生涯忘れ得ぬかけがえのない思い出「近所総出の餅つき」

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船瀬俊介連載コラム

九州の我が幼年時代。年の瀬が迫るころ、まっさきに思い出すのは、家族どころか近所総出の餅つき。朝からその日は、何か浮き浮きとした気分が立ち込めていた。

隣の古賀の婆ちゃんは、姉さんかぶりも威勢よく台所のかまどに薪をくべる。大きな鉄釜を満たしたお湯はグラグラ沸き立つ。

そこに甑を何段かに重ねる。布巾が隙間からはみ出て、じきにシュッシュと水蒸気が勢いよく吹き出す。

もち米の蒸れあがりは婆さんたちの勘だより。男衆は、すでに納屋から木臼、杵などを土間にしつらえている。

臼、杵ともきれいに水で洗い清められて木肌が瑞々しく濡れていたことを想い出す。

さらに木臼は土間に茣蓙を敷いた中央に置かれて、蒸し上ったもち米が運ばれてくるのをいまや遅しと待っている。

茣蓙も水に清められ濡れている。

これは杵を打ち下ろすときに臼がずれることを防ぐ滑り止めの意味もあったのだろう。

「さあッ!揚がったバイ」。

古賀の婆ちゃんの甲高い声とともに、真っ白い蒸気を吹き上げて甑が運ばれて来てソレッとばかりに臼に蒸し米が開けられる。

四角い甑の枠の形のまま蒸し米は猛烈な蒸気を上げる。

即座に両方から大の男二人が杵の首近くを握ってセイヤセイヤと体重をかけて杵の先でこねていく。

いきなり杵でついたら蒸し米が飛び散るので、荒くこねていくのだ。

米粒があらかたなくなった頃合を見て、ホイサツ、ホイサッ…と交互にリズミカルに、杵を大上段に振るって突き始める。

ペッタン、ペッタン……と威勢のいい音と振動が土間を揺らす。土間に面した障子には、あらかじめ一面、白い紙が張られている。

それでも餅つきの衝撃で、小さな粒が周囲に飛び散るからだ。モチが柔らかくなってくると、振り上げた杵先にくつついてグーンと白い飴のように伸びてくる。

すると古賀の婆ちゃんがヨッシャと出て来て、脇のバケツで手を濡らし杵の先のモチを剥がしとり、臼の中のモチをツルリと撫でて丸くする。

中央をパチンと手のひらで叩く。

それを合図に一人の男衆が杵を真ん中めがけて打ち下ろす。婆さんは瞬時に水で手を濡らし、脇からモチをすくって返し、ハイッと叩く。

そこに次の杵の一撃…。

一瞬でもタイミングが狂うと手のひらに激突して手は砕けてしまうだろう。幼い私は、その神業のような手捌きと杵の応酬を固唾を飲んで見守ったものだ。

ほんとうに白く柔らかく突き上がると婆ちゃんは「ハイッおわり」と真ん中をペタンと叩いて男衆も杵を下ろし汗を拭き息を整える。

婆ちゃんはヨイショッと両手でモチを掴んで「折ぎ」に運ぶ。時間をかけると柔らかいモチは伸びて土間に落ちてしまう。

一瞬の運び技だ。「折ぎ」板にはメリケン粉があらかじめ振ってある。

手のひらにモチの柔らかさ

待ち構える祖母のタツミ婆ちゃんがモチにメリケン粉をまぶし、手のひらで丸く撫でる。それからの作業は面白い。

左手の人差し指と親指を輪にしてクイッと締めると一個分のモチが丸くのぞく。

それを右手でねじってポイと「折ぎ」板に放る。待ち構える女衆が手のひらで丸め、隣の「折ぎ」に次々に並べていく。幼い我々も、丸め係だ。

小さな手のひらに乗せたモチの何とも言えない暖かさ、くすぐったいような柔らかさを、はっきりと覚えている。

まさにモチ肌の感触。九州では、このように丸モチなのだ。ちなみに青年期に上京して関東の四角い切りモチを初めて見たときはカルチャーショックだった。

餅つきの最大の楽しみは、次のアンコモチ。あらかじめ鍋で小豆と砂糖を煮てアンコが準備されている。

それを、しゃもじで掬って手のひらでピンポン玉ほどの大きさに丸めておく。突き上がったモチは丸モチ大に整え、それからアンコ玉を乗せ、四方の端を伸ばして包み込む。

あとは丸モチと同じ要領で軽く両手でさすって出来上がり。

次の楽しみは、きなこモチ。きなこと砂糖を混ぜてボールにあらかじめ用意しておく。丸モチができると、それを一度お湯に通して濡らし、つぎにきなこのボールに入れてまぶす。

こうして美味しいきなこモチのできあがり!つきたてなので、どこまでも伸びるきなこモチの熱々で美味しかったこと!

もう―つの楽しみは、おろしモチだ。大根おろしに醤油を混ぜたところに、つきたてのモチをちぎって放り込み、お箸で食べる。

これも、おろしと熱いモチが絡み合って絶妙の味わいだった。ときに祖母は、蒸したヨモギを混ぜてモチをつき、緑色の草モチも作ってくれた。

ヨモギの香りがかぐわしく、これでアンコモチにすると最高だった。

とにかく、朝早くから始まった田舎のモチつきは、なかなか終らない。それも、そのはず一軒で五升、一〇升とつくのはザラだったのだ。

終り頃のモチは丸モチにせず「折ぎ」に長円状において冷まし乾燥させる。モチの中にはうっすら赤いモチもあった。おそらく食紅で薄く色をつけていたのだろう。

紅白の縁起をかついだのだ。固まった頃合をみて、包丁で薄く切る。それを家族総出で藁紐の間に挟み込む。

そして、暖簾のようにして、風通しのよい軒先などに吊すのだ。いわゆる「欠餅」づくりだ。

遠くからみると、まるで紅白の暖簾を下げているかのように見えた。乾燥した「欠餅」を七輪の火で炎る。

なんとも言えぬ香ばしい匂いがする。パリバリと齧るとじつに美味しかった。食べるときもうっすら赤い「欠餅」はより一層美味しく感じた。

「欠餅」は農家の冬場の貴重な保存食であった。

「折ぎ」に並べた丸モチも、保存食として正月を境に重宝した。とくに子どもたちは、アンコが詰まったモチを狙った。

網で焼くとフッフツと湯気を吐いて割れ目ができアンコがのぞく。熱々をフーフーと口に運ぶ。いやあ……今、思い出しても唾がわいてくる。

矩撻に潜って七輪で焼いたり、火鉢で焼いたり、焼き餅の楽しかった思い出はつきない。母がときどき「欠餅」を油で揚げてくれた。いわゆる揚げ餅だ。

これも、サクサクと油の風味とともに旨かった。「欠餅」を棒状に刻んで揚げるとアラレとなった。

食べ物と家族と近所の笑顔と・・

このように冬休みに入った頃の近所総出のモチつき行事は、心浮き立つものだった。

小学校二、三年くらいになると「俊ちゃん、突いてみない」、と杵を渡された。杵に振り回されヘナヘナ腰で振りおろすと満座の笑いと励ましの声。

五年、六年と体もしっかりしてくると、二歳ちがいの兄とモチつき競争だ。

「兄ちゃんがんばれ!弟負けるな!」。周囲が囃すので歯を食いしばって杵を振り降ろし続けた。

眼前にあの響きのいい杵の音と、瑞々しい白さのモチが浮かび上がる。あれから四0年以上もの年月が過ぎ去ったとは信じられない。

古賀の婆ちゃんは腸のガンで、祖母タツミ婆ちゃんは老衰で、とうの昔に世を去った。采配をした父ももういない。

あの頃の食べ物は、けっして単なる食品ではなかった。ましてや商品では断じてない。家族や近所の笑顔を結び付ける連帯の証しであった。

それは生涯忘れ得ぬかけがえのない思い出でもある。甘酸っぱい幼少年期の郷愁……。食べ物の持つ深い意味と重みを、改めて感じいってしまう。

月刊マクロビオティック 2002年12月号より

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船瀬俊介 (ふなせ しゅんすけ)地球環境問題評論家

著作 『買ってはいけない!』シリーズ200万部ベストセラー 九州大学理学部を経て、早稲田大学社会学科を卒業後、日本消費者連盟に参加。

『消費者レポート』 などの編集等を担当する。また日米学生会議の日本代表として訪米、米消費者連盟(CU)と交流。

独立後は、医、食、住、環境、消費者問題を中心に執筆、講演活動を展開。

船瀬俊介公式ホームページ= http://funase.net/

船瀬俊介公式facebook=  https://www.facebook.com/funaseshun

船瀬俊介が塾長をつとめる勉強会「船瀬塾」=  https://www.facebook.com/funase.juku

著書に「やってみました!1日1食」「抗がん剤で殺される」「三日食べなきゃ7割治る」「 ワクチンの罠」他、140冊以上。

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