白川太郎連載コラム【第四回】

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白川太郎連載コラム

母は福岡市内で後に九州弁護士会会長になる父のもとに生まれる。

祖父はあの有名な山口県熊毛郡田布施村の出身である。この村はすり替えられたといわれる明治天皇の出身地であり、岸元首相、佐藤元首相、そして安部首相の出身地として知られている。

蛤御門の変で敗れた長州藩とともに追放された長州派公家が滞在していた土地である。

不思議なことに彼らは長州藩の重要拠点である萩や山口には入らず田布施に滞在している。

高杉晋作の設立した奇兵隊は2つあり、1つは対外国船対策で下関に滞在していたが、もう1つの部隊は田布施に滞在し、高杉の功山寺の決起に加わっている。

長州関係者にとって田布施が非常に重要な場所であることがわかる。

伊藤博文もここの出身といわれ、長州閥にとって非常に重要な拠点であり、なぜ明治天皇と伊藤博文が“水魚の交わり”と言われるかも謎とされており、これらの糸を紡ぎ合わせると非常に“危険な結論”に達する。

祖父は藤井姓で白川家に婿養子として入ってくる。

彼は実に温厚な人で、東大ではなく西田哲学を学びたいと京大を選び、出世とは関係なく弁護士の活動を行うのであるが、九州弁護士会会長を経て中央の要職も兼務したのは、“田布施”出身なのかと推測する次第である。

彼には3人の娘が生まれるが、後祖母は私の生まれる前に死亡しており、祖父は後妻を迎える。

この後妻がまた政略結婚だと思うが、この結婚により白川家は後に社会的な問題となる住友銀行・不動産関連の事件で暗躍する安藤太郎氏と親せきとなる。

もともと白川家は福岡県大川市という家具で有名な地区の出身で明治時代には市長も一族から出ていたようである。

この後妻さんがすごい人で彼女は娘を一人生み、3人の前妻の娘たちとことあるごとに衝突するのである。

このような超セレブ生活の中でわが母は育つのだが自立心が高く、勉強が大好きであった。

彼女が大学を受験する年は、新制大学制度となり、九州帝国大学は九州大学となり女性も受験できることとなり、彼女は受験して合格するのだが、父親に反対され断念する。

祖父は革新的な弁護士として名を馳せ、一方筑豊炭田国有化裁判では立場上経営者側の弁護団長になるのだが、蓆旗立て、ねじり赤ハチマキした炭鉱労働者が多数何度も何度も家に押し掛けると酒を取り出し大勢と酒を酌み交わして話を聞いていたのを鮮明に覚えている。

そうした革新的祖父ではあるが、一面で明治人で女は女子大で十分という考えで母を除く3人は言われた通り東京女子大へ行くのだが、母は当時開明的とされた津田塾大に行くことになる。

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白川太郎

1983年京都大学医学部卒業。英国オックスフォード大学医学部留学を経て、2000年京都大学大学院医学研究科教授。

2008年6月 長崎県諫早市にユニバーサルクリニックを開設、院長に就任。2013年東京銀座に、東京中央メディカルクリニックを設立、理事長に就任。

オックスフォード大学留学中にネイチャー、サイエンスなど一流誌へ多数論文を発表し、日本人医学者としてトップクラスの論文引用数を誇る世界的な遺伝子学者である。

現在は、病院から「もはや打つ手なし」と見離された患者たちを死の淵から救う「Ⅲ~Ⅳ期がん治療専門医」として、「免疫治療」「遺伝子治療」「温熱療法」という三つの治療法に、さらに全身状態改善のための「栄養療法」を組み合わせた治療を行なっている。

主な著書に「「がん」の非常識 がんの正体がわかれば末期がんも懼れず」「末期がん、最後まであきらめないで!」などがある。