リン資源が枯渇状態の危機に世界が陥っている【―リン危機から、大地再生へ―】

シェアする

札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

一、ヒ素中毒被害

「地獄への道は、善意で敷き詰められている」

とは、彼(か)のK・マルクスが語った英(イギリス)・独国(ドイツ)の諺(ことわざ)であるが、それが現実のものとなって、ある悲劇が起こった。

それが、バングラデシュで広がった飲料水によるヒ素中毒の公害であった。

それは、30年ほど前に遡る。

生活水に不自由をしていた貧しいバングラデシュを救済すべく、日本を初め世界各国のボランティアが立ち上がり、井戸掘りや給水場設置の善意の輪が広まった。

ところが、その飲料水は、ヒマラヤ山脈を源にもつ伏流水で、何とヒ素が含有されていたのだ。(1987年になって、初めて検出されたという)

図らずも多くの善意の結果が、現地の人々には、問題を明らかにしたが、解決にはならず、むしろさらに地獄の苦しみを与え続けることになってしまった。

皮膚病やガン患者が急増しているにも拘(かか)わらず、未だ1900万人の民衆が汚染水を飲まざるを得ない状況にあって、国際上の大問題となった。

これは中国、タイ、インドなど東アジアにおける地下水も同様の難題を抱えていた。

この対策に躍起となって様々な善後策が施されたが、今以て抜本的に解決されていない現状である。

この事実をお知らせ下さったのが、北海道大学・大学院地球環境科学院・久保木芳徳名誉教授である。

バングラデシュの大学院生と共に研究室で、この解決策に余念なき日々を送られておられる。

また、歯学博士であられることからインプラントのチタンが骨と結合する原理を世界に先駆けて発表し、さらにアパタイト研究の第一人者、国際的権威で、この成果が縁を繋いだ。

まほろばでも、エリクサー浄活水器を開発製造して来た経緯から協力させて頂き、何とかバングラデシュ支援が叶わないものかと模索した。

ところが、その矢先のことである。

二、リン資源、枯渇危機

その一国の被害以上に、世界的に今、大変な問題が起こっていた。

それが耳慣れない「リン危機」である。

詳しくは、「リン資源が枯渇状態の危機に世界が陥(おちい)っている」という、寝耳に水の大(ビッグ)ニュースであった。

それをも、お知らせ頂いたのが久保木博士。

太古に海洋性の光合成微生物であった「珪藻(けいそう)」が作り出す顆粒状のポリリン酸。

それが、カルシウムアパタイトとなり、何億年をかけてリン鉱石が形成されるため、先生のアパタイト研究とは切っても切れない身近な対象物であった。

しかも、生命体はヒ素AsをリンPと間違って細胞内に取り込んでしまうほど、両者は同じ元素周期律表15A族に入る半金属・非金属元素であり、化学的に同じ性質を持っていた。

その偶然の共時性が、よりリンに強い関心を抱かせたのだ。

この問題提起に初め戸惑ったが、聴くにその内容は実に深刻であった。

それもそのはず、社会的にほとんど知らされていない情報で、しかも人類存続危機の緊急課題でもあるからだ。

バングラデシュ側の受け入れが難航している状況を前に、差し迫った国内外の、より地球規模の危機感に、意識がリン問題に転換して行ったのは言うまでもない。

三、リンの「光を運ぶもの」、ATPの「いのちの目印」

窒素、リン酸、カリは、作物の必須にして主要な三大栄養素であり、リンは、その中の一つに過ぎないという認識でしかなかった。

人間にとって最重要な遺伝子情報DNA(デオキシリボ核酸)は、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)、水素(H)そしてリン(P)の五元素で構成されている。

このC、N、O、Hは大気と水の主成分で無尽蔵に存在しているが、P(リン)のみがほとんど大気中に存在せず、地中に在って有限なのだ。

だが、DNA合成には、リンは絶対不可欠であった。

リンは、ギリシア語で「光を運ぶもの」の意味であり、生物のエネルギー源ともいえるアデノシン三リン酸ATPは、「イノチの目印」と呼ばれている。

体内で数gのATPが約10秒間に一度の頻度で合成と分解を繰り返し、何と一日にして体重と同じほどの重量に達するというから驚く。

そのダイナミックな生化学反応こそ、イノチが生きているそのものの姿、実態なのだ。

それを動かす原動力こそリンであり、その基本物質だった訳だ。

四、「生命のボトルネック」と「最少量の法則」

米国の作家で生化学者でもあったアイザック・アシモフは「リンが、やがて地球の生物量を制限する」と予言した。

生物の生体中、主元素の中で最も濃縮されている元素がリンであることを突き止めて「生命のボトルネック」、つまり「イノチの首根っこ」と称したのだ。

さらに、独国のJ・リービッヒは、植物の生育を支配するのは、最少量の養分であり、他の養分をいかに多く与えても償(つぐな)えないという最少量の法則「最少律」を提唱した。

土壌に肥料としてリン酸が僅かしか施されないと、窒素(N)やカリウム(K)などの他の必須養分が十二分に与えられても、生産収量はリン酸量で制限され支配される。

そして、リン酸を増加させると、収量もこれに比例して増加することを突き止めたのだ。

成人一人が摂取するリン必要量は一日1g。日本の人口1.2億人ならば毎年約4.4万tが必要。

世界人口は68億人居るので、年間約175万tが必要となる。摂取量と排泄量は、ほぼ同じである。

世界のリン鉱石総採掘量が約1.4億t。そのリン含有量が13%で、0.2億t。

陸から海に捨てている量が約0.2億tでほぼ同量となる。つまり、採った分はそのまま海に廃棄している格好だ。

10億年から200万年前に形成された海洋中の生物の死骸の堆積物、地下のマグマによる火成岩質、そして南太平洋上での鳥達の糞や遺骸からなるこれらリン資源が、ここ200年の内に、地上から根こそぎ削られて消失されようとしている。

五、「エコ・リュックサック」とTMR

例えば、カレーライスを食べようとする。その素材を観てみよう。

各国のスパイス各種と牛肉。国産の玉葱、ジャガイモ、人参。そして米に小麦。そのリン施肥量(スパイス・小麦を除く)を計算すると約7.2gだが、鉱石に換算すると55gも必要となる。玉葱と同量を消費している。

だが、物事はそれほど単純ではない。

さらに、採掘するということは、リン鉱石のみではない。つまり、環境破壊が付きまとうのだ。

倒木し、表土を剥(は)いで露天掘りする。リンを精錬するための選鉱は、はく土(ど)や脈石(みゃくせき)の廃棄物が出る。

この環境への負荷と出る物質量を「エコロジカル・リュックサック」と呼ぶ。

その製造廃棄までの測定法が、関与物質総量Total Material RequirementすなわちTMRだ。

リンを1t得ようとすると、何と6.6tもの鉱石や他の物質を動かさねばならないのだ。

たった1皿のカレーライス。そこには、約110gの隠れた物質、即ちフロー量が必要だった。

これは、リンのみの話ではない。あらゆる目に見える物質の陰には、計り知れないエネルギーが費やされている。

簡単便利の現代社会の外に裏に押し遣られた、第三世界の虐(しいた)げられた国々に、この困難と犠牲のツケが付いて回っていたのだ。

六、リンはどこから摂取?

リンを、人は、果たしてどこから摂り入れるのだろうか。ただ一つ、食事しかない。

作物は、土壌からリンを吸収するも、それは元々リン肥料から来たものだ。家畜もリン酸カルシウムの飼料由来を探れば、同じようにリン鉱石に辿り着く。

だが、今、地球規模で、この天然資源が枯渇しようとしているのだ。そして、それは人類存続の大問題にまで発展する。

これは食糧のみならず、バイオマスや燃料、電気自動車や太陽光発電、医療用原料などのさまざまな未来産業分野でも不可欠である。

現在、世界の人口は70億人に達し、いずれ2050年には90億人を超えると予測されている。

中国・インドの人口爆発を養う食糧需要を、一体どのように確保するのだろうか。

FIBL(世界的有機農業研究機関)のレポートでは、世界の有機農家数は約230万人で、全農家の約0.4%に過ぎず 、100人に1人もいない。

まほろばは、自然食品を生業(なりわい)としているが、目を世界に転ずれば、実にマイナーな極小の商業圏で、自然・有機農業は点のような存在だ。

つまり俯瞰すれば、この人類を養っているのは慣行農法、すなわち化学農業であると言っても過言ではないのが、現状だ。

七、リン肥料の歴史

それは化学肥料使用なしには成り立たない。

しかし、それも元を辿れば、天然鉱石が原料で、また有機栽培の家畜堆肥といえども、その飼料は同じ源、素材から来ている。その自然資源のリンが、失われるというのだ。

リン肥料は、実は目新しい化学農法でもない。

いわば、「糞と骨の歴史」の有機資材で、古代からの農法でもあったのだ。

日本では、いわしの干し物「干鰯(ほしか)」、人の糞尿「金肥(きんぴ)」、蝦夷地(えぞち)の「鰊粕(にしんかす)」など、リン肥の効用は化学名を知らずとも、畑の智慧で先祖は本能的に土を肥(こや)し、作物を美味しく豊かにさせるのに使っていたのだ。

リン鉱石に硫酸を反応させた「過リン酸石灰」を、高峰譲吉が日本で初めて製造したのが、明治21(1888)年、130年も前のことであった。

水溶性で速効性のある過リン酸石灰からその後、硫酸を使用しない蛇紋岩と混合する「熔成リン肥」や、さらに「焼成リン肥」の遅効性の穏やかなものとの併合が施肥されて今日まで来たのだ。

不勉強のまま、化成肥料を一方的に批判するのも、慎みたいと思う。

八、リン鉱山の余命

ところが、産出する世界のリン鉱山が次々と閉山廃坑に追い込まれている。掘り尽くして資源がなくなったからだ。

その結果どうなるか、当然作物が育たない、供給できない。ついには、人類は餓死する、滅びるという最悪なストーリーが読み解ける。

たった一つの物質の欠乏が、今後大変な事態を世界に巻き起こそうとしていたのだ。我々は、今まで全く知る由もなかった。

日本には、勿論、その資源は元より無い。1997年、米国のリン鉱石輸出停止。

続く2008年、中国四川省でマグニチュード8・0の大地震、その震源地周辺がリン鉱石採掘現場で、生産停止の異常事態。

中国本国でも国内供給量確保のため、輸出禁止令を出した。

実に43%も世界市場から忽然と消えて、5倍の価格急騰。

世界の年間採掘量は、約1.4億t。枯渇するまでの耐用年数は約130年間。人口増加に伴い、それが急速に前倒しになっている。

やがて石炭も石油も掘り尽くされる同じ運命だが、違うのだ。

石油の代替エネルギーとして、太陽光、水力風力、バイオ燃料などがある。だが、リンだけは代替品がないという現実が、立ちはだかっている。

10年後、リンの埋蔵量がピークを迎える。そして今世紀末で掘り尽くしてしまうだろう。

つまり、リンがこの世から消滅するのだ。重ねて言うがアシモフの予言通り、それは人類滅亡をも意味する。

国連食糧農業機構によれば、あと30年後には二倍の農産物生産量を増産せねば90億人を養えないと予測している。

いわんや、現在においても8億5000万人の飢餓人口、それは9人に1人の割で飢えている。そして、世界各地で一日に4万人が餓死しているという。

数年後、数十年後、それは南アフリカのことではなく、我が国日本の現実となろう。

食糧輸入に頼る日本の自給率40%にも満たないにも拘らず、一日3000万食分が廃棄せられている我が国。何と勿体ない(mottainai)ことか。いずれ、罰が当たるに違いない。

日本人の一人一人が食を廃棄しなければ、この世から餓死者が消える。

我々は知っていただろうか。たった一国、日本が一食を慎めば、世界は救われるのだ。

今年のまほろば自然農園での肥料設計では例年になく、知らずしてリン肥が多く使われた。

ここでは、東南アジア産出の「バッドグアノ」つまり、岩場に堆積した蝙蝠(こうもり)の糞が、もっぱらである。

だが、それさえ有限であることは言うまでもない。何千年もの間、積もり積もった世界の海鳥の糞も、80年代にはほぼ掘り尽くされたといわれている。

九、二律背反

日本の耕作地は、黒ボク土といわれる火山灰土壌が多く、リン酸質肥料を施肥しても、土中の鉄やアルミと結合して、リン酸成分が20%程度しか吸収されない。

しかし、これは無駄なことでもなく、農作物に適合した土壌が形成された、いわゆる土作りがなされて、リン酸肥料が以前ほど要らず、必要な分を投与すれば良くなって来たのだ。

だが、一方、他の肥料分も含めて、河川に流れ、湖に貯まり、あのアオコ発生の原因になって環境問題を引き起こしている。

それは、生活排水が下水処理場に運ばれ、微生物で下水を浄化するも、排水中のリンを除去し再利用しないで放流すると、富栄養化で海を汚すのだ。

過剰も不足も自他ともに弊害。バランスが必要であり、リン資源のリサイクルがこれからの急務である。

十、「菌根共生」という解決法

前稿「MOTHER TREE」で書いた『菌根共生』が、その一つの解決法でもあった。

根は、リンを自力で探すが、半径1㎜の範囲しか届かない。1㎜を超えると手に負えないのだ。

そこで、菌の助け舟が入(はい)る。根は菌に炭素を供給し、菌は根に水と栄養素を運ぶ。

将(まさ)に菌は成長の速さと栄養を捉える俊敏性は、忽ちの内にリンを捉え、根の1㎜をいとも簡単に超えるのだ。

そして菌子体が根に浸透し、根の細胞間で増殖して入り込み、樹木状の形となり、根と菌の交換接続(インターフェイス)を相互に拡張させる。

菌はリンを供給し、根は菌を養う。共生共存、相互扶助の間柄(あいだがら)なのである。

この関係が、土中で確立すれば、リンを100%投与する必要はない。

1/4まで減らすと、90%以上も植物が吸収できるようになる。さらに、リンを加えずとも活性が起こるようにもなる。

リンが土中に豊富にあっても水に溶ける溶解性でなければ、根は吸収出来ない。

だが、それを菌が溶解性に変化させ、植物が利用できるようにお膳立てをするのだ。

菌根関係が、土中で成立すれば、リン枯渇危機を越えられる希望が出て来る。

十一、回収と再生、「リン・リファイナリー」

仏国のヴィクトル・ユーゴ―が『レ・ミゼラブル』の中「海のために痩(や)する土地」で、こう言わしめている。

「…… 世間が失っている人間や動物から出るあらゆる肥料を、水に投じないで土地に与えるならば、それは世界を養うに足りるであろう」と。

さらに、「いかなる海鳥糞(かいちょうふん)も、その肥沃さにおいては都市の残滓(ざんし)に比すべくもない。

大都市は排泄物を作るに最も偉大なものである。都市を用いて平野を肥(こや)すならば、確かに成功をもたらすだろう。

もしわれわれの黄金が肥料であるとするならば、逆に、われわれの出す肥料は黄金である。

この肥料の黄金を人はどうしているか?深淵のうちに掃きすてているのである。多くの船隊は莫大な費用をかけて、海燕やペンギンの糞を採りに、南極地方へ送り出される。

しかるに手もとにある無限の資料は海に捨てられている。」何と、150年前から、ジャン・ヴァルジャンをして、かくも訴えていたのだ!

微生物学者・中村浩博士は、別名「うんこ博士」で名高く、太平洋戦争後と朝鮮戦争の食糧危機から、微生物農業による、未来の食糧危機の回避、宇宙食の開発を提唱され、「食糧革命」を構想されていた。

若き日にJ・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』を読み「…人糞をもとの食料に還元する実験を自分の仕事にする…」の一節に目覚め、己が天命天職とされた。

日本藻類研究所所長として、リン鉱石の元、藻類の研究家として糞尿を培養基として高蛋白質のスピルリナを培養することに成功。

「地球上にある無限の資源は、うんことおしっこしかない」という点に目をつけ、最後「クソを垂れている間、人類は滅びることはない」と書き遺して逝った。

天国では、大いにユーゴーやスウィフトと気が合って抱き合い、話が何時までも止まらないであろう。

仁木町の我が家は、上下水道が通っていない「ぼっとんトイレ」である。

先日、アーティストの大貫妙子さんが、援農に葉山から来て下さった。何と、その日、その寸前に汲み取り車バキュームカーが来たのだ。

それでなくても匂うのに、匂いが倍乗になって周りが異様になる。

その時、大貫さんが、「トイレを貸してください」と。「ワァー、今スゴイ臭いで、困ったなー」と言うと、「全然、構わない。あのアフリカと中国でなれているから、平気、平気」。

その後、「イイ臭いだったわよ!!」。

大貫さんの自然志向は筋金入りで、本物だ! とつくづく感心してしまった次第。

子供の頃、みなそうだったなー、肥溜(こえだ)めにも落っこちたっけ。

だが、半世紀、中村博士の夢は未だ実現していない。

年間5万tのリンが下水に放出され、その約4.3万tが処理後の余剰汚泥に濃縮されて破棄されている。これを回収再生したなら、リン危機の憂いも無くなり、痩躯(そうく)の穢土(えど)は、豊饒(ほうじょう)な浄土に変わるだろう。

「リン・リファイナリー(精製)技術」こそ、環境保全や資源保護の新しい産業、グリーン産業の先駆けとなるに違いない。資源のない日本こそ、そのお手本を示すべきである。

バイオトイレの普及も、目下の急務であり、そして、人肥が土に還元されるのを、国が許し、推奨する日を待ちたい。

尊徳翁曰く「農業は国の基(もとい)」、天からは「糞尿は地の基(もとい)」と聞こえた。

十二、スミレはスミレのように

今日の遺伝子工学の基礎となるDNAポリメラーゼを発見したノーベル賞受賞者アーサー・コーンバーグ博士は、「近代生化学の巨人」と呼ばれた。

彼はこういう持論を持っていた。それは、『発明が必要の母』であると。

古訓「必要は発明の母」では、なかったのだ。

最近の我が自説「今、ここに」の対極、「何時か、何処かで」の生き方も、あったのだ。

「科学は、最初から何かの役に立つことを目指してやるものではない」ひたすら好奇心で取り組んだ基礎研究が、結果的に役に立ったまでのことで、「それで良い」と言うのだ。

彼の発見により、今日の遺伝子操作技術があると言っても過言ではない。遺伝子操作など、その当時思いも寄らないことだったはずだ。

そして、そのポリリン酸の研究が、今のリン資源の問題提起にまで至ったのだから。何事も、想定外の所で繋がる。それは人知を超えた所の、神の計らいのようでもある。

それで思い起こすのが、

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べていきているだけである。」

数学者・岡潔博士の至言である。

意味を求める要もなく、結果を待つものでもない。自分自身らしく、楽に生きなさい、と。

「竹は、竹らしく。松は、松らしく。自分は、自分らしく。それを如(にょ)という。己れ如(らし)くして来(く)る。故に如来と言う。命(いのち)それぞれに、それぞれの如来の性(こころ)を宿しているのである」

私達、それぞれが、それぞれに咲きたいように咲く。それで人の世の園は、豊かに美しき花園と化すのであろう。

比べることも、思うことも、案ずることもなく、己の咲きたいように、己らしい花を咲かす。それが、極楽の花園、神々の苑(その)であろう。

隠れた、飾らない野の花こそ、一層美しい。

ここで、リン危機の憂いも、しばし忘れ得た。

【こちらもオススメ】

植物は思考する【MOTHER TREE 母なる大樹】

グローバリズムが人類を狂わせ世界を壊している【タイの小さき村から世界を覗く】

植物、生物、万物は大地から産まれ大地に眠る【自然と向き合うこと】

宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。