磯貝昌寛の正食医学【第97回】損得と陰陽
損得と陰陽
もう何年も前になりますが、あるお正月、おせち料理に舌鼓しつつ、みずからの箸の先を眺めながら「うーん」と考えました。
「損をしよう」と思って生きている人はあまりいません。
「出来ることなら得をしよう」と思って生きています。「絶対に損はしない、絶対に得して生きていこう」と強い信念をもって生きている人も多いでしょう。
商売も同じです。損の出る商売をしていたら継続しませんから、仕入れ値にいくらか上乗せして商品を販売するわけです。
受験もしかり。希望高校、希望大学に合格したい。これも「損せずに得したい」というひとつのあらわれです。
私がおせち料理に向かう箸に目をやりながら、なぜ損得が頭をよぎったかというと、「これも食べよう、あれも食べよう」と、ついつい欲の輪が広がっていることにハッと気付いたからです。
一年に一度のおせち料理だからと損しないようにどんどん食べたならば、その報いは必ず現れます。
お腹を壊す、妻の分まで食べてしまったら妻から恨みを買うなど。
得をしようとして損をしている人はたくさんいます。
高学歴と高収入を得て、人を見下すような生き方をしているのも得を掴んだようで損をしている人です。
「自分の給料はこれくらいだから、これ位の働きでいいだろう」と思って働いている人も、損をしない生き方のようでいて実は大損をしていることに気付かない人です。
人間関係でも、絶対に損せず必ず得しようという心の人は、他の人から「あの人はケチな人だな」と思われるので、結局損をしていることになります。
サンカ( 古来日本に住んでいた、原住民の原点ともいうべき人々)の研究者である三角寛氏は「ケチ」という言葉はサンカから来ていると云います。
ケは毛であり、気であると云われ、チは縮む、縮まることだと云います。
気が縮まることが「ケチ」であり、「ケチ」は気を縮ます、とサンカの人々は考えていたのでしょう。
私もケチな根性が出てきた時に自分の心に問いかけてみると、たしかに気が縮み上がったような、そんな気がしてなりません。
絶対に得しよう、何があっても損しない、そんなケチな根性の元にある気は、縮み上がって、小さなものであるといわざるをえません。
絶対に得したい心、絶対に損したくない心そのものがケチな根性だと、私の過去を振り返るとそう思わざるをえないのです。
ケチな根性を捨てることは損得を超えることであり、損得を超えることはケチな根性を捨てることです。
この世を大きく見渡すと損も得もないことに気づきます。
私の知人は家から職場まで歩けば40分、車だと5分もすれば着いてしまいます。
時間を得しようとして車で通うと、40分も持続的に体と頭にほどよい刺激を与えてくれるウォーキングを放棄したことになりますから、結局損したことになります。
損得とは見方を変えると、損が得にもなるし、得が損にもなる、そういうものなのです大きな視点、つまりマクロビオティックな視点から見ると、損得を超えることはなんとも簡単なことです。
ケチな根性がこびりついていて損得が頭から抜けないようであれば、「損だな」と思うことを積極的にやってしまえばいいのです。
損なことは結局得に転じます。勝負事でも同じです。
勝ったら負ける、負けたら勝つ。損得が行ったり来たりしています。
そのことに気づいて心を柔軟にすることができれば、私たちはなんと面白い世界に住んでいるのかと、感謝の念が湧いてくるのです。
不幸は幸福の入り口
自分のためにした行動は自分のために成らず、人のためにした行動は自分のために成っていきます。これは絶対の宇宙法則です。おもしろいものです。
これを「自他一体」といいますが、生活の細部にこの現象はあります。
子どものために毎日毎日愛情こもった弁当を作っていたら、いつの日か料理の技術が上がって、どんな素材でもサッとおいしい料理ができるようになります。
子どものためにしていたことが自分のためにも成っていたのです。
相手のことを想って作る料理を続けていたら、いつの間にか食べる人が心底おいしい料理を手際よく作ってしまうようになります。
体の底から喜ぶ食事は、私たちの健康の元です。何気ない日常の健康は母の愛情があってこそ成り立つものです。
旦那さんの健康のために作っていた料理でもそうです。
旦那さんが健康になって、旦那さんからの感謝と信頼が積もり積もったら、これほど幸せな夫婦はいません。
一方で、自分のやりたいことを優先して周りの人を鑑みなければ、ダレからも自分勝手な人と思われ、結局損をすることになります。
自分さえお金持ちになれればいいと心の底で思っていたならば、心から漏れる言動と行動と顔色にはどことなくケチな色合いがにじみ出ているものですから、周りの人はそれらを自然と感じるものです。
ケチな雰囲気を漂わせていれば、一時は人が集まってきても、そう長く続くことはないでしょうから、結局、損をすることになります。
学校の受験でも恋愛でも、結婚においてならばなおさらのこと、自分のためにしているものであれば必ず不幸という結果がついてくるのです。
しかし、不幸というモノはその人にとって問題点を教えてくれているものですから、不幸自体が大変有り難いものなのです。
ですから、この世を大きく見わたすと、一切の不幸はないことに気づきます。
不幸自体がその人を幸せに導く入口であるのです。ああ、何と有難い世の中でしょう。
不幸を幸せの入り口と考えられるかどうか、そこが問題なのです。
陰は陽になり、陽は陰になります。
この宇宙法則がわからなければ不幸を幸福の入口と思うことはできません。いくら口を酸っぱく「不幸は幸福の入り口」と言ったとしても、それが心の底から湧き出るような身体でなければならないのです。この体と心を造り出すのが食養(マクロビオティック)です。
私のような凡人が「不幸は幸福の入口」と気づくことができたのも食養のお蔭です。
食養なくしてそんな考えは湧き上がってこなかったでしょう。「人間万事塞翁が馬」というように、この世は変化が常です。
塞の国の翁の所にとても賢い馬がもたらされた時、翁は不吉な予感を感じました。
それは息子が馬にまたがり戦場に赴くことにつながりました。
周りの人たちは翁に同情しますが、翁は逆にこれは何か良い知らせが届くような感じがしたというのです。
そうしたら、息子が馬から落ちてケガをして戦争に行かなくてよくなったというのです。
「塞翁が馬」にはその後も二転三転、まさに陰陽がクルクル変化するのですが、この世を大きく見渡すとすべてにおいて陰陽が変化します。
損は得になり、得は損になります。幸福と不幸も行ったり来たりしているものです。
命を大きく見れば見るほど、この世はまったく平等の世の中です。それを一時の損や得だけを見て、鼻が高くなったり、ヘソが曲がったりするのは人間模様ではオモシロイものですが、いつかそれらも卒業したいものです。
そこから中々、卒業できないのは、陽性が過ぎて、視野狭窄になってしまっているからなのです。肉食は人間を陽性過多にして視野を狭めてしまうのです。
月刊マクロビオティック 2020年1月号より
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磯貝 昌寛(いそがい まさひろ)
1976年群馬県生まれ。
15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。
食養相談と食養講義に活躍。
「マクロビオティック和道」主宰、「穀菜食の店こくさいや」代表。