない。不誠実の極みで、結局は反故(ほご)。

同じく、9月27日、仁木商工会議所にて津司康雄会長に3時間の説明。

全体説明会を求めると、11月頃の農閑期にとの約束。これも、同じく、反故。

またもや、今年6月9日、関電からの赤井川村の藤門代表への返信も同様に反故。

11月19日に村で行われたHSE日立の「配慮書」前の段階の説明会。6月6日付けで、石田桂社長直々の署名と捺印を以て会の要請に応えていた。

これは誠実というより社会常識・企業責任と言うものである。

17日の余市町の説明会。同じ日の同じ時間帯、同じ公民館にて、町で初めての「開かれた議会」懇談会。

之(これ)を分かっていながら、ぶつけて開いた。後半に、参加議員一人。

町民も少なく、参加者は仁木の半分。何という姑息(こそく)な手段か。

小さな約束を守れない企業が、大きな約束を守れるはずがない。

何を言っても、信じろと言うのが無理。一から十まで信じられない。

このように、キレイごとの説明会。次々と御託(ごたく)を並べられても、心に届かない。

嘘としか聞こえない。上辺(うわべ)を繕(つくろ)っても、 メッキがはがれるだけだ。

ここに、今回配られたパンフレット、関電の社是がある。そこに、

「あたりまえ」を守り、創る

とあり、

公正×誠実×共感×挑戦を大切に、とうたっている。

誰が、これを信じようか。

今回、目の前の、当たり前の約束を破っておいて、守るべき当たり前とは何なのか。

これが、大企業の公正なのか。誠実な姿勢なのか。共感する仕事なのか。何に挑戦するのか。

間違いなく利権に挑戦するのだろう。

このような大義名分を、臆面(おくめん)もなく世間に晒(さら)すこと自体、恥ずかしいと思わないのか!

日本は、「恥を知る」という礼儀節義の国。京阪に居ながら、その心の伝統文化に悖(もと)るではないか。

12月6日、我々は上京して経産省「再生可能エネルギー推進室長」に、仁木・余市の反対署名17,916筆を提出。

関電のこと、仁木のこと、事細かに伝え、それを聞いてくださった。経産省から何らかの勧告があっても良いはず。

あなた方は給料をもらっての仕事だが、町の人たちは、なけなしの金と時間を捨てて、町を守りたい、子孫を守りたいと、命を張って運動している。

それが日本全体を守る事と信じて。

この北海道下(くんだ)りまで来(こ)ずとも、本社のある大阪の中之島の川沿いに100基でも1000基でも、気の済むまで風車を建てたらイイ。

あの京都嵐山の頂に建てて、新たな観光名所にすればイイ。

比叡山の尾根に並べて、延暦寺と競(きそ)わせたらイイ。

人の汚(けが)れた手による千年の古都より、人の手に染まらぬ万年の天然林、そして名もなき自然林こそ国の宝、日本人の魂、私たちは抱いてそれを守る。
 
 「古平・余市」そして「仁木」の関電の計画が、全面撤退、白紙撤回するまで、何処までも、何時までも、反対して行く。阻止して行く。
 
 住民は、覚悟してます。

五、「KANSOテクノス」の驚くべき実態

11月22日から始まり一ヶ月で終了した、あの何百頁にもわたる分厚い「方法書」縦覧。

あれを役場の片隅で、立ち見で読んで、コピーも、写真も禁止。

どう読み込めるのか。HP公開というも、ネットの出来ないお年寄りはどうするのか。

その「方法書」第8章【環境影響評価書】を委託した事業者が「㈱KANSOテクノス」。

何と、関西電力の子会社だったのだ。 既に、出来レースなのだ。

2020年7月22日の中日新聞の記事で、「KANSOテクノスは、あの福井県原発関連の金品授受の問題で不祥事が発覚。発覚した当時、福井県知事は定例会見で「今回のようなことが出てくる限り、立地地域との信頼関係は築けない」と厳しく批判。」

さらに、「2021年にもKANSOテクノスは社員6名が必要な実務経験を積んでいないのに施工管理技士の国家資格を不正に取得していたと発表し、最終的に関西電力グループ全体で197名にまで及んだ。」

こんな賄賂も嘘も、罷(まか)り通っている調査会社の「方法書」を、信用できようか。

いや、そもそも再エネ実現のために、大幅に「再エネ特別措置法」を規制緩和した環境アセスメント自体、信用出来かねる。

庶民素人が検証出来ようもない図表や数値を見て、さも真実紛(まが)いの調査報告に見えるが、都合の良い所だけを切り取っている。

「日本自然保護協会」の役員が、いみじくも宗谷地域のアセスの使い回しを暴露したが、それが真相である。

六、各「産学官」に問う

「北海道環境審査委員会」は、道に依託された学術審査の諮問機関で、「環境基本計画の策定」など環境保全に関する調査審議をする。

主に道内の大学教授たちによって構成されている。中には、知人もおり、委員会に、これまで仁木の現状と反風車の訴えを書面で書き送ったが、全くの梨(なし)の礫(つぶて)、受け取りの返答さえなかった。

この対応に、委員会の体質を見た思いがして、甚(はなは)だ残念であった。

主要なメンバーの恩師は、「その席に汲々とすることなく、真理希求の学徒に恥じぬ公明正大にして清廉潔白なる調査研究を求めたい」と、コメントされていたのが印象深い。

今、世間を騒がしている自民党の裏金問題。

実は、その発端となったのが、神戸学院大学の上脇博之教授の地道なる調査報告だった。

政治団体の収支報告書を丹念に調べ上げ、6000万円に及ぶ不記載を発見し、刑事告発。

そして、忖度なき東京地検の徹底的捜査で立件を望んだ。

正に、たった一人の教授の努力が、派閥崩壊、自民の屋台骨までも揺るがす原動力となった。

昨秋、迫(はざま)俊哉小樽市長が「総意として、是認することはできない」と、鈴木知事に対し、㈱双日の大規模風車発電計画に「ノー」を突きつけた電撃会見。

直後、双日の中止発表。

その切掛けとなったのが、当会学習会でも講演された岡村聡(さとし)北海道教育大学名誉教授らの、自らの足で歩いた地道な調査結果だった。

あの豊浜トンネル崩落事故と同じ脆弱な地盤と、有害重金属が含有する地質。

「土砂崩れがいつ何時でも起こり得る危険性がある」と、強く警告を発せられた。

それが、今回の仁木町が外された間接的訴えにもなった。

審議委員会においても、多くの大学関係者が居られるのに拘わらず、何故その周到なる踏査が無いのか、発表が無いのか。

国策に追従容認するだけの諮問機関に疑義を呈したい。須(すべか)らく産学官ともに、襟を正すべき大事ではなかろうか。

七、「保安林解除」は隣町の合意が必要

町の将来、住民の安寧を考えるべき首長。

何事も、慎重かつ丁寧に、思慮分別して事の決定に至るべきが、重職を付託された長の責であり、任である。

「古平・仁木・余市ウィンドファーム」事業が、未だ公然としない令和4年の8月。

北海道鈴木知事に対し、「計画段階環境配慮書に係る意見について(回答)」で、以下「令和4年(2022年)6月2日付け環境第317号で照会のあったことについて、意見なしの旨回答いたします」との一行文の回答をした、成田昭彦古平町長。

これにより、既に設置されている「生活クラブ」所有の歌棄地区風車4基に連続させるのは容易である。

ブレードや資材運搬、工事車両の通行など好都合にして安価につく絶好の条件適地はない。

かく保安林解除も時の問題と思われた矢先、令和5年3月9日の古平町議会において、真貝(しんかい)政昭議員が、「この狭い古平の行政区域の稜線に沿って、さらに奥深く道路が開拓されて、巨大な風車を建てるために、広域にまたがる保安林の解除が問題」との指摘があった。

さらに、「当丸峠を越えて神恵内に通じる998号線が切り開かれた地滑り地帯。平成22(2010)年にこの地域の奥でゲリラ豪雨があって、古平川が氾濫した。

気候変動の急変で、いつ起きてもおかしくない時代に入った。古平川はチョッとした変化で急変する。川の氾濫は漁業にも影響する。

また、大量の土砂が掘削される、残土処理の問題もある。トンネル工事で不適土という同じ土。

どこに始末されるのか。町民にすれば命と財産に関わる問題がこの保安林の解除によって出てくるのではないかという懸念がある。」と質問した。

成田昭彦町長は、「まずもって今、関西電力で計画している場所は、保安林を解除しなければならない問題がある。

それには、今3町にまたがるわけで、その3町長の同意が必要でございます。余市、仁木と一緒に考えながら、どういう形がいいのか、考えていかなければならない。‥‥‥」と、これに答えた。

仁木が関電のウィンドファーム事業から抜けた今、古平・余市両町長が「保安林解除」をしないことを強く求めたい。

事態が急変している昨今、安直なる解除声明により、末代まで迂愚(うぐ)の判断を揶揄(やゆ)され、責を問われぬよう慎まれたい。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。