「心身一如」体と心はひとつ

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磯貝昌寛の正食医学【第96回】心身一如

五感と欲求

人間社会には強迫性障害( 強迫神経症)なる心の病があるようです。

ひとつのことに異常に執着して頭から離れず、強迫的にひとつのものごとに囚われ、そのストレスから異常行動に至ってしまう病らしいのです。

食養を実践する人の中にも時に、少食強迫症( 私が名付けたのですが)が現れることがあります。

かく言う私もそんな時を大いに経験しました。

「これ以上食べたら睡眠時間が伸びてしまうな」

「あー食べ過ぎだなー」と思いながら食事をしていたこともありました( 食物さんに本当に申し訳ないことでした)。

まだその程度ならばかわいいものですが、子育て中のお母さんが少食強迫症になってしまうと大変です。

子どもはパクパクモリモリ食べるものですから、それを見ているお母さんは「私のかわいい○○ちゃんが、こんなに大口あけて…」となってしまいます。

「そんなに食べて、パンパンのお腹が破裂でもしたらどうしよう」とハラハラドキドキ。

その結果「もう止めておこうね」次のおかわりでおしまいね」「そんなに食べたらお腹が破裂しちゃうよ」と真顔で子どもに言い寄ったりしています。

ご飯のおかわりの時にも少食の意識が頭にありますから、なるべく少ない量を盛って子どもに持っていきます。

そういった気持ちと行動が続いていくと、子どもは違和感がつのり、本来心も体も和むべき食事の時間が緊張感に満たされて、結局その緊張感を緩める必要から本来の必要以上の量を食べてしまうのです。

私たちは、私たちに湧き起る様々な欲求をもっと信用する必要があります。

私も食欲と性欲はなんて制御しがたい大変な魔物なのかと感じていた時もありました。

しかし、いろいろな経験をさせてもらっていると人間に湧き起る食欲も性欲もなんて神聖なものだろうかと今は思うのです。

特に子どもの食欲は完全に正しいものです。一寸の狂いなくまったく間違いがありません。もちろん食べ過ぎによって下したり吐いたりすることもあるでしょう。

そういったことも含めてまったく正しいものなのです。

私たちに湧き起ってくる欲求はすべて正しいものであるということにいささかの疑問もありません。

しかし、欲求が正しいといっても、その欲求に対してそのまま応えてしまって良い場合と悪い場合があります。

子どもは本来、必要量以上の食物を食べることはありません。

犬や猫、馬や牛、自然界の生物もまた子どもと同じように必要量以上の食べ物を食べることはありません。

私たちは、私たち自身のことを吾(ワレ)というように、五つの口を通じて自然と社会に繋がった存在です。

五つの口とは、口・目・耳・鼻・頭になります。

人間以外の生き物は頭に代わって皮膚なのですが、ヒトは皮膚感覚よりも頭の感覚が強くなってしまっています。

この五つの口から入ってくる情報によって、私たちの本能もまたそれなりの曇りを生じさせてしまっています。

もしも、五つの口が触れ合う環境がまったくの自然なものであったならば、その本能はまったく正しいものといえます。

人間社会において、頭から入ってくる情報、目・耳・鼻・口から入ってくる食物という情報はなんとイツワリの情報の多いことかしれません。

そんな様々な情報に接していながら本当に正しい本能を発揮させることはそれこそ至難の業といわざるを得ないのではないでしょうか。

しかしこれは、人間が正しい判断力を養う上での避けて通れない道、と考えることもできるのです。

ヒトは本能だけに生きる生物ではありません。本能と判断力に生きる地球唯一の生物です。

とはいえ判断力は本能と別物ということではありません。

正しき本能の上に成り立つ正しき判断力こそが、ヒトをヒトとして成り立たせてくれるのだと思うのです。

必要以上に食べてしまう食行動、肉や卵や乳製品をウマイ・ウマイと食べてしまう食行動、その中にさえ正しい欲求が隠されています。

その欲求に上手に向かい合うことがヒトに至らしめる上で大事なことなのではないかと思います。

想いの実現化

ものごとを「何故だろう?」と考えていくと、この世の森羅万象の奥に潜むものがあるのではないか、という思いに至ります。

縁あって多くの人と接する仕事をさせていただいていると、人間の深部の一端を垣間見ることが多々あります。

食養相談( 望診)をさせていただいていると、健康問題にとどまらず人生相談のようなことまで引き受けてしまうこともあります( 親族間の遺産相続の問題など)。

ことの本質は体の健康と心の安定は同一のものですから、これらの問題も食の問題に行きつきます。

この世の森羅万象、ことに人間においてはその深部に心の問題があります。

ヒトは心の生き物といってもいいほど、心に大きく左右されています。

心次第で幸福と不幸が決まってきてしまうのです。

「幸せだな」と思えば幸福であり、「不幸せだな」と思えば不幸なのです。この心はドコから発生しているのでしょうか?

遺産相続の問題が起こってくるということは、遺産を巡っての引っ張り合いがあるということです。

なぜ親の遺した財産を手放すことができないのか?

兄弟よりも自分がたくさん欲しい、という心はドコから生まれてきてしまうのか?

この心の元はドコにあるのかと考えてみても、それがさっぱりワカラナイ。

体のドコかにあるのでしょうがドコにあるのか、ダレも見たことがない。

見えるものでないから、科学の発達した今ではダレもが本当の目を失い、盲目になってしまって心というものが一体全体なんなのかワケのワカラナイものになってしまっているのです。

しかし、人間の心と体を丹念に観ていくと、心は食と繋がっているとわかるのです。食を通して宇宙と繋がっていると言った方がいいでしょうか。

宇宙からは絶え間なく、陰陽さまざまなエネルギーが地球上に降り注いでいます。

このエネルギーは呼吸を通し、食を通して私たちの体と心に成っていきます。

呼吸と食は私たちの生活の中心です。

この生活が正しければ心は幸せという結果を与えられ、生活が間違っていれば不幸せを与えてくれて生活の問題に警鐘を鳴らしてくれるのです。有り難いことです。

「心身一如」というように、体と心はひとつです。心が乱れているのは体が乱れているからです。

体が調うと不思議と心が落ち着くのです。

心身一如という言葉は、想いはすべて実現化することをも示しています。

なかなか想っていることが実現化しないのは、その想いが弱く、行動に結びついていないからなのです。想いと行動は陰陽です。

頭で考えていることを体で行動し、それをコツコツ継続していけば想いは必ず実現化します。

オモシロイことに、多くの場合、実現化できないようなことは想いが浮かんでこないようです。

陰陽で考えれば、想念という陰性と行動という陽性が調和がとれた時に想いは実現化しています。

私は食養指導を通して多くの病気の方との生活がライフワークになっています。

皆さんと接して、病を治すという想いの強さに比例して食と生活の改善度が変わってくるのです。

想いの実現化は、日々の食と生活が自然に沿ったものであり、それをコツコツ繰り返していくことが最も近い道であることを確信しています。

月刊マクロビオティック 2019年12月号より

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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)

1976年群馬県生まれ。

15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。

食養相談と食養講義に活躍。

マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。