エコトイレと下水処理複合発酵技術【臭(くさ)くして香(かぐわ)しきはなし】

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

まえおき

33歳で自然食の道に入り、65歳で農業の道に入った。

今年、3年目。この間、34年もの歳月が逝(い)ってしまった。

徒(いたずら)に過ぎたのか、実りあって過ぎたのか、これからが問われる。だが、その間、人は体験しないことの他は、分からないということが、分かったのかもしれない。

この当たり前過ぎる気付きに、土を踏み、植物に触れ、遅まきながら気付かせてもらった。

今なお、烏滸(おこ)がましくも、「農業をやってます」と、胸を張って言えるほどの自信は、まだまだと言った所だ。

毎日が戸惑いの連続で、しかも悔しいかな、思いの外、体力が付いて行かない。

この仁木余市あたりでも、私は平均就農者の年格好(かっこう)で、村の古老どころか、生涯新参者(しんざんもの)で終わりそうだ。

さて、うんこ

一体ここで何が出来るのか。この田舎に暮らして、初めて身に染みて悟ったことがある。

それは、人の糞尿の始末のこと。これが、あらゆる問題の引き金になっている、という気付きだ。

便利な都会生活、国中張り巡らされた上下水道のインフラに誰もが目隠しされている。

実は、この一事が有耶無耶(うやむや)になって、近代現代に抱える世界の行き詰まりにまで、問題を大きくしたのだ。

つまり、人も国も、糞詰まり!!状態なのだ。図式は、甚だ簡単。

つまり、自分で出したものは、自分に入れよ。(ウゥン、どういうこと?)

自分の体内から出た糞尿は死骸(しがい)でなく、自分の生き甲斐(がい)なのだ。

活きて行く資材であり、自分を育てる肥(こや)しでもあったのだ。

もっといえば、ウンコとは一心同体。命共同体なのだ。つまり、循環である。サークル、輪の輪なのだ。

濁りから清きへ

維新前、江戸時代までは、肥溜(こえだ)めで家族の出し物をしばらく寝かせて、そっくり畑にお返しして作物を育て、それをまた家族がありがたくも戴いていた。

この都市と田舎を繋ぐ肥桶(こえおけ)回収システムは、win – winの関係で両者にとって経済に健康に貢献していたこの上なきもの。

勿体なくも、金色のお宝。黄金の成る木。いやいや我が身は、金を生む自動製造装置だったのだ。

そんな前近代的な、時代を後ろ向きに進んでは、発展がないではないか、と言う勿れ。

時代が太古に遡(さかのぼ)ろうが、未来のAi世界に突き進もうが、黄金世界はあなたについて回るのだ。

これを生かすか殺すかは、まさにあなた次第なのだ。

口角泡を飛ばして、地球環境をどうしようかこうしようかと喧々諤々(けんけんがくがく)と議論しても、自分の身一つの始末を、一向に付けられなくては、正に放屁のようなものである。

この田舎でさえ、なかなか手が付けられないでいるから、ましてや、都会では夢物語にも似ている。

蓮は、泥から咲く。あの純一清廉な白い華は、黒々とした泥田(どろた)の中であるからこそ開く。

美しい夢は、汚い泥の闇から花開く。糞尿こそ、人類の華と知るべし!

ぼっとんトイレ騒動から

「ぼっとんトイレ」は、なかなか大変である。

先日もどういう訳か、大雨になると、汲(く)み取りしたばかりのトイレの中が急に盛り上がり溢れそうになったので、急遽電話して来てもらう。

でもそれが、何日か後なのだ。誠に焦ること頻(しき)り。換気扇のパイプが微妙に外れて、そこから浸水したらしい。それで換気が効かなくなり、流石(さすが)に近寄りたくないのだ。

のっけから臭い話で、甚だ申し訳ない事だが臭い物には蓋(ふた)をして……と、避けるのではなく、自分の出し物には他人事ではなく責任をもって、ちゃんと向き合わねばならない。

私は、チャンと向き合うこと真面目に毎日……用を足しているのである(ウッ・フン)。

こんな話、札幌の店で働いていたら、到底、話の卓袱台(ちゃぶだい)にも上らなかったはずだ。

それだけでも、この仁木の田舎に来た甲斐がある(エッ・ヘン)。

いや、大ありで、それが先に書いた体験しなければ、物事は分からないということでもある。

とんだ、ウンチクに富(と)んだ問題だが、これが現代人の抱える問題の始まりであり、終わりではなかろうかと思った次第である。

先回書いた『リンと再生』の下水汚泥処理問題の指摘でもあった。

リン資源が枯渇状態の危機に世界が陥っている【―リン危機から、大地再生へ―】

迫りくるリン消滅とリン再生は、これから人類の抱える行く末の大問題で、今の我々が取り組まねば、後生(ごしょう)に続く子供たちは、どう生き延びるのか。

まさに可愛(かわい)い子孫の死活問題である。

古今のトイレ

若い頃、寺で侍(はべ)っていた故橋本凝胤長老から拝聴した一話(いちわ)。あの『西遊記』でお馴染(なじ)みの天竺から唐に佛典経蔵を運んだ玄奘三蔵。

その尊師を慕って、印度を目指しシルクロードを独り旅されていた頃のこと。

矢庭(やにわ)に、憲兵に捕まって投獄の身。塩抜きの食事で体が透明になってしまわれた。

さて、排便の段になり、締(し)め括(くく)りのあれは、張られた縄の上をみなで跨(またが)って拭(ふい)てお終(しま)いと言う態(てい)。

あんぐり、口を開けて聴いてしまったが、実際、私も内モンゴルに旅したみぎわに、開放された粗末な野立てのトイレには、前も横も境がない、扉もない、仕切りもない、しかも男女の区別もないの、無い無い尽(づ)くし。

さすが、息が詰まって出来ず仕舞い。野っ原で用を足したが、女性は戸惑うばかりでどうしたものか。

だが、この風習は、何千何万年来、当地の人にとって極々(ごくごく)当たり前のことで、世界辺境の地でも同様古い歴史がある訳だ。

ピッカピッカの光るトイレは、戦後のここ数年のこと、これこそ異常事態なのだ。当たり前と思ってはならない。

日本人の奇麗好き、清潔好きは夙(つと)に有名であるが、この潔癖症が嵩(こう)じて、殺菌剤・防腐剤塗れで、腸内環境はズタズタにされ過敏反応(アレルギー)・皮膚病(アトピー)が蔓延(まんえん)した。

元より、我々は己(おの)が糞便に瞼(まぶた)を塞(ふさ)いだ。自分の糞尿は、不潔で嫌(いや)な物、汚い物、見たくない物と切り捨て御免(ごめん)。

我が分身の愛すべき物ではなくなってしまったのだ。かつては金の宝物も、今では溝(どぶ)にぞ捨つる我楽多(がらくた)。

もっと我が事として身に引き付け、これをどうにかするか、親身になって考えて欲しい!!

エコトイレと下水処理複合発酵技術

身近には、坂本純科代表の余市エコ・ビレッジにおけるECOトイレの導入と実験に思いを馳せ、いつか導入して畑に撒きたいと願うものの、この築50年以上の老朽宅には、まだまだと思いながら先延ばしになっている。

このバイオトイレComposting toilet (コンポスティング トイレ)の屎尿(しにょう)発酵システムのアイディアと応用は、上下水道の設備の無い地域で世界中に拡がっている。

原理は単純明快で、人間の腸内には嫌気性細菌(バクテリア)が生息し、発酵分解により消化吸収を助けている。

その結果、分解されずに排出されるのが大便。それを、完全に発酵分解するのは自然界に生息する好気性細菌(バクテリア)で、土中に広く分布する。

この好気性細菌(バクテリア)の発酵分解には、水分・酸素・温度のバランスが重要で、水分の多い状態では分解力が低下し、悪臭発生の元になる。

そこで屎尿を分離、おがくず等を投入して菌床とし、糞と攪拌して好気性細菌(バクテリア)を活発化させ、低温低速分解して堆肥化させる。

残渣(ざんさ)としての窒素、リン酸、カリウムなどが、肥料として畑に還元できるのだ。

省エネルギー、生ゴミの減量化と再資源化にある生ごみ処理機あ(コンポスター)と理屈は同じである。

まほろばでは、都会でこの尿だけでも資源化、特にリン回収出来ないかと目論(もくろ)んでいる。

だが、バイオトイレの多くは地域活用で、インフラの整った都市型として実施は難しい。

ところが、さらに微生物群の分解発酵力で地域の下水処理施設で活用し発展させた成功例がある。

汚泥の消失減量化、無臭無毒化を促進し、その処理水で周辺の農家・酪農家の化学資材、抗生剤などの使用が抑制されている。

光合成細菌・乳酸菌は元より自然界の多種多様な好気・嫌気・日和見(ひよりみ)菌全体を生命体として共存共生させて複合的に発酵・増殖し、フザリウムなどの腐敗菌の発生を抑える。

のみならず、田畑や周囲の住環境を飛躍的に改善させるものだ。

この地球創生と生命還元に基(もとず)く再生原理はさらに、海洋汚染から放射能汚染までも無害化しようとする0(ゼロ)場に帰す画期的なシステムでもある。

だが、今日まで何件かの下水汚泥施設の処理サンプルを、実際に戴き、0―1テストをしたが、悉くマイナス反応であった。

現代人の腸内環境の悪さ、化学物質の残留など大いに考えられるが、作業工程の問題や微生物の選定なども挙げられよう。

大局として目指すところは同意するも、細部に亘る方法論や資材選定など、より良い条件を設定する配慮や実験やチェック機能が必要であろう。

極力、人為を避け、最低限の人力資材で、後は自然に委(ゆだ)ね、成り行きに任せるようにすべきと思う。

いずれにせよ、日本の各地には、既に大地再生を目指して奮闘されている研究者や生産者、下水処理施設で汚泥の再生利用に取り組む自治体の先駆けが居られて頼もしい限りである。

前途に希望の灯が見えよう。

この情報を提供して頂いた大阪泉南の造園家・甲田和恵さんは(ご主人の貴也氏による講演会が、まほろばで8月5日に開かれる。別紙参照 http://studiobearbird.com/)、

「微生物の力を借りてエントロピーをエネルギー化する技術、それは地球誕生、生命始まりの環境と重なるものを感じます。日本人と菌との関係は密接で無から有を産み、陰を陽に、陽を陰へと変える叡智を潜在的に持っているのかもしれません。

日本は、底無しの沼にはまっているようで悲しくなります。自らの生活にさえも道に違いはないかとの問い続けは、削ぎ落としの日々です。……」

一燈の光を集めて

皆さんの真剣な眼差しと、真摯な生き方に、感銘する。

知らない所に、知らない友が、同じ目線、同じ歩幅で動いている同志が居る。何と心強い事か。学ぶことも多く、発することも多い。

『照于一隅 此則國寶/一隅を照らすは、これ則ち国の宝なり』

僅かな一燈の光も、燈々(とうとう)集めれば、闇夜の難破船を照らす燈台ともなろう。

絶望しか先の無い、暗黒のこの現実世界。これを変えるのは、超克するのは、多くなくてもいい、広くなくてもいい、鋭くも遠くを見据(みす)えた眼力、丹力、志力、そして死力なのだ。

広くとも浅い意識では、遠くには届かない。一点集中。地深くに掘り進めよ。それは遠くに飛翔する。

今、そのエナジー、そのエンライトメントが要るのだ。

インフラ整備がなければ、生きられぬ都会生活。抜け出したくとも抜け出せぬ社会構造。糞尿の我が始末さえ出来かねぬ人間の無力、非力。

経済で自立するも、自然を前に独り自ら立てない。

現代は分断された輪切りの中、人は切り離された一齣(ひとこま)でしかない。

循環生活を絶たれた我々に、永続と言う未来はないのだ。

若者よ

若者よ、土に帰れ。

あるべき土にこそ、あなたの塒(ねぐら)がある。

そこは、真理の宝庫。宇宙の学舎(まなびや)。

自らを耕し、自らを育て、自らを刈り取る、自らという大地。

あなたは、大地なのだ。私という大地なのだ。大地として全(まっ)たかれ。

始めもなく終りもなき巡(めぐ)る輪の自分。

出口も入口も一緒であった自分。

若者よ、農に還(かえ)れ。

あなたは人という名の作物。

それは、自然という名の母によって種を下(お)ろされ、懇(ねんご)ろに育(はぐく)まれ、刈り積まれ、そして、母の胸元に、懐(いだ)き抱(かか)えられるのだ。

やがて、その収穫物は、天上の蔵(くら)に収められるだろう。

その歓びの晩秋は、間もなく、あなたの前に訪れる。

その時、気付く。

あなたは、あなたと何時も一緒だった母と居たことに………

そして、今、あなたを、激しくも優しく揺(ゆ)り動かしている母を、まざまざと、心眼(め)を開けて観(み)よ!

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。