NIKI(仁木)&(と)ELIXIR(浄活水器)― 石から意思へ、「なつかしき未来(さと)」へ ―

シェアする

札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

1,我が「砥(と)の川」に

農業用の焼成貝化石カルシウムとゼオライトが欠品し、銭函に引き取りに向かった。

すると、ゼオライトの産地名が八雲町から変わり、「仁木町 砥の川産」とあるではないか。

それは農園から5分もかからぬ真近かの裏山であった。何ということか!!

言って見れば、ここ畑一帯がゼオライト層の岩盤で覆われていたともいえる。

販売当初から、エリクサーセラミックの一部に、島根県宍道湖から取り寄せた沸石(ゼオライト)を混在させていた。それが、このように身近に在ったのだ。

土壌改良剤としては予(かね)てから優良であり、農業資材で広く普及されている。

それが、こんな近位置にその宝庫が眠っていたとは宝の持ち腐れ、ただ驚くばかりだった。

2、仁木ゼオライトが福島原発に

3・11東日本大震災による原発大惨事の当時、放射能の拡散を食い止めるには、ゼオライトが最も有効であることを原子力規制委員会が発表して、何万㌧もここ砥の川から福島に直送されたのだ。

ゼオライトとは、結晶構造の中で大きな空隙をもつアルミノケイ酸塩で、イオン交換材料や吸着材として耐放射線特性にも優れ、衣料用洗剤や消臭などにも一般に汎用されている無機素材である。

1979年米国スリーマイル島の原発事故での浄化度は想定外に高く、ゼオライトでの浄水後セシウムはほぼ9割以上も除去された。驚くべき除染効果だった。

それで、3・11の際の除染資材に、白羽の矢が当立ったのは必然の結果であった。

1998年開発当初は重金属除去剤にKDF合金を使用していたが、2001年のエリクサーⅡ更新時点で、ゼオライトは有害物質の吸着と除去に必要欠くべからざる素材として搭載された。

特に重金属除去用ゼオライト活性炭は、従来型活性炭の8倍強もの威力を発揮した。

事故後、エリクサーの放射性物質除去能力を検査した結果、明らかに除染しているデータを二か所の公的機関から得ることができた。

ゼオライトのみならず、セラミックや活性炭の多孔質の面積は、何とわずか一台で、東京ドームの約80倍(約102ha)と皇居の全面積に及び、想像を絶する能力と機能性は尋常ではなかった。

ちなみに、沸石は結晶の隙間に水を含んでおり、可逆的に水分子を脱着する性質を持ったテクト珪酸塩で、アルカリやアルカリ土類イオンを容易に交換できる性質を持ち、加熱すると沸騰するように水が出るため、「沸石」と名付けられた。

英語Zeolite(ゼオライト)は、ギリシア語由来で「沸騰する石」、Stilbite(スティルバイト)も「微光を放つ」の意味である。

いわば、「水」と「光」を暗示するゼオライトは、次世代を象徴する光明語でもある。

ここは、いわば大地全体が、放射能からの被害を防いでいる地帯であり、仁木のここに、まほろば自然農園を定めた潜在的決定因子があったことに驚き、改めて0‐1テストの不思議さ、天の選定とお導きに感謝せずにはおられなかった。

3,三枝誠さんの生還

2018年の春、武道家の天龍寺マコト(三枝龍生)氏が、隣町小樽から来園された。

末期のすい臓がんを患っておられた。

そこで、何気なく、

「裸足で畑を踏んだら、いかがですか」

と告げると、そのまましばらくの間、残雪ある春一番の畑に裸足でのんびりとされていた。その後である。

帰宅されて、その日をきっかけに快方に向かったと報告があったのだ。

とても、俄(にわ)かに信じ難い。

「何かの勘違いではないですか?」

と幾度も訊(たず)ねたが、

「いや、その時からどんどん良くなった」と断言される。

もし、そうだとしたら今流行(はや)りのアーシングEarthing効果であろうか。

三枝氏曰く「それもあるが、ここにレイラインが走っている」と、気脈地勢研究家の指摘があったということだ。

確かに、こうも鉱脈が集中していることに、不思議さを加える。

さらに、まほろば本店と北緯43度上に在り、約700mの違いでしかない。

ちなみに、この北緯43度は世界を一巡する神秘の「発酵ライン」であり、ニッカウヰスキーを初め、仁木余市に集中した名ワイナリー20軒ほどの多さは、それを物語っている。(まほろば小冊子『ELIXIRから無限心へ』最終章をご参照)

さらに余市からの地形がフゴッペ洞窟やストーンサークル地点とシリパ岬を底辺として二等辺三角形の頂点が、まほろば農園の先端になっている。

そこは、家の前の旧国道、JR線と、余市川の三叉が交差する。

その中心線のセンターに、ニッカウヰスキー工場がある。

つまり、エネルギーが集中している地で、感応道交度の高い気功家の三枝誠さんが、一瞬にしてそれを感受したのも、故無いことではなかった。

4,天然湯の華

「天然湯の華」をご存じですか。

道産の温泉の素で、まほろば開業当時から販売しており、余市の石渡善章代表が、熱心な実演拡販で、当時から多くの愛用者を育てられた。

このねっとりした粘土性コロイドの産地は、積丹半島古平町の奥地とは予(かね)てから聞いていた。

ところがである。

仁木に移住して先のゼオライトの地続きの古平鉱山付近で採取されていたことが分かった。

土壌改良に有効なものは、体質改善にも良い訳で、ゼオライトと粘土コロイドの共通因子に納得。

この粘土質の、なんともマッタリした感触が体を温めてくれる天然の温泉原料だったのだ。

何千年かけて好気性のコロイド菌が醸成したアルカリ温泉。

子供の頃「六一O (ムトウ)ハップ」硫黄温泉の素に入浴していたのを思い出させた。

湯の華には、人工香料浴用剤にはない素朴な香りと濁り湯の肌合いが馴染み、何とも言えず、身も心も温まる。

しかし、風呂湯の洗濯水再利用で、次第に需要が減って行ったのは残念であるが、しっとりした昔の温泉地の風情を家庭に呼び起こしたい。

5,Roadcrositeロードクロサイト/積丹ルビー/桜マンガン 

もう7、8年前になるだろうか、頻繁にまほろば地下洞の「無限心」庵に通い詰めておられた浦河町の精神科医・萩原女史から、

「北海道一の名石、パワーストーンがあるのご存知?」

と、身に付けられているピンクのきれいな宝石を見せて戴いた。

「稀石で、もう道産物は出回らないって聞いています」

と小耳に挟(はさ)んだが、中々入手困難の鉱石、すっかり忘れてしまっていた。

これも、ところがである。ここ仁木に移住して、すぐ隣が大江・然別(しかりべつ)地区。

畑の横を流れる余市川を隔てて一歩隣である。

かつて、このうら寂れた然別に、映画館があり、商店が50軒、社宅が300戸軒を並べていて、この細い街道に5000人もが棲んでいたというから、今では誰も想像出来得ないだろう。

1983年まで、年4000㌧、3万坪選鉱所を擁した三菱地所の然別鉱山があったいう。

そこからは、金・銀・銅・鉛・亜鉛・マンガン鉱と採れない鉱物が無いほど採掘出来たというから信じ難い。

金の取れるところは活火山であり、赤井川は二重カルデラの内輪で、銀山・大江は外輪であった。

まさしく火山の為せる業である。例の里作りの銀山も、銀鉱山由来の地名だ。

古平町の奥「稲倉石鉱山」から例の「ロードクロサイト」が採れたという。

何とそこが、大江然別鉱山の奥と繋がっていたのだ。

さらに、一直線でまほろば自然農園に直結して、あのゼオライト鉱山も、湯の華採取場も同じ線上付近に位置していたのには驚嘆した。  

然別砕石場の主(あるじ)の知友から戴いたのが、その奇石であった。

しかも、世界の主産地チリやペルーのロードクロサイトより、世界一の折り紙が付いている純度である。

今や、閉山されて高額で取引され、入手困難になっている。

例の人気TV番組「開運!なんでも鑑定団」で、何と400万円の高値が付いた稲倉石鉱山産紅マンガン、別名「桜マンガン」。それほど、ピンクが美しい。

後談で、世界の水の権威で、地質鉱物学に造詣が深い工学博士でもある増川いづみ女史は、クロサイト採掘地は世界でも非常に稀で、しかもヒーリング効果が高く、次の章で説くヒルデガルドが珍重していたというから、極めて稀少価値の高いレアな鉱物である。

命の源泉、第三の眼・アジナーチャクラに相応する最も貴重な宝石といえる。

しかも、この地で採れるというから二重の驚き、驚愕以外の何物でもない。

6,クリスタルヒーリング

1000年ほど前、ドイツにヒルデガルド・フォン・ビンゲンと言う神秘家の尼僧が出現した。

「中世最大の賢女」と呼ばれ、女預言者、神学者、劇作家、伝記作家、言語学者、詩人としても幅広く活躍。

それに薬草・民間療法の創始者で、ダ・ヴィンチ的全方位の領域に瞠目し、魅了された。

世界で初めてラベンダーの薬効を紹介したから、もっと知られて良い偉人であろう。  

度々神秘体験を重ね、40歳頃に「生ける光の影」(umbra viventis lucis)の幻視体験(visio)をし、女預言者とみなされたというから、霊的カリスマ性も自(おの)ずから備わり、光彩を放っていたのだろう。

私の若かりし頃、大好きだった作曲家のビクトリア(Tomas Luis de Victria)。

「スペインのパレストリーナ」と呼ばれたルネサンス期の僧侶だった。

神秘で静謐な彼と通じるヒルデガルドの作曲した無伴奏聖歌、古楽教会曲に懐かしくも心酔した。

広く天上の音楽にも通じていた。誠に我が意を得たりとする、歴史上稀にみる魅力的才媛聖女であった。

その4、500年後の欧州各地の教会では、頻繁に霊力のある尼僧たちを「魔女狩り」と称して火あぶりなどで弾圧し奇跡の力を封印した。

犠牲者の皆は、ヒルデガルドを思慕憧憬していた。

ホメオパシーやフラワーエッセンスなどの薬草医療は、怪しい魔力呪術と称され、悉く甚振(いたぶ)られて来たのだ。

その古典医療法の中に「鉱物療法」がある。

「パワーストーンヒーリング」である。それが、神秘療法家の緒方紀子女史が施法している具体的方法で、クライアントを床に寝かせて、全身のチャクラに宝石を載せ、頭の下にゼオライトを、第三の眼のアジナーチャクラに水晶を置いて、調整するというものだった。

これを聞いて、ここは居ながらにして天恵の地、浄福の土ではないかと直感した。

畑から見る然別の山は、まるでゼオライトを枕に、頭上にロードクロサイトを載せているかのような地形構図である。

この奇遇に、またもや不可思議な因縁の巡り合わせを、感じざるを得ないのだ。

7,松果体と0‐1テスト

このケイ酸質由来のロードクロサイトの水晶体は、第三の眼の松果体を暗示象徴するものである。

バイデジタル・0‐リングテストの創始者・大村恵昭博士は、視床下部の奥にある、この第三の眼と言われる松果体に0‐リングテストが反応しているのではないか、という仮説をたてられた。(上図参照)

確かに0‐1テストでも、この第三の眼や頭頂葉に反応場を広げると、結果の精度が一段と上がるのみならず、最終結論にさえ導ける最重要点チェックポイントでさえあることに気付いた。

この松果体を刺激するロードクロサイトなどの超微細反応を惹起する鉱物のバイブレイションは、今後さらに重用されるだろう。

8,ロードクロサイトをエリクサーに

ELIXIR/エリクサーも、24年のロングランを誇っている。

宣伝営業をかけないで、よくぞここまで、という感慨である。

根強い愛好者のご支援とご利用を感謝して止まない。

事あるごとに、内部の改良や補填は、少なからず進めているが、今回、仁木に移住して、この場の因縁を明かすに、このロードクロサイトを記念に搭載しようと思い至った。

いわば、「仁木バージョン」である。既に半年前から搭載を試みてはいるが……。

このピンクの鉱物は、若き女性の健康な薄桃色の古代色を思わせ、生命に清らかさと温かさを喚起させる。リハビッシュで、漸次全面に搭載されるであろう。

それは、何を意味するか、と問われれば、札幌と仁木を繋ぐ固い絆を意味し、これからの「懐しき未来(さと)」作りの趣意にも、エリクサーが大いに関わることを掲げている。

その「混沌と統一」という思想哲学が、村作りの根底に在るからだ。

8,橄欖石

日高産の橄欖石(かんらんせき)をセラミックや鉱物として、すでに搭載して来たが、その結晶体ペリドットの宝石も加え始めた。

拙文『アイヌと家郷(ふるさと)』の中にも記載したが、2000年以上前に既に道内先住民の縄文人が、この橄欖石を首飾りなど豪華な装身具として身に帯びていたことに瞠目したのだ。それを新たに搭載している。

これも道産所縁の鉱物として、北海道発エリクサーとして馴染み深いものにしようとした。

ここ浦河産橄欖石がエリクサーに組み込まれていることに、先述の増川博士は、「地球創成時に生まれた岩石こそ橄欖石で、これが搭載されていることは大変意義深く、興味深いことです」と、語られた。

9,大エリクサープロジェクト

地球の「過去と未来」、「記憶と夢」を繋ぐ接点こそ石であり、大地であり、そして農であります。

地の石(いし)は、人の意思(いし)であり、意志(いし)、即ち固き志(こころざし)であります。

石は土となり、畑となり、作物となり、人となります。

あの堅き石が、この柔らかき野菜を生むのです。

いや、化身となるのです。

「懐しき未来(みらい)」こそ、「懐しき昔」であり、「懐しき農」であります。

ELIXIRへの想いは、「懐しき未来(さと)」への想いであり、夢でもあります。

私たちは、エリクサーと共に、この道を真っすぐに辿って進みます。

この地域一帯に、ヒトも入った大きな大きなエリクサーを作って行きましょう。

【こちらもオススメ】

富士山麓「あすみの里酢」

「懐かしき未来(さと)」元年

遂に「腸管造血論」が立証された【春秋の忍、晩冬の實】

宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。