無農薬への本当のこだわり【キュウリの秘めた強い生命力】

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

採り残し

「お父さん、キュウリ採り残しているよ、こんなに!」

後ろを振り返ると、家内がニコッと笑う。

「なーに、俺が採(と)った後に、そこまで育ったんだよ!!」と、訳の分からない負け惜しみで言い返す。

最盛期、100mのアーチの最後に辿り着くのに、1時間以上もかかる。

やっとのことで籠(かご)一杯に採れたと満足していたら、家内が2杯もの籠にキュウリを積み上げて、これ見よがしに私に見せる。

それほど朝晩収穫しても追いつかないほど、キュウリの成長は早く、あっという間に太くなる長くなる、それはそれは恐れ入る。

しかし、それよりも何よりも、何と見落としが多いことか、と呆(あき)れる。

自分の目の節穴(ふしあな)さに地団太(じだんだ)を踏むのだが、家内は、岡目(おかめ)八目(はちもく)なのか、物をよく見れて、よく採る。

先ず、しっかり前を向いて、目を皿のようにして具(つぶさ)に見る。

次に、立ち止まって後ろを振り返って見る。「あぁ、あった」となる。

そして、屈(かが)んで下から上を見上げる。何と天井に、数本残っているではないか。

さらに斜めに見る。するとアーチの陰に隠れて発見。またまた、逆から見ると、再発見。

そして、じっと下のマルチ付近に目を皿のように凝らす。すると忍者のように葉の陰に隠れている。まさに葉隠(はがく)れ忍法だ。

そして最後、何重にも重なった葉の向こうに黒い影、怪しい。手を突っ込んでみるとあったあった「見っけ」となる。

信じられないほど、丹念に見ても次々に出てくる。

その家内すら、後から来る息子に、「母さん、残ってたよー」となる。内心「ざまあーみろ」とやくざになる。

まさに、後生畏(こうせいおそ)るべし、なのだ。

重ねて、校正恐るべしなのだ。何度も何度も原稿を見ても直しが入るのに似ている。

そして、さらにが、あるのだ。アーチの外に回って見る。これが、最大の見落とし。あの巨大キュウリの生息地だ。

秋には、手が回らなかった蔓(つる)が外に伸びて、地べたの先に実を付ける。これは、敵(かな)わない。

見えっこないのだ。実に、あるはあるはビックリなのだ。かぼちゃと絡(から)まって30㎏50本も、9月の最終日に採れたのには腰を抜かすほどだった。

人を見ていない

これを見て、つくづく身に染みて思えるのだ。

人間も、キュウリと同じで、きっとその一面しか見ていないのだろう。その人となりは、前を見ただけでは、到底わからず仕舞いだ。

正に「群(ぐん)盲(もう)象(ぞう)を撫(な)でる」で、人の噂(うわさ)はそれぞれ的(まと)外(はず)れで当(あ)てにならない。

その人を、その物事を、全方位四方(しほう)八方(はっぽう)から眺(なが)めねば、本当の姿は、立ち顕(あら)われないだろう。

居場所や立ち位置をちょっとずらすだけで、見えないものが見えて来る。

そこに、大きな収穫物が隠れている。そうなんだ、みな隠れている。

素晴らしい可能性が、素質が、誰もが、どんな物事でも。さらに、悪しきことまでも……。

キュウリを採りながら、行き去りし人のことを思う。

「あー、見てなかったな。見えてなかったな、あの人も、この人も、済まないことをしたな、申し訳ないなー」と気付かされることばかりで、胸が詰(つ)まる。

こんなにも、人は良いものを一杯いっぱい持っているのに、何にも見てなかった自分を責めるばかりになって来る。

収穫しているのか、反省しているのか、最後には分からなくなる。

かくも、キュウリは私に、「あーでもない、こーでもない」と、コンコンと諭してくれるのだ。

なんで、露地(ろじ)にこだわるの?

専門農家では、キュウリもハウス栽培が常套(じょうとう)で、露地栽培は北国では余り聞かない。

虫は付く、菌は移る、水も肥料もコントロールできない、風で傷はつく、成りも少なく外品が多い、加えて収穫期間が甚だ短い。

良いどころか悪い事尽(づ)くめだ。プロには、家庭菜園の延長のようにさえ思われている節(ふし)があるのだ。

露地だと、お盆過ぎには、多くがうどんこ病(葉カビ病)が出て、枯れてしまう。

それでも、何故露地に拘(こだわ)るの?

一言、「生命力」。

直射日光を浴び、雨風に晒(さら)され、寒暖の変化に生き残ったキュウリの、その強い生命力を、皆さんに食べて戴きたい。

外目の見て呉(く)れでない、隠れた奥の蓄えた力が、それがイノチになるんです。そのために、農民になったのかもしれない。

10月過ぎた今も、葉っぱが枯れ枯れになっても、また新しい葉が次々と出て、生(な)り続けている。

9月で1トン。もうビックリです、その生命力の強さには。

信じられない生長

毎日、採り続けていると、これでもかこれでもか、となる。

9月も終盤、枯れて、もう駄目だろう、もう最後かな、と朝晩秋の空っ風が吹き始めると、ちょっぴり寂しく物悲しい気分になってしまう。

だが、次の朝には、行くとまたまた成っている。

「どうして、おまえは、そんなんなの?」と聞いてやるのだが、黙って実を付けて答えぬ。それが答えなのだ。

ダメと思っても、終わりと思っても、何としてでも花を付け、かわいい実を着ける。それは、健気(けなげ)なのだ。そんなにも健気なのだ。

どうして、キュウリは、こんなにも一生懸命なのか、と胸がキュンと締め付けられる。曲がりになろうが、虫に食われようが、肥大になっても、小さくても、それぞれにそれぞれが自分のイノチを生きている。

その一途(いちず)さ、その直(ひた)向(むき)さ、その素直さ、その素朴さ、その純粋さ、その可憐さ、・・・・・・もう言葉にならないくらい、一生懸命生きている。

もう一分の隙間(すきま)がないほど、一秒の休みがないほど、今を生きているのだ。本当に真剣に、真実を生きている。もう感動なのだ。

「えらいなー、えらいなー、どうしてこんなにも偉いんだろう」と思っちゃうのだ。

心の中で泣きながら、キュウリの命をもらうのだ。「ありがたいなー」って思っちゃうのだ。

妙にしんみりとなる農作業の姿なのだ。改めて、何のために、キュウリは伸びるのだろう。

諸法無我

それは、人に食べさせるためにこんなにもガンバルのだろうか。

いや、きっと、キュウリは何も思わないんだろう。ただ、成るようにして成っているとしか思えないのだ。

誰のためでも、自分のためでも、何のためでもなく、ただ命を生きているだけなのだ。

その真面目さ、その只管(ひたすら)な生きる姿は、自然のみんなみんなが全てそうなんだ。

みんなみんな兎に角一生懸命に生きている。この「一生懸命」が、自然の核心のように思った。

「かわいいなー、めんこいなー」と思って、キュウリと気持ちが一緒になったその時、仏教の「諸法(しょほう)無我(むが)」という難しい言葉が飛んで来た。

「あっ!このことなのか!!」と気付いたのだった。

「一切の事物には、主体となる我(が)がない」。まさに、キュウリは、これを悟っている。いや、そのものなのだ。無欲無我なのだ。天真爛漫(てんしんらんまん)そのものなのだ。

あのそよ吹く風も、サラサラと流れる川も、あの動かぬ崖も、チンチロリンと鳴くマツムシも、満天の星たちも、みな「諸法無我」に生きているんだ。

なるほど、合点(がってん)か。

人間も、ただ一生懸命に生きれば、自然と一緒になれると思った。人の不幸は、一生懸命でなくなったからだと思った。

そこには、何も思わず、何も考えず、ひたすら無心に生きることが、自然と一体となって生きる術なんだ。

天行健 自彊不息

昔、若い頃、中国古典の『易経』の「天行健、君子以自彊不息(天行は健(けん)なり、君子は以て自彊(じきょう)して息(や)まざるべし)」を学んだことも、フト思い出した。

「自然の行いは健全で、人も努力を惜しんではいけない」と、至極当たり前の格言を、ことさら言い立てることのないものを、と密(ひそ)かに思っていた。

だが、このキュウリを見て、初めてこの千古に古びない言葉の深い意味が理解できたような気がした。

天が休まず働いているように、人も怠けて働かなければ、幸せになれない。

本当に、キュウリを見て、そう思うのだ。与えられた命を、命のままに一生懸命生きる。

それが、幸せにつながる。それで、十分幸せになれる。ということが、最も単純で、当然のことが、理解できたように思うのだ。

人生なんて、それでいいのではないでしょうか。

人は、働くように生まれているのだ。一寸も休まれない農作業をするようになって、初めてこう思えるようになった。

息つく暇がない、のが自然の実相だろう。心臓の鼓動のように、生まれてから死ぬまで、働き続ける。そこに理由なんてない。ただ、事実があるだけなんだ。

地球の自転が時速1700km/h(赤道付近)という途方もない超高速で自転しているのに、我々の体感は全く止まっているかのように静止している。

これが、静中ニ動アリ、動中ニ静アリの本質だろう。静も必要。しかし、それは思いっきり動いている姿が静止しているように見えるだけなんだ。これは、達人の域だ。

キュウリは人生の達人なんだ。

発見の喜びと昆虫少年

「あっ、ここにあった!あすこにもあった!!」

キュウリの在(あ)り処(か)を見つける毎日の喜び。この何気ない発見の喜びの連続で、子供時代を思い出した。

数学者の岡潔先生は、数学上の「発見の鋭い喜び」と表現して、国蝶・オオムラサキとの体験を挙げている。

これと同じ経験が、私にもあった。実は、私は根っからの昆虫少年だった。

あの漫画家の手塚(てづか)治(お)虫(さむ)氏、解剖学者の養老(ようろう)孟司(たけし)氏、生物学者の福岡(ふくおか)伸一(しんいち)氏なども、子供の頃から熱烈な昆虫狂(ぐる)いだったのは興味深い。

手塚さんは、そのためペンネームを治虫とまでしたほどだ。

私は、兄の後を追い、小学校2年の時、昆虫採集に付いて行き、それから中学2年生まで熱中した。

恵庭の原始林の公園の昼なお暗い鬱蒼(うっそう)とした森に入り、谷底のせせらぎの中で、どれほどの時を過ごしただろう。

札幌の富貴堂(ふうきどう)に行き、本格的な捕虫網や三角ケース、展翅板(てんしばん)を求め、父に教えられて標本作りに夏休み中明け暮れて、自由研究には10もの標本箱を提出するほど、得意にもなっていた。

4年生の時の担任が見上(みかみ)洋子(ようこ)先生。

何時も授業中、悪戯(いたずら)が過ぎて「宮下くん、廊下に立ってらっしゃい!」と怒られて、通りすがりの学友にクスクス笑われては、立ちんぼの宮下は有名で、兄や姉の耳に入ったほどだった。

だが、その見上先生は厳しくも優しかった。

お父様が南区藤野の白川小学校の校長先生をされていた。

今もその一帯が、蛍の里になっているほどの昆虫の宝庫であって、毎年のように、夏休みになると、先生の実家に寝泊まりさせて戴き、裏山を駆けずり回っていた。

中央バスから今は無き定山渓鉄道に乗り十(とう)五島(ごしま)公園で降り、山道を一人、療養所のある簾(みす)舞(まい)までの間を歩きながら採集し続けるのが、お決まりコースであった。

お目当ては、恵庭には生息しない国蝶のオオムラサキ。

飛翔が高く、滅多にお目にかかれない憧れの品種だった。

何時の歳だったか、それを見つけた時は、息を飲むようで、咄嗟(とっさ)に振るった捕虫網に、オオムラサキが入った喜びは、50年経った今もなお鮮明に脳裏に焼き付いているのだ。

一生に一度のことだったから余程思い入れが強く、捕獲の喜びは何物にも代え難いものだった。

蝶の鱗(りん)粉(ぷん)の美しさ、天高く飛び立つ生態の華麗さは、子供心ながらウットリとして見事に映ったのだろう。

かようにして、何もかもが、昆虫を通して自然界への扉を開いて行ったのだった。

悲しい思い出

母が発病したのは、小学校の終わり頃だったか。膵臓癌だった。今でも不治の病だから、その当時父は絶望していたはずだが、知る由(よし)もない私は呑気(のんき)だったのだろう。

夏休みは、相変わらず昆虫採集に明け暮れて、藤野の帰り、札幌の斗南病院に立ち寄って母を見舞った。

すると、普段何にも言わない母が、痛みを堪(こら)えて

「私がこんなんでも、殺生するの」と呟(つぶや)いた。この一言は応(こた)えた。

それで、あれほど熱中した昆虫採集の幕が、突然下(お)りた。

子供心に、「私は何と心無いのだろう。一生、採集はすまい」と、心に決めたのだった。その半年後の2月、母は天に身罷(みまか)った。42歳の若さだった。

子供ながら、初めて、イノチというものに向き合った一瞬で、胸に今もなおグサリと刃(やいば)が突き刺さっている。

だから、自分の子供には、昆虫に興味を抱かせなかった。ために、今も虫嫌いになっているほどだ。

無農薬への本当のこだわり

思えば、この時の亡き母の一言が、今の私を導いたのかもしれない。

自然食という志向も、無農薬という拘(こだわ)りも、実はその根幹はここから来ているのかもしれない。

農薬で虫を殺さない、ということは単なる人道主義とか自然志向や環境保全とか言った観念的な他人事ではなく、私にとって、のっぴきならない母の命と引き替えのものだった。

それが、私を突き動かしているものではなかったかと、今にして思うのだ。

「おセンチになったら、駄目よ!」

家内から、窘(たしな)められる。

きれいなキュウリを容赦なく食べて外品にしてしまうテントウムシは、農家にとっては招かれざる客なのだ。

普通は、いとも簡単に殺虫剤一撒(ま)きでこれを一網打尽(いちもうだじん)にして殺してしまうのだが、当然それはできっこない。見たら手で潰す。これが、有機農家の仕事なのだ。

本来、根本に草を生やさない、風通しを良くする、水はけや潅水、肥料のバランスに気を配れば、テントウムシは来ないようになる。

私は、潰(つぶ)す振(ふ)りをして払う。そのためか、繁殖して未だにキュウリの根元が、食害で白いのが多い。

しかし、家内の名誉のために言うと、彼女は感傷的(おセンチ)ではないが、それでいて非情ではない。

自然を愛し、生き物を愛し、農業をこよなく愛する愛情豊かな人だ。

自然界は、老子の説く「天地は不仁(ふじん)なり」。老子独特の反語(アイロニー)であるが、自然は愛なんてない、と言い切っている。

生々死々、生死与奪、食べたり食べられたり、一切は一体で生死も同時である事を知っている。

生死はあるようで、元より生死はないのだ。非情にして有情なのだ。これが天地の実相である。

かように、淡々として時に容赦(ようしゃ)なく、時に涙を流し、自然と対峙(たいじ)して行くのが、百姓なのであろう。

家内は「無農薬のキュウリで、こんなに採れるのは奇跡的。この土地と自家採種と0‐1テストのお陰、残暑が長いのも大きいと思う」と。

ここは、どこにでもある農場。しかし、どこにもない農園。

私にとって、思索の場、瞑想の空間、そして、無から有を生む夢のような天国でもある。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。