磯貝昌寛の正食医学【第98回】自他一体
損得と自他一体
絶対に損したくない、何があっても得したい、この心理状態の本体にあるのは、自分と他人を分け隔てる考えだと思うのです。
隣人よりも得したい、優越感を持ちたいというのは自他別離の考えから来ていると思わざるをえません。
自分に対して他者は目に映るものですから、自分と他者は別々であると考えるのは無理もないことです。
しかし、大きく深く自分と他者を見てみると、自分も他者も一体であることに気づかされます。
損得の実の相( すがた)からもわかるように、損が得になり、得が損になります。
宇宙に存在する元素の総和は変わらないと云われます。
水素も炭素も酸素もその総和は変わらない。
ただ元素の離合集散により地球が存在し、月が存在し、太陽が存在する。
私たちは、空気を吸って生きています。この世に存在する動物は例外なく、息をして生きています。
同じオフィスで仕事をしていたら、同じ空気を吸います。
自分が吸って吐いた息を他の誰かが吸って吐く、そしてまた他の誰かが吸って吐きます。
この空気は私たちの細胞の隅々にまで届けられ、代謝を通して命の炎を燃やしています。
空気のもとになっている元素をからだに取り込んで、また体外へ排出しています。
近い空間にいればいるほどその共有する空気は密度が濃いことになります。
食物においてはさらに細胞への置き換わりが強いから、同じ食物を長年同じように摂っていれば同じような生命になってくる。
民族とはそのような生命の集合に違いないのです。
私たちの命は空気を通して、食物を通して、一体であると思わずにはいられません。
自他一体の相が、命の本質であるとしか思えないのです。
自他一体の相は様々なことから気づかされます。
平成22年11月22日の朝日新聞に「妻がガンに罹ると夫のうつ病のリスクが高まる」という記事が掲載されていました。
この夫婦の様相も自他一体のひとつのすがたではないかと思うのです。
目の前にいる他者がニコニコしていたならばこちらも自然と笑みがこぼれます。
逆に相手が眉間にしわを寄せて難しい顔をしていると、何だかこちらも堅苦しい顔をしてしまう。
言葉もそうです。やさしい穏やかな言葉はやわらかな雰囲気の波動を発生させ、きつい汚い言葉は身の毛の縮まる波動を派生させます。
心身ともに中庸になってくると自他一体の感覚が強くなってきます。
言葉や表情のそれが、まさによく伝わり、わかるようになるのです。今は死語になってしまった「以心伝心」とは自他一体の相そのものです。
身土不二に基づき、本来の自然から生まれた食物を、長年同じように食してきた人々の間では言葉を通さずとも伝わる。それが以心伝心ではないでしょうか。
自然に則した食物を同じように永年摂っていれば、同じような生命になってくるのです。
家族とはそのような生命の寄り合いです。民族とは同じ食で育まれた生命の集合体に違いないのです。
長年連れ添った老夫婦が同じような顔つきになってくるのは、同じ食物を同じように食べてきた証拠です。
絶対に夫婦が離婚しない秘訣は、「同じものを食べる」ことに尽きるのではないでしょうか。
今、日本の食料自給率は40%を下回っています。ということは、日本人の体の60%は海外の食物から作られていることになります。
以心伝心、自他一体とは程遠いのが今の日本人です。しかし、失って初めて自他一体の素晴らしさに気づいたのです。
自然の巡りとは何とも有難いものかと思います。
自他一体を学ぶ
人間関係における幸福感の最大のものは「他者から必要とされる」ことではないかと思います。
産まれたばかりの赤ちゃんは本能で母の乳に吸いつきます。赤ちゃんにとって母の乳はまさに生命線で、母の乳なくては生きていくことはできません。
このときの母子のつながりこそ人間関係の愛の元になっているのではないでしょうか。
母子の関係を無償の愛などと云いますが、愛にはそもそも見返りがありません。
母は赤ちゃんに乳をあげているとき、「将来の老後の面倒を見てね」などと思っているはずもないのです。乳に吸いつくかわいらしい顔を見ながら、ただただ幸福感に包まれているだけなのです。
ところが、子どもが成長するにつれて様々な欲にまみれたものへと変わっていくことが少なくありません。
子どもに偏差値の高い学校に入ってほしい、給料の高い会社に入ってほしい、などという偽りの親心はその典型です。
赤ちゃんに乳をあげている無償の愛から、そのうちに子どもに見返りを求めるように変わっていくのは一体なぜなのでしょう。
母と赤ちゃんは母子一体です。母子一体とは自他一体の別名です。
一体であるはずの母と子が、いつしか求め求められ、中には骨肉の争いまで起こす者さえある。
自他一体を体感しているはずなのに、人はそのことをすっかり忘れ、自分の子さえ、自分の親さえ、別離の感覚を身につけてしまう。
私はそれを、人が通らなくてはならない大事な道ではないかと思うのです。離れ離れになって初めて一体感の大事を知るのではないかと思うのです。
赤ちゃんの時代はまだ神の世の存在といわれます。シュタイナー教育でも「7才までは夢の中」と云われるように、子ども時代はまだ神の内です。
それが「この世=個の世」に定着して、自他別離の感が渦巻く道( 世間)を歩まなくてはなりません。
私は病気になった方々へ「おめでとう」と声をかけるようにしています。
えっ! 逆じゃないの? と思われるかもしれませんが、病気にかかったことは大変有り難いことですから、まずは「おめでとう」と言ってあげたいのです。
病気を経験しなくては健康の素晴らしさはわからず、本当の健康をしらなくては病気の意味もわかりません。
病気と健康はこの世の陰陽を教えてくれる誠に有り難いものであると思うのです。
損得においても同じことがいえます。損得にとらわれたからこそ、損得を超えることができるのです。
大きく俯瞰して損得を見ることができたのも、損得にとらわれている自分がいたからこそなのです。
自他一体がこの世とあの世のマコトの相であると私は感じていますが、これも自分と他人についての細々とした関係に、悩んで悩んで悩み尽くしたお蔭なのです。
一般的にはノイローゼとか、現代的には「うつ病」などと表現されてもおかしくないと思うのですが、そういった経験をしたからこそ自分と他人は一体であるという気づきが得られたのです。
一生病気をせずに生涯健康に生きる、素晴らしことです。とはいえ、病苦を経験することもまた大変素晴らしいことなのです。
病苦の辛さを理解できないということは、真の不幸といえます。いや、それこそが病気であるのです。
病気と健康はひと縄ですから、病と康に対する真の理解がなければ、今健康であったとしても必ず病気が訪れるようになっているのがこの世の相です。
病苦を通して気づきを与えてくれるというのがこの世の相であると思うのです。
母子一体、夫婦一体の元のもとになっているのが自然な食です。自然な食が日々の食になっていたら、この一体感は非常に強いものです。
病や不幸は、この一体感が失われ、別離感が強くなり、その警告として私たちの心身に現れたものなのです。
月刊マクロビオティック 2020年2月号より
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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)
1976年群馬県生まれ。
15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。
食養相談と食養講義に活躍。
「マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。