船瀬俊介連載コラム
日本の塩には、二つの不幸な歴史がある。
―つは、戦争の歴史と重なる。その背景にあるのが「専売制」である。そのさきがけが明治三一年に始まった「タバコ」専売制であろう。
日清戦争後の経済建て直しのため「タバコ」が明治政府によって、狙われたのだ。
次に日露戦争が控えていた。その戦費調達のため今度は「塩」がターゲットとされた。
戦争、つまり〝人殺し〟のカネ稼ぎに、「塩」が使われたことを知っておいたほうがよい。
「塩」は英語で〝ソールト〟という。それは、〝サラリーマン〟の〝サラリー〟つまり月給の語源でもある。
つまり、生命を維持するのに不可欠なものという意味だ。生活に不可欠なもの。だから、国家が独占して販売する。これが「専売制」である。
国家というものは、なんとまあ、得手勝手なものか……とあらためて思う。
クニによる独占販売だから、値段も付け放題。儲け放題。だから戦争など巨大国家プロジェクトをやるとき、この「専売制」が威力を発揮する。
このように「塩」の販売は、大蔵省専売局が独占し、大正八年、公益専売となり……第二次世界大戦での敗戦。そして、戦後の昭和二四年(一九四九年)、日本専売公社が生まれた。
戦争に負けても、クニは「塩」の利権を手放さなかった。昭和六〇年(一九八五年)、日本専売公社は民営化され「日本たばこ産業(株)」となった。
ここで、「タバコ」の「専売制」は廃止された。しかし、「塩」の「専売制」は続行され、クニ(大蔵省)の専売業務を〝委託〟された形で「日本たばこ産業(株)」が独占。
その後「塩」の利権は、平成八年(一九九六年)「塩事業法」なる法律が制定され、ようやく”自由化”されたのである。ただし、このとき(財)塩事業センターなる珍妙な組織も設立されている。
いわゆる公益(私益)法人。つまりは「塩」利権官僚の〝最後の砦〟である。
塩田で海から恵みをいただく
「塩」をめぐるもう―つの不幸。それが「化学塩」である。
「塩」は、別名「潮」と書く。つまり、海水から精製、製造することは子どもでも知っている。
日本では約八〇〇〇年前から、海水からの製塩の歴史があるという。
まず、原始的な製塩法として、①天日製塩(海水を自然蒸発させ塩を得る)から②直煮製塩(海水を釜で煮る)へと発展。
さらに③藻焼式製塩(海藻に海水をかけ焼いて藻灰塩から濃い塩分を得る)も古代から各地で行われた。
やがて日本沿岸には塩田が盛んに営まれるようになってきた。文字どおり海水から「塩」を生産する”田”である。
これを塩田製塩と呼ぶ。
それは④揚浜式製塩(砂地に海水をまいて天日乾燥→⑤入浜式製塩(満潮時に海水を入れる)→⑥流下式製塩(笹竹などの枝条架という立体構造等で乾燥・図A)……と、発達してきた。
とくに戦後、普及した流下式製塩は、海水ポンプを利用し、それまでの塩田の一〇分の一の労働カで三倍の生産効率を上げることができた。
塩化ナトリウム「化学塩」の登場
ところが、昭和四六年、怪体な塩が登場してきた。
それが「化学塩」である。製造するのは⑦イオン交換膜透析法と呼ばれる方式(図B)。
同時に、それまで、どこか牧歌的、農耕的だった全国塩田二七か所は、すべて廃止された。
この「化学塩」は、海水槽の中に陽・陰イオン交換膜という石油系の合成樹脂膜を交互に入れて、両端から直流電流を流し、海水からナトリウム・イオンと塩素イオンを電気泳動で集めて濃縮し、真空蒸発缶で煮つめて製塩したもの。
この方式だと、海水ミネラル成分(にがり)は、ほぼ完璧に排除され、ほとんど100%の塩化ナトリウムが得られる。
専売公社は「これで〝純粋〟な食塩、塩化ナトリウムがえられる」と胸を張った。
この〝純粋〟神話ーー。これは、塩に限らず、近代文明が陥ったブラックホールのような陥穽といえる。
近代文明を導いた西洋文明とは、分析の歴史でもあった。自然を細かく分類して解析していく。そして〝不純物〟を排し、〝純粋〟な物質をとりだす。
「塩」の場合、塩化ナトリウムがそうであった。
ニセモノが「本物宣言」とは・・!
かくして、権力つまり日本専売公社は、この一〇〇%塩化ナトリウムこそが「食塩」であるーーと、仰天の布告を行ったのである。
文字どおり天を仰いだのが、それまでの製塩業者である。「血潮」という字が表すように、生命が海から誕生したのは、生物学の常識である。
だから、動物の体液組成と海水組成は、きわめて似通っている。
フランス語で「母」も「海」も同じ単語ラ・メールである。
海で負傷したばあい、輸血が間に合わないと、海水で代替する……という話も聞く。
まさに「血潮」ゆえのエピソード。
「海水から生物が誕生して、やがて人間まで進化したのですから、そういう自然のミネラルバランスを保った塩分は私たちに不可欠です。塩化ナトリウムばかりでも人間の体には悪い影響が出るのです」。(『塩屋さんが書いた塩の本』松本永光著、三水社)
自然界に存在しないニセモノが「本物宣言」をしたばかりか、「本物追放令」を出したのだから目をむく。
伝統的な塩づくりは〝禁止〟されたのだ。(一九七一年四月「塩業近代化臨時措置法」)一般にはあまり注目されなかったが、一部の消費者運動家や自然食運動家たちは憤激、決起した。
こうして全国にまき起こったのが「自然塩運動」である。
全国各地で集会や署名運動が展開され、その怒りの声をクニも無視できなくなってきた。
かくして昭和四八年(一九七三年)、伝統的な自然塩は、「特殊用塩」という珍妙奇妙な名前で、専売公社から、お目こぼしで製造販売を許可された。
イオン化学塩で日本民族が危ない
近代西洋文明は、〝純粋な物ほどよい〟という「定理」にとらわれてきた。これは、間違いである。近代化とは、不純なものを排し、純粋なものを追い求める過程であった。
しかし、たとえば小麦ーーー。
精白することで、繊維、ミネラルなどをそぎ落とし、栄養分は、恐ろしいほど貧弱になった。白米もそう。
純粋化が、栄養分も風味もそぎ落としてしまったのだ。砂糖も然り。そして、塩も然り。「全体」として価値があるものを、「部分」に価値があると判じた誤りである。
「イオン化学塩では、日本民族が危ない!」
全国で巻き起こった自然塩運動は、特筆されるべきだろう。
まず「塩の品質を守る会」として署名運動をスタート。
その主張はーー。
▼食物は自然に近いほどよい。
▼化学薬品のように純化された「化学塩」を食用に強制する必然性はまったくない。
▼人畜への安全性も確認されていない。
▼世界にさきがけ「化学塩」食用を急ぐ必要はない。
▼生命維持にかかわる基本食糧の選択の自由を奪うのは、憲法で保証された基本的人権の侵害である。
至極、まっとう、もっともな主張である。
運動は「一か所でもいいから塩田を残して欲しい」……という、つつましやかなものだった。
その運動は、やがて主婦連や消費者団体、生協などを巻き込み、大きなうねりとなった。署名は五万人を突破。
伝統食品にたずさわるひとびとが、お上の”禁止令”に生き残りをかけて蜂起し、勝利したのだ。
それにつけても、「化学塩」に絡む企業、政治屋、官僚たちのおぞましさ、おそろしさ。
さまざまな自然海塩が増えてきた
しかし、これらクニによる「塩」支配は、失敗した。
いまは、まさに、たかが「塩」、されど「塩」。スーパーに行くと驚くほど多彩な「塩」が陳列棚にならんでいる。
たとえばーー。
■自然海塩『海の精』(海の精(株)):塩田で海水を濃くして、釜で煮詰める昔ながらの製法でつくられている。
奥深い甘味を感じる上品な味わい。自然海塩の元祖で名付け元。
■『オーサワの自然海塩石垣』(オーサワジャパン(株)):石垣島名蔵湾沖の海水を取水し、六〇種類以上のミネラルを含んだ海水を低温乾燥法で濃縮。
きめ細かく、ほのかな甘味・苦味・酸味がある。おむすび・煮物・漬物に最適。
■『沖縄の海水塩』((株)青い海、シママース本舗):料理の鉄人、道場六三郎氏が「本物だよ!この塩」と写真人り。昔ながらの「平釜製法」で煮詰めて製造。
「自然海塩」とは「一〇〇%天然の海水のみでつくられ、他の『塩』を混ぜたり、溶解再結晶方式や化学的に作られた濃縮海水などを一切不使用」のもの。
やや粒が大きめ。辛味に奥行き、力あり。
■『天海の蓋』((株)天塩):高知県室戸岬沖の海洋深層水一〇〇%使用。「豊富な栄養とさまざまなミネラルを含んだクリーンな海水」がうたい文句。
しっとり、細かい粒。口のなかにバランスよく味わいが広がる。
■『天日天然海塩』((株)ピュアソルトジャパン):沸水を太陽と風だけの力で二年間かけてじっくり乾燥させた原塩を、独自の方法で自然のまま仕上げた。
「原塩をいったん水で溶解したり、その海水を釜で煮詰めたりしていません」とのこと。パウダー状でやわらかい。味もソフトでふんわりしている。
「自然塩」にも細かな違いアリ
さて、「自然塩」をうたい文句にしていても〝ウラ技〟をつかった塩も少なくない。
たとえば、塩化ナトリウム純度が非常に高い輸入原塩ににがりを加えて「再結品」させたもの。また輸入原塩を水に溶かして「再結晶」させたものも。
自然食品に詳しい三好基晴医師は「このような塩を、自然塩とか天然塩といえるのか?」と疑問を投げかける。
「まぎらわしい表示はしないで再結晶塩とはっきり明記すべき」と主張する。
表Cは、三好氏による「塩の分類」。(『水・塩・みそ・しょうゆ』オーガニック研究会著、築地書館)
「自然塩」をA:自然海塩、B:再結晶塩、C:添加塩の三分類としている。また、汚染の少ない海のものを選ぶのも、たいせつなポイントだ。
さらに料理人は、塩の味にこだわる。その味とは、早くいえば塩化ナトリウムとにがりのバランスである。
表Eは、「塩」の中の塩化ナトリウムの純度の変化。(出典『塩屋さんが書いた塩の本』前出)
塩化ナトリウム純度が低いほどにがり成分が多い。
昔から「二年塩」「三年塩」という。これは梅雨から土用を二回、三回越した塩のこと。梅雨の湿気で”にがり“分が溶けて流れ出た塩のこと。
〝にがり〟の主成分は塩化マグネシウム。吸湿性が高いので、湿気とともに流れ出る。
二年、三年越した塩は、もう〝にがり〟が溶け出さない。これを〝枯らした塩〟と呼ぶ。この〝にがり〟の塩梅は、好みとしかいいようがない。
また、最近は「ヨーロッパのどこそこの岩塩……」などと、岩塩ブームだ。
じつは、世界の塩の三分の二は岩塩。だから、外国で岩塩をつかうのは、あたりまえ。
「岩塩にはブラウン、グレー、ピンク、ブルーなどいろいろな自然な色が付いています。しかし、これらの色は多くの場合、塩鉱や岩塩層に混じっている土の色……」
とは、松水永光氏(前出)の指摘。
また、レストランのテーブルで岩塩をミルで挽くのも「時代遅れのファッション」と批判している。
このため、わざわざ大粒に再結晶させる業者もいるとか。何をかいわんや。あとは、自分の舌で、好みの塩味を探し求めれば良い。
なお、「塩は高血圧の元凶」と政府は、戦後〝減塩運動〟を全国的に指導してきた。
しかし、政府の訴えた〝塩の害〟とは、公社塩つまり「化学塩」のこと。ミネラルを十分に含んだ自然塩と同列に論じるのはまちがいだ。
「塩と火のない料理は、体を冷やす」と専門家は指摘する。また、味噌汁にワカメなど海藻を人れるとカリウム成分がナトリウム分を中和する。
だから、厚労省の指導のように成人は「一日一〇グラム以下」と一律に指導するのは、あやまりなのだ。
表Dは、標準的な塩の成分割合。自然塩は、ミネラル(〝にがり〟)の宝庫であることが、よくわかる。
(中略)
古来、夏に、いちど海に人ると風を引かない……などといわれる。
韓国旅行してサウナに入って驚いた。中に白い塩が山盛り。それを、体にゴシゴシこすりつけている。豪快な塩浴を体験した。
手軽にできる塩浴は、つぎの通り。
「入浴して頭髪から全身を湿らせる。頭に茶さじ一杯分の塩をふりかける。指先で全体にいきわたらせる。次に茶さじニ杯分の塩を手のひらで全身に塗二、三分たってから、お湯で全身を洗い流す」。
体がポカポ力暖まり血圧も下がり、塩浴効果が実感できる。
その他、塩の面白い効能。
▼便秘:朝いちばんに薄い塩水を飲む。
▼寝冷え:風邪で微熱のとき塩を唾でこね、オヘソに詰めると気分が回復。寝冷えの腹痛にはヘソの上にガーゼを敷き、その上に塩をのせ、さらにモグサでお灸。痛みが引くと伝えられる。
▼塩マッサージ:風呂でアカを流したあとに、ひとつかみの塩をガーゼに詰めたもので、全身をマッサージする。神経痛、リウマチ、冷え性に効果があるという。
▼歯槽膿漏:塩と指で歯茎マッサージ。これは昔から効果が伝えられる。わたしの母方の祖父は、生まれてから、この塩指みがきのみ。死ぬまで虫歯―つなかった、というから立派。
▼塩湯:ひとつかみほどの塩をお風呂に人れて人浴する。冷え、婦人病などにとくに効果あり。これは温泉効果にも通じる。
▼風邪:塩入り番茶でうがい。塩とお茶タンニンなどの殺菌効果がダブルではたらく。
▼生理痛:番茶を少し濃くだして、すりつぶしたごま塩をひとさじいれて、予定の二、三日前から五~六杯飲む。
八〇〇〇年以上も昔から、日本人の暮らしとともにあった塩。
その効用は、食の調味だけではなく、さまざまな健康維持にも活用されてきた。先人の知恵を、いろいろ試してみよう。
月刊マクロビオティック 2003年11月号より
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船瀬俊介 (ふなせ しゅんすけ)地球環境問題評論家
著作 『買ってはいけない!』シリーズ200万部ベストセラー 九州大学理学部を経て、早稲田大学社会学科を卒業後、日本消費者連盟に参加。
『消費者レポート』 などの編集等を担当する。また日米学生会議の日本代表として訪米、米消費者連盟(CU)と交流。
独立後は、医、食、住、環境、消費者問題を中心に執筆、講演活動を展開。
船瀬俊介公式ホームページ= http://funase.net/
船瀬俊介公式facebook= https://www.facebook.com/funaseshun
船瀬俊介が塾長をつとめる勉強会「船瀬塾」= https://www.facebook.com/funase.juku
著書に「やってみました!1日1食」「抗がん剤で殺される」「三日食べなきゃ7割治る」「 ワクチンの罠」他、140冊以上。