山と海の詩

シェアする

札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

一、大棟梁

「木を買わずに、山を買う」

蓋(けだ)し、この箴言(しんげん)を遺されたのは、最後の宮大工、昭和の大棟梁・西岡常一(つねかず)師、その人であった。

18歳の時、奈良薬師寺に入り、当時の管長、高田好胤師に従い、剃髪し墨染の衣を着て、金堂復興勧進の旅にお供した。

境内には、50年経った今日の燦然と輝く鮮朱壮麗な大伽藍はなく、荒れ果てた小さき金堂に國寶・薬師如来三尊像がおわしました。


 
「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」(万葉集巻一(四十八))

柿本人麻呂の名歌発祥の地なる奈良県宇陀の葛里を訪ね、或いは、

「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」(万葉集巻一(二十))

額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ滋賀県蒲生野の遊猟地を訪ね、或いは、

志賀直哉の『城の崎にて』の、京の奥座敷・城崎温泉に泊まり、古謡名作の旧跡を師と巡った想い出は、心の底に刻んだ日本探訪の一里塚でもあった。

その金堂復興に携わり、薬師寺再建に死力を尽くされた西岡常一棟梁の「堂を建てず、伽藍を建てよ。

塔組は木のくせ組み、人の心組み」の真精神「山を建てる」は、古今の何事にも通じる事業大成の真骨頂ではなかろうか。

1500年の風雪に耐えた大伽藍。なぜに倒転崩壊せずに保ったか、不思議でならない。

それは、一言、「自然の理(ことわり)に従う」というに他ならないだろう。

北面の壁には、北面の木を。西面の材は、西面の柱に。育ち来(きた)った由来に沿いて、行く末の命もその筋に重ねる。

捩(ねじ)りも曲げも、流れを活かす。

無理のない素性を組成させることこそ工人の技、狂うことのない棟梁の眼力であった。

永らえることは、その素(たち)に重ね合わせることに他ならなかった。

元を知って生かすが故に、山全面の材を仕入れして、適宜適所に材を組む。人の生かし方も又、等しい。

その全体観、俯瞰力こそ、「懐かしき未来(さと)(以下なつさと)」プロジェクトの精神にならねばならないだろう。

寺院建立には、欠かすことなき吉祥??瑞と天佑神助。その反映なる四神相応図の気脈、地力(ちりき)、神道(かみみち)の風水も、自然を読み解く伝承であり、口伝であり、真髄であった。

どう、天意神慮をご招来させるか。

さて、今日、それは何であるか。どう「なつさと」に生かせばよいのであろうか。

二、森は海の恋人

3・11の東日本大震災後、漁場漁港が見るも無残なる形骸を遺した。

復興するも、如何とも術(すべ)なきところを、誰もが海の、港の、漁船の再建に、まずは着手するだろう。

だが、それも誰もが着想しえない処から手始めとした人。

それが「森は、海の恋人」をスローガンに、森林養生の川上の第一歩から始めた海の男、畠山重篤氏だ。リアス式海岸、宮城のカキ養殖家である。  

ダムの止水、垂れ流す工場家庭の汚染水。当然、海水はヘドロで濁り、毒素の海と化す。

海の化身なるカキには耐え難い。その河口の汽水は、源流を清め養う以外になかった。

水の浄化と富養は、木々が生える森であり、山を豊かにする道だった。

まさに、海と森、山と海は恋人同士で一心同体。

海の元、山を浄め、豊かにする樹木養生を漁師の仕事の核心として活動されている。

三、山こそイノチ

何事にも、根本(ねもと)がある。

鮭は、回遊してどこに帰るか。それは、海でなく、山。それも山の上だった。

何万里の波濤(はとう)の旅を終え、その終(つい)の棲家(すみか)、川上へ遡(のぼ)り、産土(うぶすな)に帰る。

そこで、最期の死力を尽くして産卵し、子孫を遺し、ホッチャレの白い死骸を、川神に手向ける。

熊や禽獣がそれを喰い尽くして、山に糞尿で返す。正に、鮭は、山で蘇ったのだ。

そして、雨が降り、そのエッセンスの沁みた水流を川上から、田畑に運び、下流へと押し流し、再びと海に拡散し、天に舞い上る。

「山と海は恋人」と言うなら、「山と農地は親子」というべきだろう。

健全な農地には、健全な山が要る。健全な山には、健全な管理が要る。

それは、山も地も海も一体なのだ。

海を豊かにせんとすれば、豊かなプランクトンが要る。そこには、豊かな栄養源が要る。

そこには豊かな水、豊かな土、豊かな木々が要る、そして、山が。

山が元だった。

四、山を買おう。木を植えよう

海溝に張り付く海藻と山頂に巣食う野草の成分は、健康維持の脂肪酸α‐リノレン酸が多く、主要素が一致する。

夏場、山に登り高山植物を食(は)んで放牧するアルペンチーズには、大量の海のミネラルと脂質が含有されている。

山を生かすことは海を生かし、海を活かすことは山を活かし、野を活かすことだ。

ここにヒントがある。

山を買い、間伐し、伐採し、植林し、山を育てる。

風が通り、日が差し、雨が届き、微生物が育ち、禽獣が育ち、本木が育つ。

今、日本の山林は荒れ放題の野放し。山は細り、植生が乱れ、半ば死したるが如し。それに連なる田も畑も、痩せるばかりだ。

それは、みな工業に商業に目を向け、地味な林業に留まる人がいなくなった戦後があった。

都会への流出は、山野の流亡であった。

そして、今日本は崩壊の絶壁に立たされ、国の危うきを迎えた。

遅くはない。今こそ、背にした山や野に、真正面から向き合うべき時が来たのだ。

里山とは、山あっての里だ。

その山を忘れてはいまいか。

地脈、水脈の山を忘れての農はなく、漁業はなかった。

水源はどこから湧き、鉱源はどこから走り、ここに至っているか。

根本を知るとは、根源を訪ねるとは、そこに帰ることだった。

五、縄文の営みを、山畑に

日本の原型は、古代縄文に遡る。

渡来人による専制国家が築かれる前の無政府社会。

ユーラシア大陸の東の果ての島には、南から北から西から、数多くの渡来人・帰化人が渡り棲んだであろう。

しかし、諍(いさか)いは些(いささ)かも無かったという。その痕跡が見つからないのだ。

今日の日本人の鷹揚(おうよう)さ、優しさ、潔さは、そんなすべてを受け入れる魂の柔軟性を育んで来た。

それは、稲作以前の営みが育んだものだ。

水利権や貯蔵の争い、その火種がない農業発生以前の時代の無所有、無所得の為せる無私の業(わざ)だった。

それは、天の恵みのみで仲良く暮らす、共生共有の知恵でもあった。

農業革命は自我の発現であり、農作物で自意識と所有の概念が入り込んで、心が濁ってしまった。

それ以前は、栗などの主食を、容易に手に入れられ、栽培以前の採取生活が平和の原理であった。

そこを、少しでも取り込めないだろうか。農作業の重労働を些かなりとも軽減して、天与に任す時間と心のゆとりも欲しい。

それが、山に帰ること。
山に木を植えること。

栗でも団栗(どんぐり)でも植えて、保存食を増やすことだ。

家ともなる木々、食ともなる果実。それだけでも、どれほど豊かな恵みが得られるだろう。

心に余裕をもたらすだろう。動物も人家に降りずとも、安らかに暮らせて子育てするだろう。

耕作しない、農薬も、肥料も要らない山という名の、畑でない畑にしよう。

そんな畑山(はたやま)、山畑(やまばた)が日本中に満ち溢れたら、どんなにか豊かな日本の秋を迎えられるだろうか。

それが、里山の優しさ、日本人の情(こころ)だろう。

六、狩猟採集への郷愁

今の若者には知る由もないが、戦後すぐ生まれた者にとって、鯨肉は唯一の蛋白源だった。

家の食卓、学校の給食に、何時もいつも出た。それが、旨かった。そして、それしかなかった。

鯨肉が、戦後の食糧難を支えて来たのだ。悠々と大海を泳ぐ鯨。

それは、家畜の抗生物質や農薬飼料や密飼重圧(ストレス)も心配のない天然野生、健康健全の食源だった。

飼うための労働や時間や費用も全くない天恵神与の頂き物だった。

ただ、南氷洋に出かけさえすればよかった。

それ以前は、勇魚(いさな(クジラ))獲り、捕鯨は近海で行われ、一骨一筋も無駄にすることなく使い切り、そして一頭一頭、戒名を付けて懇ろに弔い、あの世に手向(たむ)けていた歴史がある。

それが日本人の食への畏敬の精神なのだ。

何もせずして頂ける。それが、有難い。病気の憂いも、飼料穀物の輸入の心配もない。

だが、捕鯨船へのシーシェパードの執拗な追跡と攻撃。

誰か、この裏を知ろうか。

正に、今言う「闇の政府・DS(ディープステート)」。

牛肉の生産国、米国や豪州が日本へ牛肉を売りつけんが為に、グリーンピースに活動資金を回し、反捕鯨のキャンペーンで日本を糾弾している実体。

米国は、アメリカ・アラスカのマカ族などの先住民捕鯨には目を瞑(つむ)り、利害のある日本は徹底的に叩くプロパガンダ。

哺乳類の殺傷を残酷というならば、同じ牛肉を自ら造り、自ら食すべからず、ではないか。

この根源は、何処から来ているか、正に、人種差別なのだ。

NPO「クジラ食文化を守る会」理事長の小泉武夫東京農大名誉教授や環境保全活動家のC・W・ニコル氏は、著書にも講話にも、最後この結論で終わる。

あの大東亜戦争の二度の原爆投下、各地への無差別焼夷弾投下、70万人の無辜(むこ)の市民の命が奪われた。

何故、この非道が問われないのか。何故、国際法違反でないのか。戦争犯罪でないのか。

何故、同じ敗戦国ドイツには、同じ兵器を用いなかったか。

それは、黄色人種への決定的な侮蔑(ぶべつ)、人種差別だったのだ。

それが、戦後GHQの言われるままに、今日77年もの長い間、奴隷のように隷属して来た構図が同じなのだ。

「日本は独立していない」今なお、植民地だったのだ。

捕鯨は、海国日本、海洋民族として何千年もの長い歴史の中で培われた生活スタイル、食文化・伝統食だった。

それが、世界政府の言う食の多様性ではないか。

一方、大地で、何の手を施さなくても捕獲できる野生動物の鹿は、天与の蛋白源だった。

今、エゾ鹿の異常繁殖と農産物被害は、年々増大して畑が荒らされ、適宜な駆逐が求められている。

グルメな高級食材ジビエもいいが、何処の食卓にも上る普段の食肉でありたい。

札幌盤渓の開拓者、我満嘉明氏によって振舞われた塩味だけの炭焼き鹿肉ローストの得も言われない旨さは格別だった。

どの肉質より、比べられようもない感動であった。

何よりも、これ以上健康で安心安全な蛋白質はないだろう。

家畜のための散々な苦労や経費。

その軽減のためにも、狩猟技術の伝承や処理加工施設も、町村活性には、なくてはならぬものであろう。

野獣の里、山々との暮らしは、人間性本来を取り戻す、幸福な生活を蘇らす最後の場所作りとなるに違いない。

仁木では、先人に学びながら、既に狩猟伝承活動が始まっている。

七、野放しの山を、我々の手に取り戻そう

「國破れて、山河無し」に、ならんとす今。外資の異国、その魔の手に委ねては、国も基(もとい)を失うに等しい。

北海道の水源地を含む森林買収が233カ所、3085ha(2020/12現在)が、既に外(そと)つ国の掌中に納まっているとは。元を抑えられれば、万事休すなのだ。

この仁木余市を流れる余市川の水源地・キロロが、野放しのまま中国資本の手の内に渡った。

水源はイノチの源である。この日本の川、愛する町の河が、どうして売られ、買われてしまうのか。

国政を預かる者たちよ、この慣例をどうして放置するのか。

どうして禁止法令を制定出来ないのか。今こそ逸早く、国が、国民が阻止できる権利を、与うべきではないか。

幸いに、山林原野、耕作放棄地は、就農者でなくても素人でも一般人でも、取得できる。

しかも、農地に比して格安で取得出来得る。

人や國のものは関心が持てないが、自分のものは、大切にする。まず、我が山を持とう。我が森を守ろう。

しかし、徒(いたずら)に樹を薙(な)ぎ倒し、果樹や野菜畑を造成せず、まずは山を整備しよう。

木を植え、木を育て、木を伐り、一巡させる道筋を造って、子孫に引き渡そう。

すべては、そこから始まる。

八、資源国家、日本

火山国家日本は、山岳国家でもあり、樹木国家でもある。

森林面積が約2500万ha、何と、フィンランドに次ぐ世界第二の林業大国なのだ。

国土の67%、3分の2が森林に覆われ、しかも半数が天然林。

その内、北海道が554万haで国内第一位。

森林の機能と評価額で70兆円、年々体積量が増え続け、毎年約1億m3も増大し、10年前で約50億m3、50年間でほぼ2.5倍の成長率だ。

だが、輸入自由化と変動為替で安い外国材に押されて、国産材は伐採されず、荒れるに任せた。

林業人口はわずか6万人。農業同様、老齢化、後継者不足で尻莟(しりつぼ)み現象だ。

放置荒廃森林は、植物の成長を妨げ、土砂崩れの主原因となってしまった。

石油や鉱物資源のように、一旦掘り尽くせば枯渇することなく、循環して子々孫々に、資源が受け継がれるのだ。

同じ森林面積で、肥大する木材は、実は打ち出の小槌(こづち)、宝の山。

正に有形の財産にして、無形の金塊でもある。林業の栄えなくして農業・漁業の栄えなし。

何が、今盲点か。すぐに目に見える利潤を追うことを止める。

じっくり時の来るを待って、後々の繁栄を待つ。今、その国家の大計が必要。遠きを見つめる目線が必要なのだ。

これからは、「自伐型林業」。

採算性と環境保全を高次元で両立させる持続的森林経営だ。

農業や半農半X、異業種との兼業も可能。畑と地続きの山を活用すれば、参入障壁が低く、「地方創生の鍵」ともなる。やってみませんか。

この杣人(そまびと)ムーブメントが、全国各地に、今広がっている。

九、島国日本ではない

「国土は狭い。日本は貧しい」

そう教えられて来た。果たして、そうだろうか。

魚の宝庫、無数に点在する島嶼(とうしょ)。

その入り組んだ海岸線は、約3万5千㎞。地球一周の9割。南北は、北欧・オランダから、地中海・スペインにまで及ぶ距離。車で60時間を要す。

国土面積約3800haで、その20倍もあるオーストラリアに匹敵しているのだ。

何と、アメリカ海岸線の2倍はあり、はるかに隣中国さえも超える驚くべき大国だったのだ。

勿論、漁獲高は、世界一を誇る。

日本の領土面積は、約38万㎢。世界60位に位置し、領海および200海里EEZ(*排他的経済水域)の総面積は世界6位となる。

これが、国土の12倍もある。水域面積は広大で、領海(内水を含む)とEEZを合わせて約447万㎢で、世界第9位。海溝までの体積換算では、何と世界4位なのだ。

最南端、小笠原諸島・南鳥島沖で、大量の超希少鉱物スカンジウムを発見。

世界需要の9900年分にして81兆円分のレアメタル・レアアースの宝庫が眠っている。

正に、世紀の大発見、世界のトップであった!

日本には、資源がない訳ではない。

むしろ手に余るほど盛り沢山に在るのだ。

1968年、国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)の協力で東シナ海で海底調査が行われ、尖閣諸島沖に1095億バレルの原油埋蔵量があることを発表。

これは、イラク(1150億バレル)やクェート(1040億バレル)に匹敵する埋蔵量で、何と世界2位の石油大国と評価された。信じ難い。

金額換算では約27兆円になる。その他、天然ガス、希少の金属鉱物、熱水鉱床などなど夢の宝庫が連なる。

中国の執拗な追手は、それを知っての上の領海侵犯、侵略計画なのだ。

*【海洋法に関する国際連合条約に基づいて設定される、天然資源及び自然エネルギーに関する「主権的権利」、並びに人工島・施設の設置、環境保護・保全、海洋科学調査に関する「管轄権」が及ぶ水域のこと】

十、自信を持とう、我が国に

豊かな水。豊かな緑。豊かな海。豊かな空。

それを取り戻すには、人さえいれば良い。

すべてが揃っている日本。無いのは人。

志ある若者よ、蹶(た)ち上がれ。

狭い都会暮らしを離れ、広々とした空間と時間を田舎で、海洋で取り戻すべし。

心を蝕んで来た縦割り社会構造を壊し、横一線の村社会に作り替えよう。

何がなくても、仲間が居り、自然があり、家族があり、食があり、水があり、動植物がある。

これ以上、何が要ろう。これ以上、何を求めよう。

今を満足し、今を生き、今に死す。

全生(ぜんせい)。
全(まった)きに生きる。
今を生き切る。
そんな人生を、みんなと共に生きよう。

「懐かしき未来(さと)」、「なつさと」は、そんな村々だ。

「なつさと」が世界に、散らばって繋がって行く。

それが、真のグローバリズム。

「小國寡民」が「大國多民」になってはいけない。

一国主義でも、大国主義でもいけない。

一国集中でも、大国集中でもいけない。

あくまでも「小國寡民」が自主独立しながら、 小さく連携しながら輝く。

広い連帯共生とは、しっかりした自主独立の自立がもたらすもの。
 
あのように
山が呼んでいる
海が招いている

さあ、みんなで
山に帰ろう
海に帰ろう

【こちらもオススメ】

富士山麓「あすみの里酢」

「懐かしき未来(さと)」元年

遂に「腸管造血論」が立証された【春秋の忍、晩冬の實】

宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。