【幻の富士王朝】歴史家・祜男氏の新著発刊を祝う

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

この3月だったでしょうか。

「山梨の富士吉田の司馬祜男(しばこなん)さんという方から、本が送られて来ますから云々(うんぬん)…」の伝言が編集部から仁木にあった。

ほどなくして届いたのが『「宮下文書」の科学的検討』という5巻にもなる大著の歴史解明書であった。

物的証拠が有るかないかの歴史証明は、紀元前故(ゆえ)に中々難しい所、そこを敢えて科学的とうたったことに心惹(ひ)かれた。

氏の来歴は存じ上げていなかったが、読む限り客観的で誠実なテーマに対する取り組みが半端でなく、徹底した検証と論説には、何か鬼気迫るものがあった。

古述に固執(こしつ)せず、地勢に同調せず、スピリチュアルの荒唐に近寄らず、ひたすら学術的地道な渉猟(しょうりょう)と論述を重ねて来られた。

ここで、我が祖先の書いたものへの真偽のほどを述べるのは控えるが、氏は微動だにしない確信を掴(つか)まれ、よくぞ短期間でここまで研究を進めて来られたものと感嘆するばかりである。

実は、私が興味を以て、この古文書と祖父の実家、山梨県南都留郡富士吉田市小明見(こあすみ)を生まれて初めて訪ね得たのが、2006年1月であった。

それは祖父が出奔(しゅっぽん)してから丁度100年目の事であった。

何かに衝(つ)き動かされるように訪ねたのも、祖先一族の導きであったのではなかろうか。

ここでの詳しいことは、その歳の7月に発行したエリクサーブックレットVol21『ELIXIRから無限心へ(中の章)』〈無料配布中〉を読んで戴きたい。

余りにも切り口が多く、一片には書き切れない手に余る内容である。

その後、かのベストセラー作家グラハム・ハンコック氏の前での講演、自然医学の総帥・森下敬一博士と中国・連雲(れんうん)港での日中徐福研究会での講演など、みなこの「富士古文書」無くしては、実現しなかったものだ。

その後、この古文書に関しての論述は次のようにある。

また、大正年間から発刊された関係書を列挙するも、今回の司馬氏の新刊は、一際(ひときわ)光彩を放っている。

(まほろばだよりバックナンバー)

●「死と生」No2534 2006・6
●「富士異聞記」No2573 2006・8
●「徐福伝説」の真実 
~知られざる日本人のルーツを探る~ No4146 2015・9
●「恩讐の彼方に‐前篇」 No4315 2016・7
●「神農と農、ソシテ母ちゃん」No4922 2019・8
●「続 倭詩「水とは醫学」霊水に込められた哲学をひもとく」2016・12

このコロナ大騒動の中、古今東西の歴史が新たに問われ始めた。 

殊に、日本における日本人の出自(しゅつじ)や歴史の始まり。

大和朝廷以前に、富士王朝があったとするこの古文書を巡っての真偽論争は避けたいところだが、何事にも終始があり、新たなる始まりがあるのは、自然の理(ことわり)である。

十七条の憲法、「和を以て貴しとなす」は日本人の真骨頂であり、彼の国の「同じて和せず」の覇権争いにこそ、和して避けるべきと信じる。

この論争に、一石を投ずる氏の論評は、新しき切り口で、歴史の扉を拓くものである。

富士古文献ゆかりの阿祖山(あそやま)神宮も有志に依り再興された、と聞く。

大正年間の「富士文庫」の勃興(ぼっこう)期に次いで、この新書にて第二の黄金期を迎えるやもしれない。

日本に興味ある御仁は、是非ともこの吉書を揃えて、己が来たりし道筋を辿るのも、自粛強制の折柄、持って来いの神の図り給うた絶好の好機として共に享受したい。

『「宮下文書」の科学的検討』―作者からの思い 司馬 祜男

この度は、まほろば創立37周年、誠におめでとう御座います。

会長が、青年時代に描いた夢を実現していったその努力の結晶が今日のまほろばですから、創立記念日は、宮下会長にとって、余人には分からない特別の感慨をもって迎える日と拝察します。

改めて衷心よりお祝いを申し上げます。

ところで、拙著の販売については、会長のお陰で、以前と比べ、夢の様な展開にになりつつあります。

これは宮下周平会長の長年の蓄積からの賜物であり、更には宮下ご本家の御祖霊のお陰と、畏敬の念を一段と深くしているところでしたが、今度は、さらにまほろば創立三十七周年記念日(7月2日)を期し、まほろば自身が拙著販売を始めて頂けるとのこと、誠に有難う御座います。以下、解説して参りたいと思います。

1、『宮下文書(ミヤシタモンジョ)』(又は、『宮下文献』、又は『富士古文献』)と呼ばれる古史古伝が日本に存在する事をご存知でしょうか。

“宮下”は宮下家を、“文書”は古文書を指しますが、注目して戴きたいのは、“宮下”が宮下周平会長のご先祖の生家(山梨県富士吉田市明見の宮下家)の本家を指すことです。

これについては、宮下周平著『倭詩』の19頁、“百年の声、千年の響き”に詳記されていますので、ご存知ない方は調べてみて下さい。

私(こと司馬祜男)は、その明見(あすみ)地区の近く(10km)で生まれ育ちましたので、高校生の頃から、『宮下文書』の名前だけは知っていました。

(しかしその具体的な内容は殆ど知らず)日本の超古代史を記した偽書(ぎしょ)であると(“『宮下文書』偽書説”をそのまま)信じ人生の大半を過ごしました。

ところが、晩年になり、日本史に興味を抱き、本能寺の変について調べて自説を纏(まと)めて出版したりしていましたが、その際、出版社の社長と雑談中に、「富士北麓地域には『宮下文書』という非常に面白い史料がある」と教えられました。

丁度次のテーマを探していた時で、早速、富士吉田市立図書館に出かけたところ、禁帯出図書として『宮下文書』関連の本が、(原本の印影版から解説本まで、)ごっそり並んでいました。

そこで、その中の解説本を取り出し、パラパラ眺めました。

これが、以後長く続く事になる『宮下文書』との付き合いの始めでした。

日本古代に存在したと言う“富士王朝”の話でしたが、“偽書”と云われるに相応しい噴飯物のように感じました。

しかし一方で、(話が具体的で、かつ)妙に説得力がある様にも感じました。

そこで(地元人の利を生かして)偽書の証拠を(簡単に)見つけ、この研究テーマは打切ろうと考え、よく知っている具体的なテーマを一つ選び、膨大な文章中から、そのキーワードに関連する部分だけを抜き、ノートに書き写していきました。

この結果は‥‥少なくともこの設定テーマについては、それまで自分が蓄えてきた知識と矛盾するものでないことが判りました。

つまり選んだテーマに関する限り、疑問を差し挟む余地が無い事実と判ったのですが、それだけでなく、そのテーマに関し、これまで知らなかった新事実の記載もあり、それが自分のそれまでの知識と全く矛盾しないで形で記されていて、これには大変驚きました。

そして、以後、同じ手法を別のテーマで繰返すことで、『宮下文書』が、真実の歴史書であるとの確信を強めながら、晩年を『宮下文書』の真偽(しんぎ)検証研究一筋(ひとすじ)に没頭してきました。

しかし、健康を害したのを機に、道半ばでしたが、この作業を止め、それまでの結果の纏(まと)め作業に入り、2020年2月~8月、【『宮下文書』の科学的検討】(全5巻)として自費出版しました。

ところで、此処まで読まれた方は、“事情は分かったが、『宮下文書』に対する筆者の強い思い入れは、所詮は個人の感想の集積で、独り善がりの虞(おそれ)がある”と感じたかもしれません。

しかし、そうも云(い)えないのは、次の事実が客観的に傍証(ぼうしょう)していると思います。

即ち、『宮下文書』の秘伝がAD1881年(明治14年)に解かれ、そして約40年後のAD1921年(大正10年)に、その研究書、三輪義熈(よしひろ)『神皇紀』が発刊され、日本中が大騒ぎになったことです。

これは当時の最大のマスコミである新聞(例:東京日々新聞。読売新聞、都新聞、東京朝日新聞、報知新聞、大阪朝日、大阪毎日‥‥)が報道している確かな事実です。

【『宮下文書』の科学的検討】第2巻【報告5―03】林房雄『神武天皇実在論』9頁~19参照。

そして、AD1922(大正11年)には、海軍大将斎藤實(まこと)(後の総理大臣)他、海軍中将、海軍少将、陸軍中将、法学博士、工学博士、理学博士etcの錚々(そうそう)たるメンバーが顧問、評議員、理事として名を連ねた『宮下文書』研究のための研究団体「財団法人富士文庫」が結成されました。

ところが、それから暫(しばら)くして、突然、富士文庫は解散、根拠を示さない“宮下文書偽書説”が現れ、『宮下文書』の学問的研究は実質上禁止となり、次第に世間から忘れられていったのです。

そこには当時の政治的な事情が大きく影響していたようです。

そして、その状態が、現在(AD2021)迄、約100年も続いているのです!

2、次に、私と宮下会長との出会いについて記します。

まほろばで販売中です: http://mahoroba.shop-pro.jp/?pid=162119122

私が拙著【『宮下文書』の科学的検討】を自費出版した目的は、『宮下文書』の啓蒙、つまり、『宮下文書』が存在すること自体を日本国民に広く知ってもらう為でした。

つまり、一度は大いに盛り上がった『宮下文書』の存在自体を、日本国民が(百年ぶりに)再々発見し、皆で研究する切っ掛けを作ることでした。

その為には、拙著を流通ルートに乗せ、頒布(はんぷ)する必要があります。

しかし、[テーマを設け、検討し、纏める]、この作業を繰返している間は、「販売のことは何とかなるだろう」と、真剣に考えていませんでした。

ところが、自費出版した後、何とかなると思ったことが、なんともならないと判りました。

考えて見れば、全く実績が無い者の手作りの自費出版本など、売れるわけがありません。

しかしこの道理をこの時になって初めて悟り慌てました。

そして、この状態が半年近く続きました。

しかし此処(ここ)で諦めては、これまでの苦労が水泡に帰します。

困った!‥‥。

そんな状態の時、『宮下文書』をキーワードにネット調査していて、宮下本家の末裔・宮下周平会長が北海道で活躍されている事を発見し、その論文をも拝見し、考え方、生き方にも感銘し、恐る恐る手紙(2021・3・11付)を差上げました。

その結果‥‥、

毛筆での達筆な返信を戴き、御著書も戴き、しばしば電話も戴き、お考えも直接伺い、大変偉い方にも拘(かかわ)らず、大変気さくな方であることがよく判りました。

そして、一番困っていた拙著の販売ルート(出版社、団体等々)の情報、アドバイスを戴き、それまでの閉塞感が一気に霧散し、突然光明が見えてきました。

私の健康についても、大いに心配して戴き、まほろばの皆様も含め、サプリメント等で、大支援を戴いております。

正に天の助け。宮下家のご先祖さま、宮下会長や、まほろばの皆様方のご支援を戴き、微力を承知の上で、いま一度、目標実現に向け、一頑張りしなくてはと思っております。

今後も変わらぬご指導ご鞭撻の程お願い申上げます。

以下、Q&A形式で、拙著の宣伝。

Q:『宮下文書』って何です?

A:浅間神社(富士山の麓、明見で富士山を祀る神社)の神主を代々務めてきた宮下家が、書き残した古文書群(膨大な文書、地図等含む)を指します。

その古文書群の中には、富士山の麓は、古代の日本列島の中心だったと記され、それを具体的に詳細に説明しています。

これらは我々が学校で学ぶ歴史常識(即ち、『古事記』『日本書紀』)を根底で覆すものです。

“『宮下文書』の科学的検討”は、この“到底信じられない話”の疑問点を見定め、(地元人の利を生かしつつ)20年近く掛けて一つ一つ(科学的な調査と論理的に基づき)検証していった全5巻からなる記録(素人の手作り。自費出版本。全5巻)です。

結果は全て、疑問の余地なしの話ばかりでした。

Q:難しくは無いですか。

A:新聞を読める程度の知識があれば十分です。

細かく、検討テーマ(目的)を区切り、結論を明記して、ストーリーを完結させています。

第1巻(の冒頭部)は本書の概要を知る上で必読ですが、その他は、(全編を通し)興味のある章を拾い読みしていくことで、何所から読んでも理解できる筈です。

最も大事なのは、テーマに関心が持てる事。

もし疑問が湧いたら、自分で調べ、自分の頭でジックリ考えてみる。

これを繰返すことで、 “奇跡の書”『宮下文書』の魅力を堪能(たんのう)できる筈(はず)です。

パンデミックによる閉塞感を霧散させるには、好適の書ではないか、と密(ひそか)に思っているのですが‥‥。

以上

2021・6・28
司馬 祜男識

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。