「風力発電を問う」風の祈り 第二章

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

一、風車が目の前に

「古平・仁木・余市ウインドファーム」。

余市は既に「小樽・余市風力発電所」計画で、双日㈱との交渉が始まっている。

しかし、独り古平町の動きが、全く見えない。

どうしたことだろうか。自ら動くしかない。

幸い美国(びくに)に、お客さまの伝手(つて)があり、大きな農園や福祉施設を紹介された。

ある園主を訪ねると、「90万坪の牧場を売却して、そこにもう風車が4基建っているよ」と教えられた。

振り返ると、何と既に高台に風車が建っているではないか。

「もう稼働しているのか!あー、遅きに失した」

そのショックと逸(はや)る気持ちを抑えて、丘に向けて車を飛ばした。

二、授産所の横に

間もなくして歌棄(うたすつ)地区の山間に入ると、そこに古平福祉会があった。

銀山の数倍の規模に及ぶ厚生福祉施設で、作業場、宿泊施設、本部諸々の建物が立ち並んでいた。あいにく日曜日の為、役員の方はお休みであった。

職員の方に風車講演会の資料を渡し、代表幹事に伝えてくださることをお願いした。

その建物から巨大風車が、真正面に見える。

前を通る一本道が、工事道路になり、頻繁にトラックが通り、慌ただしかったという。

今度の計画も、この道を通るのでしょう、と言われた。

その行く先の道は茫々として草に覆われていたが、突破してさらに先を目指した。

施設から500mもない所に、風車は林立していた。

真新しい巨艦は、重苦しい唸り音を軋ませながら鳴り続けている。

「これが、低周波音というものか」

この何とも言えぬ重低音が鳴り続ける毎日は、とても居たたまれない、とても耐えられるものではない。

国内外の被害報告とは、このことだったのか、と改めて風車の恐ろしさを、身をもって体感できたのだ。

しかし、実際生活する人は、逃げることができない。

場合によっては低周波音被害に遭い、原因も特定されぬまま体調を壊す人も少なくない。

三、全国の報告

道内外の風車問題の代表を務められている佐々木邦夫氏が、この運動を始めたのは、自宅から約200m付近にある小型風車の低周波音による体の変調を自ら体験し訴え始めたのがきっかけであった。

その動画を、講演会で披瀝されるが、その何とも言えぬ不快な連続騒音は、誰ともいわず耐えられるものではないだろう。

私達「なつさと」メンバーも、これから入植する地域に、風車が林立するという事で立ち上がった。

人は、自らの身に差し迫った問題でないと、自ら蹶起(たちあが)ることは出来ない。

風車建設立地地域の住民となって、初めて様々な問題を知ることになり、それにより全国各地で反対運動が起きている。

次に紹介するのは、和歌山県由良町の由良守生(ゆらもりお)さんの活動報告だ。

由良町には、既に21基、風車が建っている。

平成23年(2011年)、11年も前のことだ。その低音障害を、もろに受けたのだった。

当時、町会議員で、元より農民であった氏は、その害を訴えたのだが、だれも聞く耳を持たなかった。

誰もが錯覚だろう、と疑惑の眼に晒された。

実際、いわゆる「風車病」に罹(かか)っている人が潜在的に多くいたことを知った。

1000人中300人だったのだ。

では、その人たちが一斉に蜂起したかと言えばそうではない。

田舎の利害縁故が絡み、なかなか人の意見を纏めることは一筋縄ではいかないからだ。

今日、風車病が全国に知られるようになったのは、氏の訴えが大きい。

自らの生理的苦痛に加え、欧米の報告や現地調査、自身土木調査士でもあることから、科学的にも綿密に裏付け調査・エビデンスを蒐集して積み重ねた。

しかし、当初、クリーンエネルギー、自然再生エネルギーという美名のプロパガンダの元、大手企業の利権と市町村の財政補填源が結び付き、住民の無知をいいことに、心身変調の声々を無視し、これを推進し、驀進(ばくしん)して来たわけだ。

いわゆる補助金に幻惑されて来たのだ。

中には、国からの補助金が、20%から50%も降りるとの濡れ手に粟のような甘言に乗って、この事業を進めて来た環境保護団体もあると聞く。

国の策略で、思う壺に嵌(はま)ったのだ。

いわゆる環境に良い、自然にやさしいという耳障りの良い「ポリコレ」に騙されて来たのだ。

これが、「サイレントインベージョン」即ち【静かなる侵略】という代物である。

いやこれは今に始まったことではない、戦後78年ズーッとGHQが、敗戦国を手玉に取って来た常套手段なのだ。

SDGs、CO2削減「カーボンニュートラル」という正義漢ぶった、もっともらしい影の勢力の世界戦略に、ますます日本の国土と財源、人権が奪われてゆく。
 
北海道の寿都の沿岸に林立する風車群は、誰の眼にも明らかで、目を引く。

ところがここ一帯には、老人ホームや介護施設、授産施設が多い。

何故、選りによってこういう周りに建てるのだろうか。

それは、「年寄りや障碍者は、感覚が鈍いので、文句を言わないから好都合なのだ」という推進者の声があったという。

それは冗談だろうと思いたいが、もしそれが本当なら、それは残虐行為、人権無視でしかないだろう。

折角の終生安穏(あんのん)の地が、墓場と化すのか、酷い話である。

あくまでも、これは噂であってほしい。

まさに、風車は、第二の原発問題となって来ているのだ。

四、歌棄(うたすつ)の山から

この歌棄(うたすつ)の山から、余市、仁木の山々が一望できる。

まさにここから始まるように、ここで終わるように、山伝いがすべて白い鉄塔で覆い尽くされるのだ。

なんという凄まじい光景だろう。ここに最大64基を建てると、関西電力が発想した訳だ。

この所有者は、誰だか分らないが、実際この授産施設で働くO女史は、飛行機に乗ったような耳圧に悩まされるようになったという。

何と、今年3月の稼働開始だから発症時期が一致する。

病院に行っても、原因不明、一時のものですと診断されたそうだ。

自宅が、風車から10㎞離れていても、そうである。ましてや日中、近くで働いていれば、なお更である。

そして、知人の飼い犬が、異常行動を起こしているという。

夜中、不眠で寝られず騒ぎ出すというのだ。これには、家人がほとほと困り果て、訴え出したのだ。

それは、偶然の一致だろうと言えばそれまでだが、そうとも言えない同じ状況が世界中で無数に起こっているのだ。

現在までのオランダ、ドイツ、フランス、オーストラリアなどの欧州のデータや、先の由良町の報告は、こういう周辺の些細な変化から拡大して大きな運動のうねりになって来た経緯がある。

まさに川上の巖(いわお)の一滴なのだ。

あの神通川のイタイイタイ病、工場水銀排水の水俣病、世界的ヒソ問題でも、末端に広がった時には、病巣が深部に蔓延(はびこ)り、引き返せない、取り戻せない環境汚染、公害問題となっている。

社会が取り上げる頃には、時すでに遅しとの取り返しのつかない事例がこれまでどれほどあっただろうか。

北海道だけでも3000基。

計画すべて完了した暁には、いかなる大事態になっているか、だれが想像できよう。

こういう周辺の身体的精神的異変は見逃せない、無視できない事実となって来るのだ。

漸次、低周波音などの細密な報告も載せて行こうと思う。

まほろばでは、25年前、エリクサー製造発売開始の頃、アメリカ農務省の首席昆虫学者であったP・S・キャラハン生物・物理学博士から、エリクサーセラミックスの発する14・1ヘルツという極低周波のウインドウ効果を絶賛するコメントを頂いた。

博士は、その世界のオーソリティなのだ。その辺りの消息も紹介できよう。

五、「STOP! 風車」学習会in仁木

慌ただしい準備期間を経て、10日の銀山での説明会に続き、20日の仁木町役場町民センター多目的ホールでの学習会が開かれた。

町内外から100名を超える参加者があり、役所や議会の方々も見えられた。

講演者は、

佐々木邦夫「風力発電の真実を知る会」他代表
土井茂子「スェーデンヒルズ町内会風力発電問題対策委員会」専門部会メンバー
斉藤武一 市民団体「岩内原発問題研究会」代表の3名。

その後、質疑応答の時間が設けられた。

(当日の様子は、youtubeで見られます。https://youtu.be/m4sxN065mjA
 
① 第一声、司会の酒井雄大さんと瀬川裕人代表が

「私の3歳の娘は、「大きな風車が建つと、ここにいれない。だって、大きな熊さんが下りて来るんでしょ」この一言で、私は変わった」と、酒井さんは口火を切った。

仁木大江地区に「こども農学こう」が建つので、二人の子供の未来のために、ある農業団体職員を退職して、ここに引っ越してきた。

しかし、突然の風車計画で、振り出しに戻ったのだ。土地購入や移住を断念した多くの仲間と共に、路頭に迷っている状況を打破したいとの思いで、この場に立っている、と。

「「風の谷のナウシカ」の腐海のようになるのでは‥…」、銀山から未来を垣間見た瀬川裕人代表の挨拶。

「今だけ、ここだけ、自分だけの風潮を憂い、出来る人が、出来る事を、出来るだけをモットーに授産施設「あんごの会 銀山」を立ち上げた。

初めて銀山での説明会を開き、大半の住民が風車建設を知らない、北海道に3000基もの風車が建つことを知らない、みんな何も知らないことだらけに驚いた。

風車の耐用年数が過ぎたら、誰が始末を?不眠や不調は、誰が保証を?土地が、農産物が、ワインが、値下がりしたら、どうするの?ECOや脱炭素って本当に自然にやさしいの?

次々と疑問が湧いて来た」という。

このみんなと同じ目線で、仁木住民に問いかけようとこの会の代表となった瀬川さんに今後を期待したい。

② 斉藤さんの紙芝居

最初、登壇されたのは、泊在住の斉藤武一さん。

斉藤さんと言えば、泊原発で、40年もの長い間、岩内湾での海水温度を測定し続けて、海水温度上昇により漁獲量が激減し、泊住民の癌発症率が全道一の衝撃的な報告をされた。

その訴える武器が保育士の頃培ったお手製紙芝居なのだ。

全道300カ所で講演をされたという。正に筋金入りの闘士なのだ。単なる知識の受け売りではない。

雨の日も雪の日も嵐の日も、湾に通い詰めた誠実、実直の真理探究家なのだ。優しい言葉の中に、深い含蓄があって、心打たれる。

過去に、まほろばでも、原発紙芝居公演があり、それを印刷したのがきっかけで、絵本も上梓された。

1985年着工だったから、まほろば開業2年目のこと、ほぼ同じ40年近くの歩を歩む。

その頃、まほろばも原発反対で、泊予定地まで日参した、まさに志相通じる同志なのだ。

北電を囲んでデモで大気勢を挙げたのが、まるで昨日のようだった。

今回このようにして、再びここで見(まみ)えるとは。

旧友に再会した喜び、心強さは何物にも代えがたい。

長年続いた原発紙芝居が、今年から風車に代わるほど、その問題の根の大きさ、深さを物語っている。

道南の洋上風車問題も深刻である。各首長の思惑によって賛成・拒絶が真っ向からぶつかる。

毅然として利権に浸食されない正義の長はいずこに。

首長の判断が、町民の幸不幸を、町の未来を決定するのだ。これは、道とて同じこと、いわんや、国においてをや。

昨今、デジタル映像の講演が殆どの中、アナログの手書き紙芝居は、やはり心に響いた。

数字でも、文字でも、手書きはその人柄を映して、何ともいえない温かみが伝わる。

斉藤さんのお人柄が、やはり画面に滲み出る。

それは、月並みな表現だが、やはり愛。人を、自然を愛する情。

ここが、まほろばに通じる、共感するところなのだ。

この仁木町特別バージョンで、驚くべきことは、二つの山間の谷に町が在り、風車が発する低周波音が向こうの山に反響して戻り、増幅することの害である。

そして、下の平地に乱反射、宅地に打ち付けられるのだ。

これは先の由良町の先例「低周波音の地表へのへばりつき」と似ている。

間違いなく住民の中から「風車病」が発症するであろう。この警告は、心して拝聴すべきことなのだ。

この日のために、仁木町民のために紙芝居絵本を作り、限定無料配布させて頂いた。広く拡散されんことを。

③ 土井茂子さんの語り

話の終始に、ついに風車のことばは出なかった。

彼女の心根の初めは、平和、調和、愛。

それが、彼女の一筋の人生であり、生き方なのだ。

だから、反対のための反対ではない。こちらも、むこうもないのだ。

みな一緒の目線ですべてを見ている。だから、彼女には、怒りも憎しみもない。

ただ、最後は、皆の幸いのための、どうすべきかを考え、行動し、お話しする。

元より、彼女には対立という概念がないのだ。すべてを覆って、話をする。

まるで剣なきジャンヌ・ダルクのような精神で、辺りを変える。人を変える。国を変えようとする。

そんな光の天使のように、現れたのだ。

町長を、町政を批判しているのではない。一緒に、やりましょう、と説く。

町長を後押しするのは、私たち町民ですよ。

矢面に立つのは、町長さんお独りなのだから、助けましょう、支えましょう。

安心して、町民の代弁として、道に、国に訴えて下さい、と。

いつも、何処でも、あなたを応援しています、よ。

聞くものをして、誰もが拒むことなく受け入れてしまう人徳。

革命という旗印は、本来こういう優しい慈しみの投げかけを言うのだろう。

「この小さな問題は、日本人を覚醒するのみならず、世界を覚醒するものだと確信しています。しかし、毎日毎日の一人ひとりの地道な署名活動や運動が、その核だと思います。」

ごくごく身近な一点の視点、と同時にどこまでも広い世界的、宇宙的眺望。これが自然の内に融合しているのだ。

柔よく剛を制す。小よく大を倒す。

戦法を変えるのだ。向かうのではない、包み込むのだ。

力づくの革新ではない、愛の想いこそ革命。

それが何事をも可能にする、より現実的近道だった。

④ 佐々木邦夫代表の説得 

物事の体験は、事を進める原動力である。

斉藤武一さんと言い、佐々木代表と言い、低周波音の第一被害者で在ったことが、事の初まりだった。

それが、これほどまでに、道理を究め、人々を牽引するパワーになるものかと思った。

誠に卑近な例で申し訳ないのだが、仁木町の自宅は、昔ながらの汲み取り方式のボットントイレである。

匂い消し扇風機が無停止に回っている。この不快な唸り音が、日常間断なく室内で聞こえたら、たまらないだろうと常日頃思うのだ。

これが大型風車なら、なお更のことである。

耳鳴りも左右から後頭部にかけて頭中に響く連続音は苦痛以外の何ものでもない。

静かになればなるほど、音量が増大する。治しようがないのだ。

これが、風車によって、多くの住民が引き起こされたら、まさに町の悲劇である。

静かで美しいはずの田園風景が、田舎暮らしが、その日から騒音にかき消されてゆくのだ。

夢も希望もない。この先20年、いやあの巨大羽根が回り続ける限り。

建ってから気付いても、後の祭りなのだ。

この風評被害でなく事実被害に、新規就農者は来ない、実際に新規就農を諦めた地域もある。

後継者も育たない、移住者は途絶えるだろう。

荒涼たる寒村と化す。目先の僅かな補助金のために、未来遠望の町の発展は絶たれるのだ。

銀山地区152軒、小中学校2校、保育園1軒、福祉施設5軒。そのわずか2㎞圏内に、風車がもろに直撃する。

その実体験をもとに、前稚内市議を務めた佐々木氏は、風力発電反対運動にのめり込むようになる。

その間6年。道内各地の風車反対の会員を纏め、足労を惜しまず各地に赴き、懇切丁寧に説明し、全国同志の輪を結ぶ。それが「風力発電の真実を知る会」「風力発電を地域から考える全国協議会」「北海道風力発電問題ネットワーク」の各代表となられる。

最近、稚内から石狩に引っ越された。これは心強い。

当別・石狩、小樽・余市、赤井川と連絡を密に、計画を足早に、行動を度重ねて。

大いに教わり、大いに啓蒙されて、ともに進もうと思う。

各自、教えを身に着け、各戸を訪ね、各地域でミニ説明会を開こう。

六、参加者の意見

様々な参加者から貴重なご意見を戴いた。

まずは、東京からご夫婦で移住された中山さん。自然生活とは、対極にあるデジタルエンジニア。

その彼が、何故に仁木に。そして風車出現してからの葛藤は。会場で赤裸々に告白してくださった。

中山誠基さん

私は中山と言います。昨年の7月に、妻とこの自然豊かな仁木町に最後の住まいとして東京から移住して参りました。

私は東京ではデジタル技術の専門家でして、省庁とも、スマートシティですとか、Society 5・0など、デジタルで人々の暮らしが豊かになるというニュースを聞かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、まさにそういうお仕事をさせて頂きながら、本当に人はこれで豊かになるのかという違和感がありまして、もっと自然に寄り添わないと、私たちの健康、あるいは心の落ち着き、これは自然とともに共生しないとならないのではないかと私は思います。

私はデジタルの専門家として断言します。

自然を無視したデジタル技術、テクノロジーの発展は人を豊かにしません。なので、私は妻と一緒に仁木町に移住して参りました。

自然と共生できる豊かな生活を望んでいたのに、まさかこの自然豊かな山に風力発電が計画されるという話を聞き、ちょっとこの先どうしようかな?と真っ暗になってしまいました。

本当に電気って必要なのでしょうか?

首相も電気が必要だと、原発も動かさないといけないって先日発言されていましたが、私は、2011年3月11日、福島の原発がメルトダウンしたときに、まさに東京におりました。

そのときも電気が足りないということで街中のネオンが消えました。

煌々としている店舗の電気も消えました、電車内も真っ暗でした。

でも私はすごく心地いいなと思いました。本当に自然を壊してでも電気をつくらないと人は豊かにならないのでしょうか?

経済、経済と言いますけれども、この30年間、私たちの年収ってあがっていないんですよ。

ずっと横ばいです、ならば何のための開発なのでしょうか?と私は思います。

私たちは年収が上がっていないのに、自然も奪われて、さらに私たちがお金を出さないと回らない経済っておかしいと私は思います。

私はまだ新参者ですけれども、私が憤っているのは、この計画を町民のほとんどの方が知らないということです。

いま日本全国大雨で大変なことになっているじゃないですか?関西電力さんの環境配慮書も読みましたが、山の保水力の影響についての記述はありませんでした。

関西電力さんに町民への説明会を開いて頂きたいです。

この計画についておかしいことを私は今後も発言していきたいですし、ぜひ仁木町のみなさん、もちろん周りのみなさんも一緒に、これは北海道全体、日本全体の問題だと思います。

この計画は町民が声をあげないと止まらないです。

私は省庁ともお仕事しているので、わかります。

省庁の担当者は日本の未来を語りながら、結局人事が変わるのです。

担当者が変わって誰も責任をとらない、私はよくわかっています。

だからこそ、この地元を私たち町民が守っていかなければいけないと私は思います。

ぜひ今日来られたみなさん、斉藤さんが紙芝居で最後におしゃっていた「山は山のままに、海は海のままに、風は風のままに」これが私も一番だと思います。

私たちの周りの方々にももっと知ってもらい、みなさんと一緒に、ぜひ町民の意見として関西電力さんに「やめましょう」と自信をもって言いたいと思います。

私の話を聞いて頂きありがとうございます。ぜひみなさんと一緒に戦っていきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは自然と対極の立場に立つ人として、勇気ある発言だと思います。

中山さんは、デジタルのプロエンジニアです。しかし、多かれ少なかれ、田舎に住まう我々でも日常片時もスマホを手放さず、朝晩パソコンにどっぷり漬かっているアマエンジニアです。  

今や、都会も田舎も変わらないのです。デジタル一色で、日本が、世界が覆い尽くされているのです。

まさに、電気量を大消費しているのは、我々一人ひとりです。

そして、電磁波を浴びるだけ浴びているのです。

田舎の何處(どこ)も彼処(かしこ)もスマートシティならぬスマートタウン、スマートビレッジ化しています。

さらに、追い打ちをかけるように、風車を建て、電力を費やし、この先、山をすべて禿(は)げ山にしてでも風車と太陽光パネルで覆うとするのですか。

東京の電力消費の為、どうしてこの田舎の山を切り崩して送電せねばならないのか。

北海道の無垢の大自然を犠牲にしてまで、何故に東京に電気を運ぶ価値があるのか。

洋上や陸上風力発電や太陽光発電など、北海道で発電した200万kwもの大電気量を、工事に2・2兆円かけて送電海底ケーブルを作り、東京に送る。何と馬鹿げたことを。

愚かとしか言いようがない。都会がこれ以上電気を消費すれば、人間は人間でなくなります。

人間は、電磁波の洪水で溺れ狂ってしまいます。

我々は、どこかで、STOPしなければなりません。

欲望の暴走を、急停止しなければなりません。

自制の箍(たが)が外れて、このまま、国の言いなりになって行くと、自然は滅びます。

人間が滅びます。世界も滅びます。

変えるのは、気付いた我々しかいないのです。

我々の生活を変えねばならないのです。

このまま、電化生活、都会生活を続ければ、人は狂います。必ずや、社会が崩壊します。

その電磁波で狂った心身をアースするのは、やはり自然しかないのです。

大地に流すしかないのです。海に流すしかないのです。その蘇生の場、回復の地、田舎を壊してはいけない。汚してはならない。

自然を守らねば、人の未来はないのです。自然という宝を切り崩しては、人類の生きる場が永遠に取り戻せなくなります。

その大きな運動の為にも、この小さな町、仁木の風車は、絶対阻止せねばならないのです。

そして、銀山在住の今村照子さんが、訴えられました。

「二回、学習会に出席して、目の前が真っ暗になりました。絶望です。

北海道は自然の宝庫です。今、世界は水が一番問題になっている。水の枯渇の恐れがある。

限りある資源。山に100mもの巨大風車を建てるのに、コンクリートを50mも地中深くに入れる。水源・水脈が絶たれるか心配です。湧き水が出なくなります。

北海道は世界有数な宝の土地。

北海道人は断固として自然が壊されるのを止めなくてはなりません!!」

風力発電が建ってからでは遅いのです!

(続く)

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。