【夜空ノムコウ】一粒の栗から何万年前の歴史が遡れる自然の素晴らしさ

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム 

夜空ノムコウ

「父さん、星が……!」

息子に呼ばれて、作業のさ中、納屋から外に飛び出した。

何と、満天の空に、星という星が貼り付いて輝き出している。

それは尋常な星空ではなかった。生まれて初めて見る群星の存在だった。

文明の光を落とした漆黒の闇夜では、星という存在がかくも心に迫って来るものかと目を瞠(みは)った。

星座の背景にさらに星座が輝いて、二重にも三重にも重なって光り輝く夜空は、もうこの世のものではなかった。

「アぁ……!!!」

と絶叫して、後は沈黙するだけだった。

大豆を刈り取って実を外した豆柄(まめがら)の山に寝転んで、二人して見上げていた。

すると、星は彼方にあるのではなく、まるで家の天井にあるような、手を挙げたら掌(てのひら)に零(こぼ)れるような身近な感覚だった。

「あれが北斗七星、あれが北極星…あれがオリオン座……」

あとは、言葉を失った。

天と地は、こんなにも近いものなのか。一枚板のような錯覚さえ覚えた。

あるいは、自分の体の中に、星々が入り込んだようだった。その時、自然はこんなにも近く、親しく、自分の中にすべてが在るものか、一切が移るものなのか、と感動してしまった。

『銀河鉄道の夜』や『よだかの星』の宮沢賢治さんも、こんな感性で童話を書いたんだなー、と想像した。

青春の扉を開いてくれた谷川俊太郎さんの詩集『20億光年の孤独』も。

星一つの輝きが、何億光年前に発した輝きだなんて…、そんな悠久の年月と私が出会って今一つになっているなんて…、宇宙って何て素敵なんだろう、と思ったことか。

家屋(ゲル)から出て、月天を見上げた内モンゴルの清夜でもこの思いに至らなかった。

頭の毛も手拭いもバリバリに凍った父との銭湯の帰り、向こうの恵庭岳から高く広がる冬空の星々にも、こんな印象を幼き日に思い出せない。

それが、札幌から車で一時間ほどの仁木で体験できるとは、思いの外だった。

そして、おのずから古代の人々に想いを馳せた。電灯もない昔の真っ暗闇の生活は、怖いのではなく、想像を絶するほど豊かで温かかったことを。

この美しさ、この豊かさ、この清らかさ、何と言おう。

こんな浪漫(ロマン)的夜の静寂(しじま)を過ごせる古(いにしえ)の素朴な生活の限りない深さ、趣きを思った。

どんな娯楽も世界の秘境も要らないであろう。PC(パソコン)で映るリアルで鮮明な画像の、却(かえ)ってその貧しさを知った。

我々は風景を写しているが、風景を観ていなかったのかもしれない。

古代バビロニアで起こった占星術や、古代中国で伝わった夏(か)殷(いん)周(しゅう)の天文学、それらはこの夜空を掌(たなごころ)のスクリーンに映すように掴(つか)んでいた。

行商する砂漠の旅の路標(みちしるべ)となり、糧を得る農事の暦ともなった。

それはこの星たちを自分の内なる心に、一枚鏡に映すように取り込めないと、天体の神秘を読み解きは出来なかっただろう。

飽きもせず、どれほどじーっと見詰め続けていたのだろう。

ちょっとした輝き、運行や形の微かな動きが、吾が内なる変化のように分かり、暑い夜も、寒い朝も、夢中で観察した。

楽しくて楽しくてしようがないほど面白くなければ叶わないことだ。

この星座との会話から、ギリシアや多くの国々で、神話や予言が生まれ、天文地理の科学が生まれ、宗教哲学が生まれ、文学芸術が生まれ、王族国家が生まれ、そして親子と男女の愛が生まれていったことだろう。

エルサレムの城でも、喜望峰の海でも、マチュピチュの崖でも同じ星々。

ガリレオも、始皇帝も、紫式部も観た月は今と同じ。古今も東西も繋がって行く。

何がなくても、どれほど自然はあり余れるほどの真理の豊かさと、そして命の繋がりを垣間見せてくれているのだろうか。

 月をみて 月に心の すむときは
       月こそおのが 心なるらめ

(山崎辨榮上人 『道詠集』より)   

この日9月23日は、天赦日(てんしゃにち)。

百神が天に昇り、天が万物の罪を赦(ゆる)す日、「万(よろず)善(よ)し」とされる最上の大吉日であったとか。そのお恵みで、こんな夜空を見せて下さったのかもしれない。

SMAP(スマップ)の唄を聴きながら、「夜空ノムコウ」の明日(あした)は、「僕ノコッチ」にあったことを教えてくれた。

大豆の気持ち

「もう、諦めて!!」と、言い放つ家内。

「除草できなかった所は、草刈機(フレールモア)で、大豆毎(ごと)潰すしかないと思うけど……」と説く。

しかし、見捨てるに忍びがたく、幾度(いくたび)か手を付けるが、伸び行く雑草を、取り切れない。情けない。

作業が後手(ごて)後手に回り、今や大豆の除草をしようにもオッつかない。

最初、カルチベーターで除草をしたものの、発芽率の悪かった処は、株間が雑草だらけになってしまい、機械では除草し切れないのだ。

次々と襲って来る仕事に手のかかる除草には手が回らなくなっていた。

放っておいたら、背丈以上に伸び切る夏草の勢いのよさには、ほとほと感心するものの、大豆は陰に隠れて見る影もなかった。それ以後も成るに任せるしか手がなかった。

いよいよ夏も終わり、収穫が始まった。

雑草だらけの周り以外は、意外にも実入りがイイ。どうして、こんなにもいいのか、と思わせるほどだった。

大豆を刈るのは苦ではない。だが、実を外(はず)すのが殊の外、時間がかかる。

それ以上に選(よ)るのに何と時を費やすことか。発泡箱一杯にするのに、優に一時間はかかる。

これでは、他の仕事ができない。枝豆脱粒機を購入したものの、200V(ボルト)が納屋には配電されていない。

発電機を借りての作業、一気呵成(いっきかせい)に終わらせねば。

車で畑との往復で次々と脱穀、夜遅くまで作業は続く。山と積み上げられた枝豆。

これを処理するのに、プロ農家は何段階にも分けて手選(よ)りするという。

十勝の中札内村では、共同の何千万円ものハーベスタで一挙に刈り取り脱穀して工場で選別、一挙に冷凍、その間3時間。とにかく時間との勝負だ。

一つ一つの株を伐る。中々の物だ。太い。大きい。長い。倒れている茎もあるが、それを起こして進む。これが厄介だ。

だが、倒れた青白い枝から、「これでもか!」とばかり、めげずに実を付けている。「すごいゾ!」。

それが半端でない。倒れても倒れても成っている。「何だ、お前タチは!倒れながらもガッチリ、自分の為すべき仕事をしているではないか!」ズッシリ重い一株が、脱粒機に入らないくらい一杯の枝を付けている。

グルッと株を回してもまだ実が離れずに付いている。たまたま数えてみた。一株の主幹に14もの枝をつけて、196粒。重い訳だ。

そんなのが放任で、雑草だらけのかわいそうな環境でも、たくましく育って来た。

スクスクというより、ギュウギュウと言った方が当たっているだろう。

今にして思えば、何とかしてやれなかったものかと思うものの、その踏ん張り処(どころ)の天晴(あっぱ)れさには脱帽した。

「雪音(ゆきね)」は、その嫋(たおや)やかな女性的イメージにそぐわないほど北国に生きる力強いオッ母さんだ。ありがとう!!!(注1)

(注1)収穫し切れなかった「ダダ茶豆」は大豆にして販売して、残りは「へうげ味噌」と「新醤」に。

一度に販売し切れなかった「雪音」は生で冷凍してあるので、そのまま小分けして冷凍販売し、また、「黒豆」は、お正月の煮豆用に出荷する予定です。

栗に想う

こもり居(ゐ)て木の実草の実ひろはゞや

芭蕉(後の旅)           

前の家主さんが、娘さんの誕生記念に家の前に一本の栗の樹を植えられた。

70年も経った大木である。この晩秋、栗が落ち始めると毎朝、それは見事なくらい周りを覆い詰めた。枝の上では弾けるように割れて、直下に落ちて来る。

はち切れんばかりの実入りで、近所の人に聞くと、あの名品「丹波栗」なのだと言う。

北海道でも、こんな立派な栗が採れるものか、としばし感激してしまった。

それが次々と落ちるは落ちる、まるで夢を見ているような心持ちになっている。

これが自然の恵みというものだろうか。子供のようにうきうきと浮かれてしまう。おとぎ話の現実離れした不思議なひと時だった。

その大木の下で浮かんだのが、芭蕉の句「木の実ひろはゞや」であった。

いかにも、晩年の隠棲を望んださまが彷彿とされ、翁の心境はかくの如きかと偲ばれた。

近所の栗農家さんからは、「前後に最低でも一回づつ農薬をかけなければ虫が入るよ」と忠告された。

また、果樹農家は「ブドウで農薬散布するから低い処は何でもないが、高い枝の栗は虫だらけになる」と嘆く。

しかし、この大木は、全くの放任。何も期待していなかったし、当然何も施さなかった。

でも、虫は入っていない。入っても50個に1個くらいだろうか。それも大して気にならない位、小っちゃい。

どんな世界でも、人の固定観念というものは経験則を作ってしまうのではなかろうか。

そして、その経験則が固定概念化する。その悪循環が現代農業の行き詰まり、今の社会の居心地の悪さではなかろうか。

とにかく、何もしないで、何かが与えられるという感動は新鮮で、心が洗われる思いだ。

山菜好きや魚釣りの人が多いのも、この快感なのだろう。

ここを、老子は「無為自然」と語った。為さずして成る場に立ち会うことが、現代人に最も必要な学びのような気さえする。

この人の意思とか行為がない処で、与えられる無上の物に、ふと太古を思った。

この豊かさが、縄文の豊かさではなかろうか、と。

今、メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の四大文明を超える世界文明の魁(さきがけ)として注目されているのが、日本の縄文時代。それを「縄文文明」と呼び始めた。

4、5000年が古代文明の終始なのが、何と1万6千5百年前(3万7千年説もある)に興(おこ)り、1万年以上も続いたという。

それも、欧米での研究報告なのだ。

狩猟から定住の農耕生活は、稲作麦作の発見により富の集積が起こり、支配と衆民のヒエラルキーが構成されて国造り、そして戦闘の有史時代が形成された。

自然回帰の旗頭(はたがしら)、農耕が人類悲劇の引き金であったとは皮肉なものだ。

だが、狩猟採集民にして巨大集落を形成しながら、あの文明群が辿った末路を見事に超えた縄文。

そのポイントに、この何気ない一粒の栗があった。

そこには、農耕はなく、栗やドングリを植えて主食として、あとは山海の恵みで充分事足り、しかも争うことなく、共存共栄の理想集団生活を送っていた、と。

事実、この栗のありようを観て、他は何も要らないという気にさせられてしまうから不思議だ。

珍しく家内が栗ご飯を作ってくれた。その余りの美味しさに、三杯ものお代わりをしてしまったほどだ。

米を観たこともない先祖が、大事に栗を拾いながら、食卓に上がった栗で満足していた頃に帰るべきが、平和への近道ではなかろうかと、ふと思ってしまった。

一粒の栗から、何万年前の歴史が遡(さかのぼ)れるなんて、自然は何て素敵なんだろう、と改めて天を見上げた。

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宮下周平

一九五0年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。八三年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。〇ー1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。

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