札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム
今年は、不思議。不思議な年。
有難くも、有難く、どうしてこんなにも有難いのだろう。
自然が、こんなにも寄り添って下さるとは。
ふしぎ、フシギ、実に不思議。
夏の台風や地震があったけれど、それさえも不思議。
今年の片付け
これは、農家のみなさん、皆思われていらっしゃることでしょう。
毎年毎年、あれも出来なかった、これも出来なかったで終わってしまう畑。
出来ないままに雪の下に埋もれて年を越してしまう。
だが、今年は132年ぶりの遅い初雪だったとか。
明治19年の開拓時代、屯田兵の方々の労苦を偲びました。
それでも、何度も何度も雨となり、雪となって、溶けては降っての繰り返し。
そのお陰で、どんなにか残された野菜の収穫や片付けが済んだことでしょうか。
あぁ、大根が残って雪に埋もれて可哀想、勿体ない。でも、山のようにしてすべて抜けました。貯蔵できました。
白菜も、蕪も、葉物も、思い通りに穫れて、後は雪解けの春一番に菜花となって、それは美味しい、美味しい、一年で一番おいしい葉物に変身して、食卓に春の訪れを届ける。
思っても見ない家の前の大株のアスパラの苗もギリギリで畑に移植出来た。
漬物時期で入荷しなかった最後の米糠もやっと来て、堆肥も撒けた。
店でお馴染みの大江地区の米農家・金子さん。
分けて戴く籾殻を、中々取りに行けなかった。が、雪解けの合間に、ダンプも頼めて運び、米糠も混ぜて堆肥作りも出来た。
マルチも剥がし、ハウスのテントも剥がし、籾殻堆肥、米糠も入れ、サブソイラーも入れ、最低の養生ができた。
主な畑も粗耕(あらおこ)しができた。
忙しくて納屋の周りは乱雑で放りっぱなしの所も片付け、ゴミを運び、スッキリした。
この冬の積雪で倒れそうな納屋に支えを立てて、大方の物が、新倉庫に運び移された。
何時も歳を越す豆の脱穀も何とか済ませて、今冬の醤油や味噌の仕込みに間に合わせた。
それに、我満さんが、新しい倉庫に、大根や白菜、じゃが芋の種イモを保存する室(むろ)屋と、床張りして広げた二階、薪小屋も作るに、盤渓から毎日のように通って下さった。
それを待っていたかのように薪がやって来た。
ある農家の方の薪を下さるというご好意も、何とも事が長引いたので諦めていた薪運び。
だが、まだ大丈夫とばかり待って居て下さった。
これで、苗作りの加温の準備も出来た。ゲストハウスの水回りの設置も、雪が溶けて一日で完成、後は何時でもボランティアさん寝泊り、自炊が可能となった。
散乱したブドウ杭も立てた、栗やリンゴの剪定も冬囲いも出来た。
電気移設も見通しが立った。そして、11月30日、畑納めの日に目出度くも、心おきなくほとんどが出来ていたことに、改めて驚きと満足が与えられた。
これは、普通の農家の方には、極々(ごくごく)当たり前の段取りとケジメなのだろうが、それが3年目にして漸く出来たのだ。
人と天候のありがたさ
それは、従業員やボランティアさんのお陰としか言いようがない。有難くも嬉しい。
一人より二人、二人より三人の力は倍でなく、倍々乗の掛け算で、仕事の効率や成果が表れて来る。助っ人のありがたさ。身に染みます。
そして、何よりも可(か)によりも、今年の天候が加勢して下さった。
何か、こうなればイイのに、と心で思ったことが次の日には出来た事には、本当に驚きと共に、感謝の気持ちで一杯になる。
それが、一度や二度ではないのだ。三度・四度どころではない。いわば、ズーと続いた印象なのだ。事実、やり終えることが出来た。
こんな事、有り得るのだろうか、と自然の不思議、人生の不思議を思った。
携帯紛失事件
それは9月も半ば、ある朝、不意にも不覚にも携帯電話を失(なく)したのだ。
さっきまで家に在ったのに、ハウスに来て腰のバンドに入っているべきものが入っていない。
それから探しに探し、ついにはボットントイレまで汲み取りやさんに見てもらったがなかった。
その間の距離はハッキリしている。出るだろうと思われたが出て来ない。
一月(ひとつき)二月(ふたつき)…。とうとう仮の電話も容量オーバーで不通になって、更新再開したのは一昨日からだった。
そこで、何が起こったか。実は、懐かしい昔の生活に戻ったことだ。
波風の立たない静かな毎日を送る豊かさを知ったことだった。
最低限、会社との交信はするが、電話を掛けない掛からない。
眼が自ずと作業に仕事に注がれた。写真も撮れないから農園だよりも儘(まま)ならない。
FB(フェイスブック)も見ない、見れない。人の動向も、ときめく新情報も、自分の発信も出来ない。音楽も聴けない。SNSって何だろう。
確かに見知らぬお友達が沢山出来、自分の事々を逐一知らせ、色々な情報を共有し合うイイネの仲間意識。
これは、人生を何倍にも豊かにさせたかもしれない新しい時代の情報ツール。
それを享受しない手はない。良い事尽くめで、利用次第では、自分の世界や商売がドンドン拡散し進展して行くかのように見えるのだ。
でもフト、頭を過(よ)ぎったのは「小国寡民」。何でも何時でも、小さく小さく、少なく少なく。
今、それに比べれば閉ざされた世界、物言わぬ世界、昏(くら)い日常、何の変哲もない毎日。
それに、田舎ともなれば、何も起こらない、刺激もない、音もない、騒ぎもない、それこそ吉幾三の何にもない、ない、ないの連続だ。
だが、待てよ、この無いこそ、現代には珍しい、貴重な、掛け替えのない空間、時間ではないのカイ。
この沈黙こそ、何も言わぬ風や雨や陽の輝きや、鳥のさえずりや川のせせらぎや海の波音こそ、電波では伝わらぬ活き活きした生身の情報でなかったカイ。
あるがままの、ありのままの音、姿、表情、変化……これほどダイナミックで、豊饒で、美しくキレイで、涙の出るほどの感動で、一杯一杯の声が聞こえる、姿が見えるものはないじゃない。
本当に今まで何を見ていたんだよ、お前さん!!
何処まで行く情報革命
本音は、携帯探したくなかった。出て来て欲しくなかった。
実は、これは「神隠し(??????)」と本気で思っているのだ。
あれがあるばかりに、生活がかき乱されているんではないカイ。心が落ち着かないんではないカイ。
何時から、こんな生活を強いられるようになったのだろう。少なくとも。
商売を始めた30年前にはなかった。Faxさえ、使ってなかった。世の中は情報革命の真っただ中だ。
農業革命で一変した自然。産業革命で一変した都市。情報革命で一変したのは何だろう。それは心もつ人間。人間が変わって行く。
今までの人間が人間でなくなる。何になろうとしているのだろうか。
AIに従属して行く人類。通信機械の一部、部品?コネクター、ケーブル?
情報ネットワークで、その繋がりが幾重にも絡み合って複雑に巧妙に超常的になって、ドンドン膨らんで行く。
何処まで、何時まで行けばいいの。何処までで満足するの?
際限がなく、発展という美名の欲望の電車は、光速で走り続ける。
スマホの奴隷
ハッと気付くとき、自分が自分でなくなっている。
物事には良い事尽くめなんてありゃしない。どんなことにも影が付いて回る。
それは、いわば、自然の摂理なんだ。こんなに簡単便利、痛快愉快な世界も無限に思えば思うほど、その落とし穴は大きい。失うものは大きい。
スマホの奴隷になっている現代人。情報の洪水。情報のスピードに、人の生理や脳が付いて行けなくなっている。
狂って来ている。科学的、生理学的には、電磁波が人体の波長を乱れに乱している、としか言いようがないのだ。
それは、最早病気なのだ。それも重症なのだ。そんな呪縛を解き放してくれた携帯紛失事件。
本当に迂闊(うかつ)な馬鹿な自分に呆(あき)れるばかりだが、何か大切なことを、天は教えて下さった。
今、元の番号に復旧したものの、静かな毎日。
想いが外に、願いが現実に
実は、心の思うことが、外に実現できるようになったのは、携帯失踪事件のあった頃からなのだ。
不思議と、思いが叶って行くような気がしている。
それは、騒がない心がそうした何かを持っているのだろうか。
電磁波の渦から解き放たれて、自分と自然の波長が合いだしたためだろうか。
自然と感応する何かが起動したように、スイッチが入ったように思った。
それは、自然が愛おしい、一層身近な存在となって映って来た。
何を見ても、いいなー、懐かしいなー、いいなー、いいいなー、と思えるようになったからだ。
これ以上に何が要るのだろうか?と思えるのだ。
満足、満足と、とってもホッコリした、温かい気持ちにさせてくれる。
何の変哲もない土から、農薬を撒(ま)こうが撒くまいが、肥料をやろうがやるまいが、人の思惑や為せる技に関わらず、枝を伸ばし、根を張り葉を広げ、花を咲かせ、実を遺して、悠々と堂々といそいそと生き物を育てる自然のなりわいへの同調、シンパシー。
毎日が、会話なのだ、無言の会話なのだ。言葉なくして通じている。
何か、いいんだよなー、心地いいんだよなー。
雪が降ったら、降ったで、雪かき大変だけど、きれいなんだよなー。
心が洗われるように、スゥーと、淀(よど)んだ心が消えて行く、何処かに飛んでしまうんだよね。これマジック。一瞬で消える公開マジック。
家でウツウツたる心持も、ドアを開けると、サァーと風が入って来て、パッと山々が見えて、そこは別世界、晴れ晴れとした気分になる。
ここは、天国だ。サラサラと瀬音を立てる河も、ピューと駆け抜ける突風も、みな仲間たちの合図なんだ。
僕の心の空に木霊(こだま)する。
「俺はここにいるよ、私はココよ」と、言って教えてくれている、愉しいな、面白いな。仲間たちが一杯一杯いるよ。寂しくなんか、ないさ。
この世はメルヘン、童話の世界なんだ。宮澤賢治さんが愛おしくも、親しく、身近に感じるね。
心の友達。イーハトーブもポラーノも銀河鉄道の夜空も、僕の中にいる。こんなだったんだね。んん、うなずける。
畑から「ありがとう!」の伝言
さてさて、夜もしらじらと明けて来て、朝4時頃からの天来の通信を書き終えて、今から炒(い)りたて挽(ひき)たての贅沢なコーヒーを飲んで、新雪の畑に向かう。
「今年も、ありがとう、農園さん、畑さん。そして、その野菜を食べて下さったみなさん、ありがとうございます」ニコニコ………
ムコウの空と山の境は、雪に消えて、僕の心の稜線まで、消えて行ってしまった………。
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宮下周平
1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。
自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/
無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。
世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。
産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。
現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。