病は精神を鍛え気づきと謙虚さを与えてくれる

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磯貝昌寛の正食医学【第61回】 病と健康と掃除

「天災は忘れたころにやってくる」と有名な物理学者が言ったが、私も時々天災(?)が腰に落ちてくることがある。

2年前、ズボンをはきかえようと腰をかがめたその時、激痛が腰に走った。屈んだ姿勢のまま体を動かすことができず、ゆっくりとうつ伏せになることがやっとであった。

いわゆるぎっくり腰。

椎間板に異常が出たのか、腰骨の周りの筋肉の損傷か、または腰椎に異常が起こったのか。

激痛の腰に手を当てながら、腰の中に想いを巡らせた。とはいえ、腰の状態をレントゲン等で診るわけではないから、ハッキリしたことはわからない。

ただ、回復のスピードと状態を診ていけばある程度の様子が判るだろうと考えた。

ほとんど体を動かすことができず、丸々2日、布団の中で湯タンポを抱えて横になり、妻にしょうが湿布と里芋パスターをしてもらった。

湿布とパスターをするたび、腰の状態はよくなった。里芋パスターのチカラは絶大で、パスターを剥がした後の痛みの軽減はビックリするほどだった。

特に3日目のパスターを体から外した瞬間、飛んで跳ねることができるほど痛みが消えていたのは驚愕だった。

回復の具合をみて、あの時の腰痛も腰回りの筋肉の損傷だったのだと想像できた。椎間板や腰椎の損傷では3日間で回復することはない。

原因は様々ある。体を見つめるよりも仕事や外のことへ目が行ってしまっていた。

休みがなく過労もあった。食事も野菜や果物が少なく、穀物が多く陽性過多に拍車をかけていた。

病は有難いものだ。自分自身の反省を喚起してくれる。病がなかったらこの世は存在しない。この世は陰陽の世界。

陰の代表が病だ。人間の謙虚さの元になるのが病である。

病は精神を鍛える

病は、気づきと謙虚さを与えてくれる、この世にはなくてはならない大切なものだ。もし人に病がなかったら、人間はどんな生き方をしていたか?

病がなかったら、人は生まれて死ぬまでずっと幸福であっただろうか?

「もしも月がなかったら」という本がある。ニール・F・カミンズという物理学者が書いた、科学にもとづいてシミュレートされた本である。

もしも月がなかったら…。月のない地球は自転速度が今の地球よりもずっと早く1日は8時間となる。

強風が絶えず荒れ狂い、高山も存在せず、生命の進化も遅いというシミュレーション結果が出たという。

古人は太陽を陽性の象徴とし、月を陰性の象徴としていた。陰陽無双原理で観ても、月が存在しなければ地球は陽性過ぎて、今のような人間は誕生しなかったと想像できる。

今、私たちがこのように生きられるのは、月と太陽、陰陽の恵みのお陰だ。陰陽の恵みが私たちを生かしてくれている。

病気と健康は陰陽の恵みそのもの。

病は陰の恵みのひとつである。もしも病がなかったら、人間は謙虚さがなく、横暴極まりなく、精神性の発達は遅いということになるだろう。

地球に月があることと、人間に病があることを結びつけるのはいささか乱暴ではあるが、陰陽で観れば決して的外れなことではない。

病は人間における陰。精神性を高めてくれる。病を得たら、精神の高みに足を踏み入れる絶好のチャンスだ。

悩み、患うことはない。嬉々として精神の世界に飛び込んでいけばよい。

「おめでとう」という言葉は病を得て、陰のチカラを得た人にこそ贈る言葉である。

真生活

人はひとりでは生きられない。人間は家族や集団をつくって生きる動物である。世界各国、各民族に共通する。集団生活の中から心身が育まれ、鍛えられてきた。

人間の脳は集団生活の中で満足感と充足感を得られるようになっている。人は人間同士、一緒に生活をすることで心が満たされ、自分の力を発揮することができる。

自分の能力を最大限発揮するには、本能の充足がないと本質的には無理である。桜沢如一が言った「本能を磨く」ということは、食を正すことと、生活を正すことである。

食と生活は切っても切り離せない。

食は正しいけれど生活は乱れている、ということは本来ありえない。生活が乱れていたら食も乱れる。

どんなに正しい食事をしていても、正しい生活ができていなければ、その食は充分にキレイな細胞を作ることができない。

道場での生活では、朝起きたら最初に掃除をする。朝の掃除を何よりも大事にしている。朝食前の掃除は、食べ物を上手に血液化するもっとも大事な行為である。

身の回りがキレイになると、身の内がキレイになる。「陰陽」は「陽陰」とは言わない。

陰が先に来て陽が後に来る。「出入り口」も「入り出口」とは言わない。私たちの体も、老廃物を出さないと新しいキレイな血液が造られない。

食事の前に掃除をして清めることは、神前で手や口を清めることと同じである。

マクロビオティック生活法は、日本人が伝統的に育んできた生活法に陰陽の光を当てて現代に再興することである。

人が共に生活をし、掃除をして食事をすることは、マクロビオティックの根源である。

日本では恒例の年の瀬の大掃除。

大掃除を済ませてからこの誌面を読んでいることを願う…

大掃除は日々の掃除( 小掃除)と時に行う中掃除があって初めて成り立つ。

日々の小掃除がおろそかで、時の中掃除ができていないと、暮れの数日だけの大掃除では家の中はキレイにならない。

時に大掃除でケガをしたり、疲れ切って寝正月になってしまうことがある。

ひるがえって、私たちの体も同じである。日々の食事と生活が秩序正しいものであれば、時に風邪をひいても治りが早く、却って風邪の効用があってひく前よりも元気になる。

風邪は万病の元といわれるが、これは日々の食と生活が無秩序の人に当てはまる言葉であって、秩序正しい人には風邪は厄落としそのものである。

日々の食と生活に秩序ある人でも、時々、断食や半断食をすることは身心の中掃除になって非常によい。

特に日々の身心への掃除が充分でなく、過去からの毒素の蓄積が多く、掃除が追いつかない人には重要な意味を持つ。

あるいは何か自分への満足感が薄く、いわゆる自己肯定感が弱く、自己否定感の強い人には、人生革命の一歩としてはとても大きな一歩になる。

人生の大掃除というものは毎年あるものではなく、巡り合わせによって、人様々に突然引き起こされるものである。

病であったり事故であったり、事件であったり、人それぞれである。

これらの人生の大掃除を乗り切っていくには、日々の秩序正しい食と生活( 小掃除)が基礎となる。

その上で、年に一度、あるいは病を抱えている人であれば年に数回、断食や半断食の中掃除をしておくと、しっかりと大掃除を乗り越えて、人生が晴れて運が開けてくる。

月刊マクロビオティック 2017年01月号より

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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)

1976年群馬県生まれ。

15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。

食養相談と食養講義に活躍。

マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。