常懐悲憾心遂醒悟

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

 

多摩川にさらす手作りさらさらに

何そこの児のここだ愛(かな)しき 

『万葉集』 東歌

「多摩川で、手作りの布を水にサラサラと晒しているその女子が何と愛(いと)しいのだろか」

万葉人は、愛をアイと読まないで、カナしいと読んだ。

元より文字がないから、語音を漢字に当て嵌(は)めたに過ぎないが。

そのかなしいは、悲しいとも哀しいとも取れる語感を伴っていた。

人を愛することは、恋うることは、かなしみの情趣がいつも付き纏(まと)っていた。

相手を立派に思い、己を恥ずかしいとする謙遜の心映(ば)えも寄り添いながら。

陸奥(みちのくの)のしのぶもぢずり誰ゆゑに 

乱れそめにし我ならなくに

河原左大臣 『古今集』恋四

人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した小倉百人一首「しのぶもぢずり」の一首。

心乱れるほどの人慕う切なさの偲ぶ恋には、常に心を忍び、抑える忍辱(にんじょく)を強いられた。愛することは、悲しむこと、忍ぶことでもあった。

一、悲憾(ひかん)ということ

先日、緒方紀子女史より、一通のおたよりを戴いた。

それは、『續々 倭詩』への勿体ない感想であったが、殊に「美智子さまの御悲しみ」の文に、かつて慟哭した思いと重なる件(くだり)に甚(いた)く感銘し、ここに許しを請うて掲載させて戴く。

『続々 倭詩』を、一気に読破させていただきましたが、「何度も読み直さないと、いけない!」と、心が激しく動かされております。

(中略)

もう、30年以上も前ですが、アメリカのセドナに、当時流行った精神世界の学び(今ではその内容一つも覚えておりませんが!)に、冬休みを利用して行った復路の飛行機の中で、持参した『般若心経を紐解く』と言う本の中に、

「常懐悲憾心遂醒悟」

の一節を見つけて2時間くらい泣きじゃくっていた思い出がありますが、岡潔先生がおっしゃっておられた「悲しみ」の理解と重なる様な気が致します。

漸く、自分の求めている答えの一端を見つけた感動で、号泣してしまった自分を見つけて、セドナまで行ったのに、実は、答えはここに(本の中の教え)あったということを発見した懐かしいあの時の感動。

ある経験を通さないと、気づけないこと、人生にはたくさんありますね。

倭(やまと)の民が脈々と自分達の中にDNAとして持ち続けている情緒を大切にして、他者を想う心を大切にして、地に足をつけた丁寧な生き方をしたいと存じます。(以下略)・・・・・・・・・
 心から感謝を込めて       
           緒方 紀子

二、宗教の本質

その岡潔先生の悲しみとは、

「‥‥‥人として一番大切なことは、他人の情、とりわけ、その悲しみが分かることです。‥‥‥人の悲しみがわかるというところに留まって活動しておれば理性の世界だが、人が悲しんでいるから自分も悲しいという道をどんどん進むと宗教の世界へ入ってしまう。それが宗教の本質ではなかろうか。」

緒方さんの目覚めの切っ掛けになった、この「常懐悲憾心遂醒悟(常に悲憾(ひかん)を懐(いだ)けば、心は遂いに醒悟(さと)る)」は、『法華経』の如来寿量品の一説話にある。

それによると、

「毒を飲んだ子供が、父である医者が作った解毒剤を毒の作用で薬として信じることができずに飲んでくれない。そのままでは、毒に侵され、子供は苦しみながら死んでしまう。

そこで医者である父は、子供の心を覚ますために、子供から離れ旅に出て、父が死んだという嘘の知らせを子供に伝えた。

子供は、父が死んだという悲しみになげき、やがて心が覚めていき、解毒剤を薬として信じることができるようになり、ようやく解毒剤を飲み、子供は毒の苦しみから救われ、命も助かった」

という話です。

三、かなしみはいつも

民衆詩人・坂村眞民さんの原風景は、垂乳根(たらちね)のお母さんの姿で、乳が飲めずに死んだ村の子どもたちの墓に、張った乳をシュッ、シュッと絞っている美しくも、もの悲しげな姿だった。

それが生涯にわたり、心に焼き付いたといわれる。

悲しみと優しさと、慈しみとまた悲しみが、巡る輪のようにグルグルと心の糸車が回る。

この悲しみを元に、「かなしみを、あたためあって、いきてゆこう」と、一生の詩の核心が形成されたという。そして、次の詩を作られた。

『六魚庵哀歌』

4「かなしみはいつも」

坂村眞民

かなしみは 
みんな書いてはならない

かなしみは 
みんな話してはならない

かなしみは 
わたしたちを強くする根

かなしみは 
わたしたちを支えている幹

かなしみは 
わたしたちを美しくする花

かなしみは 
いつも枯らしてはならない

かなしみは 
いつも湛えていなくてはならない

かなしみは 
いつも噛みしめていなくてはならない

『坂村眞民全詩集』第一巻

四、かあさん

そして、あの3・11の日から、母を待ち続ける子供が居た。

「ただいま!」「‥‥‥‥」

四年前は、家に帰るとお母さんが、

『おかえり』

と大きな声で迎えてくれた。今は

『ただいま』

と言っても誰もいない。

ぼくはさみしい。この悲しみをどこにぶつければいいのかわからない。

でも、ぼくにはお父さんがいる。

悲しい時も怒っている時もお父さんがいる。

お父さんと一緒に歩いて行くしかない。

これは、東日本大震災で、祖父母と母と弟の4人を一度に亡くし、今は父子2人で仮設住宅に暮らす千葉雄貴君の作文です。

私は、小学生の時、帰ると、「ただいま」ではなかった。

「かあさんは」「かあさんは」だった。

いつも、母をさがし回っていた。

(ああ、雄貴君、どんなにか、がまんしただろうか。健気(けなげ)にも、小さい胸を押し殺して。今にも「かあさん」「かあさん」と胸に飛び込んで行きたかろうに。

そばに居て、お父さんも辛い。お父さんも、胸張り裂けそうだったはずだ。)

「ごめんね、僕に母さんが居ることが、申し訳ない」

でもね、雄貴君、大丈夫。

雄貴君には、死なない大きな大きな母さんがいるんだよ。

いつもいつもいるんだよ。

そこには恋しい母さんも、かわいかった幼子の弟も、懐かしいじっちゃん、ばっちゃんもいるんだよ。

みんなみんな、そのでっかいでっかい母さんに抱(いだ)かれている。

その胸元はやわらかく、あたたかく、なつかしい。

そこにいると、みんなみんな一緒になって幸せになれるんだ。泣くことなんて、ない。

でっかい母さんは、みんなの親さまで、雄貴君の真ん前に、いる。

いつも離れずに、いる。寝ても醒(さ)めても、いる。

心のまなこでみてごらん。

雄貴君は「いい子、いい子」って抱かれて、あやされて、かわいがられている。

いかったね。

ちっともさびしいことなんかない。

お父さんにも、でっかい母さまのいること、教えてあげて。またみんな家族で一緒になって、ごはんたべようね。あそぼうね。

五、おやさま

この大いなる母さま、親さまを

忘れることを迷いと言い、

思い出すことを悟りという。

何も、難しいことは一つもない。只思い出すだけでイイ。

大悲の悲しみとは、

子が親を忘れた悲しみであり、

大慈の慈しみとは、

子の帰りを待っておられる親さまのこと。

生きとし生けるものは、

みなこの親さまから生まれ来て、やがて

この親さまの元に帰って往(ゆ)く。

自分の悲しみや苦しみを、そっくりそのまま親さまの大きな大きな悲しみに預けてしまう。

そうすると、小さな小さな私の悲しみ苦しみは、どっかに飛んで行く。

自分の愛する人への思いを、もっともっと広い広い人々への愛に拡げてみる。

すると、醜い醜い私の憎しみや怒りは、いつの間にか淡雪(あわゆき)のように消えてしまう。

自分の人生を、親さまにそっくりそのままあずけましょ。

すると、生きるのがこんなにも楽になる。豊かになる。清らかになる。

大慈大悲のおお親さまと、これからを生きてみましょ。

六、「懐しき未来(さと)」は、情けの里、親さまの里

明治以前、愛という読みと、LOVEという概念を訳すことが出来なかったという。

古より、愛(あい)と言わずに「慈悲」と如来なる佛(みほとけ)の心を経典に記(しる)した。

愛を「かなしい」と読み、慈を「うつくしい」と読んだ古人(いにしえびと)。

人をいとおしむ心こそ、人の悲しみを己の悲しみとして、悲しめる人なのだろう。

愛は憎しみを生むが、悲しみは慈しみを生む。

悲しみの雨、慈しみの風が、 

日本の国土に情(じょう)という情(なさ)けの民草を生(は)やした。

情と書いて「こころ」と読んだ昔が懐かしい。

日本が日本でなくなったのは、こころが乾き、情けが消えてしまったから。

情けとは、懐かしき親さまのみ心。

与えて与えて与え尽くすも限りなく。

あなたから奪われても奪われても、なおも与え続ける。

その親さまの情けを、そのまま今の日本に取り戻したい。今の日本人に報せたい。

その思いの丈(たけ)が「懐かしき未来(さと)」作りの大樹に、シッカリと根をおろしている。

その行く手の先が「懐かしき未来(さと)」の情緒の河に、滔々(とうとう)と流れている。

次の世の、次の人々の心の底を目指して、深く深く染み入り渡る。

そんな慈(うつく)しき村が、今ここに生まれようとしている。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。