0になるからだ【博士の愛した数式】

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

TVドラマ「天才を育てた女房」

この2月、奈良の岡潔先生のご長男煕哉(ひろや)様から、「父のTVドラマが放映されます」と、わざわざお手紙を戴いた。

その封書には、1960年の皇居での文化勲章授与式の写真と掲載記事が同封されていた。

主役が天海祐希(あまみゆうき)さん、奥様役で出られるらしい。

夫役(岡先生)は佐々木蔵之介さん。申し訳ないが、「これは、ミスキャストでは? 無理、無理……」と思ってしまい、半ばがっかりしていた。

ところが豈図(あにはか)らんや、放映されてみると、先入観が覆されて、それこそお見事と手放しするほどだった。

控えめながら主張する所は主張する、芯の有る、何というか、いじらしくも、しおらしい「みっちゃん」をタイトル通り演じられていた。

「そうなんよー…」「…どうしたんー」こんな語調の奈良弁かなぁ、懐かしくも耳に心地良くて、ついつい引き込まれてしまった。

確か佐々木蔵之介さんは、京都洛中、酒蔵の跡取り息子だったはずで、天海さんも宝塚歌劇団のトップスター。

上方の風土と関西弁の慣れと、自然に醸し出される雰囲気が無理のない演技で、浪花生まれの岡夫妻に馴染(なじ)んで、しっくりいったのだろう。

波乱の半生

長きに亘(わた)り、国内の大学では理解されず、職を失し帰郷して、なおも研究に没頭した。

閃(ひらめ)くと、途端に道端(みちばた)に座り込んで、延々と数式を書き出す。

睡眠不足が嵩(こう)じて本当に精神病院に入院してしまわれた……。

寝食を忘れるとは、こういうことを言うのだろう。世間の目を全く気にかけない、その狂気じみた求道の姿。

極貧の中で一途に夫を信じて三人の子供を養いながら一家を支え続けるみちさん。

先祖伝来の田畑を切り売りしながら、息子潔の留学・生活費を工面する父親寛治。

遂に欧米の学界に認められて、初めてその論文の類稀(たぐいまれ)な偉大さに気付く日本。ご夫婦の半生は急峻を登るが如き険しい岩場であった。

青春時代の出会い

実は、この映画の後に、第二の先生が動き出す。

憂世慨民、それは、凄まじかった。

丁度、東大紛争のあった学生運動盛んなりし頃、浅間山荘事件や、あの三島由紀夫割腹事件など騒然とした世情であった。

そんな世の中だったからこそ、岡先生は日本の行く末・越し方を案じて、東奔西走し、憂国の青年を集めて「昭和維新」を興さんと訴えて来られた。

今思えば、上京しての18、9から22歳までの多感な4年間に、私が集中してこの時期の謦咳(けいがい)に接したのだった。

先生は、逝(ゆ)きし世の美しき日本の面影(おもかげ)を、こよなく愛し、国民を深く憂いておられた。

その常軌を逸した激しさのため、喀血して胃を切り取ったのだった。

学問のみならず、何事においても常人ではなかった。

そんな時代を共にした事を幸せに思うと同時に、何の恩返しも出来ていないことに慙愧(ざんき)の念を抱くのだ。

「博士の愛した数式」

そんな折、15年ほど前に観た、小川洋子さん原作『博士の愛した数式』の映画を思い出していた。

不思議と、これも数学にまつわるストーリーだった。

交通事故による脳の損傷で記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と、彼の新しい家政婦とその息子、愛称が「ルート」との心のふれあいを、美しい数式と共に描かれた作品であった。

その息子ルートも成長し、同じ数学教師になって、博士の事々を学生に教える。

「πは、円周率。iは-1の平方根(i=√-1)で虚数。3.141592653589793238……と、宇宙の果ての果てまで続いて行く数πと、決して正体を顕わさないimaginary number虚数i。

厄介なのはe。このeを計算して行くとその値は、e=2.71828 18284 590452353602874 71352 …と何処までも何処までも果てしなく続く無理数。

無限の宇宙からπが、eの元に舞い降ります。そして、恥ずかしがり屋のiと握手する。

彼らは身を寄せ合って、じっと息を潜めている。しかし、eもπも iも決して繋がらない。

でもね、独りの人間が、たった一つだけ足し算をすると、世界は変わります。矛盾するものが統一され、0(ゼロ)。つまり無。無に抱き留められます。

18世紀の最大の数学者レオンハルト・オイラーが編(あ)み出した数式。無関係にしか見えない数の間に、自然な繋がりを発見しました。

これはね、暗闇に光る一筋の美しい流星。ヒューッ!これが、『博士の愛した数式』です」

博士は、美しい夜空の星々も、野山に咲く一輪の草花の美しさも、その説明が難しいように、この美しい数式を説明することは難しい。

でもこの美しさは、誰でも必ず感じられる!豊かな直感を磨いて、一緒に努力して欲しい、と。

吉田武氏は自著「虚数の情緒」で、「西洋の一次元的な見方を数直線に譬(たと)えれば、東洋のそれは複素平面、大小を超越した虚数の世界にある、といえよう。『虚数の情緒』とは、この意味なのである。

世界が西洋流の合理主義一色で染められようとしている今こそ、我々は本来持っていた多元的な見方を蘇らせ、雨の日をたのしむ術を「対立と克服」ではなく「調和と包摂(ほうせつ)」を旨とする東洋的知性の存在を知らしめねばならない。」と、述べている。

数学好きのビートたけしの最大の愛読書が、この「虚数の情緒」だという。

彼の作り出すアートの独特な感性と世界観も、それを知れば、一層深く理解出来る気がする。

仏教哲理も宇宙科学も

佛(仏)教学者の佐々木有一氏に、この本をご紹介させて戴いたら、それまでの難しい佛教哲理がたちまちの内に了解出来るという。

禅の真空も浄土の妙有も兼備して、如来佛眼の複素数が生まれる。

実数と虚数の止揚集合する場が、東洋的世界観ではないか、と提言される。

簡単に言うと、目に見えるこの世と、目に見えないあの世は、実数と虚数が織りなす神秘の荘厳世界で成り立っているというのだ。

量子力学も、場の量子論も、さらに最新の脳科学や宇宙科学、歴史・宗教・文化などのあらゆる科目分類が、この虚数を基盤にして発展していた。

オイラーの数式、 eπi+ 1= 0 。

虚数なる万物が、一人と出会うことで、一切が無、0(ゼロ)に帰す。

そして、その0は、無限でもあった。こんなロマンと奇跡が、あなたの中で起こり得る。

0に帰る心を「情緒」といい、そこの宇宙が「懐かしい」。

そして、それは、説明しようのない悠久な抒情、優しさと美しさで充ち満ちていた。

意識を通さないで分かること

ある方から、一冊の茶の雑誌を戴いた。

そこに、初めて見る牧谿の『葦(あし)に翡翠(かわせみ)、蓮(はちす)に鶺鴒(せきれい)図』の二対の水墨画。

その刹那、「ハッ!」と息を呑んだ。

じっと佇(たたず)む鳥の心境、背景の静謐(せいひつ)そのものになって、自信に満ち、歓びに溢れて、泰然として動かぬ、確かなる時が降りて来た。

岡先生は、「物事が分かるということは、意識を通さないことが特徴である」と言われていた。

そして、「疑いが、全く起らない。数学の発見はみなそうしてやって来た」と。

「なるほど!このことを説かれていたのか」と、腑に落ちた。

一分一厘でも何か心に引っ掛かりがあると、疑いの心が起こるものだ。だが、それが全くない。晴れている。

作者が無私なればこそ、時を超えて響き合う何か、無私になろうとする意識さえ不要なのだ。

芸術の本質とは、この一点の妙にあるのだろう。

ゼロになるからだ

国民が今一度、日本という底知れない情緒の大国であることを、岡先生の認知度と共に広がることを希(ねが)って止まない。

心の文化立国、祖国日本の姿を、もう一度取り戻して行きたいと願う。

eπi+ 1= 0になる体(からだ)。

「………

はじまりの朝の 静かな窓

ゼロになるからだ みたされてゆけ

海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに

わたしのなかに 見つけられたから」

(宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」から

『いつも何度でも』。作詞/筧和歌子 作曲/木村弓)

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。