Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

【神農と農、ソシテ母ちゃん】日本人の祖先は神農から始まる

シェアする

札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

神農像

5年前の創業30周年記念に、富山の国際有機公社の吉田剛代表から「神農」の像を贈られました。

彼が何故これを依頼して彫ったか、何故わたしが頂いたのか謎のままです。本人に聞いても定かでないのです。

中国の古代神話伝説の神様で、角がある牛頭人身。元来細面(ほそおもて)なんですが、私に似せて太らせたそうです(今は少し痩せたと自認しているのですが……)。

百度(たび)毒草を舐(な)めて倒れ、百度薬草を齧(かじ)って生き返る、正にイノチがけで医薬医療の元祖になられた訳です。

後代これを基に『神農本草経』が著(あらわ)されます。

一方、図にある鋤(すき)で土を耕す神農は、農耕の始祖、創始者で、農業の神様としても敬われている。農機具を木で造られたそうです。

しかも市を開いて物々交換や売ることも教えられたというから、交易商売の元祖である。後始末がいいですね。

さらに、穀物を噛(か)んで酒を造ったと伝えられ、何と発酵醸造の大本だったんですね。知らなかった。

まるでピッタリ!「まほろば」に相応しい神様だったんですね。驚きました。

また、私が若い頃、イノチ懸(が)けで学んだ七弦琴の元、五弦琴を神農が造られたとも伝えられているので、これはノッピキならない魂の核心事(かくしんごと)で只事(ただごと)でない、昔から何か繋がっているのでしょうか。実に不思議な気持ちです。

何とはなしに、毎朝、床の間に飾ってお茶を捧げておりましたが、これからは熱心にお礼を申し上げねばなりません。

琴(きん)のこと、商売のこと、自然食を漢方では「上薬」と呼んでいますので薬のこと、発酵のことを今まで一通りやり、そして、今農業のことに取り組んでいます。まるで神農さまの歩いた道を、知らずに歩いて来たようなものです。

『富士古文書』に

わたしの祖父は、山梨県富士吉田、富士山のふもと、明見村の出身でした。

その本家に、秦の始皇帝に依って日本に遣わされた徐福が書き著したとされる『富士古文書』別名『宮下文書』という古文書が代々伝わっています。

その古文献には、日本人の祖先は「神農」で、5番目と7番目の息子を、日本に遣わせて国を開かせた、と驚くべき内容が書かれているのです。

「日本人が中国人の子孫であるような、こういう国民感情を逆なでする荒唐無稽なことを書くから世間から偽書と非難されるんだ」と内心思っていて、皆さんにはあえてお伝えしませんでした。

日本人の祖先は、神農から始まる

ところが、遺伝子解析で、驚愕の事実が判明するのですね。

fMRIの世界的権威、複雑系科学と脳神経学者の故中田力(つとむ)氏(カリフォルニア大名誉教授)が、何と「日本人の祖先は、神農から始まる」と発表したのです。

考古学でも古文献に依るのでもない。最先端のDNA解析の結果なんです。

母系のミトコンドリアでは2、3世代遡ると、その先が分からなくなる。しかし、父系のYAP(ヤップ)遺伝子だとアダムまで遡(さかのぼ)れるんですね。

中国の一部だけに残っている神農の子孫の遺伝子が、02bハプロタイプというのですが、現日本人のそれと一致したのです。

しかも当時、神農が住んでいた揚子江上流の古代米と、今私達が食べている日本の新米の遺伝子とも一致したというのです。Rm1‐bです。

これは従来考えられてきた韓半島経由でない遺伝子なのです。米も直接、古代中国から齎(もたら)されたということになります。

「富士王朝」の実在に信憑性

日本の縄文文明は1万6千年前から、乃至3万5千年前からあったとされる。

氷河期の当時、中国と日本は陸続きで、揚子江下流の上海あたりと日本はくっ付いていたから、当然あり得べきことで、無理な話ではない。

現在、この小さな国土の北端・鵡川で世界最大の巨大マンモスの骨が発見されたくらいです。

極東日本の行き止まりに、何があっても可笑(おか)しくない、寧ろ自然な流れ。

無論、中国も日本も混沌として一体だった訳で、隣村を往復するような感じで、そんな太古の始まりの出来事です。

これは大和朝廷による天皇制が起こる遥か昔のことで、「富士王朝」が実在したことが、名前がどうであれ、あながち非現実的な作り話でなく、俄かに信じられるような時代が到来して来たのです。

対立や否定すべき問題ではなく、時間のスパンがまるで違うのです。

神話も尊いですが、次々と解明されつつある古史的事実にも目を向けねばなりません。

『サピエンス全史』によると

『サピエンス全史』を著わした歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ博士によると、200万年前人類がアフリカを出てユーラシア大陸に拡がり、4万5000年前にオーストラリア、1万6000年前アメリカ大陸に住み着くとあります。

丁度その頃、極東の地で縄文文化らしきものが、同時発生したとしても可笑しくない。

むしろ、物事は場所を違えながらシンクロして同時進行する傾向がある。

そして、1万3000年前に世界的に「農業革命」が起こり、植物の栽培化と動物の家畜化があり、永続的な定住が始まるのですね。

そして5000年前に最初の王国、書記体系、貨幣が起こり、多神教の宗教も始まります。

東アジアにおいて、この王国制度が始まる前の古代神話時代に、象徴的神農という存在が、自然発生的に「農業」を始めたのが、ほぼ1万3000~1万6000年前の縄文開始と一致するのは興味深い事です。

三皇五帝

「三皇五帝」という神話伝説の古代中国。

そこに、神農が登場する前に、「伏羲」が、天を仰ぎ、地に腹這えて天地の真理「易」を発見する。

そして、医薬・農業の「神農」。さらに、政治経済文化の基礎を作った「黄帝」。

中国人は、この黄帝を大祖先と崇めて、ここより中国は始まるとしています。

ということは、日本人は、神農系統で黄帝系統より先輩に当たる訳です。

中国史は武力による異民族の交代劇で前王朝を掃滅させてから次代に移ります。

今の漢民族と古代中国人とは人種がまるで違う、遺伝子が異なるのです。

今になって振り返ってみると

わたしが何故、100年も交流の途絶えていた山梨の明見村の父方の祖父の実家を訪ねたのか、今になって振り返ってみると、遠い祖先に導かれたとしか考えられません。

「明見村を訪ねたい」と言いながら、一度も果たせぬまま亡くなった父でした。

祖母より寝物語で聞かされていた「みなみつるぐんあすみむら(南都留郡明見村)」という言葉だけが、わたしの記憶の中に残りました。

父に頼まれたわけでもなかったけれど、その「明見村」という言葉と100年前の番地だけを頼りに偶然にも探し当てたのでした。

13年前(2006年)の事でした。(参照:『無限心からエリクサーへ』中の章・無料配布)

今では、番地も変わり、祖父の消息を知る世代の人たちも亡くなって、あの時が最後のチャンスだった。

そしてまた、今回、遺伝子解析によって、歴史の糸が繋がったのです。

このように見てくると、私たちは毎日、多くの判断をし、決定し、行動していますが、お釈迦様の掌の上の自由意思しかないような気もしてきます。

大きな歴史の流れの中の小さなさざ波、それが自由意志なのかも知れないと。

潜龍の時から

孔子が、木簡を繋ぐ革紐が三度切れるほど熟読玩味したものに『易経』があります。

この易の原理を発見したのが「伏羲」で、周の文王が肉付けしたと言われています。

本来は占いの為ではなく、人の生き方の知恵を満載している。

その人の一生を、龍の成長に例えて、6段階。潜龍から亢龍。亢龍は、わたし。

地に降りた龍で、今、農業で再びと潜龍に戻り、一から出直しています。

最も大切なのが、最初の「潜龍」と言われています。

これぞ、真暗闇の「乾為天」。光の射さないその場こそ、人生最も重要な時で、そこを突破する力が「志」。

そして心構えは、「潜龍、用うる勿れ」つまり、我が功を出すな、我が名を求むな、と。厚別店に木に彫った額が掲げられている。

「天行健。君子以自彊不息」と。毎日毎日、太陽が昇り太陽が沈んで休まないように、自ら克己して息まざれ。結果が見えなくても、休まない。

そして最後に、「大人(たいじん)を見るに利(よろ)し」つまり「私以外はみな師、先生として学べ!!!」と言っています。必ず、日の目を見る日が来る、と。

まほろばの潜龍時代、苦楽を共にしてくれたのが家内でした。

わたしの師は母(かあ)ちゃん

この35年間を振り返って大人(たいじん)、わたしの師は、かあちゃん、家内でした。

今から32年前、副店長になった小島侑子さんのお父様の編集企画で朝日新聞の一枚の大きな記事にしてくださいました。

それを改めて今読んでも、全くブレない同じ思いで居たんですね。

悲しみも喜びも共に泣き笑い、それは苦楽の日々を人知れず歩いてきましたが、全く家内のお陰で今日がある。

何と阿保なこと、惚気(のろけ)を言う、とお思いでしょうが、正直そう思うんですね。

家族や、夫婦や、男女、歳の差を超えて、私の教師でありました。師匠でありました。

前の苦悩の道から救い出してくれたのも家内。自然食品の道を開いてくれたのも家内。

この35年間導いてくれたのも家内。そして行く手を照らしてくれたのも家内でした。

農業は、まほろばの生命線!

27年前、小別沢で孤軍奮闘して農業を始めたのも家内でした。

今日、仁木で、このように農業を始められたのも家内の導きなしには、有り得ませんでした。

常日頃語る家内の「農業は、まほろばの生命線!ひいては、日本人の、人類の生命線!」と言った言葉は、実は良く分りませんでした。

しかし、ここ仁木に来て、苦労して苦労して作物を育てながら、イノチと向き合いながら生きていると、それが仄(ほの)かに理解されて来たんですね。

物を右から左に売るのではなく、イノチそのものを手渡す。

人のイノチに大地のイノチを伝える。イノチの火を点火する。その違いは天地の隔たりほどの違いです。

農は、生命(イノチ)に帰らせ、故郷(ふるさと)に帰らせ、古(いにしえ)に帰させてくれます。

そして、漸くとして古の道の先に、神農さまの農業に辿り着いたのですね。

遥か彼方の日本人の原点にとうとう戻ったような、源流に行き着いたような気が致します。

「あゝ、これが岡潔先生の懐かしさ。情緒なのか」と。

これは、穿(うが)った言い方をすると、家内は神農の使いで、自然食に導いてくれ、農業に導いてくれたのでした。

正に、「まほろばの母」でありました。ここに原点/オリジン(origin)があります。

太古の昔、神農さまから農耕を一緒に教えてもらっていたのかもしれません。

遠い浪漫(ロマン)を感じながら今日も畑に向かい、イノチの食(お)し物を、明日もお届けいたします。どうぞ、お受け取り下さいませ。

【こちらもオススメ】

顔眞卿(がんしんけい)『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』は語る【生きざまが筆跡に】

森下自然医学会会長より『へうげ味噌』は最高級医薬食品!!【食は薬、生は氣、その2】

遂に「腸管造血論」が立証された【春秋の忍、晩冬の實】

宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。