【車の心】0‐1テストに導かれて

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

記念すべき体験

2月6日、それは思いかけず、起こった。

機械音痴、車、あまり好きでない、私にとってメカは大の苦手なのだ。出来れば、触りたくないし、避けて通りたい領域なのだ。

だが、これは自然の必然で、雪が降る、雪が積もる。当然、除雪をせねば、大変なことになる。

どこの家でも除雪は当たり前で、外目は北海道の風物詩であるが、現実はかなりきつい重労働だ。

それも、ビニールハウスや納屋周りと通路が加わるので、範囲はもっと拡がりha(ヘクタール)単位、半端でなくなる。

納屋と薪小屋の間は双方から落ちた雪が納屋の屋根近くまで堆(うずたか)くセリ上がって、納屋のテントが破れそうになる。

息子に、「父さん、あそこを早くやらないとヤバイよ」と言われていた。

一時も待てない。意を決して、45馬力トラクターのパワーショベルでその間の雪山を切り崩しているその瞬間、思いっきり屋根の積雪が雪崩(なだれ)のように滑り落ちてきた。タッチの差でニュースになる所だった。

何故か、うまく動かない

そして慣れないトラクターを毎日動かすのであるが、その毎日毎度が同じでなく、必ず何かが起こる、予期せぬアクシデントが起こるのだ。

息子は旭川に引っ越し、池田君の畑の仕事始めが、まだ始まっていない。誰にも頼めないし、頼れない。

今までは、大方、息子が除雪してくれていた。

転居前に1年間かけ、私と池田さんに除雪機を始め、多くの農器具の操作と、器具付属品(アタッチメント)の脱着・設定など一通りのことは教えて行ってくれたが、いざ現場に立ってみると、何もかもすべて忘却の彼方にあった。

やはり、何事も人任せでは、身に付かない。

一一(いちいち)、一一、初体験である。この自分しかいないのだ。

神様は、毎度毎度、新しいこと新しいことで試練というか、テストを与えてくれる。

車の免許を取ったら、誰彼、車の構造に無知でも、どうにか毎日難なく車を動かせるものなのだが……。

どっこい、農機具はそう簡単に問屋は卸してくれないのだ。

「何故だ!?昨日やってうまく出来たのに、今日は何故動かない?」

そんなのばっかりである。厳寒と大雪の冬は、なおさらだ。

さらに、岡山と兵庫と秋田に一週間近くも出張して帰って来たら、恐ろしいことになっていた。

家内との脱出劇

大雪も大雪、手の付けられない雪の山。トラクターの入っているホワイトハウスの戸が凍り付いて開かないのだ。

力任せに抉(こ)じ開けたら、取っ手が千切(ちぎ)れてしまった。

太い杵(きね)で叩いて何とかして開けた。(後で息子に、そういう時は、お湯で溶かして不凍液をかけておけばいいと半ば叱られた)

ようやくスノーブロワを装着した25馬力のトラクターを出して除雪を始めたまでは良かったが、いとも簡単に泥濘(ぬか)ってしまった。これには往生した。

それで止む無く45馬力を出動させて、牽引するしかなかった。しかし、誰もいない。居るのは家内だけだ。

オートマは乗るがマニュアルは乗れない。ましてやデカいトラクターなど一度も乗ったことはない!

向こうも怖いが、こちらも怖い。彼女は「恐ろしい!」とばかり、尻込みする。

「しかし、あんたしかいない!!」無理くり乗せて、クラッチを離すだけで良いからと宥(なだ)める。彼女を信頼して、任すしかなかった。

覚悟は決まったようだ。「さぁ、離して、ふかして」。何と、それがどうにか成ったのだ。

恐る恐る動かして、脱出劇は、見事、成功したのだった。「すごい!!」夫婦して達成感、満杯だった。

困惑するスノーブロワ

最近とみに、エンジン付近が、ガタガタいう。何だろう。そのうち、除雪用スノーブロワが、どうも調子悪い。

後ろにそれを装備して後走(バック)しながら雪を飛ばすのだ。

どうも、ジョイント辺りが無理に動いているように見える。どうすればよいか。

長く動かすと、どうもそこが緩んで来て、ジョイントに角度が付いたのでは。

それでトップリングを締め上げると、全体の角度が平行に是正されて来た。ああ、こういうメカニズムなんだ。

プロ農家にとって当たり前の真ん中なのだが、ズブの素人にとって、それらの一つ一つを観察して実際をやってみなければならぬ学習を、遅まきながら今している訳である。こんなのばかりで、戸惑いの連続なのだ。

運転に慣れて来たはずの45馬力のトラクター。厳寒の朝、どうしてもエンジンがかからない。どうしたことか。息子に電話で尋ねた。

そうすると見てないのに、「クラッチの踏み込みが足らない」の一言。「そんな、馬鹿な?」それで敢えて強く踏むと、途端にエンジンがかかった。俄然、息子が偉く思えた……。

雪山に乗り上げ

その日、ハウス周りの除雪をすること2日目。直線は、どうにか出来るのだが、90度の直角には、雪山が邪魔してなかなか方向転換出来ないものだ、それで、周りを広く取って、角を切り返す。

1・5mもの積雪を飛ばすから、当然無理がかかる。ブロワを一番底にして走ると、進まなくなる。

一度上げて、上の雪を掻き分け、二度目に底の雪を飛ばす。

その帰り、後走でなく正走でも雪は案外飛んできれいになる。ところが、それがうまく行かず、乗り上げてしまったのだ。

トラクターの腹が完全に残雪に乗り上げた格好だった。ブロワを上げて後走するが進まない。

前進するも何故か後輪の大タイヤが回らず、前輪の小タイヤのみ空回りしている。

もう陽(ひ)はとっぷり暮れて辺りは暗い。呼べる助けはいない。畑の真ん中で、身動きが取れない。さて、困った。

45馬力で牽引するにも、今度は下場も泥濘(ぬか)って、却って身動きとれなくなる。どうしよう。エンジンを吹かしても、車体が沈むだけでどうにもならない。

トラクターと一心一体になる

その時、微かに前輪が雪を咬(か)み始めた。手応えがある。後進は見込みない。出来る手は、前しかない。ところが恐ろしいことが起こった。

車体の傾きが酷(ひど)いことになった。体感では45度以上、このままでは横転間違いない。トラクターの横転事故は意外に多いのだ。

これが死亡事故にも繋がることは、聞いていた。しかし、すでに選択の余地がない。

頼るに人なく事を処すには、これしかない。イチかバチかを決めた。だんだん傾きがきつくなり、「危ない、ヤバー!!」その時、「死なば、もろとも!」と、トラクターと共に倒れるのを覚悟した。

その一瞬、トラクターとピタリ一体になった。心が重なり合ったのだ。

「ギ、ギッ、ギッッツ」と、進むに逆らわず、何と傾く方向にハンドルを任せていた。身も心も傾きに任せていたのだ。

その僅かの距離で、着地して傾きが直ったのだ。その時、「ア、アッ、これは奇跡だ」と思わずにはいられなかった。

よく機械にも心をかけて、と言われる。が、自分にとってそれは観念であって、実際にはなかなか分かっていなかった。

車に心

「死なば、もろとも」と、思えた瞬間、トラクターに心があることを直感した。如実に心の世界が観えた!!

それから嬉しくて嬉しくて、ウキウキしながら家路についた。何か、初めて心の友を得たような不思議な体験だった。

それ以後、トラクターに対する私の目が変わった。まるで生き物を見るような思いでいるのだ。不思議だ。

まさに、物性にも、佛性があるのだ。佛の心である。

すべては、一元なのだろう。同じところから来て、同じところに帰るのだろう。

自分の細胞の一つ一つも、物の分子原子の一つ一つも素性は同じなんだろう。

人類の遺伝子DNA、99・9%は隣人も同じだという。そして驚くべきは他の生き物、チンパンジーは96%、猫は90%、ミバエは61%、バナナでさえ60%、人と同じである。

何者も人との相違は、0・01%前後でしかない。人体のミネラルも金属元素である。つまり、ほとんど同じ、同素材、同次元なのだ。だから、通じ合えない訳はないのだ。なるほど。

池田尚樹くん

次の日、池田君の今季初めての出勤だった。

陸別がマイナス31・8度、何もかも凍(こご)え上がった大寒波の日。朝、池田君が、苗作りのハウスの除雪の為、40年も前の自走式除雪機を始動させた。

しばらくして、金属のWエンジンベルトが緩(ゆる)み外れてどうにも嵌(はま)らない。

どこの整備屋さんも3連休で電話に出ない。どうするのか。しかし、彼はあれこれ、工夫と創意で何とか、直し切ったのだ(だが、ベルト位置が違い、後で切れてしまうのだが)。

その時、音楽が鳴っていた。彼が持ち歩いて聞いている。どこかで聞いたことがある。

何とそれは、乃木坂46の『シンクロニシティ』だった。何故、私が知っているか?

不思議でしょう。実は講演にも使わせてもらっていた。

すべては、繋がっていて、生きとし生けるものは一体であるという集合無意識、如来蔵性、華厳思想の難しい東洋哲学を、現代の女の子たちがこうも優しく歌っているのだ。

 ………
みんなが信じてない この世の中も
思ってるより 愛に溢れてるよ

近づいて「どうしたの?」と聞いて来ないけど
世界中の人が 誰かのことを思い浮かべ
遠くの幸せ願う シンクロニシティ

だから 一人では一人では負けそうな
突然やって来る悲しみさえ
一緒に泣く誰かがいて
乗り越えられるんだ
ずっと お互いにお互いに思いやれば
いつしか心は一つになる……

( 乃木坂46 「シンクロニシティ」 ? Sony/ATV Music Publishing LLC  作詞: 秋元康、作曲:シライシ紗トリ)

彼は、これを聞きながら、極寒の中、諦めないで修理をしていた。みんな何気なく使っている「共時性(シンクロ)」。

いつでも、どこでも、だれでも、時を同じに……。

思いは深い。

続く困難

さて、一件落着と思いきや、またもや、無意識の問屋は簡単に卸してくれなかった。とにかくご難続き。しかも、苦手な機械不備なのだ。

機械整備こそ、安全の母、延命の父なのだ。

この歳になって、初めてオイル交換。それも初めて知るエンジン、ミッション、フロントと三種三様のオイルと容量。

車体の下に潜りながら、ドレインプラグを探し、緩め、古いオイルを吐き出す。

こんな当たり前の作業でも、何だか、農業篇「下町ロケット」、佃(つくだ)製作所の熱烈工員になった気分になる。

NHK朝ドラで、今「まんぷく」が放映されている。

安藤百福(ももふく)夫婦の即席ラーメン誕生顛末記を描いているが、百福翁がこういうことを言い遺している。

「人生に遅すぎるということはない。私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも、新たな挑戦はある。」

成程、遅くはないんだ。物作りを今まで色々してきたが、そういえば、エリクサーを作ったのは48歳の頃だったなー。

あれから20年、またまた新しい課題と挑戦である。

ド素人の0からの出発

就農には、気の毒に遅過ぎたと誰彼に言われて来たが、こうやって、毎日乗るだけだったトラクターの一つ一つの部品を整備して行くと、遅まきながら僅(わず)かながら車のメカニズムが成程と理解され、手を掛けただけ染めただけトラクターが段々愛おしくなるから不思議だ。

何よりも作り上げた先人の苦労は如何(いか)ばかりか。その工夫と精進。その感動のリレーに敬意の念を抱かざるを得なかった。

人生再出発。鼻の頭と頬(ほお)を油で黒くさせながら、ド素人はド素人なりの一歩を歩まねばならない。

歳でも、歳相応の判断も技術もある訳ではない。まさに機械においても0(ゼロ)からの出発(スタート)である。

整備工場の兄(アン)ちゃんが来て、「チャンと整備養生しなければいけないよ」と、息子のような孫のような子に叱られ諭(さと)されているのだ。

「ハイ!」と素直に返事して、頭を下げる。何とも、笑われるような光景だが、これが、さらけ出した私の今の現実なのだ。

ここから、一日一歩、三日で三歩、二歩下がってまた一歩。

幼き日の記憶

そうこうして2、3日レンチを持ちドライバーを握り、ボルトを締め、グリスを塗って、夢中になって行くと、何というか手が勝手に動き出して行く感覚なのだ。

「何だろう、これは?」

「エエッ、アッそうか。これは、子供の日の自分だ!」

ということが突如、思い出されたのだ。

機械が苦手でない、寧(むし)ろ得意な自分が、ここに居たのだ。よく手の先器用って言われていた幼き日が蘇ってきたのだ。すっかり忘れていた。

半田鏝(はんだごて)片手に、プラモデル作りに夢中になり、ラジコンエンジン機に夢中になり、鉱石ラジオに夢中になり、そうだ「子供の科学」って雑誌取っていたなー。

小学生以来、ピッタリ止んでしまった工学系統はスッカリ鳴りを潜(ひそ)めて、文学系に傾倒したっけ。

小学生の一番の夢は、勉強部屋に実験室が在り、毎日フラスコや試験管を振っている姿だった。

とても想像外だったが、そういえば20年前、野幌の道立食品加工研究センターで毎日一年間、白衣を着て試験管振っていたな。

それが思わぬ結果、エリクサー水から凝乳酵素ペニバチルスを発見出来たこと、見えない糸で繋がれていたかもしれない。それで国際特許を取得できた。

その時、「アッツ!これは、幼き日の夢を実現して行っているんだ、僕の人生は!!」と気付いたのだった。

もしかして、今農業をやっているのは、幼き日の延長を今実現しているのかもしれない。

今日も農機具メーカー屋さんが修理に来て、一緒になって、先に手を動かしている考えられない別な自分がいる。こんな自分今までなかったよなー。

新しい自分でなくて、もしかして元の自分なのかもしれない、と。自分の中に隠された自分がいたことに驚いているのだ。

母の死が契機

今、新しい素材の製品りに挑戦している。ちょっと考えられない取り合わせ、コラボなのだ。

最先端の金属工学、冶金(やきん)業の最高峰の方と組んでいる。このご縁も一寸考えられないお導きなのだ。

科学的知識の全くない私が、どうしてこういうことになったのか。

ある特殊金属とエリクサーセラミックスの融合による新素材創生を試みているのだ。

原子や元素の話はチンプンカンプンで、全く話の俎上(そじょう)に載らないはずなのだが、どうしてこうなっちゃっているのか。

そして、そこでまたまた思い出したのが、少年時代だ。

それは、今とは裏腹の物理学大好き少年だったことだ。

小学校5、6年生の頃、中間子理論の湯川秀樹博士に憧れて、原子物理学に夢中になり、周期律表や原子の本にのめり込んだ。

好きもの同士の友とは話しが止まない。札幌の丸善まで出かけては「ガモフ全集」を求めたほどだった。ところが、それもピタリと止んだのだった。

今考えると、あれもこれも中学二年生で亡くなった母の死が契機になって、科学志向が消えて、目に見えない精神世界に著しく方向転換していった所為(せい)ではなかったか、と思う。

何故か、勉強意欲が無くなっていた。あれほど、原子物理の話が好きだったのが、その日を境にパタリと止んだ。

ところが今、Fe(鉄)とかTi(チタン)とかSi(シリカ)とか、再びと触(さわ)りだしているのだ。何がどうなっているのか、分からない。

今度は周期律表元素の噂話(うわさばなし)でなくて、その先端の現場に立たされている訳だ。

「この元素を用いるか否か、どれほどの量を入れればいいのか?」その渦中(かちゅう)にいる。今更、一からの学習ではなかろう。

それは、純粋に物の真相を知りたいと願っていた子供の心に帰ることで、案外容易に出来るのかもしれない。

0‐1テストに導かれて

自分を縛っている封印を解く。

そこに、導いてくれるのが、0‐1テストだったのだ。0(ゼロ)とは、0(レイ)、無になる私。

1(ワン)とは、一者万物と一体なるワンネスの宇宙、単刀直入にそれそのものになり切れる世界なのだ。

百姓になって、次から次へと新事実にぶち合たって、驚きの連続、開眼の毎日なのが、正直な今の自分だ。

そして、その自分は、机上でなく、地べたに這(は)っている自分なのだ。

何がどうなっているのか、どう説明していいのか、分からない。

だが、仁木に来たことで、自分の中で革命が起きていることだけは、確かなのだ。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。