自然に触れ土と交わり戯れる農作業で新しい自分に会える【援農は「自分応援」】

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札幌の自然食品店「まほろば」主人 宮下周平 連載コラム

一、去りてこそ

この35年、どれほどの人たちを迎え入れ、どれほどの方々を送ったか、数え切れない。

去るを留めず、来たるを避けず、ただ人は一生涯、過客(旅人)であり、何処もが通り過ぎる一夜の栖(すみか)に過ぎない。

ただ、長逗留(ながとうりゅう)か、素泊まりの違いでしかない。

何時までも、何処までも一緒とは、親子夫婦でさえありえない。ましてや他人(ひと)においてをや。

6年間、まほろば農園で働いた池田尚樹君が旅立った。

彼は、若い時からある思想哲学を研鑽し、仁木で働くことで、漸く期が熟したのだろう。

自分の目でそれを確かめたく、一歩外に出る自信と切っ掛けを掴んだのだ。

彼にとってその追及は生涯のテーマであるから、年齢からして今しか転機はないのだろう。

周囲に何を言われようが思われようが、自己に正直に、内なる声に忠実に生きるしかないと思う。

そのことが、どんな結果を齎(もたら)すか分からない。しかし、本人にとっては必ず通らねばならぬ一里塚なのだ。

そうしてこそ、彼の道が開けてくる。人は、それぞれの道を、それぞれの思いで歩む。

人生は、常識と非常識、日常と非日常の交差によって織り綴られていくものだから。

息子・正大も同様、東旭川に就農したのも、それは彼なりの思いの丈(たけ)と成り行きがあって旅立った。

そういう道筋を経なければならない夢や運命というものが、人生にはあるのだ。

二、自立の到来

お陰で、夫婦二人、自分たちしか居なくなった今、この歳で己を奮い立たせ、ここで自立せざるを得なくなった。

この危機(ピンチ)は自分にとって、決して不幸でも無理でもない、むしろ好機(チャンス)なのだ。

就農したとはいえ、未経験の分野は人任せにする。そのツケが回ってきたのだが、今こそ学習の時とばかり、孤軍奮闘している。

殊に機械のことは全くの不(ぶ)案内。何をどうやっていいのか分からないなりに、手探りで動かさねばならない。

同じことを、毎回毎回どうしてこうも思うようにならないのかと焦ったり、苛立ったり。兎に角、時間がかかる。が、不思議とどうにか始末をつけられるようになりつつあるのも事実だ。

この時、自立ということを思った。

そして、失敗という意味も。度重なる失敗、試行錯誤という経験がなければ、人は目が開かれないことも、日々教えられているのだ。

いみじくも彼の発明王エジソンが「成功は、99%のパースピレーション(努力)と1%のインスピレーション(閃き)だ」と語った。

100の閃きより、99の失敗の方が、経験知が多く、洞察力が深まる。事はその後だ。99の汗に、1の光が灯る。

99の努力には99の可能性があるも、1の天啓には1で終わることさえあり得るのだ。

つまり、失敗は、学びであり、成功という名の一歩。失敗のない人生はつまらないではないか。

そして、どんな世界でもそうだが、孤独という時間と、共同という時間が、二つ乍(なが)ら要るということだ。

独りになって何が出来るか。一人で、これが出来るのか否か。その問い掛けが必要なのだ。

今、独りになってこそ、初めて身に付くことを知ったのも、貴重な体験で、これは人生万般に言えることではないか。

その意味でありがたい機会が与えられた訳だ。神佛の配慮は実に細やかで行き届いている。

みな、それぞれが緩(ゆる)やかに、その恩恵に与かっている。自立してこその共生であった。

おそらくまほろば35年の歴史は、青年期15年の下積みの苦闘、その孤独の時間があってこそ、成ったものと思う。

そして、今にして思うのは、自分に正直に、前を向いて歩いてさえいれば、人生どうにかなるという事実だ。

思うほど深刻でもなく、難しい事でもない。時の流れがどうにかしてくれるのだ。

それが良くも悪(あ)しくも。「為るように成る」「為るようにしか成らない」というのが人の世であり、自然なのだろう。

一年先、5年先、10年先、予測通りには行かないし、占い通りに成る験(ため)しもない。

時の流れは急峻で、複雑で、どんな出会い、どんな事件で化学変化し、人生が一転し、反転し、千変万化するか想定外なのだ。

だからこそ、後ろを憂えず、先を案ぜず、その時その場の今を生き切るしかないだろう。

そこにこそ、生き生きした新しい潮流が流れ込む。これが人生の醍醐味だろう。人生は、ありがたくも常に遣り直し(リフレッシュ)自在なのだ。

三、ケセラセラで

この歳で、しかも休みなしの毎日で、どうなるのだろうか、体が持つのだろうか、という不安も、実際働いてみると、どうにかなってしまうのだから、逆に人生は面白い。

それで、健康になろうが、病気になろうが、自ら預かり知ることではない。どちらでもいいのだ。

ましてや、「働き方改革」なんて、そんな贅沢、農業では言っていられない。

10連休などは夢のまた夢で、畑は蕪(あ)れに蕪れる。お天道様が毎朝出るように、古今東西、農業に植物に一日たりとも休日は無い。

早朝から日没まで、兎に角働き詰めに働かねば、成り立っていかない古典的職業。どこの百姓も、誰もが文句も言わず、当たり前にやって来た。

この歳で、農業を発願したのも自己責任で、倒れようが、生き延びようが、結局は自己に問われる。

しかし、言えることは、案外人間行ける、ということだ。眠れる身体の適応力、潜在力は大したものだ。

何事も「ケセラセラ」で、「なるようになるサ!」と、愉快に楽しく明るく行きたいものである。

四、高田さんとの巡り合い

35年前、市場に出入りするには、札幌市の許可証・契約書が要る。それには、保証人が要る。

ある仲買さんの所で、「自分がなってあげるよ!」と言って下さったのが八百屋の高田博さんだった。

家内が、高田さんの奥様の食事指導をしていたお客様だったこともあり、兎に角、それで道が開けた。その後、陽(ひ)になり陰になって応援して下さったのだ。

何時しか、高田さんも八百屋を辞めてリタイアされた。それがどういう訳か、農園と縁故が繋がり小別沢で働き、今仁木に札幌から通って下さっている。御年80歳である。家内がもうすぐ74、私も8月で69になる。仁木ロートルトリオで、高齢者軍団である。

誰が見ても、絶望的なのだ。お先がない。真っ暗で、見えない(笑)。

処が、世の中良くしたもので、神は見捨てず。二人の若者が居た時より、事がズンズン進んでいるのには、魂消(たまげ)る。

それには高田さんの前職が大いに関わっている。八百屋さんの後、水道屋さんをやっていたことと、その前は自動車教習所の先生をやっていたことだった。

一昨年、折角の大馬力の井戸を大枚叩(はた)いてボーリングしたが、十分に活用できずに2年が過ぎた。それが今年はどうだろう。

サロマ町が39・5度。後志でも34度という5月記録越えの猛暑の中、フンダンに水遣りが出来るので、作物は順調に育っている。

これは高田さんの水道配管技術のお陰だ。いとも簡単に設備してくださるのは大助かりなのだ。身近な生き字引であり師匠である。

そして、トラクター。まっすぐに走るその正確な伎倆(ぎりょう)は、とても初めてとは思えないほどの筋の良さである。まさに舌を巻く。

新しい機械でも、すぐものにするのは、流石(さすが)教習所の教師で、整備にも滅法強い。オプションの脱着もありがたい。

仕事を手分けしてやるには、効率がいいというか、計画通り事が運ぶので、例年以上の成果が上がっている。

きれいな仕事、始末のいい仕事は、高田さんの無私の人柄を表している。

学ぶことが多く、家内も安心して任せられる。ここの老人集団は、ナカナカのものですよ。

北海道人生の初めと終わりに、高田さんに扶(たす)けられて、不思議にも深い縁(えにし)の糸を感じさせられる。

五、ある日の事故

5月の17日。皆さんの援農のお陰で、思った以上の成果で感激した一日だった。

みな帰られた後、潅水チューブを手元に引っ張っていた時、その管が抜けて、思いっきりひっくり返り、後頭部を強打したのだ。

どういう訳か、その後のことは記憶になく、気分が悪く夕食も摂らずに寝込んでしまった。

翌朝、神社の役職で大祭の草刈りに行ったのが悪かったのか、帰って来て病院に行くと自分から言い出した。余市の脳神経外科でCTを撮り、一応異常なしの診断であったが、それ以後、一週間ほど食欲がなくなってしまった。

しかし、その後、不思議にも、ある憂いというか、不安というか、付きまとわる何かが払拭してしまったのだ。憑物(つきもの)が落ちた感じなのだった。

こういうことが、あるのだろうか、と訝(いぶか)しく思ったが、体調は以前より良くなって来ている。

この手の事故、事件というのは、何かのリセットが働くのかもしれない。ある種、心身の限界が来ていて、それを振り払うために、体が事故を求める、寧(むし)ろ積極的に事故ることが、本能や免疫力として機能するのかもしれない。

こういう否定的なことが、あながち悪い事ばかりでなく、肯定される物の見方もあって良いのではないかと思ったほどだ。

古く言えば、「因果の解消」かもしれない。病気も天のメッセージ、贈り物として受け取った方が、回復力が格段に違うと言われている。

六、援農の提案

先々月、大橋店長が「生き方追及農業」と題して、援農を呼び掛けてくれた。

仁木農園の経緯(いきさつ)や農業に対するまほろばの姿勢を代弁していることに嬉しさと共に、彼の理解力の深さに感心した。

家内とやろうとしている農業の姿勢を、明瞭にこれほど訴えかけられたことがなかった。30年間、共に歩んで来ただけでなく、心も寄り添って来てくれたことに感謝したい。

現場放棄、経営無視……。見方によってはこう取られかねない経営者としての動向。従業員の離脱か反乱か、さもなくば、廃業、閉店か。

通常なら起こり得る事態だ。まほろば最大の危機に立たされた仁木移住。どう見ても間尺に合わない営農利益。損益も何もあったものではない。ただ損であり、虚なのだ。それをあえて強引に遂行した。

経営者としては現実離れした有り得ない行動だ。しかし、已(や)むに已まれないものが衝(つ)き動かした何か。

損得勘定では、到底推(お)し量(はか)れない経営理念であり、未踏の明日だった。

だが、店長はじめ皆、そこに同調して、あえて理不尽で、無謀ともいえる新体制に同意してくれた。

それを、彼が言い出した「援農」という形で融合しようとしている。「危機(ピンチ)を好機(チャンス)」に換え、未知なる経営哲学の道を開(あ)けるか。それは、店とお客様との運命共同体としての発想の転換、新生まほろばでもあった。

これが、「傾聴」の持つ深い意味合いであったのだ。まほろばが、何を語り、何を目指そうとしているか。ありがたい事だった。現場でも、確かなる手応えを感じている。新しい空気、新しい時代、新しい未来。

そんな経営の大転換にもなる気付きが、「援農」の一言一事に隠されていたのだ。

七、援農は「自分応援」

この5月からの援農の方々のお力を頂いて、とてもというか、想像以上の成果が上がっています。夢のように念(おも)い、この場を借りて心からお礼申し上げます。

これは、単に仕事がはかどる、大助かりと言っただけでは済まされない。

イベント企画として面白い、斬新という手合いでもない。私にとって、深い思いを抱かせた、むしろ神秘的な不思議な何かを感じさせ、考えさせられた思いだった。

個人と大勢。明らかに成果は違って来る。加算ではなく倍々乗なのだ。これは個人だけでは出来ないし、大勢だけでもできない。

一人でやると何日もかかるものが、畑仕事は初めてという方も、大勢でやると何時間で済んでしまう事に、驚くとともに感嘆する。

あれもやらねば、これもやらねば、と思いつつ、何もかもが、手が付かないことの如何に多いことか。後まわし、後で後でと、だんだん時期が遅れて行く。

確かに老人3人に、4.5町は広過ぎる。でもそこに、大勢の手が加わると、本当に奇跡的に事が成る。もうビックリするばかりだ。

効率云々ではなく、空中で皆の心が寄り添って、花開く感じなのだ。

ハレの日とケの日があるように、何事も一様ではない。黙々とした毎日に、ある日パッと花開く時が来るように。そんな気がする。

しかも、手伝って下さった方も、嬉しい楽しいといった爽快な気分になって豊かな感情をもってお帰りになる。どちらもwin‐winの関係で、良い事尽くめ。幸せ一杯。

自然に触れるには、ただ観光とか、食事だけでは味わえない、その肌に触(ふ)れる脈を触(さわ)る、それこそ土と交わる、戯れることで息が合ってくる、同調して来る。

これは、農作業を手伝う以上に、自己解放の扉になる、切っ掛けになる。Open mind(開かれた心)になる。

大地は、いつもその扉を開いて迎えてくれる。抱きかかえてくれる。都合のいいように聞こえるかもしれないが、援農は「自分応援」でもあった。

「半生革命」でもありたい。人の為でもあり、自分の為でもあったのだ。

日々、鬱々(うつうつ)として悩める方、悶々(もんもん)として行き詰まっている方、あるいはもっともっとアクティビティに自分を打ち開きたい方、心の仲間を作りたい方、持病を少しでも治したい方、どんな思いも、どんな動機でもOKです。

一か月一回でも、土に触れることで、新しい自分に会えるかもしれません。人生の方向転換が叶うかもしれません。

さぁ!思いっ切り、勇気を振り絞って、お尋ねください。

十分な語らいは出来ないかもしれません。

でも、自然は十分すぎるほど問い掛けに応えてくださっています。

短くも豊かな時間をここでお過ごしください。

みんなで、自分たちの農園として、仁木にお越しください。

虫も鳥も木々も花々も、みんなして、お待ちしております。

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宮下周平

1950年、北海道恵庭市生まれ。札幌南高校卒業後、各地に師を訪ね、求道遍歴を続ける。1983年、札幌に自然食品の店「まほろば」を創業。

自然食品店「まほろば」WEBサイト:http://www.mahoroba-jp.net/

無農薬野菜を栽培する自然農園を持ち、セラミック工房を設け、オーガニックカフェとパンエ房も併設。

世界の権威を驚愕させた浄水器「エリクサー」を開発し、その水から世界初の微生物由来の新凝乳酵素を発見。

産学官共同研究により国際特許を取得する。0-1テストを使って多方面にわたる独自の商品開発を続ける。

現在、余市郡仁木町に居を移し、営農に励む毎日。

著書に『倭詩』『續 倭詩』がある。