札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム
顔眞卿
唐代の政治家にして書家。
傾城(けいせい)の楊貴妃にて太宗は衰運、これに逆賊・安禄山が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)した唐末。
忠臣・顔眞卿、叛徒(はんと)を迎え撃つこと果敢豪猛、だが30名の親族を一挙に喪(うしな)う。
父と伴に姪(テツ)・顔季明、若くして壮絶非業なる死を遂げた。
ここに悲哀哀絶極まりなき断腸の祭文を捧げて弔(とむら)った。
その劇的書跡、名付けて『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』、本邦初の公開となる。
信じられない長蛇の列
上野の国立博物館平成館にて開催。
タイトル「王羲之を超えた名筆」
出張時に知り、早朝から長蛇の列に飛び込む。
この書道愛好家しか知らぬはずの名蹟、今の時代に何故、かくも鑑賞者が居るのか。
―――信じられない。
だが、前後に列する人波から中国語が多く囁(ささや)かれる。
かの大戦の最中(さなか)、蒋介石(しょうかいせき)が北京より、台湾に持ち込んだという天下の至寶(しほう)。
台湾国立故宮博物院でも3年に一度の開陳。
大陸の書家・好事(こうず)家は初めて日本で鑑(み)ることの出来る絶好の好機(チャンス)だったのだ。
天皇皇后両陛下、御観覧になるニュースも手伝ってか、何重にも巡る列には感嘆の声。
記録によると10万人越え、80分待ちの渋滞行列。
―――考えられない。
たった一枚のわずか30㎝の書稿。
書に疎遠なる現代人を、天下各国の人々を、こうも動かすほどの力が、どこから出てくるのか、どこに在るのか。
現代に可能か
現代人が、これほどの文を綴れるか、これほどの書が遺せるか。
どこにワープロ、誰がスマホにかかる感動を人に与え得るものか。
法帖(書の手本)を見て臨書しても、己の字に非ず、己の生き方に非ず、まざまざとそれに気付く。
写しは写し、コピーはコピーであって、創造には成り得なかった。
書のための書、書家の書をもっとも忌み嫌ったのは、僧・良寛さんだった。
艱難の半生
顔眞卿は直言を疎(うと)まれ、妬(ねた)まれ、左遷され、安禄山等の「安史の乱」以後、不遇の中、ついに殺害された。
あの字は、激変の乱世から、生まれた悲憤慷慨(ひふんこうがい)の筆跡だった。
人に見せようとも、展覧会で賞を取りたいというのでもない。只々、その時の心情を赤裸々に吐露した一瞬の軌跡だったのだ。
その一瞬が1300年の時を超えて、人の胸に永遠の時を刻むのだ。
空海も王羲之も
空海のあの『風信帖』もしかり。
最澄に宛てた一通の書信、手紙に過ぎないのだ。
王羲之に傾倒したとはいえ、すでに自家薬籠(やくろう)中の物として自在無碍(むげ)だった。
古今の名蹟、その王羲之の『蘭亭之序(らんていじょ)』も、興に乗ってその日、曲水の宴を記録した草案だった。
幾度か書き直したが、二度とその氣雰を再現することはなかったという。
坂本龍馬の『船中八策』も、海援隊と船の中、天下再建の構想を闊達(かったつ)に誰に気兼ねなく綴ったからこそ生きている。それも、龍馬のメモ紙に過ぎなかった。
生きざまが筆跡に
一瞬一瞬の勝負ともいえる、その生きざま、その死にざま。
芸術という概念もない太古、用の美として日常の具に過ぎなかった筆墨。
しかし、顔眞卿の×(バツ)有り、直しあり、書き殴りの激情的筆跡が遺ったのは、偶然ではない。
顔回の末裔、24歳で科挙の進士に受かり、当時文官の超エリートとして文筆を振るった。
公文書を留め、辞書を作し、陸続として数々の歴史的碑文を遺した。
「多宝塔碑」「顔勤礼碑」「麻姑仙壇記」「顔氏家廟碑」等々。
それが今日の手本、法帖として伝えられている。
それは、骨があったからこそ、草行にても芯が崩れないのだ。
基本基礎の日常的鍛錬の大切さ、必要性を物語る。
大事なことは、遺すために遺したのではない。
人生の一瞬一瞬を、命を懸けて走り抜いた古人の息遣いにして足跡なのだ。
大きな天下国家分け目の狭間に、時の悪戯かもしれず、遺るべくして残っただけのことだ。
若い頃、訳も分からず独習していた『祭姪文稿』。
今にして、こういう歴史的激動の人生があったのかと感動している。
生きる!
その後にこそ、何事も
本当の足跡が付いて来ると信じられた。
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宮下周平
1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。
自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/
無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。
世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。
産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。
現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。