「コロナと生きる」中篇 —思想の章—

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

2021年1月20日の北翔大学で始まった講演会。2月23日のスタッフ講習会まで、計5回。

3時間に及んだ「コロナと生きる」と題した内容を、前・中・後篇に分けて掲載します。

【前編】:【「コロナと生きる」前篇】「プランデミック」から 「より良い日常」へ

1. Im wunderschönen Monat Mai
こよなく美しい五月に

Im wundersch?nen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen,
Da ist in meinem Herzen
Die Liebe aufgegangen.

Im wundersch?nen Monat Mai,
Als alle V?gel sange,
Da hab ich ihr gestanden
Mein Sehnen und Verlangen.

こよなく美しい五月に
すべてのつぼみが弾けて咲くように
ぼくの心の中にも
恋が花開いたんだ

こよなく美しい五月に
すべての鳥たちが歌うように
ぼくも彼女に告白したんだ
ぼくの憧れと そして願いを

一、思春期の歌 「詩人の恋」

中学2年生の時、母から初めて買ってもらったLPレコードというもの。

それが、あの名曲「菩提樹」の入っていたシューベルトの「冬の旅」だった。

フランスのジェラール・スゼーのバリトン。雪国のシンシンと降る雪と心情が重なって、何とも言えない多感な思春期の気だるさと不安と浪漫が、未知のヨーロッパ文化に足を踏み入れた初めだった。

それから、深みにはまってドイツリートを渉猟し、シューマンの「詩人の恋」には、心奪われた。

青年期の生き方を彷徨して、求め切れない何かを探していたのだろうか。

ご多分に漏れず、ハイネやリルケ、ボードレール等々、近代詩の数々を訳も解からず、読み込んでいた。

そのハインリヒ・ハイネに、ロベルト・シューマンが曲を付けたのが、この歌曲集「詩人の恋」であった。

自分をこの詩人に見立てていたのだろうか。その悲恋に、傷付くかのように。

二、ハイネと友人マルクス

ところが、後年、このハイネがカール・マルクスと親友の如く付き合っていたことが分かり、大変なショックを覚えた。

今思えば、単純な動機であったかもしれないが、東洋哲学に傾倒していたその頃から、思想的にも生理的にも共産主義には、甚だ嫌悪感を抱いていた。

周りの大多数の学生は、学生運動に走り、上下も左右もなく、暴力で革命を起こそうと嘯(うそぶ)いて、恩師を罵倒し、学校を荒らし回った。

翻ってみれば、当時、彼らは真剣にマルクスの思想哲学を、殊に『資本論』を読み進めて活動家になった訳ではない。

周りに扇動されて闇雲に火炎瓶を投げていただけだ。

その主体性の無さこそ、多くは卒業後、企業戦士に下って、敵とみなした資本主義の先兵となって日本経済の繁栄を築いていった。

ハイネは、詩が出来る度に、マルクスに見せ、評価されたものを発表していたという。

マルクスはユダヤ系ドイツ人で、ベルリンに住んでいた。

後に、友の経済学者エンゲルスと『共産主義革命』を発表し、プロレタリアアート(労働者階級)解放運動を起こした、その唯物主義。それがロマンチズムと、どう結びつくのか、当時の若造には解からなかった。

シューマンの奥さんは、名ピアニストのクララ・シューマン。

そのクララの何もかもに憧れて恋したのが、弟子のヨハネス・ブラームスだった。

そのため、彼は生涯独身を通した。私は、こよなくこのブラームスを好んだ。

シンフォニーから室内楽まで、その渋さ、濃さ、深さ。何かヨーロッパの黄昏(たそがれ)のような秋の暮行く冬の到来を予感させるものだった。

高校生に、人生晩年の機微が分かるはずもないのだが。しかし、若き日のその予感が当たっていたのだ。

三、西洋近代史、300年の闇

この音楽と政治が、どう結びつくのか。

実は、私自身も共産主義化、社会主義思想の中に浸かっていたことが分かったのが、つい最近の事だった。

これは驚くべき事実で、戦後生まれの大方の日本人は、戦勝国アメリカGHQの政策、闇の勢力が仕掛けたコミンテルン(共産主義インターナショナル)化させた海の中で教育され、思考し、生活しなければならなかった。

それは、本人が自覚するかしないかに拘わらず、全く知らされていない空気だった。

反共の私でさえそうなのだから。左派も右派もどっぷりとその沼に嵌(はま)った人たちを、責める気にはならない。

実は近代のほぼ300年は同時進行で同じ方向に向いていったのだ。そして、その行き着く先は、同じ谷底でもあった。まず、音楽から手短に語りたい。

四、音楽の没落

クラッシック音楽というと、西洋音楽のすべてのような感じを受けるが、それは違う。

古代ギリシア史2500年からすれば、たかが300年ほどの音楽史を指しているに過ぎない。あの小学校の音楽室に貼られた作曲家の面々だ。 

古いグレゴリア聖歌などの教会音楽の集大成者としての大バッハは、バロック音楽の始祖として金字塔が燦然と輝いている。

私は、彼の絶筆「フーガの技法」を西洋音楽史上の最高峰としてこよなく愛聴している。

だが、そこから下り坂に向かう。 

ほぼ30~50年刻みに次々と天才たちが、陸続として現れては消える。

モーツアルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、ワーグナー、マーラー、ドビュッシー、ストラビンスキー‥‥‥。お馴染みの作曲家名である。

掉尾(とうび)に日本の武満徹がいる。バロック、古典派、ロマン派、近代とその流れは急速に早まる。

そして、1900年代に入り、アルノルト・シェーンベルクが調性音楽を脱し無調の十二音技法を創始したのだ。現代音楽の幕開けであった。

五音諧(民俗楽的ペンタトニック)や長短の七音階の破壊、不協和音の楽曲である。現実的にここから音楽の崩壊が始まった。

その流れの中で、高校時代に、武満に出会い、シェーンベルクを学び、現代作曲家を渉猟した。

そして、その先に、絶望の大きな壁を直感し、志半ばで挫折したのだ。

今、振り返れば、そこに立ちはだかる壁こそ、世界に蔓延した社会主義、全体主義の潮流であった。

現代音楽は、庶民との間に大きな断絶を造り、誰もが振り向かない蚊帳(かや)の外となった。

五、絵画の世界でも

これは、アートの世界、絵画でも呼応して、当然同じ流れであった。

古代、中世、ダ・ヴィンチなどの巨匠を端折(はしょ)って、具象・写実派のレンブラント・ファン・レインから始める。

彼の光と影その明暗に心惹かれる人が多いが、私もその一人であった。

そのバロックから流れて、ロココ、新古典主義、ロマン主義、印象派、現代の集大成者としてあのピカソがいる。

ミレー、ルノワール、モネ、ゴッホ、シャガールと錚々たる名が連なる。

その世紀末芸術にフォービズム、キュビズムやシュールレアリズム、さらに現代ポップアートなど抽象絵画が台頭し氾濫したものの、ピカソを凌駕した画家は居ない。

世間は、熱狂して彼を受け入れたが、一方東洋の慧眼はこれを許さなかった。

数学者・岡潔は、一刀両断、「無明の達人」として 彼を斬り捨てた。

六、近・現代史の通貨と国家の流れ

日本では、江戸中期、綱吉・吉宗時代が、欧州では古典主義時代に当たる。

当時ヨーロッパの貨幣経済は、金銀による重商主義。

殊にスペインのハプスブルグ家は世界の覇権を握っていた。

ヨーロッパにおける、この長き王室国家の絶対主義的抑圧は国民の反乱を招き、カトリックとルターによるプロテスタントの対立勃興の闘いを引き起こした。

現在の国際システムである主権国家体制(ウェストファリア体制)を生み出した三十年戦争は「最大にして最後の宗教戦争」と言われた。

神学などの権威主義から理性・知性を尊重する啓蒙思想の誕生がフリーメーソンを生み、それが母体となってフランス革命やアメリカ独立戦争に連なった。

1750年前後をして、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、金銀の預かり証を紙幣として発行する「通貨発行権」なるものを獲得し、国の采配権を奪った。

「ワーテルローの戦い」によりイングランド中央銀行を創設し、ユダヤ人による金融国家オランダが、世界の覇権を握ったのだ。

イギリスの金本位制から金=£(ポンド)の世界基軸通貨を台頭させた。

そして、英、独、伊、佛、オーストリアに五男を配して、早々と巨大な金融ネットワークを構築してしまった。

それがアメリカに飛火し、ロックフェラーなどの台頭により、各国の金本位制からの脱退者が続き、$(ドル)基軸通貨制度に靡き、変動通貨制、FRB(連邦準備理事会)、今日の仮想通貨制へと連なる元を作った。

七、国際金融資本家たちの野望

イギリスにおける産業革命が、資本主義社会を生み、次々とアジアに植民地化の波が拡がった。

それは、印度から中国へと至り、遂には日本にもその波涛(はとう)は押し寄せた。

ペリーの開国を迫って始まった明治維新。

フランスは幕府派に回って南北戦争の旧兵器を売りつけ、イギリスは討幕派に最新兵器を持たせるなど、勝敗はすでに決していた。

いずれもロスチャイルド家の両天秤の陰謀で開国に至らしめ、明治維新を起こした。

天下国家を論じて互いの血を流した志士達は、いわば皆彼らの筋書き通り、手先になって働いた駒。

薩長も竜馬も海舟も慶喜も、良いように顎(あご)で使われていたのだ。

皆ロスチャイルドの掌(てのひら)の上で右往左往していたに過ぎない。正に漁夫の利である。それは、今なお続いている。

しかも、これが初めてではない。1549年イエズス会が日本に送り込んだフランシスコ・ザビエル。

彼もキリスト教宣布という美名のもとに、蔭で人身・武器売買を行い、領土の植民地化を企てていた。

危うくも信長・秀吉はそれに気付き禁教弾圧追放を命じ、家康が鎖国制度を敷いたのも故無きことではない。利休の死も然り。

それは日本ばかりではない。あのマルクス、そしてエンゲルス、更にレーニンもみな背後にその影が付き纏った。

資本主義と真逆の思想に見えながら、共産主義も根は同じ、目指す所は同じであった。

実際、中共は赤裸々なる大資本主義国家ではないか。唯物思想も唯心思想も、表向きは戦わせて、裏で手を握る。

目的は、金融独占、世界支配である。

そして、1848年の「共産党宣言」は1991年のソ連崩壊によって終わったかのように見えて、中国はこれを引き継いだ。

1921年結党し、1949年に、毛沢東が「建国宣言」を行い、赤々と中国にその火は移った。

覇権・監視国家として、そのプロパガンダ、そのイデオロギーは、今や燎原(りょうげん)の火の如く、世界に次々と飛び火した。

まさかの自由主義国家・アメリカもその毒牙に噛まれていた結果、トランプ政権は倒された。

かの第一次大戦も第二次大戦も、戦争特需で大儲けしたのは、この大富豪たち、死の商人だった。

そして、この度の大統領選挙もコロナも何もかも仕掛けたのは、「世界は金なり」とする国際金融資本家の彼らの為せる業、独壇場だったのだ。

八、日本の走狗(そうく)

「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく、幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払うことで、成り立っているんです。

そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?

いまのまま、ずーっと愚かでいてくれればいいの。

世の中の仕組みや不公平なんかに気付かず、TVやマンガでもぼうっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言う事をおとなしくきいて、戦争が始まったら真っ先に危険な所に行って戦ってくれればいいの。‥‥‥」
(天海祐希主演「女王の教室」から)

このドラマのワンシーンこそ、正に日本で起こっている縮図であり、これが世界で起こっている拡大図だ。

この特権階級こそ、DS/ディープ・ステート、日本各界にも隠れ潜(ひそ)む、その走狗(そうく)達で溢れている。

九、共産主義を動かす国際金融資産家

正に左の風刺画こそ、正鵠(せいこく)を射ている。

暴力革命のレーニンも、資本論を書いたマルクスも、その背後に国際金融資本家が存在し、彼らを動かしていたのだ。

カール・マルクスの詩「ヒューマン・プライド」で「宗教は、民衆の阿片なり」と確信したマルクスは、神と決別し、神と同じ次元に立つことを宣言した。

〝私は神のように世界の廃墟を凱旋する。私の言葉が強大なエネルギーを持つとき、私は造物主と同等であることを感じるであろう〟と。そして、論理基盤を作り、『資本論』を発表した。

搾取する側と、される者の関係を明確に区別し、土地を所有する一部の特権階級が、非所有の農奴を搾取しているとして、帝政ロシアという中央集権的な体制構造を破壊すること無くして、人民の自由も平等もない、とする「唯物史観」を確立した。

『資本論』によって理論武装したレーニンは、非搾取階級を駆り立てて、プロレタリアアート(労働者階級)解放運動を起こした。武力によるロシア革命を煽動し、土地を開放したのだ。

しかし、非搾取階級にとって、根本的な構造に大きな変化はなかった。

それは、革命を煽動し、主導的役割を果たしたのは、非搾取階級ではなく、ユダヤ資本にバックアップされた知識階級であり、土地も生産物も国有化した全体主義的な新たな特権階級に取って替わられただけだった。

非搾取階級はそれを実現するための駒として歴史的役割を果たしたに過ぎない。

ロシア革命から、ソ連崩壊まで150年、遂に暴力革命は矛を収めたかのように見えたが、中共で、再び承継した狂刃は、誰の目からしても、より激化している。

70年にも及ぶ中共の徹底した宗教弾圧や民族浄化。

チベット、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)の佛教・イスラム教国への粛清虐殺、同化政策、臓器売買を見ても、これは真っ当な人間の所業ではない。

正に、悪魔の仕業(しわざ)としか思えない。その犠牲者8,000万人を超えるといわれる。1億超えならば、日本国民全殺でさえある。

十、ポリコレ旋風

1980年代から多国籍国家米国に潜伏して、表向きの暴力革命が、戦争反対の世界的風潮にソフト化され、より心の内面に浸透し、ハイレベルなポリコレ(political correctnessポリティカルコレクトネス)という戦略、洗脳技術に置き換わった。

性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、社会制度・言語表現は是正すべきとした。

その平和的手段に隠れた世界統一、世界支配力が見事に人心を掴んだ。

公正、中立、いかにも正義であり、正当であるかのように、耳障(みみざわ)りの良い術策に、皆嵌(はま)った。

戦後日本のGHQによる開放政策、自虐史観による総リベラル化は、その始めであり、その最たるものだ。

それが、グローバリズムという美名の兵器なき暴力革命であった。

戦後生まれの我々は、それを喜んで受け入れ、自由社会を謳歌した。戦後の経済復興は、世界の奇跡とまで称えられたが、日本は大きな影の手で操られていたに過ぎない。

フランス革命の「自由・平等・博愛」の標語の許に、日本への共産化が一層浸透していった。

米国は、敗戦後の日本に、コミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)や「3S政策」(Screen、Sport、Sexを用いた愚民政策)を利用し、再び立ち上がれないように骨抜きにして、日本弱体化を仕組んだ。

その罠に、自らの自由国家が今日のように侵されるとは、当時誰が知ろうか。

この「影の政府」、「DS/ディープステート」の存在は、つい最近まで噂の「陰謀論」「都市伝説」の戯言(ざれごと)・噂話(うわさばなし)に過ぎなかった。

だが、この米国大統領選挙、コロナ騒動によって皮が剥がれて露わにされ、一般市民にも、子育ての主婦の間でも知れ渡るようになった。

何故か。

それは都市にも田舎にも、家族にも我が子にも、その身に刃(やいば)が迫って来たからだ。

コロナワクチン一本にせよ、生涯のイノチの保証がない。何を担保に、これを受け入れられるのか。

そして、その国際金融資本が仕掛けた今回の一連の騒動の行方は、どうなるのであろうか。そして、我々はどうすれば良いのであろうか。

十一、人類削減路線「新世界秩序」

「国連憲章アジェンダ21」で、1992年ブラジル地球環境サミットは「人口を85%削減、10億人を目標に」を採択した。

次いで、ビル・ゲイツは、5億人宣言をしてワクチン製造を促進させた。

内閣が提唱する「SDGs(持続可能な開発目標)、サステナブルな社会を目指す」は、自然食運動では、尤(もっと)もらしく、最も近しい標語(スローガン)である。

これに同調しない同業者・消費者はいないだろう。だが、そこに環境問題という善言美辞の罠があった。

DS(ディープステート)がこれを盾に、これ見よがしに良心に訴えるが如くして人口削減にコロナ・ワクチンセットで関与していたのだ。

温暖化政策、脱炭素社会も、貧困と飢餓で格差を作り、裏側で莫大な利権がDSに入るように巧妙に仕組んでいる。

「NWO」New World Order 《新世界秩序》は、今に始まったことではない。既に画策されていた人類削減の一路線に過ぎない。

十二、内閣府が描く未来図

Society 5・0なる目標。「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)」。

いかにも自然に触れない、地に足の着かない都会の役人が描くIT社会だが、人間主体でなく、人間不要、人間性不在の構想であることは明らかだ。そこに幸せが棲(す)まうというのだろうか。

「脳内マイクロチップで寝ながら学習。身体をサイボーグ化して脳や身体の制約を解き放す。VR技術の活用により、アバター化して遠隔操作、ロボットを遠隔操作して空間時間の制約を解放する」と、内閣府が発表。信じられない。

何を言っているか、分かりますか。これが、「ムーンショット計画」という代物。

2050年までに時空と自己脳からの開放社会を目指すと、まことしやかに掲げられた、まるでSF世界の空恐ろしい管理社会に、日本が追従した。

そこに、敗戦国日本が、戦勝国連合の国連の提唱に、疑いも信念もなく乗ったのだ。為政者よ、祖国日本を何処に連れ行くというのか。

十三、世界は、金マネー!!!

実は、米国も中共も揉(も)めていない、民主党も共和党も同じ穴の狢(むじな)である。

マスメディアも、親中媚中派も同流同根。

あのアンティファもQアノンもマッチポンプの毛色の変わった道具に過ぎない。

これは同じ円内、圏内で踊らされている壮大な劇場(シアター)、マジックショーの仕掛け(トリック)なのだ。

その劇場の支配人こそ国際金融資本家、別名 deep state(ディープステート)、本源the Illuminati of Bavaria(イルミナティ)なのだ。

その闇の歴史の淵源は長く、その底は測るべくもない。それを語れば尽きない。今はここまでにして留める。

ナショナリズム、保守・資本主義のいわゆる右派も、リベラリズム、社会全体・共産主義の左派も、自らマッチで火をつけ、自らポンプで消すマッチポンプの自作自演。ボケと突っ込みは一組の漫才、台本作者は一人だった。

そこに棹を差して、崩そうとしたトランプは、巨大な魔の手、津波に呑まれてしまったのだ。

しかし、また立ち上がって長い壮大な深い旅をスタートさせている。私たちも覚醒を促されている。

十四、宇宙構造と覚醒

翻って、我々の住む世界の構造は、どうなっているのだろうか。

この肉眼では見るべくも無い。だが、ここを語らなければ、この巨大な牙城を崩すことは出来ない。絶壁を乗り越えることは出来ない。

その一、無の世界

この宇宙構造は、全てと一心一体であるという真相真実があります。

生きとし生けるものたちや、あの星々や月や太陽や、地球の国々も人々も、一切合切が我であり皆であり、始めも終わりもなく、という一体・全体観。ワンネスの世界観です。

一連(ひとつら)なりのイノチ、これを佛教的には「空観」と言い、「慧眼」の悟り、禅の目指すべき境地で、いわゆる「無」や「空」の世界です。

その二、有の世界

一方、真逆な「有」の世界、全てが有りて在る世界、いわゆる個々別々の分別・差別の世界観です。

下はこの現象地上世界から、上は肉眼では見えない「法界(ほっかい)」、すなわち「浄土」「極楽」「天国」の世界まで及ぶのですね。

「法眼」が開かれれば、そこには如来を中心に佛菩薩が九品の蓮台に座していると言われます。

あの「曼荼羅図」がそれで、古来、佛教では実相実在世界として伝承されて来ています。

その三、地の生態系

その有の世界を地に移したのが、「自然の生態系」であり、「国家」なのですね。いわゆるヒエラルキーです。

内の心は一切平等とは言え、外に現れると三角構造が自然発生的に形成されます。それがこの世の運動性であり、メカニズムなのです。

それを「如来蔵性妙心如相」と言います。生きとし生けるものには、それぞれ如来から賦与されたイノチの個性があります。

それが如来の如です。如(ら)しく来たる。松は松らしく、梅は梅らしく、男は男らしく、女は女らしく。あなたはあなたらしく。それが素美純心。故に美しいのです。イノチが全うされて輝いている。

昨今、何事も差別してはならないとの風潮が盛んです。一面それも言えます。が、片や違います。

元より備わった本性のままに生きることは、天の意に即して己が生を全うすることでもあります。

違っていいのです、寧ろ違うことが本来です。「世界に一つだけの花」は真理です。

その四、お陰様の世界

下は微生物から、植物、動物、頂点は人間へと、より生理構造機能が単純から複雑系へと進み、その循環サイクルはぐるぐると周り、上下の差があるものの、お互いが生かされる、お陰様の世界なのです。 

有象の世界では、ここが最も大事な要点です。

お蔭様、お互い様。

その相互バランスによって、その因縁の輪、法輪は順当に環循するのです。

これは、神仏の仕掛けなんですね。そして、そこには、いつも「感謝」という潤滑油・オイルが要るのです。

その五、国家と君主

世界の国家は、君主制にしろ、共和制にしろ、どちらも同じヒエラルキー構造です。

多くのヨーロッパの国家が崩壊したのは、王家の支配と市民奴隷の隷属関係で抑圧されたストレスが爆発して革命が起こりました。過ぎた贅沢や権威に、国民に寄り添わぬ王族の瓦解です。

皆平等としても、この世は必ず多くを牽引する主体者が出て、皆を収め率いるという序列運動、階層構造が自然と生まれます。生物の世界でも同様です。会社組織もそうですね。

平等なはずの共産主義国家に、どうして一党独裁者を上に立てるのでしょうか。それ自体が矛盾です。

幹部は富と権力を独占し、下民は自由を失い昔ながらの貧しさです。何が平等で、何が革命でしょうか。中国も北朝鮮も同じです。

しかしそこに、永続性があろうはずがないのです。

その六、皇室の存在意義

それは、中心や頂点にいる存在は、虚であり、無欲でなければ継続しない、存立しないという厳格なる天則秩序があるからです。

老子曰く、「三十の輻(や)、一つの轂(こしき)を共にす。其の無に当たり、車の用有り」車輪が回るのは、中が空虚であるからです。

食器や茶器の空洞も同じですね。無私無我にして、天の御心を我が心とする器でなければ、継承できません。

天網(てんもう)恢恢疎(かいかいそ)にして漏らさず。国家に王があるとしても、無私にして人民を知らしめ、祈り働くことが第一で、如来の如く無我であってこそ国家に安泰平和が訪れるのです。

日本における皇室皇統は、その真精神が受け継がれたからこそ、世界一長い系統樹を保っているのです。

これは、天がお示しになった具体的な雛型であり、典型なのですね。

独裁でもなく、権力でもありません。敢えて言えば、徳力です。

他に絶した気高い品格と霊性です。そこに天命という深遠な契約が課されているのです。

主宰者が、何よりも純一無雑であることが肝要なのです。

日本の類稀なる清廉な国民性は、そこから培われて来ました。

ここに、日本に生まれて来た日本人としての誇りと、世界の何処にもない冠たるアイデンティティがあります。皇紀2681年、皇統126代、皇室は世界の奇跡でもあります。

この天意を絶えさせてはならないのです。

その七、金融

もし、その頂点の座に、お金という物質至上主義が君臨すれば、どうなるでしょうか。

自ずから人類は、お金のための奴隷、国民はその下敷き、犠牲になって塗炭の苦しみに喘(あえ)ぐ世になります。

それが今の社会の有様です。いずれ、下支えなければ、上も共倒れするでしょう。

それは、世界を支配している闇の政府、更にそれを操る影の存在は、やがて潰えることを意味しています。必ず凋落、崩れ落ちる運命にあります。

上も下もなく、共働共存のwin‐winの関係でこそ、長久に豊穣に続くのです。

その八、統一の世界

真のGlobalism/グローバリズムとは、

世界とは一心一体であるという魂の世界を言うのです。

真のLiberalism/リベラリズムとは、

物による束縛の世界から自由・自在に放たれている心の世界を言うのです。

真のNationalism/ナショナリズムとは、

自国を尊び、他国を貴ぶことです。それぞれがそれぞれを尊敬し、愛することです。

自分の国を愛せないものが、どうして他の国を愛せられるでしょう。自分の家族を愛せず、人の家族を愛せられるというのは偽善です。

自分を生み育ててくれた山河を、国の古(いにし)えを懐かしむことをナショナリズムと呼ばれても、卑下され卑屈になることはこれっぽっちも無いのです。堂々と胸を張って、自国を誇るべきなのです。

真のConservatism/コンサーヴァティズム・保守とは、

右派でも右翼思想でもないのです。営々と築いて来た国の歴史、文化、伝統を尊ぶことは、父母を尊び、祖先を尊び、国を尊ぶことです。

そして、それは取りも直さず自分を尊ぶことです。イノチの直結を問うものです。

道と名の付く様々な伝統文化。地方の芸能・風習こそ歴史そのもの、今日まで築き上げた国の事跡や人物を保ち守ることは、自分を豊かに育むことでもあります。

この過去を継ぎ、未来を拓くことこそ、真の保守であり、革新・革命なのです。

グローバルもナショナルも、対立ではないのです。リベラルも保守も、敵対ではないのです。

共に、同じ概念の中の捉え方、立ち位置の違いなのです。

全ては一緒です。対等であり、混然であり、鮮明なのです。

その九、結語「超在一神的汎神論」

一方を無と言い、片方を有という。

これは、合わせ鏡であり、裏表のない世界観なのです。

その統合した境地を、古来佛教では「色即是空」「空即是色」と言い慣わしております。

道教では「真空妙有」とも言います。これを三昧にて「佛眼」「道眼」を開くと言います。

空でも有でもなく、中道にして偏らない尊い境地であります。

一神教にしてすべてを否定するのではなく、汎神にして一神を忘れるのでもなく、一神にして汎神、そしてそれを超えた世界こそ真実なのです。

一神教の対立は、ここにあります。汎神教の独善も、ここにあります。

すべてのイノチに神が宿る八百万(やおよろず)思想・アニミズムに留まるだけでは足りません。

おそらく日本古傳(こでん)の古神道は、その全一の精神を宿していると思いますが、果たしてどうでしょうか。

身近に言えば、生きとし生けるものに命が宿り、その命を宿す親なる存在がましますという事です。

その関係こそ一なる親と衆生なる子であり、大宇宙と我々なのです。

十五、まほろばの情緒と小國寡民

まほろばでは、開店当初から社是に「情緒」の大切さを説いてきました。

これが「色即是空」の心、「佛眼」を開く世界を理想としている店なのです。

情緒とは、この世界、もっと深い所での心の彩りだったのです。

これを、より具現化する姿として「小國寡民」と伝えて参りました。

自分の足場をより小さくすることで、他を思いやる。その心は情緒であります。

小さく、己を慎みながら、心は世界と一体になる、人類と一心になる。

それが、世界を平和に、地球に負荷をかけない生き方になるのです。

この世界観、人生観こそ、まほろばのみならず、これからの「新世紀の指標」となるはずです。

十六、「脱コロナ」の精神

一切は、豊かに繋がっている。
故に、その時を待てばいい。
力に依らず、欲に依らず、
己に与えられた今を尽くす。
茲(ここ)を尽くす。

その網の結び目が、世界を覆って輝く。一人ひとりが光りだす。

それが、「脱コロナ」の精神だったのです。

〈続く〉


 
最後に、

今回『コロナと生きる』後篇の結論を予定していましたが長文になり、中篇『思想の章』としました。前回を『現状の章』とします。

次回を後篇『実践の章』として結びます。後一月、お待ちくださいませ。

【前編】:【「コロナと生きる」前篇】「プランデミック」から 「より良い日常」へ

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。