白川太郎連載コラム【第九回】

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白川太郎連載コラム

何とか命の危機を脱したのであうが、その代償は大きかった。

1年の3/4は幼稚園や学校に行かないので何にもわからないのである。

そこで津田塾で学ばれた母の出番である。小さいホワイトボードを買ってきて自宅学習を開始した。

まずは得意な英語である。5歳のド田舎の少年に英語学習が必要かなんて全く関係なし。身近なものから英単語の綴りと発音を覚えていくのである。

日本語の単語もよく覚えていない少年は必至で英単語を覚えるという事態となった。おかげで中学時代英語が最も得意となるのだがそれははるか先の話でである。

母は主婦でもあるので、授業中に食事の様子を見にしょっちゅう席を外すのであるが、そのために時々ひどい被害を被ることがある。

例えば、ハンカチーフの発音途中で煮物の処理に行ってしまって次の単語に行ってしまい、私は中学までハンカチーフは綴り通りハンドカチーフと発音していて、中学の時に大恥をかいたりした。

まあ、かわいらしい話題である。次に国語であるが、母は太宰治のファンだったのでいきなり太宰全集からスタートである。

幸いにも走れメロスから始まったので何とか読めるのだが次第に難しくなり、しかも作者の意図を解説と称して太宰の恋愛観などを滔々としゃべるので段々うっとおしくなってついには国語は大嫌いな科目となってしまった。

算数はいきなり分数である。1/2や3/4は図を描いて見せ、それを足したり引いたりするのであるが、図を描いて共通の分母にすることが鍵だという説明であっという間に分数を理解した。これは大きかった。

小学生の算数は楽勝だった。こうして私はほとんど学校にいけない日々の中で母の無手勝流の教育を受けて育ったのである。

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白川太郎

1983年京都大学医学部卒業。英国オックスフォード大学医学部留学を経て、2000年京都大学大学院医学研究科教授。

2008年6月 長崎県諫早市にユニバーサルクリニックを開設、院長に就任。2013年東京銀座に、東京中央メディカルクリニックを設立、理事長に就任。

オックスフォード大学留学中にネイチャー、サイエンスなど一流誌へ多数論文を発表し、日本人医学者としてトップクラスの論文引用数を誇る世界的な遺伝子学者である。

現在は、病院から「もはや打つ手なし」と見離された患者たちを死の淵から救う「Ⅲ~Ⅳ期がん治療専門医」として、「免疫治療」「遺伝子治療」「温熱療法」という三つの治療法に、さらに全身状態改善のための「栄養療法」を組み合わせた治療を行なっている。

主な著書に「「がん」の非常識 がんの正体がわかれば末期がんも懼れず」「末期がん、最後まであきらめないで!」などがある。