グローバリズムが人類を狂わせ世界を壊している【タイの小さき村から世界を覗く】

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

1、グローバルしかなかった

皆さん、グローバルとは、何でしょうか。

(参加者の中学生が「世界的とか…」と答える。「ご明察!」)

そうですね。世界的なとか、地球全体へとかの意味で、とても夢のある、大きな希望を抱かるキーワードですね。

何か、そこには幸せが一杯詰まっている、豊かさが待っていてくれている、そんな良い事尽くめの甘美な言葉ですね。

確かに、私が生まれた戦後すぐの日本は、敗戦の焼け野原で、何にもない所に立たされた。

日本人なら、誰しもが疑いもなく、この無の出発、ゼロからのスタートしかないのですから、物を作って大きくなることしか頭にはなかったはずです。

それは無理からぬことで、当然の発想であり、出発で、そして帰結だったと思います。

私など小さい時は、着るものもなくて、千歳の進駐軍の米兵からのお下がりのカーキー色の毛布でズボンを作って履(は)かされていました。

でも子供ですから、転んでは脛(すね)に穴を開けてしまって、そこにまた毛布の当て布で接ぎをするんですね。

子供心ながら、それが嫌で嫌で、脱ぎたい。でも、暖かいんですね。他の子から、揶揄(やゆ)されて馬鹿にされるんです。

しかし、何と、そのカーキー色の毛布、今も持っていて、毎月の売り出しの看板書きの下敷きにしているんですね(笑)。

それほど、強くて丈夫で、70年は持っているんですよ!驚きますよね。

2、追い付き、追い越した日本

何でもそんなんだから、みなアメリカに憧れたのかもしれません。

取り残された敗戦国日本。この屈辱を晴らさんが為、それ以降、日本人は昼夜別なく働きに働いて、世界に追いつき、世界を追い越せ、と必死になって復興を見事に遂げるんですね。

その間、僅か20年ほどでないでしょうか。国民総生産GDPがアメリカに次いで世界2位にまで、上り詰めたんです。

「大きいことはいいことだ!」の音頭で、ドンドンどんどん、世界各地に進出した日本は、世界の憧れどころか脅威になりました。

小中学生の頃、ホンダがマン島F1レースで優勝したというニュースは、血沸き肉躍る喜びで、誇らしくも憧れましたねHONDAに、それが象徴していました。

その志向は、オリンピックや列島改造論、もうバブルが崩壊するまで、上向きで走り続け、それ以後も、あの夢をもう一度とばかり、今も走り続けている日本は、何処を目指しているのでしょうか。

3、物事も行き過ぎれば

カーキー色の毛布の歴史と同じ日本の戦後、豊かさの象徴だったはずのグローバルと言う幸せの青い鳥は、果たして幸せを私たちに運んでくれたのでしょうか。

不幸のどん底だった敗戦国民は、しかし希望と言う明日がありました。

しかし、今私たちは、チットも幸せではありません。こんなにも物が溢れて溢れて、断捨離などが流行(はや)るほどにグローバルの結果を確かに受けたのです。

でも、その成れの果ては幸せの逆、不幸せなんです。こんなはずではなかったはずです。でも、確かに、この実験は、戦後70年の試みは、失敗だったのではないでしょうか。

誰もが、肯(うなず)かざるを得ないほどに、毎日が空しい、悲しい、辛いニュースばかりが流されます。いえいえ、日本ばかりだけではありません。

世界各地では、今なお戦争の惨状が毎日伝えられています。異常気象や環境問題を告げるニュースの無い日がありません。飢えの難民は、国を追われて行く当て所もありません。

大国のグローバリズムのお陰で、世界はメチャメチャに壊れて行っています。

もう防ぎようも、守りようも、戻しようもなく破壊されてきました。

結局は、グローバリズムって、お金なんです。拝金至上主義が、人類を狂わせた。世界を狂わせた。

それはわずか1%にも満たない寡頭権力者の支配で、救いようのない末世が到来してしまった、という感です。

4、グローバルと まほろば

そんな時、グローバルの対極にあるローカルの持つ大切な意味合い、もっと言えばこの世の救いを地方に求めるムーブメントが、世界各地に沸き起こっているんです。

まほろばを創業した1983年頃は、ちょうどバブル絶頂期で、次第にはじけて行くんですけど、その世の中の動向を全く知らないで商売を始めました。

無一文から店を起こして3年で会社にし、即2店舗を一挙に開いたんです。

それが不思議で、どうしてそれが可能だったか。今思えば、それがグローバリズムの上げ潮みたいな影響を少なからず受けていたのかもしれません。

そして15年後の1998年。その年、記念すべき浄活水器「エリクサー」を開発して、世に送り出したんです。

そして、同じ年に「小国寡民」という老子の言葉を社是として一文を書き、会社の方針がようやく決定したんですね。

なんとなく感じていた拡大志向から、むしろ縮小志向へ、方向転換するんです。といっても小さな会社ですから、外に向かって大きくするより、内に向かって多様性を展開するようになったんですね。

それが、農園であったり、オリジナル製品開発であったり、微生物研究であったりと多面的になったんですね。

実は、外に広がるより内に向かう、一極に向かうより外に広がる。

こんなダイナミックで循環する動き、流れが、世の中の気と言うか、潮流として流れ始めたのでしょうか。

ですから、最も思うことは、江戸以降、東京に一極集中されたエネルギーの流れを四方に逆流させる。

文化も政治経済も教育も何もかもを切り離して各地に特性を持たせる。

地方再生、地域生活を旗頭に、人々を辺境の田舎で、ゆったりした生活に目覚めさせる。

伝統文化の継承や風土に根差した新しい生活様式を創造する。要するに、みんなが活き活きした毎日、生き甲斐の持てる人生の場を提供することを提案したいのです。

5、「懐かしき未来」とヘレナ女史

丁度、時同じくして、1998年、イギリスの言語学者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ女史が、印度・ラダックに入域して長期滞在し、その昔ながらの暮らしぶりに魅了され、それと伴に近代文明が急激に入り込むや、自然環境や伝統文化が音を立てて崩れゆく様を憂いて、一冊の本に纏めるんですね。

それが「Ancient Futures/懐かしき未来」。名訳ですね。

今までその動きを、不勉強であまり知らなかった。でも、この「懐かしさ」というキーワードは、まほろばのキーワードでもあったんです。

というより、私自身の十代の頃からの道を求める信条が、この「懐かしさ」だったんです。

それは数学者の岡潔先生が説かれる「情緒」が多分に影響していて、情緒とは「昔を懐かしむ心だ」という生き方だったんです。

まさに原文のAncient太古を求め、それを未来に開くことが人生だ、と信じていたでしょうね。だから、大和の枕詞「まほろば」という名前を付けたんだと思います。

そのヘレナさんが、今回東京で開かれた「しあわせの経済 世界フォーラム」を主宰されているんです。

グローバリゼーションへの反省と批判、そしてローカリゼーション運動へ最先頭に立って世界を誘っておられます。

もう、次々と世界各国で開催されて、驚くほど多くの気付きの人々が、今声を挙げているんですね。

6、辻信一さんと

日本では、文化人類学者の辻信一さんが、日本代表として、これを受けて開催されたんでね。

よくぞ、これだけ多くのゲストを招待して、多くのスケジュールを実現されたこと驚くばかりです。

今や、スローライフ、スローフード、GNH、キャンドルナイトなどの名付け親・提唱者でもあり、夥(おびただ)しい著書を出されておられます。

日本のローカル経済の牽引者でもあります。今回、多くのゲストの素晴らしいスピーチがあり、特に辻さんの心の師、サティシユ・クマール師の感動的メッセージと、先のヘレナ女史の講演の内容を後半に掲載しました。

7、カレン族の生活は宇宙哲学

世界のゲストの中で、タイの先住民カレン族のスウェさんとオシさんに、今回まほろばにお越し頂きました。

その経緯は、辻さんが屋久島で会った、森林伐採の反対運動で、5000万本の木を得度させ、僧侶にさせることで伐(き)らせなくした方こそ、タイの山奥で会ったスウェさんのお父さんジョニ・オドチャオさんだったんですね。

そんな不思議な出会いから今回のご縁が巡りました。

スウェさんの子供さんが生まれた時、その臍(へそ)の緒(お)を竹筒に入れて木に縛り、それを子供の木にすると、その精霊が一生子供を守り続ける、と。

そんな森林の掟(おきて)と言い伝え、その生きるイノチに精霊が宿るという信仰や生活が、現代の我々に失った何か大切なものを思い出させます。

思えば、エリクサーの色々な植物や鉱物を混ぜてセラミックを作る際、それぞれに宿る精霊(スピリット)に、ある種のセレモニーを行うんです。

何か同じシンパシーを感じて、嬉しくなりました。現代人はともすると、精霊なんて迷信臭いって不審に思うでしょうし、何か下等に見下すところがあるんではないでしょうか。

しかし、万物に精霊が宿るとした日本の古神道はそれを八百万の神々と崇めたんですね。

そして、それは一つの存在、天照大神の大いなる母に連なる。

これを、老子は「道は母なり」と称し、「小国寡民」こそ、そこに辿る生き方であると説いた。

カレン族の生き方って、一つ一つの木々を通して、宇宙大母に至ることを知っているんです。

老子は、荒れ狂う戦国時代に、ひっそりと山奥や山里の郷村に息づく生き方こそ、平和の原理、理想の姿だと、知るんですね。

2000年を経ても存在していた、そんな理想郷を先住少数民族のカレンのノンタオ村に見ることができます。

8、二つの「森林農法」

そして、ノンタオ村の「森林農法」を聞いて、ちょっとビックリしました。昔を思い出したんですね。

実は、21年前、ここの小別沢のまほろば農場で、自然農法を実践していたんです。

「植物との対話」という小冊子に詳しく書いています。

その頃、エリクサー開発前夜だったので、常磁性のキャラハン博士の尖塔を畑に立てて、畑にパラマグネティズム(常磁性)を流そうと考えたんですね。今も立っています。

そんな畑の上で、粘土団子を蒔いたり、不耕起、無農薬、無肥料、無除草を実践していました。0―1テストで植物に「肥料欲しいかい?」と聞くんですね。

そうすると「うぅん、欲しい。でも今我慢する」って出たりするんですね。

そんな植物との会話をしながら、これ何という農法だろう、と思ったんですね。

周りは、三角山の入り口で、森に囲まれている。「あぁ、そうだ、この樹々の精霊と共に育てられるから『森林農法』って名前が良いな!」と閃(ひらめ)きました。

森林を伐採して農業が出現したのだから、今度は農業を元の森林に還す、そんなイメージがあったんでしょうね。

それが、再びとここで出会うなんて、思い出すなんて、何ということでしょう。

9、農業が無かった縄文文明

日本とタイを繋ぐ糸が、実はこの森林だったんでしょうね。

日本も、元々原生林で国土が覆われていたでしょうから。縄文時代は、ドングリや栗などの森林を増やして主食として、決して伐採して農業をしなかったんですね。

だから1万5000年~3万7000年間続いたと言われています。

世界最古の文明で最も長い。四大文明は、せいぜい4000年で、ついには滅びますね。米が登場するのは極々最近の2000年以降のことです。

ですから、日本の主食は米、「瑞穂の国」と言うのも、本当は当たっていない気がします。

その稲作栽培によって、上下関係や貧富の差を起こす権威の象徴にもなり、その争奪で戦争を始める。いずれにせよ、米は外来種です。栗などは在来でしょう。

マクロビオティックでは、米が人間の中心・原点のような言い方をしていますが、どうも違う。米は古代日本の本来ではないような気がします。

10、循環するコーヒー栽培

ノンタオ村では、あらゆる作物を満遍なく生産して自活して行くのですね。

しかも、今回の「レージーマン・コーヒー」も生産している。ただ、生豆を生産して輸出するというのではない。

栽培、収穫、焙煎、出荷まで一連のサークルで、仕事をしている。村のブランドとして販売責任を持って。しかし、彼は、それ一本で拡大生産しようとしない。

モノカルチャー単一作物を広範囲に効率的、合理的に作るのではない。プランテーションにならない。全体とのバランス。全体の中の一つとして位置付けているに過ぎない。

小規模栽培を崩さないんです。そこが、とても大事な抑(おさ)え処(どころ)なんです。

そこに、踏み止まる抑制力が、持続可能な未来を拓くんです。東洋では、「唯足(ただた)るを知る」という智恵ですね。

11、雑の相補思想

大橋店長に「顧問、もう少し野菜の種類を抑えて、少なくして、効率的にやって、お体楽してください」と、優しく言ってくれるんですね。

でも、家内は昔から、中々言うこと聞かない人で、本能的に分かっているんでしょうか。

まほろば自然農場は、100種類から、多い時は150種類ほど、沢山作る。メチャ忙しいけど、そうするとどうなるか。

例えば、簡単な例ですが、昨年は胡瓜が一杯穫れたが、トマトはメタメタ。それが、今年は全くの逆。どっちか一つだけだったら、全部ダメになる。

それが100種類以上、相補関係になる。そして相乗関係にもなる。

これは商売にも繋がることです。

「まほろばって、どうなっちゃてんの?」とよく言われるくらい、いろんな物を置き、いろんな事をしていて、訳分かんない会社、掴(つか)み所のない店なんです。野菜がダメなら、魚。魚がダメなら、浄水器。浄水器がダメなら味噌。こんな風にお互いが補い合ってるから総崩(そうくず)れしないんですね。これが商売のコツです。

この間の世界フォーラムで「雑」会議がありましたが、それですね。複雑系というか、雑多、粗雑、雑然……。

何か、負のイメージありますが、実はそれが、救いなんですね。純一、完璧、正確……何か疲れますよね。壊れたら、それでお仕舞的な脆(もろ)さがある。

雑種は強い、雑草も逞(たくま)しい、そんな根強いというか、何か地方の田舎のイメージがありますよね。

生き抜く力みたいな雑種共生です。これが、ローカリズムの本質でしょう。いや、自然の真相なのかもしれません。

12、レイジーマンと福岡翁

スウェさんの農園を、「Lazyman Farm レイジーマンファーム」=「ナマケモノ農園」と名付けています。

それで思い出すのが、福岡正信先生です。

「儂(わし)は、道後温泉で湯に浸かり、昼寝出来る農法をしたいんじゃ」と、何にもやらない自然農法を発想して、実践するんですね。

それはそうです。耕さない、草も刈らない、肥料や農薬もやらない。やらない尽くしですから、それは暇ですわ。放っといても成るんですから、楽なもんです。

でも、実際は先生の山は、ミカンや野菜が成り放題で、出荷したらダメなんです。

そのまま鳥や土の餌です。まあ、天国ですよね。動物や植物の楽園で、そこに居るだけで、極楽往生ですよ。

でも、向かいのミカン畑では、息子さん夫婦と孫夫婦、研修生が必死になって収穫しては出荷作業に大忙しなんです。やっぱり、生きて行くためには忙しくなる。

みなさんから、「社長は仁木で悠々自適生活で、羨ましいですね」って言われるんですね。私も、そんな期待を多少抱いて来たんですけど、大違い、見当違いだった。

ここ2か月、店にまるっきし帰って来てないんです。社長失格。

この会の為、今日は止む無く会社に戻った。そんな状況で、農業は一日も休めない。とにかく出荷しなければならない。

耕す、種まく、収穫する、まだまだあって人手が足りないんです。生涯で、こんな忙しい、体を使うことをしたことが無い。LazymanどころかBusyman(笑)なんです。

辻先生あたりも、スローライフのために、世界中を飛び回ってビジーライフなんですね。お互い、言うことと、やっていることが、こんなにも違う(笑)。

それは、どうしてかと言うと、自給自足の物々交換のゆったりしたローカルでなくて、やはり換金の為に、他給他足の生業(なりわい)の農業から、今の所脱せないんです。

資本主義経済社会の枷(かせ)に取り込まれて、中々抜け出せない。

何から何まで、ここで出来ればいいんですよね、完結すれば。きっとその内、そんなコミューンが方々点在するようになるでしょう。

まだまだ移行するためには、時間がかかりますが。若い人たちに大いに期待したい。

タイのカレン族での生活は、何でも自前自活が出来ちゃう。食事風景も豊かですね。織物もあり、簡素な家も、快適そうです。三世代四世代の暮らし。

もう一度、こういう生活に戻さないと、世界平和なんて、実現しようがありません。

13、「ビルマの竪琴」とオシさん

戦後すぐに、竹山道雄さんが書かれた「ビルマの竪琴(たてごと)」。

私が生まれて間もなくの頃、これがすぐ映画化されたんです。

日本ビルマ軍と印英連合軍との戦争中、水島上等兵が仏教に帰依して、戦地で亡くなった戦友の英霊を弔うためにビルマ(現ミャンマー)に残る話です。

捕虜収容所の帰還兵の仲間が一緒に帰ろうと必死に引き留めるんですけど。

みんなで「埴生(はにゅう)の宿」を歌い、最後に水島さんは竪琴サウン・ガラで「仰げば尊し」を弾き、「今こそ別れめ!(今こそ、ここで別れよう!)いざ、さらば」と、密林の中に姿を消して行くんですね。私が小学校に入るか入らないかの頃だったと思います。

哀しくも尊い切なさという情緒を知りました。

その頃から、ビルマやタイに、何かしら親近感を抱くようになりました。

あのマレー半島で活躍した「怪傑ハリマオ」にも、そんな懐かしさがあります。今日、オシさんが、自分で作られたこの竪琴で演奏してくださいます。

素朴な音色は、字の通り人の心の琴線に触れる、何か遠い自分を思い出すかもしれません。

14、祖先の血は同じ

ちなみに、氷河期の終わり、約13万年前、日本人は出アフリカから中東を通り、印度東南アジアを越え、北上して日本列島に辿り着く。

その間に、ウズベキスタン、チベットやこのタイ・ビルマに留まる者も居て、それで何かを感じられる。

同じY遺伝子DNA同士が、惹(ひ)きつけるんでしょうね。同じ「照葉樹林帯」の文化圏で、生活習慣や文化、食べ物が大変近しい。

その中で、長く先住民族として、自給自足の生活をされて来たご先祖は、これからの私たちの行く手を照らす模範であり、理想でもあります。

本物の「小国寡民」のモデルが在った訳です。

同じ顔をしているように見られるスウェさんやオシさんとタイ人。でも、向こうでは、国内で先住民族として差別や迫害を受けているそうです。

日本の和人とアイヌの関係です。小さい部族や種族が、伝統的生活文化を守りながら、生き延びられるローカリズムの世界が各地で花開きますよう、これからも交流して参りましょう。

それによって、私たちの拠(よ)って来たる処(ところ)がダンダンと分かって来る。

これから、何をしたらいいか、どうしたらいいかが分かって来る、気付いてくる。彼らは、そんな大先輩です。

将来が楽しみです。また、ぜひ来日来道してください。今日は、ありがとうございました。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。