自然が人を癒し目覚めさせてくれる【帰農今日】

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

1、不測の事態

毎月、この稿を「まほろばだより」に、三十五年書き続けて来た。

だが、今回2~3日を要する原稿書きに、パソコンが全く作動しなくなってしまったのだ。 修復しないまま別の手法を教えられ、脱稿・校正終了日の早朝から入力し始めたが、果たして間に合うか。

構想とは、全く違うモノを書き始めている。

これも、何かの天のお示しと信じて……。

このような不測の事態は、人生長きにおいてしばしばあるとはいえ、今回のコロナ騒ぎは、世界を巻き込み、百年単位で一度の大変革を迎えている事は確かだ。

これからの不測の事態の方が、これまでのコロナ云々(うんぬん)より、もっと厳しく、更に過酷な場面を迎えるだろう。

農作業の合間合間に、コロナの事々を書いて来たが、畑と作物は、相も変わらず、いつも通りの風景である。

マスクを付ける場面もなく、三密に気を煩わせる要もなく、その必然性が今以てよく理解が出来ないのだ。

畑では、ソーシャルディスタンスが何なのか分からず、頬(ほほ)そよぐ風や、容赦なく照らす陽(ひ)や、頭濡らす雨脚(あまあし)に、ウイルスも何処かに飛んで行くのか、自然と戯れているのか。

2、援農へ感謝

このコロナのお陰で、日々こなし切れない作業が積もり積もって手が付けられない状況になって来ている。

それに加えて、昨年の足の事故で、思うように儘(まま)ならず、無理すると突っ張って動かなくなる。

しかし、それでも日々筋肉がついて来たのか、どうにか重労働にも耐えられるようになって来た。

そこで実感したことが、柔らかい土の上を踏ん張ることが、殊(こと)の外筋肉を使い、鍛えることを知ったのだ。アーシングと農作業は、一挙両得の健康法でもあった。

そんな半ば諦めにも似た状況を一変してくれたのが、援農のお力添えである。

私たちにとって、それはまさかの連続でもあった。

ほとんどが素人さん。だが、心意気の熱さと数の頼みで、何倍もの結果を出して下さる。

これも想定外、大げさでなく夢のようである。思わぬ助っ人さんは、正に天の助けと感じている。

3、すべては平等で完壁

畑で働くと、自然とは何かなんて、哲学的な高尚なことを思っている訳ではない。

トラクターでこの筋をまっすぐ耕すにはどうしたらいいのか、どうしたら効率的に仕事がはかどるだろうか、どうしてこうもうまくいかないのだろうかとか、目の前の現実をどう対処するかという事に右往左往している。

仕事の跡目をキレイにする、キッチリ気持よく終える、段取り良く事を進める、とかばかりを思っている訳だ。

そんな観点から皆さんの仕事ぶりには、学ぶことだらけで、素人に毛の生えた私には、同じスタートラインに立っている同級生のような気分なのだ。

とにかく、同じ作業を延々とこなす忍耐力、100mもの畝に10㎝置きに種を撒いたり、苗を何列も移植したり、炎天下に除草し続けることは並大抵ではない。それを淡々とやって下さる姿に、正直心打たれる。

人それぞれに環境や職種の違いはあったとしても、だからこそ、どんな意味でも、分け隔てなく平等であり、それぞれにプロでもある。

その経験は、土にも活かせる、農にも即通用する経験知、経験則なのだ。

要は、応用なのだ。心構えは同じだ。

イノチに対する思い。

子どもに、仕事に、人に対する思いは、畑や作物に対する思いと同じなのだ。

人のイノチも、植物のイノチも同じ、身も心も。だから、人はすぐ農民になれるのだ。

4、あらゆる人たちと

矛盾する世の中、生きづらい人間関係、汚染された都市、不平等な格差社会。

この争いの絶えない世界は、都合よく目を瞑(つむ)って世渡りしている我々のせいではなかろうか。

そこから炙り出された人々、籠った人々は、実は正常な反応を示しているのかもしれない。必至の抵抗を試みているのかもしれない。

そんな子どもや大人が息を吹き返す場であったら、どんなにかイイだろう。

人の優しさや、思い遣りに溢れた場は、土を離れて、農を離れて有り得ないと思う。

そんな人は、キット自然に触れて、本来の人間性に目覚めて、どんな素晴らしい働きを為すかもしれない。自然に放り投げて、自然が人を癒してくれる。目覚めさせてくれる。

人の考えた、人の作った仕事は、時に裏切られる。

しかし、自然は裏切らない。

いつも豊かな感性と抒情を誰彼に等しく分け与えてくれる。

まさに恩恵だ。

何とも言えない拡がりと豊かさと、そして美しさなのだ。そこには点数と言う差別がない。

いつも、満点なのだ。誰にも彼にも百点なのだ。

少しは少しなりに、多くは多くなりに、実りを分配してくれる。

農に少しでも携わることの心豊かさは、何にも代え難い。まさに、無形の報酬が与えられる。

労働の対価が、心の中に払われている。体にも支払われている。

この爽快感、充実感、そして希望、そして夢。

5、自然の学校

私たちは生徒。自然と言う学び舎の生徒。

何の経験も、何の知識がなくても、何時でも誰でも、すぐ入学できる。卒業の無い通学は、一生かけた仕事でもある。

先生は、姿がなくても、すごく優しく、すごく大きい。そして時には、容赦なく厳しい。

天理に合わない、いい加減さは、決して許してはくれない。

それでも、それさえも抱きかかえてくれている。そこは、憂いは薄らぎ、歓びが日毎湧き出ずる。

なんという自然の癒しだろう。何という自然の医学だろう、療法だろう。

一つの野良仕事は、百の施術に勝るかもしれない。コロナを、コロナで終息してはならない。

「喉元過ぎれば、熱さ忘れ」ては、勿体ない。何のためのあれだけの損失と犠牲だったのだろうか。

最早、元には戻れない生活。「不要不急」が、生き方の基準にも問われている。

6、不要不急の生き方

逆に、必要であって、急がねばならないことって、何だろうか。

まずは、生きること、食べることが一番優先されるのではないか。

現実を前に、誰もが、観念でも理念でもなく、食を得ることに先を争う。それが生きる原点だからだ。

この地平線に、コロナによって立たされたのではないか。自立なき経済は、やがて倒れる。

実体なき金融経済は、脆くも崩れる、しかも目の前だ。世界の、日本の最大の危うさは、そこに在る。

我々の力不足は、不安は、自信の無さは、そこにあったのだ。

実質経済とは、安心とは、安定とは、そこに立脚している。

食を自給する国を立ち上げる、自分の生き方を見出す。そこからこそ、健全な文化も経済も政治も生まれる。

そこの根本を見据えて、人生を決める、人生を舵取りする。世界人類に振り被ったコロナと言う矛(ほこ)。

それに独り立ち向かうには、覚悟の盾(たて)が要るのだ。

7、「日常がキラキラして見えるのです!!!」

本店スタッフ 鹿野 和美

今年もいよいよ援農が始まりました!農作業をしていると自分が無になっている事に気づきます。私にとって、とても大切な時間です。

そして来た時よりも心身共に元気になって帰ります。

元気になりすぎて、その日の夜はなかなか寝付けないのです。それと、心が洗われるような感覚もあり、あたりまえの日常がキラキラして見えるのです。

ホントです!

私が自由の身であれば、泊まり込みで毎日援農していたいところですが……。今年も仁木の四季を感じながら、お手伝いさせていただきます。

どうぞよろしくお願いします!

・・・・・・・・・・・・・・・

鹿野さんは、いつも

「楽しい、楽しい、楽しい・・・・」 と言われます。

「やっぱり、ここだ!!!」とも言われます。

素晴らしい感性だな、と思っていました。

岡潔先生は、「自然は、心の外になく、心の中に、自然がある」と語っておられましたが、 キラキラと観えることは、これは、「この世は、浄土なり」の偉いお坊さんの悟りの境地なんですね。

スゴイ!!鹿野さんは、一主婦ながら、覚醒の時を得たんですね。

益々境地を、深めて下さいね。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。