農薬などが紛れ込む水問題と解決法、江戸の自給自足体制と屎尿リサイクル

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

一章 水のこと

大貫さん来園

6月20日、葉山にお住いのアーティスト・大貫妙子さんが来園された。

「ぜひ、伺(うかが)いたい」とのお声があり、遠路に関わらず、新千歳空港から真っ直ぐ、仁木駅に直行された。

何度か到着前後のことで問い合わせを戴いた。実際、駅に行くと、無人駅で案内もない。タクシーに乗るにも、何処にも気配なし。

駅前は殺風景で、人ひとり歩いていない。そういえば、仁木付近で、タクシーを今まで一台も見たことがない。

見つけようも、頼みようもないのだ。農園の近くの然別(しかりべつ)駅は、仁木よりもさらに何もない幸福駅のようで、歩くか迎えに行くしかないだろう。

金子農園へ

そんな中、よくぞお越しになられました。

そして、その足で隣村の大江に向かった。水田農家・金子英治さんの農場。オリジナル「なごみ塩麹」の原材料のコメ生産者である。

実は、大貫さん12年も、秋田の三種(みたね)町でお米を友人と作って来られたのだ。

あの「へうげ味噌」にも入っている秋田小町である。ジュンサイの採れるきれいな水脈が流れる美しい水田地帯だ。

ところが、世話人の農家の方が高齢の為に、今年で農業を辞めることになられた。そこで、大貫さんは、水のきれいな田圃(たんぼ)を探しておられるのだ。

本当に綺麗な水ってあるの?

有機や自然栽培のお米は比較的入手しやすい時代になった。しかし、もう一歩突っ込んで、水のきれいな、となると、実は大変難しい課題であるのだ。

有機JAS法でも、ここの所はあまり触れなくなった。

もし、厳格に規定すれば、多くの有機自然米は存在しなくなるだろう。実は、ここに水利権というものが発生している。

これは昔の昔からある話で、山間部の上流に住まう農家は、豊富な水源に恵まれるも、下流平野部の農家はみなの所に回った末の水、時に水が来ない旱魃(かんばつ)の年もある。

この水の権利で、古来、双方生き死にをかけた大変なもめ事の原因になっている。

川上の農家が、慣行農法で農薬や除草剤をお構いなしに散布するようだったらどうしよう。

また、河川や農業用水も、家庭や工場排水が流れ、ゴルフ場付近ともなれば安全性も脅(おびや)かされる。

川下で無農薬といっても、田に引く水は少なからず川上農家での散布の影響を受けざるを得ないだろう。

これをどう判断するかだが、これを追及すると、誰も安全なコメです、と言って売れなくなる可能性が出て来る。

国もみんなも、そこを触(ふ)れないようにしているのだ。

今起こっている水問題と解決法

大貫さんの懸念は、そんな所にも有る。痛い所を突かれたのではなかろうか。

まほろば農園でも、今起こっている問題なのだ。農園の端に余市川土地改良区管轄の農業用水路が走っている。

これは前の農家の方が水田を作っていたこともあり、土地を買うと水利権も付いてきた。強制加入なので、賦課金がかかる。

その水流に当然果物へ散布する農薬などが紛れ込む。支払いしても、その用水は使えない。

農園の横を流れる余市川の水は、道と町の管轄で使えないし、近年は余市川の水も汚染されてきているという話だ。

畢竟(ひっきょう)、井戸を掘るしかないのだ。これには大変な費用がかかる。それでも、まほろばも農園も、水にはとことんこだわって来た。

井戸水は飲料水として合格

昨年はユンボで掘って7m下から水を汲み上げているが、量が足らない。

その水質検査を小樽保健所に依頼した結果が次項の表である。全く異常なし、飲料水として合格なのだ。

硝酸態窒素も細菌なども遥かに基準値以下である。一安心である。

その水にエリクサーに搭載していると同じ濾(ろ)材やセラミック、活性炭などを入れたタンクを通して野菜に供給している。

しかし、何といっても水量が足りない。

ボーリングを決意

今年は、全面に散水出来るように、本格的にボーリングすることにした。

ユンボでは7m掘るのに、周囲10mは土を反して大量の砂利が出て、畑が荒れた。そこで掘削代は高いが、止む無くボーリングに切り替えた。

水中ポンプで毎分200リットルの取水能力がある。

だが、ここは表土は50cmくらいで、後は12m深さまで岩盤か砂利で、掘削機の先をダイヤに取り換えて、予定工事の2日間が、ゆうに10日間かかった。

それほど硬さが異常ともいえ、専門業者が「今まで何十年やって来たが、ここまで難儀(なんぎ)を極めたのは初めてだ」と溢(こぼ)したほどだった。

やっと12m堀り下げて粘土が出て来た所で、作業をストップした。

今後、残留農薬試験やエリクサーの農業用浄水装置を開発設置して、作物にも安心安全な水を提供したいと考えている。

さらに一歩進めたい。

皆でカボチャの摘芯作業

再びと、大貫さん。金子さんの所を回って来て、今度は農園のお手伝いに。その日丁度カボチャの摘心作業だった。

家内の指導を聞いてすぐさま会得(えとく)され、次々と処理される。

「さすが、農作業には手馴(な)れているなー」飲み込みが早くてビックリ。用意されて来た野良着も板についている。初心者は、一回聞いても、実際とは中々噛み合わず、判断が難しくて迷う。

昨年の「緑の海」。伸びが早過ぎて、全く手が回らないことで、あのような壮大な風景が観れたのだ。

今年は、しっかり摘芯して、がっちりしたかぼちゃを作りたい。何は、ともあれ、大貫さんのお陰もあって、一歩先を進める『覚悟』が定まった。

二章 粕(かす)のこと

「新醤(あらびしお)」醤油粕の処分法は?

4月、秋田の蔵元「石孫本店」から電話で一報があった。

それは、預かっている「醤油粕」30袋をどう処分するか、という問い合わせだった。

実は、躊躇(ちゅうちょ)していた。これを満遍(まんべん)なく使い切ることは、中々難儀(なんぎ)なことだった。

実際、前回全量を取り寄せてみたものの、捗(はか)が行かなかった。「醤油粕漬け」が、思いの外うまく行ったので、これはヒットすると予測したが当たらなかった。

農園でも水に溶かして液肥としたが、意外と使い切れない。今回、小別沢の畑に積まれた「醤油粕」の山を見て、「こんなに残っているのか!?」と驚愕(きょうがく)したのだった。

そして、仁木農場に届いたさらに30袋もの「醤油粕」。

実は、このことはまほろばだけの悩みではなかった。驚くべきことだが、小泉武夫先生によると、醤油粕処理の悩みは、醤油製造の創始以来の蔵元の悩みでもあった。

それは何百年来の歴史であったという。畑に使うには、塩分が濃いので、塩害を齎(もたら)す。

牛には岩塩を舐めさせる習慣があるが、これを食べさせると、牛乳が醤油臭くなるので、商品にならない。

つまり、最後どうなるかといえば、産業廃棄物として処理されるより他なかった。途方に暮れるのであった。

「発酵液肥」に

ところが、ある日、小別沢の農機具など仁木に毎日のように運ぶ中に、ステンレスの大きい水桶が来たのである。

どういう訳か、これを醤油や酒の諸味(もろみ)を攪拌(かくはん)する櫂(かい)で真似事をしたいな、と思ったのだ。

それで思い付いたのが、醤油粕である。

醤油粕に米ヌカや他のミネラル分を加えて液肥を作ったらどうなるかな、と早速取り掛かった。

掻(か)き混ぜてみたものの、使いようが無くほったらかしにしていた。日々発酵する良い匂いが、次第に腐敗臭がするようになった。

雨が入り、日照りに照らされて、鍛えられたのである。そうこうしているうちに、窒素類を控えていた全作物の苗木類が、次第に実を付け出すと、今まで要(い)らなかった窒素分が急に0―1テストでプラス反応に変わり出す。

その時、振り向きもしなかったこの醤油粕液が俄然(がぜん)顔を擡(もた)げだすのにはびっくりした。

ブラドミンやバッドグアノが必要と出るものでも、これには勝らない。この一つで大部分を覆ってしまうのだ。

これには家内を始め皆驚いてしまった。まさに、その発酵した匂いは、昔の肥溜(こえだ)めの匂いに似て、服に付くその残滓(ざんし)は、一日中体から離れない。

それを薄く希釈して根元に掛けてやったり、元肥を露地に掛けたりと、その万能さには驚くべきものがあった。

速効性は、疑いもなく、植物がみるみる見違えて来る。そして塩のミネラルは、どのような意味合いを齎(もたら)すだろう。

循環農法

自然農園で育てた様々な豆たちが、その使命を果たした、その抜け殻・死骸を再びと、我が農園に戻って、その土に眠る。

そして再び、新たな豆として生まれ変わる。正に、輪廻再生するのだ。自分の遺された栄養素で、再びと自ら生み育てる。

その「循環回生」が、実質その身で、豆で、畑で再現されるのだ。

塩も世界中から取り寄せた岩塩・海水塩・湖水塩・海水・焼き塩が、再びと野菜たちに、骨を与え、筋を与え、肉を与え、血を与える。捨てられるべき命が、再びと命に蘇(よみがえ)るのだ。

つまり、命は滅びることが無い。

循環して一度現れた窒素も塩分も消滅することはない。それは命から命に繋(つなが)がれて生き延びているのだ。死することが無いのだ。

この循環こそ、世の営みではなかったか。地球原初の水は不増不減、昔も今もその量は変わりないという。

ただ姿を変えているだけなのだ。この豆たちも、塩たちも姿を変えながら、空中の窒素になり、海のミネラルになり、ついには質量一定の法則を全うする。

江戸の自給自足体制と屎尿リサイクル

大江戸の八百八町には縦横に江戸川・隅田川・荒川などの河川が流れ、そこに町中の屎尿(しにょう)を回収する「おわい屋」が糞便(ふんべん)船で、江戸の周りの村々の田畑に運ぶリサイクル業が、幕府の管轄下にあった。

有機物で出来た野菜が江戸市中で売られていたというから、正に世界一の大都市でありながら、庶民は有機野菜を食べて健康になり、自給自足の循環生活が豊かに機能していたのである。

下から出るものを始末し、始末されたものを上に入れる。

近くとは言わないが、将来は健康な糞尿で健康な作物を作り、また土地に戻すべきではなかろうか。

有機や自然や様々な農法があるが、この人間の糞便を発酵して無害化させて土に戻し、その有機物を再利用するというのが自然で素朴な有りようではないか。

営々と古代から引き継がれて来た何千年来の農業は、それこそ戦前までそれが実践されて来たのだ。

その循環世界で何の矛盾や問題もなかったのだ。都市化により上下水道が発展することで、清潔という幻想が生まれ、そのリサイクル回路が断ち切れてしまったのだ。

それにより、病気を始めあらゆる問題が突出して増え続け、解決されないままになって来たのだ。

「自然に帰れ」とは具体的にそこを解きほぐすことから始まるのではないか。再び、その原点に戻るべき時に来ているのではなかろうか。

ここ仁木に来て、毎日「ぼっとんトイレ」を使いつつ、我が愛しき糞尿が実は、忘れてしまった大切な宝物であることを思い出しつつある。

50年前の大鋸屑(オガクズ)利用

トマトハウスの中の通路を覆うマルチとして、豆殻や殻枝で覆い、あるいは何年来の筵(むしろ)を敷いてみた。

たまたま、古い譲り受けた戦前の木造納屋にあった大鋸屑(オガクズ)を取り出して撒いたのだ。

何とその中から、「初等科国史」の教科書の表紙や裕ちゃんの映画「赤いハンカチ」の新聞広告の切れ端が混ざってあった。

もうこの大鋸屑は50年以上もここに眠っていたのだ。

だが、その眠りに覚めて、今新たなる命の敷き藁(わら)として役立っているのだ。何か感慨深いものに襲われてくる。

この気持ちは何だろう。古民家に住まって、昔を懐かしんで一体になった心地良さでもある。

発酵した菌叢(きんそう)土と新たなる展開

筵(むしろ)の敷き藁(わら)を剥(は)ぐって、醤油酵素を入れようとすると、何と虫たちが無数に屯(たむろ)して這い出して来る。

その土は、チーズのように熟成され、ねっとりした褥(しとね)のように、青カビや白カビが繁殖して他の雑菌の侵入を防いでくれている。

中には濃い緑色の苔のようなものさえ生えている。

微生物群の宝庫だ。これで、今自家製「ti-tieチッチ」のカビ付けをしようかな、と考えているほどだ。

ここに醤油粕をやると、どれほど微生物が繁茂して豊かな菌叢(きんそう)を形成するだろうか。

面白いことになって来た。思わぬ方向に向かうまほろば自然農園は、また新たなる世界を開くかもしれないと、胸を躍らせる日々でもあります。

さらに次の段階は、エリクサーセラミックを作った700種類以上の酵素と混ぜ合わせて、まほろば独自の新酵素を改良工夫を加えて育てて行きたいと思っています。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。