新型コロナウィルスに學ぶ Ⅱ

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

「今は、戦時(war time)である」

と、米国(アメリカ)トランプ大統領が、長期戦を世界に宣言した。

「第二次世界大戦以来の最大の挑戦だ」と、独逸(ドイツ)メルケル首相も追従。

3月31日現在、世界200カ国に、新型コロナウイルスの感染者76万人、死者3・6万人を超えた。

米国(アメリカ)は14万、伊国(イタリア)10万で1万人を超す死者、日本では感染200人/1日を越えて、日毎感染拡大は増加の一途を辿り、2週間で30倍の速度に跳ね上がり、正に大発生(アウトブレイク)、WHO世界保健機関はあの忌まわしき3・11の日に世界流行(パンデミック)を宣言した。

地上は、未曽有の危機(クライシス)を迎えている。

更に、ウイルスは、二次・三次・四次と暴走変異するかもしれないと言われている。未知なる襲撃を人類は、今無防備に受けて終息が読めない。

世界の根底を揺るがす巨大な力が、目に見えない世界で唸(うな)りを挙げた。

都市封鎖(ロックダウン)の可能性も  

首都東京にて「緊急事態宣言」を発動して、都市封鎖(ロックダウン)がなるか、自宅待機しながら固唾(かたず)を呑(の)んで観ている。

ニューヨーク、パリ、ミラノ、マドリード……、人影のない鎮まり返った街。

「ガラスが肺に突き刺さるような激痛」と訴えて逝く人を我が身に置き換え、独り身勝手な振舞いを慎まねばならない。免疫力のある若者も、無症状の人も、ウイルスは人を選んではくれない。

軽症者の8割が、ある時を境に、急激に悪化して数時間で死に至るという。入院患者のみならず、医療従事者の罹患死亡率に驚愕する。病院閉鎖は地域の崩壊でもある。

人は、何処に行くのか

我々は、得たのではない、失ったのだ。

有限を得て、無限を失ったのだ。

行き来する膨大なエネルギーの浪費と消失のグローバル化。過密なる都市生活が、かくも足止め(ストップ)された時の社会の危(あや)うさ。心の脆(もろ)さ。

豊かになったと思うのは、儚(はかな)い幻想だった。

密室で息を潜(ひそ)めるしか術(すべ)がない事こそ、文明社会の答えだった。

ウイルスと言う非生物が、生物の人間に何を語り、何を訴えているのか。

その躓(つまず)いている今ここを、即ウイルスが直指(じきし)している。

今こそ、共に、謙虚に、声なき声に耳を傾けたい。

経済への打撃

身の回りには、軒並み閉店、廃業、倒産の悲痛の声々が届く。

中国では、年頭からの一月(ひとつき)で、24万7200社が事実上の倒産。

2億64万人以上の失業者、9月に卒業する850万人の就職先はない。

公表されぬ凄まじい数の感染死者。

何時でも、暴動内乱、政権分裂が起こり得る切迫の日々に、政府は追い詰められている。

この前代未聞の経済危機と共産主義の圧政が暴走した時、世界はどこに向かうのだろうか。

この日本はおろか、世界各国で金融(システミック)危機(リスク)が起きている。

FRBアメリカ連邦準備制度理事会も、無制限の金融緩和を打ち出し、その衝撃はリーマン・ショックの幾十倍と言われている。

今やGDP国内総生産は軒並み落ち続け、負債のみ伸び続ける。世界経済は逼迫(ひっぱく)し、大恐慌前夜の様相である。

外資系投資ファンドの債務不履行、損失が続く連鎖(ドミノ)破綻。

どれほど、多くの民間投資家が、高利率、高利回りの欲得に踊らされて、ハイリターンならぬハイリスクで最後身包(みぐる)み剥(は)がされるだろうか。

都市・地方銀行の中には危機に瀕するもあり。

市民の積み立てて来た貴重な預かり金を、資産運用と称して、外国の廃品(ジヤンク)債を買い漁り、一般人や農漁労民の爪に火を灯した明かりはどこに行くのだろう。藻屑(もくず)と化さぬよう祈りたい。

労せずして得た人は、労して失った人々を生んでいる。泡銭(あぶくぜに)を得た富は、汗水を流した血税に支えられている。

得するということは、損する人が居るということだ。そんな利害得失の金融賭博(とばく)、投機取引(マネーゲーム)が、人々を幸せにするはずがない。

虚業から実業へ

コツコツと毎日を働き詰めに働いている私達庶民には、分からない。

世界経済や国家会計がどう動き、どう収まっているのか、分からない。

正に蚊帳(かや)の外に置かれている国民。この実感の伴わない、得体の知れない経済と言う名の虚構が世を動かし、実は世界を狂わせて来た元凶なのだ。

貨幣制度の発明と共に、信用経済が金融の絡繰(からく)りを作り、金こそ至上主義という妄想が人々を狂わせ、歴史を動かし、組織を牛耳(ぎゅうじ)って来た。

素朴な物々交換から始まった実体経済の原点に帰り、今しばらく実業に思いを寄せる必要があるのではなかろうか。

株価の動向に一喜一憂して、景気も何もかもが動いていた。

実体のない架空の虚業は華やかで人を惹(ひ)きつけ、地味な実業は自然と伴に生業(なりわい)があるも人は遠のく。

虚構の富裕に魂を奪われ、足元が覚束(おぼつか)なくなってしまった世界の裏側。

これが天の警鐘でなくて、何であろうか。眼前には、もっと厳しい現実が突きつけられているのだ。

自給が危ない

日本では、国内自給率が38%(カロリーベース)に落ち込み、一旦、国家危急存亡の秋(とき)、どう食糧を賄(まかな)おうとするのか。

今、各国が作物の自国抑え込みで、手放さなくなって来た。

中国が、その良い例だ。輸入量はこの10年で1・9倍に急増、輸出国から輸入国へ転落した。

衰退の象徴でもある大豆は、93年に94%だった自給率が、25年間でわずか13%にも大急落したのだ。

10年後、15億人に達する人民を養う中国農業に、自給の体力は残されていない。

日本も、最早どこにも頼れないのだ。さらに今後、天災による飢饉(ききん)や世界各国が完全封鎖された時、日本はどう処するのか。

カナダ264%、米国(アメリカ)130%、仏国(フランス)127%、独国(ドイツ)96%。これが実質の国力の差だ。どう足掻(あが)いても、立ち行かない日本。それが、観えないのだろうか。

それは、遠い先のことではない。今、その事態が起こっている。

正に食糧自給の国策は、愁眉(しゅうび)の急を告げている。

気付きの一大チャンス

そんな時に、襲ったコロナ大騒動。

この問題の発生から解決まで、コロナも食も、根は同じなのだ。

病床に担ぎ込まれれば、最早人任せにイノチを預けねばならない。

だが、食糧確保は、人に頼らず自力で探さねばならないのだ。

今や、生死の土壇場(どたんば)に追い込まれた人類、我々ひとり一人。

文明に浮かれている時ではない。実体経済を取り戻さねばならないのだ。

それは基本、食の確保。

ここまで、コロナで切羽詰まらねば、気付かなかった事態。

ここまで、追い詰められねば動かない人の足、人の心。

今まで、どう転んでも都市封鎖(ロックダウン)の「緊急事態宣言」などは、SF(サイエンス フィクション)の絵空事だった。だが、今日明日にも発令する決断が、迫られているのだ。

我々の今が、これからが、問われている。

他人事ではない。コロナが何時忍び込むか。食が何時無くなるか。

これは、自ら解決しなければならない同じ問題、天からの詰問(きつもん)なのだ。

日本再建へ

大企業は、生産体制を他国から国内に呼び戻すべき時。

最後に頼るべきは、自国日本ではなかったか。

国内で、雇用を増やし、物品を生産し、景気を復活させる。

同様に、食糧確保も国内で賄(まかな)い、その施策を国挙げて行うべきなのだ。

これは絶好の好機(チャンス)。二度となき自覚の時。決断の時なのだ。

一極集中、都市先行の時代は終焉を告げた。

これからは地域優先、地方台頭、田舎文化の新時代なのだ。

郡郷に散り、人口を分け、食を自ら産み出す生き方。

原点に立ち帰ろう。そして、国力を蘇(よみがえ)らせよう。

ウイルスは、非生命と生命を橋渡しし、田舎と都会を繋ぐ大役を担って、今日登場したのだ。

自然の懐(ふところ)

鬱々たるこの数か月。コロナ騒ぎで、世は外出自粛。しかも冬季、雪の中。

田舎に在っても、この閉塞感は何だ。この今一つの体調は何だ。

だが、勇を鼓して一歩外に出る。清澄たる風、慄然たる空気。

一瞬にして目覚めさせてくれる。迷いを吹き払ってくれる。

体の中を抜け、肌の外を撫(な)で、心を濯(ゆす)いでくれる。

底知れぬ自然の清らかさ。温かさ。

自然は何処までも透明純一だ。

改めて気付かせてくれる。

今、私たちはここに帰るべき時なのだ。

戻るべきふるさとなのだ。

自らの手で生きる糧を得る。

そんな思いで、遅まきながら、死を前にして百姓になった………。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。