磯貝昌寛の正食医学【第79回】自己治癒力を高める心
喜びと自己治癒力
人間の底力というものは、周りの人が喜ぶ姿に感動して出てくるもののようです。
平昌オリンピックを見ていても、選手のパフォーマンスに応援している人たちの熱狂的な応援と喜びが共鳴して、もの凄い感動が生まれています。
テレビで見ていてもその興奮は伝わってきました。
子どもを見ていても、子どもには親の喜ぶ姿が何より嬉しく、自分の振る舞いを見て喜ぶ親の姿を見ることが何よりも幸せなことだと、子どもの表情は物語っています。
次男( はるのぶ)は道場に来る方との交流が大好きで、ちょくちょく道場に入り込んで遊んでいます。
春になると、ヨモギ、ツクシ、フキ、ノビル、山ウド、カンゾウなどの野草が所狭しと道場の周りに生え始めます。
はるのぶはツクシ摘みが好きなのですが、調理をするのがさらに好きなのです。
調理をしたツクシを道場に居る方々へ振る舞うと、小学生が作る野草料理にどなたも感動してくれるので、その喜びを受けたはるのぶはさらに喜びます。
はるのぶの喜びは、道場に来られる方を喜ばせることになっていますから、オモシロイことです。
子どもは成長するにつれて、自分の行動が周りの人を喜ばせていることを認識するようになります。
周りの人の喜びが大きくなればなるほど人間として成長している証です。
しかし、周りの人がいくら喜んでも、それを鼻にかけて自己満足しているようだと、結局、周りの人は喜びを帳消しにするような行動に失望しますから、返ってよくない場合が少なくありません。
人間は、自分の身体の状態が調和的になり、精神的な状態が他者と共感・共鳴できた時に、底力が発揮できるようです。
人間の底力というものは、日々の食と生活がシッカリしたものでなくては発揮できません。
そして、他者の喜びに喜ぶ経験を積んでいかなければ、いざという時に底力が発揮できません。
ですから、妬んだり、拗ねたり、心にわだかまりのある状態では、決して底力は発揮できないようになっています。
人間だけではありませんが、生きるものすべてに自己治癒力( 自然治癒力とも免疫力とも)が備わっています。
この自己治癒力こそが底力の典型です。
自己治癒力が落ちている時は、喜びを感じる力が弱っています。感動したり共感したりする力も弱まっています。
逆に言えば、喜んだり、感動したり、共感・共鳴することが自己治癒力を高めようとするのです。
心と身体は一体です。心が身体をひっぱることもしばしばあります。
身体をひっぱる心を作る大きなコツは、周りの人を喜ばせることにあるのです。
共感と自己治癒力
自己治癒力( 免疫力)を高める最も大きなもののひとつに、「他者との共感」があります。
同じ病気の人同士が会って話をするだけでも、そこに大きな共感が生まれて治る力を後押ししてくれます。
身体の病気だけでなく、同じ心の病気や同じ不安や心配を抱えている者同士の語らいも、自己治癒力を高める大きな要素になっています。
人は他者と共感することで、不安で重くなった心を軽くします。心が軽やかになると、今の自分を俯瞰して見ることができます。
自分自身を客観的に見つめることができると、今やらなくてはならないこと、やった方がいいこと、やれること等、心身の整理がついていきます。
世の中を見渡すと足を引っ張り合いながら生きている人もいますが、人は本来、人間同士、磨き合いながら生きていくことができます。
人と人が切磋琢磨しあって生きていくということは、陰陽でみると中庸なことです。
陰に偏ると妬み拗ねみが強くなり、陽に偏ると罵詈雑言を浴びせたり、暴力を振るうことさえあります。
人は陰に偏っても陽に偏っても不安定になっていくのですが、他者との共感は陰陽の偏りを中庸へ戻すハタラキがあります。
食養指導を通して多くの人と関わらせてもらう中で気づいたことです。
不安な心を持っていると、その行動にはムダな動きが多いものです。面談や電話で食養相談をしていても、本人の不安を拭い去らないと、疑問質問が多いばかりで実践が伴いません。
ところが、合宿や個別指導を通して泊りがけで生活を共にすると、実際の食養生活を体験することと、合宿の仲間や私との共感が大きな後押しとなって食養生活が軌道に乗っていきます。
「迷ったら行動」。私の心がけていることのひとつです。
家の中で、日々の生活の中で、指をくわえて待っているだけでは人生は好転しません。
人生は行動と実践の中から好転していきます。
私を訪ねてくる人の多くは、人生の迷いに直面した人たちです。
私も人生の迷いをマクロビオティックに救われたのですが、思い返せば後に師匠になる大森英桜との出会いからでした。
大森に出会ったことで自分の志すマクロビオティックの強い共感が湧き起こり、人生の一歩を踏み出せたのです。
大森に会いに行こうという行動がなかったら、今もドコかで彷徨っているか、早々にあの世に行っていたかもしれません。
人生はオモシロイものです。行動が人生を左右します。
共感が生きる力を湧出させます。「人はパンのみにて生きるにあらず(※)」。人は新しい出会いの中から新たな力が湧き起こってきます。
迷いと陰陽
将棋の羽生善治さんの著書『迷いながら、強くなる』( 三笠書房)を読んでいると、「迷ったら待つのも有効な手段」と書かれていました。
「万物陰陽より成る。」すべてのことに陰陽があるものだと改めて感じ入りました。
将棋の格言のひとつに「手のない時には端歩を突け」という言葉があるようです。
何も有効な手段が見当たらない時には端の歩をひとつ動かして様子を見るのがいい、という意味のようです。
また、端歩は盤の端なので有効とは思えないのですが、実はとても価値のある一手だったりするようなのです。
その一手で相手からの動きを止めたり、攻める時に幅が広がったりすることもよくあるといいます。
ですので、端歩のことを税金(いずれ払わなければならないもの)と表現することもあるようです。
何をしたらいいかわからない時には、「待つ」というのも有力な手段です。
あえて何もしないことによって状況が変わるのを待って、その時にアクションを起こすわけです。
待っている中で状況を整理したり振り返ったりしながら、ベストな好機を見つけるのです。
迷ったときに「行動」するのか、「待つ」のか、ここで判断力が試されます。
シェイクスピアが「to be or not to be,that is the question. 」と言ったのにも通じるかもしれません。
行動した方がいい時には行動し、待った方がいい時には待つ。これが一番よいのですが、なかなか難しいものです。
性格を陰陽で考えると、陰性タイプの人は消極的だったり控えめだったりします。
陽性タイプの人は積極的で行動的です。性格の陰陽からくる「迷いの時」には、陰には陽を、陽には陰を手当てのように対応したらよいのです。
陰性の性格の人が迷ったら行動し、陽性の性格の人が迷ったら待つ。もちろんすべてがこれで対応できるわけではないでしょう。
状況によっても対応は変化します。しかし、陰陽の思考法は、迷いの解決や解消に大いに役立つものです。
とはいえ、陰陽で考えると余計に訳が分からなくなることもあるかもしれません。
そんなときは陰陽を手放してみる、ということも大事なことです。
迷いが強ければ強いほど、真剣で本気な訳ですから、人は強くなります。
迷いを楽しむということもなかなか難しいものですが、本気で取り組んでいるからこそ悩むわけです。
悩むことは人を成長させてくれる大変ありがたいことです。
※新約聖書 マタイ福音書四章の名言
人は物質的な満足だけを目的として生きるものではなく、精神的な満足(支え)が必要である。人間は物質的な満足だけを求めて生きるものではない。
月刊マクロビオティック 2018年7月号より
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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)
1976年群馬県生まれ。
15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。
食養相談と食養講義に活躍。
「マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。