完全無農薬で出来たリンゴ【慣行農法からの転換の困難】

シェアする

札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

10月26日、リンゴの初収穫。

一昨年に植えた「マッカム」の樹。今年、この若樹から38個も、たわわに実を付けた。

「若木にあまり実を付けさせ、負担をかけてはいけない」と、2/3摘果(間引き)した先達・斎藤さん。

春先、0‐1テストで少しの肥料を施し、一度草を刈ったが、その後は何もせず。ホッタラカシのまま、当たり前のように成った。

まことに呆気(あっけ)なく、苦労話もなく、ただ眺めるだけで、こうも簡単に穫(と)れて良いものだろうか。

しかし、その意味するところは、大きな収穫だった。かつてない気付きを、このリンゴは与えてくれていたのだ。

一、斎藤リンゴ園さんとのご縁

まほろばのリンゴ。

それは、札幌山の手の「斎藤リンゴ園」さんとのお付き合いから始まった。

それこそ、まほろばの歴史と同じ35年。

園主の斎藤允(みつ)雄(お)さんは、言い得るとしたら「農の聖(ひじり)」。

淡々とした振舞いで、リンゴと対話しながら共に年輪を刻んで来られた。

老子の「知るものは、言わず」の境地を、静かに体現されていらっしゃる。

七月のまほろば交流慰安会に、斎藤さんも参加下さり、剪定の基本を直(じか)に教えて頂いた。

「主幹には実を付けない」「一個の実におよそ120枚前後の葉が、光合成で必要」等々(などなど)。

幹枝や樹勢を一瞬にして見抜く眼力。70年の匠(たくみ)の技(わざ)と心(こころ)は、一朝一夕に成らない。

リンゴ栽培を悉(ことごと)く体解(たいげ)すれば、いかなる作物も易々(やすやす)として作れるという。

斎藤さんの作物は芸術品、美味で美しく芳醇(ふくよか)だ。

二、マッカムのこと

その斎藤さんのリンゴの中で、特段の私好みが「マッカム」。

漬物大根の時期に、口にマッカムを頬張(ほおば)りながら各家庭に土大根を配達したものだ。

仁木にも移植したく、その若木を斎藤さんの山で育てて戴いた。

だが、冬越えで鹿に食べられ、わずか一本しか残らず、その貴重な一本を戴いて育てて来たのだ。

雪害で、裂(さ)けたり折れたり、満身創痍(そうい)の幼木に夢を託して3年目。

昨年は4個ほど実を着けたが、小さいうちに落ちてしまった。初めて付けた実は、成らせてはいけなかったらしい。

今年は木も一回り大きくなり、斎藤さんの剪定のお陰もあって、最後まで堪(こら)えて跡を残してくれた。

小さい頃、「旭」リンゴを木箱で預けられて食べ放題に食べたからだろうか。

「富士」が無かった頃、皮ごと齧(かぶ)りつく鮮烈な味と香り。

1890(明治23) 年に、カナダ・オンタリオ原産で、カナダ出身のギップ氏により札幌農学校に寄贈されたのが始まりとされる。

名は何と、あのApple社の「McIntosh/マッキントッシュ」。和名は明治25年に「旭」と名付けられた。中生(なかて)のため、本州で栽培されず、広く出回らない。

自分にとってリンゴと言えば、この「旭」が原点で、その系統の「マッカム」はリンゴの王様である。

同じ明治23年、原産地ミズーリ州マッカムから導入されたのだろう。だが今では、道内道外にも、この原種は残っていない。

軸が短く、擦(す)れて正品に成りにくく、旬が過ぎ易いため、普及しなかったのかもしれない。

明治開拓期の初成りの感動が、今蘇ったような夢見心地、しかも無農薬。

来春、穂(ほ)接(つ)ぎして増やしたい。みなさん、あと3年、5年暫(しば)し待って下さい。

三、防除なしの無農薬栽培

静かに迎えた収穫日。

思えば、春に0‐1テストで肥料設計して周りに少々撒いただけで、後は下草を刈っての草生栽培(しかし、夏草は生えっぱなし)。

虫除けや抗菌効果の食酢や木酢液など一切葉面散布していない。

細菌忌避剤として植物由来の防除資材を樹木に塗布していない。

殺虫殺菌剤処理済の果実袋も掛けていない。廃油や鉱物油乳剤も使用せず。

日本農林規格(有機JAS法)では、この類(たぐい)の中には、許容するものや特定農薬の範疇(カテゴリー)に入るものもある。

厳密には、初めて無農薬で成功したのかもしれない。(完全無農薬で栽培されていらっしゃる方がいらしたら、認識不足ですみません)

四、慣行農法からの転換の困難

この農園の片隅にあるサクランボの樹。

野菜で精一杯、構う暇(いとま)がない。無論、農薬をかけるなど思いもよらない。

この地の先代が40年ほど慣行農法をして手放すこと17年。主(あるじ)も居ないままの放任で、周りの農家にも迷惑もかけず、静かに今日まで生き永(なが)らえた。

当初、木が荒れて病気や虫が付き、大変な状態だっただろう。だが、10年以上経過すると、野生に帰るように、周りの天然雑木と同化する。

誰も見向きもせず、収穫もせず。収奪しないから、果実は落下してその木自体で循環する。落葉や下草が、樹木を自ら育てる訳だ。

今年、慣行農法のサクランボ山を継承した新規就農者が、減農薬を試みて壊滅状態に陥ったという。

ここに入植してから4年、少しずつ収穫し始めたので、その分施肥してお返ししている。

故福岡正信先生は、若き横浜税関・植物検疫所時代、見性して大悟された。

それで伊予松山に帰郷帰農して、親父(おやじ)さんの蜜柑山を任されて栽培。

そこで、「人為は不要、一切は無用」の悟りを、そのままミカン作りに応用したのだ。ところが、悉く失敗。病気は移る、虫は湧く、山は禿山のように、木を枯らしてダメにしてしまった。何年も無収入。

一からミカンの木を植え直して始められたという。

そこで漸く、無肥料、無農薬、無除草、不耕起が可能になったという。

しかし、現実には、先生の庵がある向かいの自然山は、収穫出荷してはならず、ミカンは鳥の餌で、禽獣の楽園。環境と共生し、永続可能な自然循環が成り立っている。

だが、収穫出荷している手前の蜜柑山は、適宜に施肥・管理して無農薬・有機栽培で成り立っていることは、あまり知られていない。

福岡先生は、収穫する作物の施肥が必要なことは、すべて解っておられたのだと思う。

五、場と時の記憶

同じ畑の一角。農園で栽培したスナックえんどうの発芽の様子。

新しい種と更新種両つながら並んでいる。同じ品種、同じ土地でも明らかな差が出る。

つまり、一年経てばその種は、その地の記憶、気候の記憶、栽培者の記憶、一切の記憶を押し込めて、一年前とは打って変わって、その地の種に変身するのだ。

新しい情報がDNAに刻まれ、組み込まれる。二年経てば二年の種。十年経てば十年の種。百年経てば百年の種。

そのように、果物の木も同様に、前作までの記憶を再現する。本来、自力で害虫や細菌に打ち勝つ免疫力や賦活力を備えている。

だが、農薬や防除剤を与えられると、自活力を発揮せずに持ち堪(こた)えられるので、それに慣れ、それに頼ってしまう。折角の生命力がDNAの底に隠れてしまう。

慣行農法で慣れた樹木が、過去の記憶を呼び戻すには、数年・数十年の歳月を逆行する必要がある。

それなりの慣れ、時間と言う薬と治療が必要になる。そこに、無農薬栽培の困難話、歴史秘話が生まれるのだ。

しかし、最初から、その記憶を持たない種や苗木ならば、一足飛(いっそくと)びに結実への最短距離・時間で行き着ける筈だ。

斎藤さんに戴いたリンゴの幼木は低農薬だが、今回の無農薬リンゴの結実を見て、そう思うのだ。

この畑全体に、農薬という概念が消えている。

あったとしても、過去の記憶として毎年薄れて行く。

過保護に育成されたキャリアも希薄になっている。

野菜を育てるように、果物もまた同じなのではないか。

六、環境の比重と原種の生命

最初、無農薬リンゴは実生(みしょう)栽培、種から育てないと難しい、と辺(あた)りを付けていた。

だが、低農薬の苗木でも成ったという答えは、何を物語るか。

遺伝子が先か、環境が先かの問いに、地質と施肥の環境要因こそ、より重要であるとの結論を示した訳だ。

つまり、遺伝子さえも変えてしまう環境。それは「人は、環境の子なり」の教訓と同様、いかようにも人も作物も変わりようがあるのだ。

さらに、自家採種して、種本来の生き延びる生命力を奮い立たせるように、リンゴも原種に近いほど、種の起源を遡(さかのぼ)るような逞しい力を発揮するのではないか。

マッカムの他に植えた1868年(慶応4年・明治元年)導入のバージニア原産「国光」(「富士」の親)や、同じ年オーストラリア原産「グラニースミス」の幼木が来年3年目、実を付けるものと期待している。

種も地も、二つ乍ら大事なのだ。

そして、その最大限の融合こそ、自然のダナミズムなのだ。

そこに、活き活きと生きる原動力がある。

自然に交配して進化する種は、自然法(じねんほう)爾(に)で任せるよりほかない。

我が畑の雑菜の複雑さ豊かさ、南瓜の勝手な成り様(よう)。

嗚呼!大自然の造化、醍醐味の妙。

七、「原点へ遡(かえ)り、   未来を拓(ひら)く」

この拮抗(きっこう)力、結合力。求心力と遠心力。

人も作物も国も地球も、同じ原理が働いている。

同じ力が、対位のベクトルで、互いを助け、互いに伸びる。

これがイノチの輝きなのだ。

まほろばの「古を懐かしみ、明日を夢見る」。

「懐かしき未来」は、どんな人にも、種にも広がっている。

天空からのプレゼント、み使いのように思う「マッカム」に感謝し、今年の無農薬リンゴのささやかな収穫を祝福したい。


最後に、映画「降りてゆく生き方」の製作総指揮の森田貴英弁護士からコメントを頂きました。

八、リンゴの感想

宮下さんのリンゴは、我々が普段食べているリンゴとは「全くの別物」というべきものでした。

驚いたことに、無農薬なのに、虫食いが一切ありませんでした。

これは、リンゴの木が健全であり、抵抗力が強いので、

害虫や病気を寄せ付けなかったことの証でしょう。

食感も違います。

普通のリンゴは、サクサクとした感じがしますが、

宮下さんのリンゴは、もっと柔らかな食感であり、

あえていえば、洋梨に近い食感かもしれません。

今までにない食感です。

味は、スッキリとした自然で上品な甘みでした。

嫌味がなくて、いくらでも食べられる味わいです。

見た目も磨き抜いた漆器のような深い光沢があり、実に見事な外観でした。

弁護士 森田 貴英

【こちらもオススメ】

生まれて初めての骨折、病院での学び、薬害のこと【とうとうやっちゃった!!】

【神農と農、ソシテ母ちゃん】日本人の祖先は神農から始まる

遂に「腸管造血論」が立証された【春秋の忍、晩冬の實】

宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。