「細菌説」(病原体説)、環境説(病原環境説)【天下分け目の大論争】

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小澤博樹 連載コラム

19世紀のヨーロッパで巻き起こったある医学論争について紹介する。この論争の結末が現代医学における診断や治療法に大きな影響を与えたからだ。

太古の昔から多くの人々は伝染病がなぜ起こるのかという疑問を持ち続けていた。

伝染病や感染症に微生物が関係していることが分かったのは、オランダのアントニー・ファン・レーウェンクック(1632~1723)、科学者が歴史上はじめて顕微鏡を発明し、微生物の観察が可能になった1683年以後である。

彼は「微生物学の父」と称されていた。1680年にはロンドン王立協会会員となっている。

欧米では、病気は明らかに伝染病であると信じる人々と、疫病は環境の変化、身体内部の乱れによって起こるとする人々との間に論争が起こった。

この論争は18世紀に最高潮に達していた。

天下分け目の大論争

19世紀に入って、フランスのルイ・パスツール(1822~1895)、生化学者、細菌学者は発酵や腐敗現象はすべて微生物の増殖によるものであることを証明した。

また、炭疽菌や結核菌、コレラ菌などを発見したドイツのロベルト・コッホ(1843~1910)、医師、細菌学者は微生物が病気の原因であることを証明するための方法を確立している。

彼ら2人は「近代細菌学の開祖」とされている。

日本でも彼らの考え方に賛同して研究を進めた人物がいる。

野口英世(1876~1928)細菌学者はアメリカの大学、ロックフェラー医学研究所などに在籍している。黄熱病の研究中ガーナで死亡。

北里柴三郎(1853~1931)医学者、細菌学者はドイツベルリン大学へ留学し、ペスト菌や破傷風の治療法を発見している。

「細菌説」(病原体説)、つまり感染症の原因はすべて病原菌にあり、その病原菌を殺せば、感染症は治るとする考え方を提唱したのがパスツールとコッホに代表される医者たちであり、彼らはこの説を1880年代初頭に唱え、西洋医学の基本的な考え方のひとつとして定着させていった。

そして現在も現代医学において、この考え方が定説となっている。

ただ、当時の彼らは人間の持つ免疫機能についての正しい知見は得られていなかった。

しかし、パスツールが死期を迎えた時、「私の細菌学説は間違いであった。細菌を取り巻く環境こそが病気に影響するのだ。」と述懐したと伝えられている。

これは次に述べる病原環境説を肯定するものであったが、時すでに遅く「細菌説」は世間に流布されていた。

パスツールの理論と真っ向から対立したのがフランスの医師、化学者、薬学者のアントワーヌ・ベシャン(1816~1908)らによって提唱された環境説(病原環境説)と言う考え方である。

その名のとうり病気の原因は環境(体内環境や生活環境)にあるというものである。

ベシャンの他にもドイツの衛生学者、化学者、マックス・フォン・ペッテンコーフェル(1818~1901)とロシアの微生物学者、動物学者イリヤ・イリイチ・メチニコフ(1845~1916)もほぼ同様の趣旨の理論を展開している。

ベシャンは、病気は人体を構成する細胞の中に存在する微生物に起因するとしている。

細胞内に生息する微生物は正常時では人体の新陳代謝を助ける機能があるが、人体の健康状態が悪化するとその微生物も病的になる。

そして人が死んだり、けがをすると人体を分解する働きを促進する。人体の体内環境の悪化が病気の原因となるのである。

ベシァンはこの細胞内微生物のことをマイクロザイマス(小発酵体)と名付けた。

現代ではフランス系カナダ人の生物学者ガストン・ネサン(1924~)もこの細胞内微生物を発見し、ソマチッドと命名している。

人体の体内環境が酸化し悪化したために免疫機能が低下し病気になるのであり、外敵であるバイ菌が人体内に侵入し感染を起こすのではないということだ。

人体の体内環境が悪化したためにバイ菌と呼ばれる微生物が繁殖し、発症させるが、発症の主たる原因はあくまで体内環境の悪化にある。

ペッテンコーフェルとメチニコフは、パスツールの学説に反対し、それを証明するため、学会の会場で人間の死体から培養された大量のコレラ菌を飲んでみせたが、コレラを発症することはなかった。

ペッテンコーフェルとメチニコフが公衆の面前で行ったコレラ菌を飲むという大胆な行為は、このベシャンの学説を彼らが支持していたからである。

なぜパスツールは「病気の原因は外から体内に侵入した細菌である」と言えたのか。

それはベシャンが顕微鏡下で体内に微生物が存在する事を発見していたからに他ならない。パスツールは、自分の説を理論固めするために、ベシャンの発見を利用して病気の原因となる細菌は体外から侵入したのだと言い張っただけなのである。

二つの説は、一時的拮抗していた。しかし論争は細菌説派の勝利に終わった。

だからこそ、パスツールやコッホは、学校の教科書にも紹介され、子供でも知っているのである。

これらの二つの学説のうちどちらが正しいか。西洋医学にとらわれていない第三者的な目から見れば、環境説の方が正しく、細菌説は間違っていると考えるのが妥当である。

環境説が細菌説に敗れたのは、ひとつには「細菌が原因だ」と言った方がよりセンセーショナルであったからだ。

そしてまた、病気を細菌のせいにすれば人間の責任ではなくなり、気が楽だという面もある。しかし、一番の理由は、当時その分野を支配管理していた権力者の判断によるものだ。

ここにあげた微生物学者や医師、研究者らは大学や研究施設で研究実験を行いその成果を出す。

その成果はこれらの施設を管理統轄する権力者たちのもとに集められ、自分たちにとって利益をもたらすものは何かを判断するのである。

そして「細菌説」が選ばれた。

「細菌説」を正しいものとすれば、人間の敵である細菌を皆殺しにする薬、抗生物質を使うことができ、金儲けができる。

表向きは、金儲けの為ではなく、人間(民衆)を守るためだとうそぶく事が出来る。抗生物質がたとえ人間にとって有害なものであったとしてもだ。

「細菌説」を選んでしまった結果が抗生物質や抗ウィルス剤、予防接種など有害薬の乱用であり、薬剤耐性菌の出現や、ウィルスの変異により強い毒性をもった新しいウィルスの出現などである。

この弊害はこれまでも今後も続いていくことであろう。

毎年数万人の患者が院内感染という医原病で殺されている。まさに、陰謀である。

抗癌剤や放射線療法、向精神薬、すべての化学薬品はこの陰謀によって今も生産し続けられ人間に投与され続けている。

真実を知らされず医科大学で教えられた。ウソの理論を受け入れ操り人形のごとく、黙々と末端で働く医師や医療関係者たち、そしてだまされ、骨の髄までしぼりとられる患者たち。

これが悲しい現実の世界なのである。

もしも、当時の西洋医学が「環境説」を支持していれば現代医学の治療概念は現在のものとは大きく異なったものになっていただろう。

そして今日これほどまでの間違いをおこしてはいなかったであろう。

結核

「環境説」の方が正しいということは次にあげる例から、全くの門外漢であっても推察できるはずである。

結核という病気の場合、結核菌が肺の中に見いだされるのは確かな事実だ。

これは「細菌説」の言うとうりだ。そしてこれに抗生物質を投与すれば、結核菌は抑制されることも事実である。だから結核は結核菌が原因だとされている。

しかし、そこにはもっと大切な事実が見落とされている。それは、多くの健常な人々の肺の中にも結核菌が存在しているのにもかかわらず結核症を発症していないという事実だ。

結核を発症するのはほんの1%前後ぐらいでしかない。もし腸内に結核菌が存在し、それが人々を100%発病させるのなら結核菌こそが結核の原因だと言える。

しかし、わずか1%となれば、それは結核発症の真の原因ではなく、単に可能性としか言えない。それも確率の低い可能性だ。

結核も他の感染症も免疫機能が良好で生命力、抵抗力の強い健康体であるのなら、あるいは言い方を変えれば、人体の体内環境が良好に保たれているのなら、結核菌と他の病原体もそこでは繁殖できないし発症もしない。

これは環境説を持ち出さないかぎり説明不可能である。

また反対に結核の予防注射BCGを接種すればするほど、結核を発症しやすくなることも理解できるであろう。

BCGの接種によって人の体内環境は荒廃し、免疫機能も低下するからである。

また結核症であるという診断をつけるためにツベルクリン反応をしたり、胸のレントゲン撮影をすることも免疫機能を低下させるためなおさら結核を発症させるリスクは高まる。

牛や羊、ヤギなどの草食動物の腸内には、病原性大腸菌O-157が普通に生息している。これらの動物に抗生物質や他の化学薬品を投与すればする程O-157は増殖する。

これらの薬品によって彼ら家畜の体内環境が汚染されるからである。そしてこれら家畜の肉を人が食した時、食中毒をおこす。

1990年浦和市の幼稚園でおきた病原性大腸菌O-157食中毒事件では、2名の死者を出している。

しかしこの時、感染者の30%は全く無症状、60%が下痢のみだった。感染者の10%が溶血性尿毒症候群を合併している。

堺市では約5万人の児童が同じ汚染された給食を食べている。

O-157病原性大腸菌はこのうち5500名に見つかった。食べた人の約10%がO-157に感染したのだ。この場合もその内の約10名しか入院しなかった。

岡山県邑久町におけるO-157集団食中毒の際には、中村教授(東京医大の中村明子客員教授)は感染者の「清潔度」のチェックもあわせて行った。

感染者の児童のうち、重症になった1割の子供はすべて神経質で「超清潔志向に育てられた子供たちであった」という。

同じメニューの給食を食べても、全く感染しない人、感染しても症状の出ない人(健康保菌者)、軽い下痢ですむ人、合併症で死の淵をさまよう人などさまざまいることがわかる。

この差はどこから生まれてくるのか。

つまり、健康な腸内細菌をもっている人の腸の中では、病原菌が増殖しにくいからだ。またO-157はベロ毒素をだして人を死に追いやることもある。

ベロ毒素とは人間が抗生物質を乱用したために、赤痢菌からベロ毒素を出す遺伝子をもらい受けたことに起因いている。

以上のように人の体内環境が良好であるのなら感染症は起こらないか、あるいは起こったとしても重症化はしない。

反対に人が常日頃、乱れた食生活をしたりワクチンや抗生物質、化学物質、放射性物質、重金属など有害なものを体内に摂取し、体内環境や腸内環境を破壊すれば、それが原因で感染症が成立する。

決して、細菌やウィルスなどが原因ではない。つまり、「環境説」が正しいのである。

では、体内環境や腸内環境を調え、免疫機能を正常化あるいは強化するにはどうしたら良いか。

それには、食生活を無農薬有機農法産の食材を使った玄米菜食とすることである。

参考文献:

「治す医者か、ごまかす医者か―絶対あきらめない患者学」小澤 博樹・著  三五館

「清潔はビョーキだ」藤田 紘一郎・著  朝日新聞社

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小澤 博樹

1949年愛知県碧南市生まれ。1974年東邦大学医学部を卒業後、同付属病院にて消化器外科学、一般外科学を専攻。

1984年、碧南市にて小澤医院を開業し、「食養生」を基本とした代替医療を展開し、現在に至る。

現代医学そのものが金儲け主義であると批判。自らは最少の費用で最大の成果を提供しようと模索する。頑固と良心の共存した、清貧な医者である。

マクロビオテック(玄米菜食)による体質改善、免疫力・自然治癒力の向上を図り、病気を治療に導く有床診療所「小澤医院」のHPはこちら→小澤医院

主な著書に「治す医者か、ごまかす医者か―絶対あきらめない患者学」「医者ができること、してはいけないこと―食い改める最善医療」などがある。